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 いよいよ本日で平成は最後、朝9時半に起床し、朝刊のテレビ欄を見ながら録画する番組をチェック、その後は退位の礼を中継するテレビ番組を見ながら、ブログ原稿の執筆と並行してブルーレイ内の番組をディスクに移したり、前職場でお世話になった先生への御礼状を書いたりした。

 昼食後、地元の氏神様に平成最後の記念の御朱印を貰いに行く。帰りがけに宝くじ売り場に立ち寄り、やはり記念のナンバーズを購入した。連休中に読もうとコンビニで週刊誌も購入して帰宅した。

 テレビで放映される各地からの映像に自身も心は踊り、平成を振り返る映像は懐かしく感じた。ライブで退位の礼を見て厳粛な気持ちになった。

 少々疲労感を覚え、新年度は起きて迎えたいので、夕食前に小休憩、日中は幸い予報の雨は降らず自転車で用事を済ませることができたが、夕食の買い物は歩いて行った。

 引き続き、テレビを見たりパソコン作業を行いながら、静かに新たな時代の訪れを待った。

 


by nene_rui-morana | 2019-04-30 22:00 | 平成から令和へ | Comments(0)

平成時代を振り返って

 平成という時代も、いよいよ本日が最後、明日からは新たな時代・令和がスタートします。


 自分が社会人になった年、昭和天皇が倒れられ深刻な病状が連日報道される中、寂しいけれど間もなく昭和は終わるのかもしれないと感じました。

 昭和最後の日、昭和64年1月7日、当時の職場は冬休み中でした。少し遅く起きてテレビをつけ、母校の先生を含めた各界有識者が黒ネクタイでコメントを述べておられる映像を見て、昭和が終わり新たな時代がスタートしたことを知りました。

 昭和天皇を追悼するテレビ番組のビデオが何本か今も手元に残っています。


 4月から始まった平成元年度は、自分の就労生活の中では最も良い年でした。消費税の導入や職場のシステム変更により過去になかった苦労もありましたが、折り合いの悪かった同僚が退職して職場では一応自分を中枢に据えることが出来、自分の意志が尊重された運営が許されました。何よりも当時の自分には若さと健康とがあり、今は苦しくともいずれは報われると未来への希望が持てました。知らぬ人がいない高貴な方と直にお話しできたのは、一生忘れられない思い出です。

しかしこの職場は期限つきだったのでその年度いっぱいでの退職が義務づけられており、家業と家事との両立のため、平成2年4月に現在の職業に転職しました。


 以来30年、ある意味当然のことかもしれませんが、平成の最初には、現在の自分の姿は想像もできませんでした。

 あらためて振り返ってみると、自分にとって平成は、率直にいって、喜び・楽しみ・得たものよりは、悲しみ・苦労・失ったものの方が圧倒的に多い時代でした。


 平成時代最大の苦労・悲しみは、最初に配属された組織によってもたらされました。当時はそんな言葉はありませんでしたが、パワハラとモラハラが横行するブラック職場、大いなる屈辱・理不尽・不条理を数えきれないほど味わいました。この職場で手掛けていた事業は反対意見が多かったため、自身の意志ではない配置とはいえ携わったことは自分の公的なキャリアには大きなデメリットとなり、今に続く汚名は退職まで消えることはありません。当然の権利である給付金や休暇の申請についての情報が与えられなかったり、家族が入院しても休ませてもらえないといった処遇にも甘んじて受け入れることを強要されました。

 異動した後も、この組織にいたことで邪推による批判・厳しい視線を浴び続け、不公平な待遇を受け続けています。自分だけが味わう苦労は数知れず、耐え切れずに何度か転職を決意しましたが実力不足で叶わず、家族の生活のために自身を貶められた職場での労働を余儀なくされています。本来なら思い出に残るはずに最初の部署は、自分に大いなる不幸をもたらしました。気がつけば、今そこにいるのは、人並みの人生や未来への夢を根こそぎもぎ取られ、健康・体力が著しく衰えた老人です。

