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鈴木其一  | 江戸琳派の旗手 ①-1

[会 期] 2016年9月16日(金)


[会 場] サントリー美術館



 鈴木其一の名を初めて知ったのは、2008年に上野で見た≪大琳派展≫、出展されていた作品を見て「この絵師は自分好みだ」と感じた。その後、様々な場所で彼の作品に触れる度に心惹かれていき、今や自分の中で最高の位置をしめている。

 其一の作品は一時期は評価が低く、海外に流出したものも多いので、困難ではあると思うが彼の展覧会の開催の実現を長らく心待ちにしていた。それだけに、本展覧会開催の情報を得た時の喜びと感激は並々ではなかった。本展覧会外の開催の情報を得たので、事前にサントリー美術館の会員になっていた。

  ※作品名後()内は所蔵元、書いていないものは個人蔵です。



序章 江戸琳派の始まり

第1展示室へと入る。最初のコーナーから、見覚えがあり、かつ大変見ごたえのある作品が勢揃い、興奮は高まる。

【朝顔図】(細見美術館)の作者・俵屋宗理は葛飾北斎が師事したともいわれる。

 【桜に小禽図】(細見美術館)は酒井抱一の画、賛は彼と親交の厚かった亀田鵬斎の子・綾瀬である。

【大黒天図】以降展示が続く鈴木蠣潭(せいたん)の名は本日初めて聞いたが、抱一の最初の弟子、其一にとっては兄弟子であり義兄弟(それぞれの妻が姉妹)であるという。【白薔薇図扇面】は当時はマイナーだったこの花を画題に選んでいる点に注目した。【藤図扇面】には<屠龍>の号で「ゆふくれのおほつかなしや藤の茶屋」と師・抱一の賛が添えられている。上品な画風は多くの人に好まれそうだが、26歳の若さで早世した。






第一章 抱一門下の秀才

 【正月飾り物図】【蓮に蛙図】(メトロポリタン美術館フィッシュバイン・ベンダーコレクション)など、多くの絵師の夢の共演ともいえる作品が続々登場、途中からは其一の名も見られ、【文読む遊女図】(細見美術館)には抱一の賛が見られる。

 ほどなく展示は其一が主役へと変わる。タイトルのとおり其一らしい作品が次々登場、自分にとっては大好きな画で興奮はクライマックスに達する。

【文政三年諸家寄合描図】(メトロポリタン美術館パッカードコレクション)は本展覧会最大のヒット、中央下には抱一の宝球図、取り囲むのは交流のあった当代一流諸家の寄せがき、抱一一門やパートナーの小鸞女史、交流のあった亀田鵬斎や谷文晁と渡辺崋山ら一門、長谷川雪旦、山東京山、歌川豊国、等々、まさに夢の共演である。当時の豊かな文化人のネットワークが体感できて大興奮、作品解説を見ながら各人の描いた部分を必死で探した。25歳の其一は師匠の近くに闇に潜む蟹を描いている。

 【群鶴図屏風】(ファインバーグ・コレクション)と感動の再会を果たした。江戸東京博物館の特別展でこの作品を見た時、父は闘病中で突然告知された異動先の職場環境は過酷、自身の心身の疲労は極限に達しており、逸品に囲まれた会場で涙があふれた記憶がある。



第二章 其一様式の確立

 本コーナーでも其一の真髄を堪能、あらゆるモティーフ、画風、全てが素晴らしく、とても書ききれない。

【萩月図襖】(東京富士美術館)の写実美は圧巻、花がそこに咲いているようだった。

 【木蓮小禽図】(岡田美術館)はアール・ヌーボーのようにモダンで斬新な画風、賛を寄せた建部政醇は姫路に隣接する林田藩の藩主、文武・芸術の世界では身分を超えた交流が存在していたことが分かる。

 対面のケースには絵冊子作品が展示されていた。抱一の【光琳百図】の編纂事業には其一もアシスタントとして関与していただろう。

以前から見たかった【癸巳西遊日記】(京都大学附属図書館谷村文庫)が展示されていて大変嬉しかった。天保4(1833)年の西国旅行日記で、其一筆の原本は失われ、息子・守一の「孫コピー」だが、其一の息遣いが感じられる貴重な史料である。守一の奥書も見られる。『信貴山縁起絵巻』を写した頁が特に印象的だった。全頁見たいし、できればレプリカがほしい。

 中央のミミズクが印象的な【群禽図】は、見ているだけで鳥類の勉強になりそうだった。

 【片栗図擦物】は其一が擦物も出掛けていたことを伝えている。

 【新撰花柳百人一首募集擦物】(石水博物館)はタイトルのとおり吉原の遊女による「新撰花柳百人一首」の募集要項、其一は挿絵を手掛けた。撰者やスポンサーを書いた字も彩紙も非常に美しい。当時の文化水準の高さがうかがえる、大変見応えのある作品だった。

