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運慶 後期

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[副 題] 興福寺中金堂再建記念特別展


[見学日] 2017年11月17日(金)


[会 場] 東京国立博物館・平成館



 知人と見に行った表記展覧会の前期は大変素晴らしかった。わずかだが展示替えがあり、後期には【重源上人坐像】が出展されるとあっては、行かずにすむわけはない。

 しかし、10月末にひいた風邪がなかなか抜けず多くの展覧会のキャンセルを余儀なくされ、気が付けば会期も終了間近、必死で調整して何とか時間を確保、当日は午前中は仕事をして職場から会場へ向かった。

 今回は京成電鉄を利用、上野駅から道中のビル内の階段を上がり外に出る。通常は四季の移ろいを感じる機会の少ない身には、上野の山の色づいた銀杏には心癒される思いがした。目の前には長蛇の列、『怖い絵』展待ちは90分待ちとのことだった。





 不安を覚えながら東京国立博物館へ向かうと、こちらも50分待ちとのこと、絶句したが引き返すわけにはいかず、覚悟を決めて列に並び、『新撰組顚末記 永倉新八』を読みながら時間をつぶした。幸い天気は良く、若冲や鳥獣人物戯画を経験している身にはさほど長くはなかったが、病み上がりでそこそこ重い仕事の書類を持った身にはさすがに応え、ようやく入場できた時はかなり腰も痛んだ。

 幸いコインロッカーは空きがあった。

作品前のKは国宝、Jは重要文化財、作品名後の()内は所蔵者です。



第一章 運慶を生んだ系譜-康慶から運慶へ

 K【大日如来坐像】は若き運慶の代表作、胸前で「智拳印」という印相を結ぶ。高校時代に在籍していた史学部の自由研究で仏像を選んだ時、初めてこの作品を知った。当時の自分は運慶といえば猛々しい作風ばかりを連想していたので、こんなに静かで落ち着いた風貌の仏像も制作していたのかと少々驚いた記憶がある。今回が初見ではないが、円城寺は奈良市街地からは少々遠く、奈良遷都1300年の年に現地で見ることはできなかったので、この場で見られた喜びは大きく、ぐるりと回って後方からもじっくりと鑑賞した。台座の部材の裏側には「大仏師康慶実弟子運慶」の署名と花押が書かれている。

K【運慶願経(法華経巻第八)】には運慶自筆の奥書が見られる。料紙は上質、墨水には比叡山・園城寺・清水寺から聖水が取り寄せられ、軸木は焼失した東大寺の焼け残った柱が用いられたという。

父・康慶の作品も見応えがあった。J【地蔵菩薩坐像】(静岡・瑞林寺)は現存最初の作例といわれる。K【法相六祖坐像】は各人それぞれ個性があり、多分モデルがいたのだろう。K【四天王立像】(興福寺)は、邪鬼もよく見た。



第二章 運慶の彫刻-その独創性

K【毘沙門天立像】(静岡・願成就院)は理想的な写実性、気品とオーラあふれる、本展覧会出展中の最高傑作の一つ、まるでステージに立つ俳優のよう、ぜひ日本史の教科書に掲載してほしい。360度ぐるりと廻って念入りに鑑賞した。なお、高校時代に願成就院を訪れた時に所蔵宝物について説明してくださったお寺の方は「こちらは戦前は国宝でした。現在は重要文化財です。」と話されていたが、この仏像のことだったか、確認がとれない。もしそうであれば、現在は再び国宝に返り咲いて?いる。

 胎内に納められていたのはK【五輪塔形銘札】、古文書が苦手な自分にも「文治二年歳次丙午五月三日奉始之 巧師勾当運慶 壇越平朝臣時政 執筆南無観音」と読み取れる。文治二年は西暦1186年、前年に全国に守護・地頭が設置され、近年ではこの1185年が鎌倉開府の年とみなされつつある。この銘札は時代変革の只中に歴史上のVIPが2名記された極めて貴重な史料である。北条時政の墓所は【毘沙門天立像】を所蔵する願成就院にある。

金色に輝くJ【阿弥陀如来坐像および両脇侍立像】(神奈川・浄楽寺)、この大きさのものが博物館で見られて本当に嬉しい。

同寺のJ【毘沙門天立像】は、前回も記したとおり願成就院の同名像とよく似ている。平義盛(和田義盛)の名が記された納入品J【月輪形銘札】にも注目させられる。

J【大日如来坐像】(栃木・光得寺)は、胎内のCT画像もバラエティーに富み、見応えがあった。五輪塔形木柱、心月輪、舎利、人の歯、現代の科学技術は仏像の内部まで明らかにしてくれる。

 精緻な造形だがコスプレをした美少年を思わせるどこか可愛いK【八大童子立像】(金剛峰寺)は私のお気に入り、何度も東京にお越しいただき感謝している。表情はもちろん、衣装の表現も見事、いつまでも見続けていたい逸品、この像内にも納入品があるようなので、調査が待たれる。