 この職場での人間関係も含めて、平成時代の出会いも、自分にとっては幸せには結びつかないものの方が多かったと感じています。あわせて平成時代は、父、祖父母、大学の恩師、その他かけがえのない人との別れが相次ぎました。


 一方で、平成時代の数少ない喜び・幸せは、昭和時代には叶わなかった海外および国内各地への旅行、父が難病を患って要介護状態になる前は、ずいぶんあちこちを旅行し、素晴らしい思い出を得ました。短期ですが若い頃は無縁だった「追っかけ」で外国に行ったりもしました。

学生時代は知らなかった多くの素晴らしい芸術家との出会いも、平成時代の忘れがたい思い出です。歌川国貞、酒井抱一、伊藤若冲、アルブレヒト・デューラー、ルーカス・クラーナハ、等々、今やそれなしには自分の人生は考えられない芸術家を認知したのは、時代が平成に移ってからです。


年を経るにしたがって、自分もずいぶん変わりました。かつてはさほど好きではなかった(どちらかというと嫌いだった)ものが好きになったり、逆に好きだったものへの関心が薄れたりもしました。芸術や人物に対する評価もかなり変わりました。


本日をもって、平成時代は幕を閉じます。

天皇陛下も述べられているように、平成の日本は戦争はありませんでしたが、大きな天災に幾度も襲われました。両陛下は大戦中の激戦地や被災地を精力的に訪問され、戦争犠牲者を慰霊し被災者を激励してこられました。陛下が手術をされた時に偶然父も同じ病院に入院していましたが、慌ただしく退院されて東日本大震災の慰霊式に参列されました。

平成も残りわずかとなった時、各地で事故が相次ぎ、新たな時代を迎えられない方が出てしまったのは、悲しい限りです。


平成の思い出は、一言では語りつくせません。

本日はとりあえずこれで筆をとめ、新たな時代を迎えた後、折に触れて振り返っていきたいと思います。


by nene_rui-morana | 2019-04-30 16:00 | 平成から令和へ | Comments(0)

f0148563_18493847.jpg[副 題] 特別展 御即位30年記念


[見学日] 2019年4月28日(日)


[会 場] 東京国立博物館 本館特別4・5室


 表記展覧会は、展示作品は多くはないが逸品揃い、後期には我が酒井抱一の【花鳥十二ケ月図】が出展されるとあっては、足を運ばないわけにはいかない。


連休初日で会期終了前日の4月28日の土曜日、「たばこと塩の博物館」の特別展見学、「ウインズ浅草」での天皇賞馬券購入、少し遅めの昼食を経て、会場となる東京国立博物館へと向かった。

寒の戻りで、会場に入った時はかなり肌寒かった。


前期と同様、両陛下の洋装の写真に迎えられて、展示室内に入る。

 ※作品名前の印は以下の所蔵を表します

  ● 宮内庁三の丸尚蔵館  〇宮内庁侍従職所管  ◆宮内庁用度課書簡



御即位

 ≪即位の礼≫の両陛下の写真に続いて展示されていたのは、◆【主基地方風俗歌屏風】、作者・高山辰雄画伯は他所で作品を見ているかもしれないが名前は記憶がない。前期の東山魁夷筆◆【悠紀地方風俗歌屏風】と並んで、平成2年の≪大饗の儀≫の際に、両陛下の御座左右に置かれた屏風の一つ、『主基地方』とは大饗祭で神に供える新穀を献上する地域とのこと、展示作品には平成の主基地方となった大分県の景観が描かれている。大自然と現代の町並みが融合された独特の世界観に見入った。



