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     [見学日] 2021年10月14日(木)     [会 場] 宮内庁三の丸尚蔵館


 皇居の景観に心洗われつつ、大手門から東御苑内に入り、宮内庁三の丸尚蔵館へと向かった。

 当館訪問も久しぶり、あまりにも多くのことがあったため、前回はいつだったか、もはや思い出せない。


 警備員さんに迎えられて、館内に入る。

 以前は入口脇の一角でバックナンバーを含めた展示図録や絵葉書などが販売されていたが、本日は撤収されていた。

 本館の展示室内では、おそらくは撮影禁止のため、スマホの操作は禁止ですので、ご注意を。

  作品名の次の()内は作者名です。



 展示室に入って右折?し、まずは明治から大正期にかけて制作された陶器類を鑑賞する。

 【七宝棕櫚図花瓶】(川出柴太郎)、【植物文花瓶】(エミール・ガレ)、【海洋生物文噴水電燈】(国立セーヴル製陶所)など、時代の息吹きを感じながら見入った。

 【銀杏文花瓶】(国立セーヴル製陶所、デザイン:C.ピアン)の装飾は日本的だった。

 【夕月】(藤井浩祐)、【牛と童】(沼田一雅)、【羽箒と子犬】、【狗子と童子】(山崎朝雲)、等々、作者名には記憶がないが、心に残る展示が続いた。


中央の展示ケースには、4点の作品が、展示されていた。

【瑞彩】からは、 【虫狩】(川嶋小虎)【裾野】(木島桜谷)【耕作】(橋本永邦)が出展されていた。

【リス「景雲餘彩」のうち】は一目で小林古径作品と分かった。この画は以前にテレビ番組で見たかもしれない。柔らかな体毛の表現は絶品、じっくりと鑑賞した。


展示室の奥には、琳派作品をリメイクしたような雅で美しい絵画が3点、展示されていた。

【四季草花図】(荒木寛畝)には小禽類も描かれていた。

【国之華】(池上秀畝)は、特に右隻に我が鈴木其一の【夏秋渓流図屏風】を思わせるものがあった。他にも見たようなモティーフが見られた。

【背戸の秋】(伊藤綾春)も、其一作品を彷彿とさせる。こちらには蟷螂も描かれていた。

草木花、水、苔、たらしこみ、小動物、等々、琳派の精神は、しっかりと近代に継承されたことが確認できた。


 あらためて、皇室は間違いなく芸術の育成と継承に大きな役割を果たしてきたことを実感した。今後も引き続き、この重要な役目を担い続けていただきたい。



 当館は平屋?のこじんまりとした施設だが、隣接地に3階か4階建ての新しい建物が建設中だった。

 竣工すれば、伊藤若冲の【動植綵絵】ほかの名宝を見る機会が増えるかもと、嬉しさと期待で胸は高まった。

 しばらくは遠ざかっていた当館、今後は情報をしっかり収集し、いい展示がされている時はまた足を運びたい。


# by nene_rui-morana | 2021-11-28 16:00 | 展覧会・美術展(令和 日本編) | Comments(0)

皇居東御苑&将門塚

 2021年10月14日(木)、所要で休暇をとって丸の内に出向くことになり、合間の時間に久々に皇居東御苑内にある三の丸尚蔵館を訪れることにした。

 昼食をとった丸の内のビルを出た後、警備員さんに聞いた道順に現地へと向かった。

本日は体調が悪く、丸の内から現地まで歩くのは、かなりしんどかった。

足腰の痛みは、加齢に加えて、コロナによる自粛で運動不足となり、筋力が衰えたことが大いに関与しているのだろう。2度目のワクチン接種をした後の右肩から手の甲にかけての痛みも辛い。

 今のところ自分や家族は感染から免れているが、新型コロナは間違いなく、自分の人生と心身に暗い影を落とした。最大の損失は、親族と過ごす時間と、価値観を共有できる知人と語り合う時間、室内で過ごす時間の増加により心と体の健康も間違いなく後退した。そしてこの、腕や首肩背中の痛みが、つくづくコロナが恨めしい。