 【鈴木其一書状】(国文学研究資料館、個人)と【註文簿】は当時の生活をリアルに伝える史料で、現代に通じるものも感じられた。

 【釈迦三尊十六善神像】は神々や諸仏を多彩に描き分けている。

 複数の作品に見られる「描表装」も其一の真骨頂、斬新なデザインは現代にも通用すると感じる。鮮やかでモダンな「能絵」も自分は好きである。



 下の階へと移動する。※ 見た順番で列記します。配布されたリストは展示室外の章は「第4章 其一派と江戸琳派の展開」となっていますが、図録は違っていました。



 【蒔絵下絵帖】(出光美術館)はかの原羊遊斎編、抱一・其一らが下絵を手掛けている。

 三幅対の【雛掛物】(滴翠美術館)は名前のとおりミニチュアだが精緻な描写が見事な私好みの作品、つがいの鴛鴦が印象的(1858)だった。

 絵馬、短冊、扇面画、十二カ月花扇、羽子板、屏風、あらゆるモティーフを多彩な画法で描き分ける其一ワールドは、見る者を魅了する。

 其一の長男・守一の【白衣観音像】も出展、描かれた観音はそこにいるよう、それを囲むように金泥で観音経を記し、父の薫陶を受けた描表装が見事、手前の蓮も上品で美しい。

般若?面と鮮やかな紅葉が印象的な【紅葉狩図凧】、其一作とは何とも贅沢な凧である。

 第3展示室に入る前の壁に其一の関連年表が貼られていた。通説に従えば其一は歌川広重や国芳より1~2歳年上、父は藍染め職人と言われているが、近年は武士階級出身との説も出ている。亡くなったのは日米修好通商条約が締結された安政5(1858)年、広重の没した数日後で死因は同じく開国によりもたらされたコレラだったといわれている。本稿執筆にあたり年表を見ると、大老・井伊直弼による「安政の大獄」が吹き荒れたこの年、今年の大河ドラマで話題になっている島津斉彬が亡くなり(自分は殺されたのではないかと思っている)、抱一とも交遊があった山東京山も90歳の天寿を全う、西郷隆盛は月照と入水事件を起こしている。



第3章 絢爛たる軌跡 ※図録の表記とは異なります

 酒井鶯蒲作【近江八幡図巻】(細見美術館)はミニチュア作品、以前に足を運んだ琳派の展覧会で似たような作品を目にし、小さいが緻密で見事な描写に驚嘆したことを思い出した。

 【白菊に紙雛図】以降は斬新な其一作品が続く。全てが素晴らしく、いくら見ても見飽きない。

 【花菖蒲に蛾図】(メトロポリタン美術館パークコレクション)はアールヌーボーを思わせるシュールな作品、【藤花図】(細見美術館)【向日葵図】(畠山記念館)とは嬉しい再会?を果たした。

 メトロポリタン美術館からは【朝顔図屏風】もお里帰りを果たしていた。じっくり見入ると、初対面の時とはまた違った、あらたに訴えてくるものがある。

【漁夫図】(板橋区立美術館)は波の表現に注目した。

 【飴売図】は賛も其一、【浅草節分図】(メトロポリタン美術館パークコレクション)と共に、描写は簡略だが味わい深い作品だった。

居並ぶ作品から、余白の使い方や陰影の表現が秀逸と感じた。



≪感想≫

 夢にまで見た鈴木其一の展覧会が実現し、見られた感激・喜びは計り知れない。

 見た作品全てが素晴らしく、月並みながら自分の拙い筆力では表現できないとしか記せない。

 記事のアップまでに非常に長い時間がかかってしまったが、図録を読み直し記憶をたどりながら整理し、感動と興奮を新たにしている。

 次回、其一作品が出展される展覧会が開催される時は、ぜひ足を運びたい。その日が実現するのを心待ちにしている。



Commented by desire_san at 2018-03-14 01:13
こんにちは。
鈴木其一のの作品は、俵屋宗達や尾賀光琳と一味違った美意識を感じますが、酒井抱一の江戸琳派のほか、葛飾北斎の影響もあるのでしょうか。

鈴木其一の作品はあまり見た子とがないので、機会があったらまとめて作品を見たいですね。

私のブログにコメントいただきありがとうございます。大変参考になりました。

久しぶりに仏像の美しさについて考察してみました。ご笑覧頂ければ幸いです。

by nene_rui-morana | 2018-02-25 22:43 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(1)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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