外国ご訪問と文化交流

 コーナーの一角には、両陛下が御即位後に公式に訪問された国々を地図と年表で紹介するパネルが展示されていて、自身の足跡・渡航の思い出と比べつつ見た。

本日のメイン、見学の目的である名品が目に飛び込んでくる。私が最も愛する酒井抱一作品のひとつ、●【花鳥十二ケ月図】と感動の再会、美術書などでは繰り返し見ているが、当然ながら現物でなければ臨場感は伝わらない。自分は『十一月 芦に白鷺図』が最も好きなのだが、全幅素晴らしい。雅びで上品で繊細、抱一の動植物に対する愛情と優しく穏やかな性格が伝わってくる。平成の始まりにはまだ知らなかった抱一の作品を、平成のフィナーレに鑑賞することが出来て、本当に嬉しい。多くの人がこの作品に見入っていた。

●【塩山蒔絵十種香道具】は前期に感銘を受けた●【松竹薔薇蒔絵十種香道具】と思ったが確認したら別物だった。こちらも大変素晴らしい工芸品でじっくり見た。

 ●【丹鳳朝陽図花瓶】(海野勝珉作)とはこれで何回目の対面になるのだろうか。

 ●【小栗判官絵巻】は前期と巻が変えられていた。多くの神々や諸仏・人々を、多彩に鮮やかに描き分けている。神仏も岩佐又兵衛らしく下ぶくれの人間らしい表情で表現されている。人物表現は絶妙、動物などはユーモラスで楽しかった。

 2009年7月にご訪問先のカナダで●【源氏物語図画帖】を見られる両陛下の写真も展示されていた。



皇后陛下とご養蚕

本日展示されている天皇陛下の幼少期の御召し物は、が展示されていた。〇【黒紅縮緬地吉祥文様刺繍振袖】(前期は「赤」だった)と〇【黒紅綸子地吉祥文様振袖】(前期は「落瀧津文様」だった)、壁面の3歳の陛下は女児のように愛らしい。

 ●【養蚕天女】は作者は同じ高村光雲だが、前期よりも小さかった。

 〇【イヴニングドレス】は皇后陛下のお人柄そのまま、控えめで美しい。



第2会場

隣の展示室の壁面には両陛下の写真を大型パネルで展示、中央のケースには様々な【ボンボニエール】が展示されていた。

 【ボンボニエール】の語源は砂糖菓子を入れる蓋付き容器を意味するフランス語『bonbonniere』を語源とし、皇室の御慶事の折に関係者に下賜されるという。英国の王族は個人で紋章を持っていると以前ニュース報道で知ったが、日本の皇族方も「お印」(シンボルマーク)をお持ちで、ご自身ゆかりの御慶事の時には「お印」がボンボニエールにデザインされる。天皇陛下のお印は「榮」、皇后陛下は「白樺」、皇太子殿下は「梓」とのことだが、老眼の悲しさで展示作品のデザインは菊の御紋しか判別できなかった。

  ボンボニエールについては、小林忠先生の講座もしくは浮世絵学会かなにかで学習院大学を訪れた時、先頃まで皇太子殿下が研究員をされていた史料館の展覧会で目にした記憶があるが、その時には格別感じるものはなかった。しかし、大正期に制作されたものも含めて様々なモティーフが一堂に会した本日の展示からは、強いインパクトを受けた。小さいが格調高く精緻な造形は私好み、今後は俄然、注目していきそうな予感がする。一生のうち、一つでいいから自分も欲しいと思うが、この夢が実現する可能性は限りなくゼロに近い。

 表記展覧会は小規模だが、平成フィナーレを飾るに相応しい内容だったと思う。

 展示作品は選りすぐられた逸品揃い、両陛下のお人柄が感じられた。



 当日中は再入場ができるので、同じく本館に展示されていた帝室技芸員の作品や新指定の国宝・重文を見た後、再び展示室に戻り、【花鳥十二ケ月図】などを幾度も見直した。

 そろそろ上がろうと室内のベンチで一服していると、関西からみえたという少し年上の御婦人に声をかけられ、しばし談笑した。



 家を出た際はもう少し早く家路につくつもりだったが、結局8時過ぎまで居残ってしまった。

 本日の展示作品との再会を願いながら、名残を惜しみつつ館をあとにする。


 本稿をもって、平成時代の感想記アップは最終とし、未投稿分は新たな時代に持ち越しとさせていただきます。


 夕食は駅近くのイタリアンレストランでとる。

 日が落ちて更に寒くなり、駅のホームで電車を待つのが辛かった。


by nene_rui-morana | 2019-04-30 09:00 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