 この界隈を訪れるのは、本当に久しぶりである。

 本日は理想的な晴天で実に清々しく、心洗われる。優雅な白鳥の姿に魅了された。

 私は皇居の景観をこよなく愛する。ここ大手門界隈はもとより、これから向かう東御苑、北の丸公園、現在休館中の出光美術館から望む日比谷付近、桜田門近くの堀、再公開が待たれる乾通り、等々、全て大好きである。

 本日この地に足を運んで、あらためて、皇居の景観は間違いなく東京が世界に誇る名所であると実感した。

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三の丸尚蔵館の展示に関する記事は、別途アップします。

 午後4時の閉館直前に館を出る。東御苑内の売店も午後4時で閉まり、4時半には閉門となる。帰路は他の門から出ることも考えたが、はたと思い直して行きと同じ大手門から苑外へと出た。

 目指すは、《将門塚》、スマホや案内地図で場所を確認しながら、10分程度で到着した。

 私は中学高校はここから近い学校に通い、その後も頻繁にこの界隈には足を運んできた。高校2年生の時、在籍していた史学部の活動の一環として皇居とその周辺を巡り、その時に初めて《将門塚》を訪れた。その後も1、2度来たかもしれないが、明確には覚えていない。

 平将門やここ《将門塚》については、情報があふれているので、あえて記すまでもないと思う。

 既に本ブログで何度か書いてきたように、私が歴史に大きく傾倒するきっかけになったのは、承平・天慶の乱をテーマとしたテレビドラマ、以後は関心を持った歴史や人物に関する書籍をむさぼるように読み、大学も史学科に進んだ。専攻は近代史を選んだが、平将門は一貫して自分にとっては特別な存在、関連書籍は可能な限り購入している。

 《将門塚》はあまりに身近過ぎて、かえって足が遠のいていたが、本日、久々の訪問が叶った。

 近年はパワースポットとして人気があるようで多くの人が訪れているとの報道に接した記憶がある。

 周辺はすっかり整備され、昔年の面影はなく、以前はこの方向を向いていたかしら?と一瞬思った。今年完成した真新しい説明版も設置されていた。

 以前植えられていた樹木類は全て伐採されていた。そのために石碑の背面に回れるようになり、これは徳治2(1307)年に他阿が建立した板碑ではなく、昭和40年代に有志によって建てられたものだと分かった。

 体調は良くなかったが、自分にとって特別な場所に久々に身を置くことが出来て、とても嬉しかった。


# by nene_rui-morana | 2021-11-22 20:30 | 名所旧跡巡り | Comments(0)

〖日本沈没〗を見て

 コロナが落ち着いてきたものの、自分にとっては宿泊を伴う遠出は夢のまた夢、まだまだ身近に楽しみを見出す生活を余儀なくされています。

 今の自分に許された数少ない楽しみは、展覧会見学、読書、そしてテレビです。よく見る番組はやはり歴史や芸術関係ですが、最近はドラマもわりと見ています。

 毎週日曜日の午後9時よりTBSで放映されている表記番組は、何となく毎週見ているうちの一つです。

11月14日に放映された第5話の中で、心に残ったシーンがありました。


小栗旬さん演じる中堅官僚・天海啓示が、トンネルの崩落事故に巻き込まれた恐れのある家族に会うため、東京より現地に向かいます。途中、道路は寸断され、必死に懇願して船を出してもらったり、獣道のような山道を歩き続け、ようやく松葉町の避難所に到着、夢中で探し続け、お嬢さんと離婚したばかりの奥さんとの再会が叶います。

 天海親子の姿に、空襲後の祖父母と幼かった父の姿が重なりました。


 当時の祖父母と父は空襲が激しくなってきた東京の下町に住んでいて、祖父母は万が一大規模な空爆に襲われたら、別々に逃げてB29が去った後に待ち合わせる場所を決めていたようです。そして空襲の夜、祖父と、父を背負った祖母は、火の海の中を別々に逃げました。祖父母は生涯語りませんでしたが、祖父の父もこの時に共に罹災していたことが、戸籍を取得して判明しました。多くの下町の住民と同じく、家は焼かれ、全てを失いました。何とか命だけは助かり、翌朝に家族全員で再会を果たせ、近くの学校でおにぎりの炊き出しを受けました。