奈良旅行を懐かしく思い出しながら、K【無著菩薩立像】【世親菩薩立像】をじっくりと鑑賞した。今や自分の中での彫像作品の最高峰に上りつめている。特別公開中の興福寺北円堂で両像を見てから、ますます慶派仏に魅了された。

本日も四方を守る四天王の中では、左手をあげた【多聞天】に注目した。


ソファで足休めをしながら、展覧会図録に目を通した。

「納入品集成」と題して、一部の展示作品内部のCT画像、納入品現物や三次元プリンターによる模造品の写真、昔の調査時の納入品の写真など、自分にとっては魅力的な頁に釘付けになった。詳しい作品解説や参考文献の紹介頁も読んで「買いたいな」と思ったが自室の書架は既に飽和状態なので、泣く泣く諦めた。


 J【大日如来坐像】(東京・真如苑真澄寺)は、像とあわせて、ボアスコープ(棒状の内視鏡)やCTによる像内頭部の観察所見にも注目した。像内には彩色され五大種子が墨書された五輪塔が納められている。鮮明な三次元画像には興奮させられた。

J【地蔵菩薩坐像】はおそらく、京都の六波羅蜜寺でお目にかかっているだろう。こちらの胎内にも経典や冊子が納められているらしく、調査が待たれる

J【聖観音菩薩立像】は運慶と湛慶の共作、往年の諸仏の彩色を連想させられるカラフルな作品である。この像内にも納入品を入れた箱が確認できる。

 J【法眼運慶置文(尊勝寺領近江国香庄文書のうち)】は運慶の自筆文書、「法眼運慶」の署名と花押が記され、存在感が感じられる。



第三章 運慶風の展開-運慶の息子と周辺の仏師

K【重源上人坐像】とは、2010年末の当館『東大寺大仏(天平の至宝)』展以来の再会、究極の写実性に息を呑んだ感激が思い出される。当時は職場環境・体調・生活、その他全般が落ち着いており、翌年の酒井抱一生誕150年を心待ちにしていた。わずか3カ月後に未曽有の震災に襲われ、ほどなく父が入院しそのまま自宅に帰れなくなど、想像だにしなかった。本日の像は当時より少し小さく感じたが、重源の人と成りを完璧に伝えている。おそらく歯は全て抜けていただろう。間違いなく、日本彫刻史上屈指の名品である。

 J【観音菩薩立像】【観音菩薩立像】は台座の蓮弁も実に美しい。所蔵は清水寺だが、現地では多分見ていないと思う。

次回いつ興福寺に行かれるのか見通しもつかない身には、K【天燈鬼立像】【龍燈鬼立像】との東京での再会の感激は計り知れない。ケースなしのこの展示はまさに理想的、木目、衣装のデザイン、ポーズ、等々、何度も両神の間を往復して繰り返し繰り返し見た。周囲からは「かわいい!」の声も聞かれた。発注者も完成したこの像を見て、おそらく微笑んだと思う。

フィナーレのJ【十二神将立像】からは、往年の諸仏の彩色や衣装の片鱗がうかがえた。静嘉堂文庫所蔵分は同館で見ていたのだが、その後のせわしない日々で忘れていた現実に、再会の喜びと同時に虚しさも覚えた。



[感想]

 自分にとっては理想的な本展覧会、旅行が困難な身では東京でこの規模の美術展が開催されて至宝の数々を見られた感激は、計り知れない。

 展示作品全て素晴らしかったが、【毘沙門天立像】(静岡・願成就院)や、【八大童子立像】、【天燈鬼立像】【龍燈鬼立像】、【無著菩薩立像】【世親菩薩立像】などは、一度見た後も引き返し繰り返し何度も見直した。寺に安置されている時とはまた違い、360度廻って背後を含めた全ての面から鑑賞できるのも、魅力だった。

 慶派仏の魅力は、何といっても玉眼が生み出す写実美、仏像でありながらそこに人が立っているような錯覚さえ感じる。もう一つは胎内納入品、歴史上の人物の自筆を含めた文書その他の文物は貴重な史料、慶派仏はまさにタイムカプセルである。本展覧会ではこの分野に於いてほぼ理想に近い鑑賞ができた。

 いつまでも見続けていたかったが、本日は次にもう一つ展覧会を見る予定があり、所定の時間に達した時に名残を惜しみつつ会場を出た。

 またぜひ、都内か都心近郊で慶派の展覧会を開催してほしい。その時には我が快慶の作品も存分に盛り込まれることを希望する。幸い、地元の図書館に本展覧会の図録が所蔵されていたので、参考にしてしっかり勉強しその日に臨みたい。

 帰りがけに同じ館内で『清朝末期の光景』と題した写真展示を見た。このジャンルも大好きなので嬉しいおまけ?となった。小川一真の北京城の写真など貴重な史料も展示されていた。近年はモノクロ写真の彩色を復元する技術も進んでおり、19世紀の景観がカラーで再現される日の実現も切望する。


by nene_rui-morana | 2018-06-03 16:53 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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