勝鬨橋~築地外国人居留地跡 ※平成30年5月18日③

 本願寺を出た後、晴海通りを勝鬨橋へと向かった。道中に「軍艦操練所趾」の説明板が立っていた。

 橋詰にある「かちどき橋の資料館」に入り、関連展示や映像を見た後、勝鬨橋を往復した。

f0148563_20425073.jpg

f0148563_20430154.jpg

f0148563_21003045.jpg

f0148563_21002609.jpg



 橋名の由来は小学校時代に先生に教えてもらった。両親より祖父母に近いの年代の方なので、多分もう天国に旅立たれただろう。同じ頃に社会科の授業で跳ね上がるカラー映像を見た記憶がある。

 父が生まれた昭和15(1940)年完成で、交通量の増加により昭和45(1970)年を最後に開閉は行われていない。時を同じくして、かすかに記憶が残る都電も次々と廃止されていった。

 若き日に実家の仕事の関係で連日この界隈に自転車で来ていた母は「橋が上がると20分近く待たないといけないので、ああ今日は運が悪いなと思った。」と当時を回想する。生前の父も上がった勝鬨橋を見たし、都内を走る蒸気機関車にも乗ったと話していた。「両方とも珍しくもない、どこがいいんだ。」と呆れていたが、失われた日常生活は後世には貴重かつ羨ましい経験となる。



 その後は、聖路加国際病院がある明石町を、説明板を見ながら散策した。

 周知のとおり、ここはかつての外国人居留地、ガス街灯柱や煉瓦塀、築地カトリック教会などが残っている。太平洋戦争末期の東京は、相次ぐ空襲で甚大な被害を被ったが、聖路加国際病院のようなアメリカ関係の施設がある地域や、旧岩崎邸など戦後に接収できそうな建物がある場所には、焼夷弾は落とされなかったと聞く。

f0148563_20430438.jpg

f0148563_20430692.jpg


 地図を見ると、この界隈では近世以降、魅力的な歴史が刻まれている。

先程の勝鬨橋に近い月島に10年余り住んでいた知人がいて、「本当にあのあたりは良かった。築地は午後3時を過ぎると美味い海産物が安くなるし、町にも歴史がある。でも最近は町並みが変わってしまって残念。」と話している。

開発が進む前の景観を見る機会はなかったが、今でも街歩きは十分に楽しめる。本日はもう時間がないが、後日また、対岸の月島とあわせて、ゆっくりしっかり散策したい。自分なら丸一日かけても足りないかもしれない。



駅へと向かう道中の区営施設内にカフェがあったので入り、水分補給と足休めをした。



新富町から有楽町に出て、5時に予約しておいた店で家族と合流、ステーキやサラダのディナーをいただく。誕生日プレートが出されて時はBGMも流していただいた。



 ちょうど30年前の5月18日が、昭和最後の誕生日となった。そして今年の5月18日は、平成最後の誕生日となる。

 今さら祝う年でもないが、今年はまずまず良い誕生日を過ごせた。一つ残念だったのは、以前に家族からプレゼントされたお気に入りの扇子を落としてしまったこと、本願寺本堂で気がつき、歩いた箇所を探したが見つからなかった。

 本稿をアップした時点で、運気は誕生日より低下している。小さくはない問題や悩み事も抱えている。

 新元号最初の誕生日は、少しでいいから今より満ち足りた気持ちで迎えたい。

 


[PR]
by nene_rui-morana | 2018-05-29 21:54 | 明治維新150年関係 | Comments(0)