 当時の祖父母と父の年齢はドラマの中での天海一家より少し若いくらいで、避難所のシーンに重なりました。


 再会が果たせたのも束の間、この後には、罹災を免れた親戚に門前払いされ、頼った別の親戚宅で邪険にされ、2年の間に3人の家族が戦争や病気で亡くなるという、壮絶な運命が待っていました。戦争が終わった後も、買い出しでようやく手に入れた食料を没収されるなど、過酷な現実にさいなまれ続けました。

 全く国からの支援がないまま、時には造血剤がわりに鉄くずを砕いて飲んで血を売るなど、祖父は現在では想像もつかない厳しい時代に家族と共に向き合い続けました。

 空襲のトラウマもあったであろう拭いきれない記憶を背負ったまま、祖父母は戦後半世紀以上を生きぬき、日本の復興を担い命を未来につないでくれました。


 天海親子に見たかつての我が家の姿、平和な時代になっても天災の多い日本、ご自身や親戚・知人が天海親子と同じ経験をされた方は多いと思います。当然ながら、天海親子や祖父母とは違い、家族との再会が果たせなかった方も多数おられます。祖父母が空襲を生き抜いたから自分が生まれたという、ある意味当然の事実ま重みを、近年とみに感じます。

 私たちの先人は、理不尽な現実に見舞われても、真摯にそれと対峙し乗り越えてきました。コロナ渦の今、大いに見習わねばと感じます。


 私は『日本沈没』の原作も読んでおらず、おそらくは見たであろう旧作の記憶もないので、今後ドラマがどう展開するのかは分かりませんが、勤勉で節度ある国民性で乗り越えていただく展開を期待しています。


 ちなみに、他に見ている番組は、大河ドラマ、〖最愛〗〖真犯人フラグ〗〖ドクターX~外科医・大門未知子~〗など、松本清張のドラマは再放送・新作も含めて見逃さないようにしています。


# by nene_rui-morana | 2021-11-21 18:30 | 2021年 | Comments(0)

ルーベンス展

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                     [副 題] バロックの誕生

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                     [会 場] 国立西洋美術館


 自分も同世代の多くの日本人と同様、テレビのアニメ番組〖フランダースの犬〗で、ベルギーのアントワープ(アルトウェルペン)という都市と画家ルーベンスの名を知った。以後、大のお気に入りとは言い難いが、ルーベンスは常に自分の中に存在した。

 過去の展覧会や国内外の美術館でルーベンスの作品はそれなりに見てきたが、表記展覧会はおそらく最大規模、出展作品の中には既に対面済み?のものもあるが、もちろん行かないわけにはいかない。

12月のはじめに日曜出勤し、その代休を取った7日の金曜日に上野に赴いた。

 今回は一つ隣の御徒町に出て、駅近くの金券ショップでチケットを購入したが、会期終了が迫っているがそれほど安くなってはいなかった。そちらの近くの店で昼食をとった後、桜並木の紅葉を見ながら会場へと向かった。

 界隈の木々は色づき、季節の移ろいが体感できた。

 春日通りには、界隈を散策した懐かしい思い出と、父の通院介助で毎月(時には毎週)通った苦しい思い出とが、交差する。


 エントランスでは、特大の4Kシアターでルーベンスが紹介されていた。多くの椅子が設置されていたと当日のメモにある。

 本展覧会は、ルーベンスが延べ8年過ごしたイタリアとの関わりに焦点をあてて紹介したものとのことで、俄然、期待が高まる。

駐日ベルギー王国大使、駐日イタリア大使のメッセージに迎えられて、見学を開始した。

 ※ 作品名前に作者名を明記、無記入はルーベンス作品です。



Ⅰ ルーベンスの世界

 ペーテル・パウル・ルーベンスは1577年、ドイツ西部ジーゲンで誕生した。父はカトリック都市の行政官で、カルヴァン派に共鳴しているとの疑いを抱かれ、当時は妻と共にこの地に亡命していた。父が亡くなった後、母や兄弟たちと共に10歳でアントウェルペンに戻り、21歳で親方画家となった。やがてその力量が認められてマントヴァ公の宮廷画家となり、王侯貴族の肖像画や聖堂の祭壇画を手掛けていく。日本でいえば、戦国時代末期に生まれ、江戸時代初期に活躍したことになる。