 平成も残り2日、天気予報では明日とあさっては天気が良くないそうなので、本日は外出はせず、まずは洗濯をする。

その後は、ブログの執筆、何としても平成の間にアップしたい記事があり、時間は限られているので、かなり気合いを入れて取り組んだ。

インターネットのプロバイダーにキャンペーン中の乗り換えプランについて問い合わせたが、早急に変更しなくてもさほどデメリットはなさそうなので今回は見送ることにした。しかし毎度のことながら、携帯やネットのサービスカウンターに電話すると、かなり待たされる。平成時代になってもたらされた現象だが、機器がトラブルを起こして使えない時間やこのような問い合わせに要する時間を考慮すれば、アナログで回っていた時代とさほど変わらないのではないかと思ってしまう。

昼食をはさんで、昨日印刷した挨拶状の封筒詰め、録画したテレビ番組のディスクへのダビング、決して丈夫ではないし年をとっているので、けっこう疲れる。

夕食のおかずは鰯のお刺身、脂がのってとても美味しかった。

その後はテレビを見ながら、再びブログ原稿の執筆とダビングを行った。

楽しみにしていたテレビ番組を2つも録画し損ない、残念無念、新時代の再放送を切望する。


by nene_rui-morana | 2019-04-29 22:20 | 平成から令和へ | Comments(0)

 数日ぶりの快晴、午前中はたまっていた洗濯物を干す。

 予定のとおり、前職場でお世話になった先生方と、友人知人とに、異動のお知らせを書き始める。連休前にある程度まで下書きはしておいたが、印刷をし始めるとプリンターの調子が悪く、購入当初からトラブル続きだったパソコンもプログラム更新で使えなくなってしまった。

 やむなく一時中断し、別のパソコンで小さな調べもの等を行う。

 昼食は冷蔵庫にあったもので済ませた。

 午後も引き続き、パソコン、プリンター、共に不調、何とか復旧したのは夕方近くになってからだった。

 3時過ぎに洗濯物をとりこみ、天皇賞を見る。昨日購入した馬券が当たっていたのかどうかは、自分には分からない。近日中に窓口に行って調べてもらうつもりでいる。

 夕食は近くの持ち帰り専門の寿司屋で買って食べた。

 9時過ぎに何とか挨拶状の印刷が完了した。

 ブルーレイ内の録画番組をいくつかディスクにダビングしたが、平成中に見られる見通しはなし、同様のものが他にもたくさんある。


by nene_rui-morana | 2019-04-29 21:02 | 平成から令和へ | Comments(0)

f0148563_16064334.jpg[副 題] 特別展 御即位30年記念


[見学日] 2019年3月8日(金)


[会 場] 東京国立博物館 本館特別4・5室


 残りわずかとなった平成という時代を締めくくる表記展覧会、チラシを入手して即座に足を運ぶ決意をした。

 今回の会場は平成館ではなく本館、平成21年1月撮影の両陛下の御正装の写真に迎えられて、展示室内に入る。


 ※作品名前の印は以下の所蔵を表します

  ● 宮内庁三の丸尚蔵館  〇宮内庁侍従職所管  ◆宮内庁用度課書簡



御即位

 展示のスタートは、≪即位の礼≫の写真、天皇陛下が見に包まれる【黄櫨染御袍】という黄褐色の束帯は天皇だけが着用する最高の礼装、皇后陛下は十二単、かなり重たいことを最近のテレビ番組で知った。

