明治のこころ-モースが見た庶民の暮らし-

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      [副 題] 江戸東京博物館 開館20周年記念特別展 

      [見学日] 2013年9月21日(土) 

      [会 場] 江戸東京博物館

 

 アップは前後してしまったが、表記展覧会は先にまとめた≪よみがえれ!シーボルトの日本博物館≫より先に見ている。長時間が経過したため展覧会を知ったいきさつは覚えていないが、おそらくはチラシかポスターを見て、現在の自分が最も関心をそそられる「19世紀の日本に関わった外国人」がテーマなので、即座に見学を決意したのだと思う。

 ※展示作品の次のローマ字は所蔵先を表します。

   P=ピーボディー・エセックス博物館、U=東京大学総合研究博物館、

   E=江戸東京博物館、M=ボストン博物館






第1章  モースという人

 エドワード・シルベスター・モース(1838年~1925年)は、大森貝塚の発見が小学校の社会科の教科書でも紹介されているので、近代の外国人の中では日本人に良く知られている人物の一人だろう。

 モースは日本の年号では天保9年にあたる1838年6月18日、メイン州ポートランドで誕生した。複数の学校から放校処分を受ける問題児だったが、母の影響等で幼少期より熱中してきた貝の収集が次第に学者たちに評価され、講演旅行等をこなすようになる。(この経歴には同国人で9歳年下のエジソンとの共通するものを感じる)

 その後、家計や研究費の捻出のため、腕足類が豊富な日本への科学探検を決意、セーラムの自宅に妻子を残して旅立ったのは1877年5月18日(我が誕生日!)、サンフランシスコより海路日本へと向かう。

 一か月後に横浜に入港し、6月19日、新橋へと向かう汽車の車窓から、日本史上極めて重要な大発見をする。

 本章には、【E.S.モース肖像画】(1914年、P)、の他、【大森貝塚出土品】各種(重文、U)、イラスト入り回想録のパネル、大森貝塚発見の彩色古写真などが出展されていた。

あわせて、生地ポートランドや、セーラムのピーポディー・エセックス博物館(前身はモースが館長をつとめていたピーボディー科学アカデミー、モースの民具コレクションを所蔵)の写真なども展示され、遠い異国を身近に感じることができた。



第2章  日本と日本人 -130年前の暮らしを彩る品々

 モースの訪日は計3回、滞在は延べ4年間、この間の日々の出来事をモースは詳細に記録した。文章だけでなく多くのスケッチも描いた。絵が巧みで製図工の経歴もあっただけに、詳細なスケッチからは時代の息吹きが生き生きと伝わってくる。スケッチのパネル展示は、自分にとっては本展覧会の中でも特に魅力的なものだった。

 本章に展示されている【モースの日本旅行図】(P)【モースの東京地図『開明東京新図 全』】(P)【Japanese homes and their surroundings;With illustrations by the author(『日本の住まい』)】(E)は日本滞在中に発行されたもの、一部にモース自身の書き込みが見られた。【モースのサイン用版木】(P)も展示されていた。

最後の来日から24年経った1917年、すなわち満100年前の大正6年、後述する盟友ビゲローからの手紙に後押しされ、滞在中の日記や自筆のスケッチを展示作品【Japan day by day:1877,1878-79,1882-83(『日本その日その日』)】(E)にまとめて出版した。台風、地震、火事などもスケッチ入りで記録したこの書物には大いに好奇心をそそられる。展示の魅力は毎度のことながら拙い筆力では表現できない。本書は翻訳版も刊行されているので、そちらや他の方の記事を参考にしていただきたい。自分もいつかぜひ読んでみたいと思っている。



2-1 よそおう

 以後は、モースが母国に持ち帰ったコレクションの展示となる。(所蔵は全てピーボディー・エセックス博物館、作者や旧所蔵者が判明しているものもある)

最初の展示【下駄】は、履き癖の跡が残り、土も付着している。

 続いて、着物、腰巻、矢立などが目に入る。日常品が多いが、これらは市井の人々から彼らが日々用いているものを譲り受けたらしい。

【湯差し(黒塗下り藤紋散蒔絵)】【角盥(黒塗下り藤紋散蒔絵)】は、文化財としても通用しそうな立派な工芸品、公家か大名が使用したものではないかと思った。



2-2 たべる

【台所模型】【台所道具模型】は私好みの微笑ましいミニチュア作品、ままごと道具の一種だが、精巧に作られた貴重な資料である。

 続いて、竹や木などで作られた台所道具が目に入る。鍋などは修繕の跡が見られる。好きな古写真の展覧会か書籍で、台所用品を修理する人物の写真を見た記憶がよみがえった。脱線するが、大工出身だった父は時々、母に頼まれて仕事場にある研ぎ石で包丁を研いだり、木のまな板に鉋をかけていた。ユニットバスにする前の我が家は、祖父が定期的に廃材で浴槽と簀子を作っていた。

大隈重信邸の和風台所で料理をする洋装のコックの写真や、包装された鶏卵のイラストなどには、あらゆる事物に注目するモースの姿勢が感じられた。

 子どもの頃に我が家にもあった【かつお節削り】が、何と【かつお節】そのものの並んで展示されていた。本展覧会で特に驚かされたのは、当時の食べ物の展示、瓶入りのお菓子、海苔やイナゴの佃煮、箱入り練茶、未開封の茶缶、等々、モースがこれらを持ち帰り今日まで伝わっていることは奇跡であり大変貴重な史料である。

【菓子型】や【蒲鉾の張子】(サンプル)などの展示にも目を見張った。



2-3 すまい

 【雑巾】は、多分市井の主婦が作ったのだろう。

 【掛け花生け きのこ 3点】が本章では心に残った。

 自分も小学生時代に珠算を習っていたが、【携帯用算盤】は初見、電卓の先祖と言えるかもしれない。



2-4 こども

 モースは著作の中で「日本ほど子どもが大切にされている国はない。」と記している。大変な子ども好きで、滞在中は周囲の子どもたちと遊んだエピソードが伝わっている。本章に展示された手習い帳や様々な玩具、端午節句旗などからは、子どもに対する細やかな愛情が伝わってくる。


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by nene_rui-morana | 2017-06-04 15:50 | 旧展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。


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