【自画像】(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)で見学スタート、本作はウィンザーにある自画像の模写、イタリアを訪れた時に見ただろうか。大変写実的で、偉大な画家の容貌・個性をあますところなく後世に傳えている。襟元はラフなタッチだが、遠くからだとリアルに見える。

【クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像】(ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)とは再会、モデルは当時5歳だった作者の娘、残念ながら12歳で夭逝、父の悲しみは想像にかたくない。この娘が亡くなった頃より、ルーベンスは外交にも携わるようになり、貴族の称号も与えられた。

【眠るふたりの子供】は当館所蔵で以前見ている。モデルは兄の子とも言われる。

【カスパー・ショッペの肖像】(フィレンツェ、パラティーナ美術館)は、モデルの個性・襟や袖のレースの絶妙な表現が絶品、17世紀に入ってほどなく描かれた。

 当館所蔵のティントレット作【ダヴィデを装った若い男の肖像】は、日本の戦国時代に描かれた。



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# by nene_rui-morana | 2021-11-14 20:00 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

プーシキン美術館展

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                  [副 題] 旅するフランス絵画

                  [見学日] 2018年5月4日(金)

                  [会 場] 東京都美術館


 プーシキン美術館の名を知ったのは2013年に横浜で開催された展覧会、当時は父が闘病中で肉体的にも精神的にも苦しい時期だったが、必死で時間を確保して会場に足を運んだ。

 5年の歳月を経て、東京で再び展覧会が開催されることが決定、モスクワ訪問は夢のまた夢なので、この機会を逃すわけにはいかない。

 当日は、会場のすぐ近くにある牡丹園で今を盛りと咲き誇る牡丹を堪能した後に、会場に向かった。

 日本側主催者のあいさつ文の中には、プーシキン美術館の重要な所蔵作品の旧所蔵者であり、横浜の展覧会の時にその名を知ったコレクター、シチューキンとモロゾフの名が見られた。


モネに迎えられて、見学を開始する。

 本展覧会では、作者名のキャプションは「クロード・モネ 1880年パリ 1926 ジヴェルニー」と生年と生地・没年と没した地があわせて記されていた。他の展覧会でも見かけた記憶があるが、これは大変親切で良いと感じた。



第1章 近代代風景画の源流

 最初の章の作者は知る人も知らない人いたが、日本人好みの風景画が展示され、心和んだ。

ジャン=バティスト・マルタン作【ナミュール包囲戦、1692年】は、彼方にナミュールの町、他には山に築かれた要塞や川などが描かれている。

 ジャック・ド・ラジュー作【狩猟後の休息】はタイトルのとおり、狩りの後に憩う貴族たちを描いたもの、豪華な造りの噴水の描写に注目した。

 【農場】は、フランソワ・ブーシェには珍しく、古びた水車小屋で営まれる農民たちの日常を描いている。

 フェリックス・フランソワ・ジョルジュ・フィリベール・ジエム作【ボスポラス海峡】は19世紀前半の作、トルコのイスタンブールは未だ訪問が叶わない憧れの地である。


【水に囲まれた神殿】の作者ユベール・ロベールは、「廃墟のロベール」の通り名が表すように、本作のような古代遺跡を好んで描いた。先にアップした〖大エルミタージュ美術館展〗の記事にも彼の名が登場する。ロベールの作品はロシア宮廷や上流階級に好まれたようで、エルミタージュは複数の所蔵がある。


クロード=ジョゼフ・ヴェルネ【日の出】【日没】は、まぶしいばかりの日の光が強烈な印象を残した。船と荒城・水辺の取り合わせも私好みで心に残る。



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# by nene_rui-morana | 2021-11-10 21:30 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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