 ◆【悠紀地方風俗歌屏風】は東山魁夷筆、平成2年11月24日の≪大饗の儀≫の際に、両陛下の御座左右に置かれた屏風の一つ、室内には当日の写真も展示されていた。燃える紅葉、咲き誇る桜、彼方の山と海、流れる水、東山作品の真骨頂が堪能できるスケールの大きな作品である。



御誕生

●【霊峰飛鶴】(堂本印象筆)は陛下(当時は皇太子殿下)御誕生の翌々年の昭和10(1935)年制作、モティーフは鶴・松・富士、写実と装飾、双方の美が結集したオーラあふれる作品だった。



外国ご訪問と文化交流

 両陛下は皇太子ご夫妻時代から精力的に各国を訪問され、各国の王室やVIPと交流を深められた。時には訪問先で開催されている日本美術展覧会にも足を運ばれた、本コーナーには外国で紹介された美術品が展示されていた。

●【松竹薔薇蒔絵十種香道具】は文句なしに日本が世界に誇るジャンル・物づくりの技術や集約された逸品、小さな道具に細やかで上品な細工や装飾が施され、雅びで優雅、実に素晴らしい。

 ●【丹鳳朝陽図花瓶】(海野勝珉作)は以前に見たかもしれない。輝く銀がまぶしかった。

 ●【小栗判官絵巻】は鮮やかな色彩で描かれた多くの女性の動作が多彩、後ろ姿も印象的、岩佐又兵衛の実力がいかんなく発揮されている。

 ●【源氏物語図画帖】は小さめだが好きなジャンルの作品、画は土佐光則といわれ、字は後陽成天皇とのことだった。



皇后陛下とご養蚕

 本コーナーには、天皇陛下の幼少期の御召し物が展示されていた。〇【赤縮緬地吉祥文様刺繍振袖】と〇【黒紅綸子地落瀧津文様振袖】は、80年前に制作されたとは思えない華やかさ、デザインも秀逸、召された幼少期の陛下の写真も展示されていた。

  美智子皇后は貞明皇后以来の伝統(だと思ったが記憶は定かではない)を継承し、皇居内で養蚕に取り組まれている。皇后陛下の手で育てられた蚕の繭で作られた絹は、国宝の修復などに使われている。室内には養蚕に励まれる皇后陛下の写真も展示されていた。

 ●【養蚕天女】をあらゆる角度から念入りに鑑賞した。背面もじっくり見た。衣の表現 足元の桑、高村光雲の真髄が心ゆくまで味わえる。

 〇【イヴニングドレス、コート】は清楚で上品、絶対王朝期の王妃の宝石づくめのドレスより好感が持てる。余白の使い方も絶妙、皇后陛下はとてもスリムな体型でいらっしゃることが伝わってきた。



第2会場

隣の展示室には両陛下の写真をパネル展示、自身の記憶・経験と重なり、感無量だった。



 本展覧会は、展示作品は多くなく展示室も広くはなかったが、選りすぐられた名品が集まり、両陛下のお人柄が伝わってくる格調高い内容だったと思った。

 近年実感している「皇室は日本の文化と美術に大きな役割を果たしている。」という自説を再確認した。

 時代が平成に移ってから、宮内庁管轄の名品の数々を我々一般国民が見られるようになったのは、陛下のお心配りによるものだろう。

 本展覧会の感動も含めて、陛下には心から感謝申し上げ、退位後は御夫妻で穏やかな生活を送っていただきたいと切に願ってやまない。


by nene_rui-morana | 2019-04-29 18:50 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

 連休初日、少し遅い朝食をとった後、11時半に自宅を出る。


 まずは本日最初の目的地、東京スカイツリーに程近くにある「たばこと塩の博物館」で特別展<実業と美術~たば塩コレクションの軌跡~>を鑑賞した。とても良い内容でもう少し長く見たかったが、本日はこの後に多く予定を入れているので、一通り見て館を出た。


 最寄りのバス停から都営バスに乗り、浅草に出る。

 次の目的地は「ウインズ浅草」、明日は平成最後の天皇賞、記念に人生初めての馬券購入を決意した次第、ビギナーにアドバイスしてくれるカウンターが1階にあり、お姉さんにいろいろ相談しながらマークシートに記入し、上階で購入した。


 昼食は近くの商業施設内のレストランでとった。


 再びバスに乗り、上野に出る。寒の戻りでかなり肌寒く感じた。

 噴水の手前では多くの出店が出ていて、辺りには美味しそうな香りがただよっていた。事前に知っていてもう少し暖かければ、ここで

 向かうは東京国立博物館、<両陛下と文化交流-日本美を伝える->後期を鑑賞、連休初日だがあまり混雑しておらず、大好きな酒井抱一の【十二ケ月花鳥図】(宮内庁三の丸尚蔵館)ほか珠玉の名宝の数々を落ち着いて心行くまで堪能した。


 駅近くのイタリアンレストランで夕食をとり、帰路についた。

 寒さは強まり、駅のホームで震えた。


by nene_rui-morana | 2019-04-29 12:53 | 平成から令和へ | Comments(0)

 本日で平成という時代の勤務が終了する。

 明け方まで昨夜の雨が残り、かなり寒かった。

 10連休前ということもあってか、電話や窓口の対応はいつもより多かったように思う。

 昼食は職場近くのイタリアンレストランでランチ、異動後初めて足を運ぶ。前回この店に入った時、父はまだ存命していた。

 午後も引き続き多忙、昨日引き継ぎをした旧職場の同僚からも問い合わせが入った。

 他課からも大昔に手掛けた事業の調査を依頼され想定外に時間をとられ、中断していた仕事に必要な公印は終業間際にやっと貰った。

 

 夕食をとり、後片付けをした後、メールチェック、10連休初日の明日の外出に向けた下調べと準備をし、仏壇の花を整えた。

 就寝前に録画してあったテレビ番組を視聴、連休を前に、ブルーレイの容量が気になる。


by nene_rui-morana | 2019-04-28 16:45 | 平成から令和へ | Comments(0)

人事異動

 ご報告が送りましたが、4月1日付けで5年間在籍した元の職場から異動しました。


 元職場に異動したのは2014年4月、その2年前にもう一つ前の職場に異動しました。

当時、父の入院は半年を超え、仕事をしながら通院介助等にあたっていましたが、「もうこれ以上はだめです。」と退院を宣告され、必死で受け入れ先や別の病院を探していました。課長にはこのような事情を話し、「この状態で職場が変わるのは厳しい、今回だけは異動させないでほしい。」と懇願してきましたが、ポーカーフェイスで聞いたふりをされ、突然の通達、文字通り青天の霹靂でした。絶望感に打ちひしがれながら、全く準備をしていなかった引継ぎと荷造りをあわただしく進め、合間に何とか受け入れてくれる施設を探しました。

 しんどいこともありましたが、職場環境も人間関係も手掛ける事業も良かったので、想定外の異動は本当に悲しく、歓送迎会では泣いてしまいました。自身の年齢も、以後急速に進んだように感じます。


 就任したのは、課名も手掛ける事業も知らなかった部署、自身の私生活とは全く縁のない仕事なので、精神的にかなり参りました。月に何度かは9時過ぎまでの会議、それ以外の平日はサービス残業をする同僚を横目に介護や家事のため定時であがらねばならないことも苦痛でした。次々と新たな病状が出て入院を繰り返す父、不本意な施設暮らしに耐えられず勝手で失礼な言動を繰り返し、結局最初のホームからは出ざるをえませんでした。

 幸運にも自宅の近くに難病患者も受け入れてくれる施設がオープンし、そちらに移った後も引き続き、仕事・看護・家仕事の三つをこなす日々が続きました。

 転所した後も父の体調は不安定入退院を繰り返し、半年後には手術を受けました。

通院介助の日が増えて年休対応が難しくなり、一方で日々の生活や医療費・介護費のために介護休暇を取るわけにもいかず、時の課長に哀願して3年のノルマには足りませんでしたがシフト勤務の職場に異動させていただきました。土日も開いていて残り当番もある職場なので、平日と振替をすれば介護と両立できると思ったのです。


希望叶って着任した職場には、現在の場所に移転する前に5年ほど勤務していました。父も自分も元気だった往年の数えきれない思い出があります。

面会に行った際に職場が変わったことを伝えると、「何だ、またあの職場か。」と言われたように記憶しています。自宅にいた頃は、父に仕事の話をいろいろして、半ば呆れられたこともありました。そんなことがまた出来れば、少しは気持ちも晴れるかもと思っていました。

しかし、父に新たな職場でのエピソードを話すことはありませんでした。

実労10日ほどで体調が急変し、中一日で慌ただしく旅立ちました。その日は歓送迎会、3日前までは出席する予定でした。

葬儀には、かつての同僚と、新職場の方2名が、手伝いに来て下さいました。

慶弔休暇とGWをはさみ、約1か月遅れて、本格的な勤務がスタートしました。


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以後5年、苦しいことも多々ありましたが、良いこともたくさんありました。厳しくはあっても意欲をもって取り組める業務でしたので、せめてあと1年残って諸般の整理をしたかったのですが、叶いませんでした。

勤務年数は前回と全く同じでしたが、今回の方がずっと短く感じました。あらためて、歳月の移り変わりを痛感しています。


4月17日は父の命日、墓参後、旧職場に御菓子を差し入れました。その翌日が歓送迎会で、餞別金と花束をいただきました。



新たな職場は、父の闘病中に在籍していた部署、追い出された課長のもとで、再び働くことになりました。

昨日は引継ぎで、丸一日、旧職場に詰めました。相当疲れました。

本日は終業後に出かけようと思いましたが、天候もすぐれないので見合わせました。


感傷にひたる間もなく、慌ただしい毎日が過ぎていきます。

気が付けば、ついこの間と思っていた平成も残り一週間を切りました。



本日は平成最後の勤務日、切望が受け入れられなかった結果、10連休することになりました。


by nene_rui-morana | 2019-04-26 22:04 | Comments(0)

パリ❤グラフィック

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   [副 題] ロートレックとアートになった版画・ポスター展 [見学日] 2017年12月22日(金)


   [会 場] 三菱一号館美術館



 恥ずかしながら、本展覧会を知った経緯は思い出せない。しかし、開催を知って直ちに足を運ぶ決心をしたことは間違いない。

作品名の後の()内は所蔵元、無記名は個人所蔵です。



はじめに 高尚(はい)から低俗(ロー)まで

スタートは、ウジェーヌ・グセッセ作【版画とポスター(『版画とポスター』誌のためポスター)】(ファン・ゴッホ美術館)、20世紀の漫画と画風が似ているように感じた。



第1章 庶民向けの版画

 本章のスタートは、ルイ・カリエ=ベルーズ作【鍋修理】、裕福そうな夫婦がシェレのポスターを眺め、傍には若い鍋職人が仕事にいそしんでいる。フィクションだろうが、当時の社会格差を街中の雰囲気と共によく表している。

 続いて目に入ったのは、ジュール・シェレ作【パリ市パビリオンでの第4回「白と黒」展のためのポスター】(ファン・ゴッホ美術館)、モノクロ作品、毎度のことながら、フランス語が読めなくて残念、中学生レベルの英語を思いおこし推測しながら鑑賞した。

 【「フランス=シャンパン」のためのポスター】(ファン・ゴッホ美術館)の作者ピエール・ボナールは、名前だけは記憶がある。



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by nene_rui-morana | 2019-04-22 10:00 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)