人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ボッティチェリとルネサンス 

[副 題] フィレンツェの富と美

[見学日] 2015年3月27日(金)

[会 場] Bunkamura ザ・ミュージアム

 告知されて即時に見学を決心した表記展覧会、もう少し早く行くつもりだったが諸般の事情で年度末になった。会場のBunkamura ザ・ミュージアムは金土は午後9時まで開いているのが利用者にはありがたい。当日はサービス残業の振替で2時間仕事を早退して会場に向かった。途中のカフェで小休憩し、体力とエネルギーを補給した。

 なお、本展覧会のチケットは早くに金券ショップで割引券を購入していたが、その後招待券を入手したため、先に買った分はかなり安くなったが会場近くのショップで換金した。

 ※ 本稿の作品の次の()内に記したのは作者、無記入作品の作者はボッティチェリです


序章 富の源泉 フィオリーノ金貨

 フィレンツェの映像に迎えられて会場へと入る。

 最初の展示は章のタイトルともなっているフィオリーノ金貨、1252年に初めてフィレンツェで鋳造され、後に当時のヨーロッパの基軸通貨となった。

国際通貨として認められた事実が伝えるように金の含有率が高く、デザインも現代のメープルリーフ金貨のように美しい。展示は造幣局長の刻印があるものとないものとがあったが、自分の視力では判別できなかった。模造金貨も展示されていたが、同時代の日本でも粗悪な私鋳銭が作られたことを日本史の授業で教わったことを思い出し、どこでも考えることは同じだなと感じた。

 他にも、金貨の目録やデザインが展示されていた。





第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ-繁栄する金融業と商業-

 早くも本日の主役、サンドロ・ボッティチェリが登場する。

 【ケルビムを伴う聖母子】が制作されたのは1470年頃、ボッティチェリ20代半ばの若き日の作品、額縁の金貨の模様から両替商組合からの注文品とも言われている。文句なしにこの作品は上品で美しい。モデルの美しさに加えて、ヴェールや衣装の細やかな表現なども、心清らかにさせられる、珠玉の逸品だった。

 歩みを進めると、鍵や金庫・為替手形など、当時のフィレンツェの繁栄を支えた金融業関係の展示がされていた。

 【両替商と妻】(マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写)は、両替商夫婦を描いた作品で関連テレビ番組でも紹介されていた。後方には母親によく似た子どもも描かれている。同じく【高利貸し】は、以前に別の展覧会で非常によく似た絵を見て強烈なインパクトを覚えた記憶がある。以前見た作品の方が表現は綿密だったが、本作品も豪華な毛皮や宝石・高利貸しのしたたかさを見事に表現している。


第2章 旅と交易-拡大する世界-

 【航海図】は巻紙型の説明書、【港の聖母子と洗礼者ヨハネ】(ゴシック建築のマエストロ)は他所でよく似た絵を見た記憶がある。

 【サラディンとトレッロ・ディ・ストラの物語】(ナポリ王カルロ3世の画家)は、長持ちの正面部に描かれていたもの、結婚の注文品と言われる。

 ボッティチェリの【受胎告知】はレオナルドよりはシンプルな画風で、後方に大天使ラファエルとトビアスが描かれている。


第3章 富めるフィレンツェ

 経済的に繁栄を極めたフィレンツェでは再三「奢侈禁止令」が出されたが、これは経済壊滅のリスクがあった。お金を使ってもらわないと経済が回らないので、罰金や、贅沢品への高課税といった措置がとられたというが、これは今日と変わらない。

 フラ・アンジェリコ作【聖母マリアの埋葬】【聖母マリアの結婚】はいずれもサン・マルコ博物館所蔵、フィレンツェ市内の地図と共に、イタリア・ミレニアム旅行の懐かしい記憶を思い返しながら見た。前者は、寝台?のカバー等のデザインも精緻だった。


第4章 フィレンツェにおける愛と結婚

 【スザンナの物語】(スケッジャ)の登場人物は大変豪華な衣装を身に着けている。【壁掛け用鏡】(北イタリアの工房)はしっかり写る。【「スザンナの物語」が彫られた櫛】(北フランスもしくはフランドルの工房)は象牙製だった。

 いずれの展示からも、当時のフィレンツェ富裕層の裕福な生活がうかがえた。

あわせて、鏡の製造技術の向上が、おしゃれや化粧に対する関心を高めたのだろうとも感じた。


第5章 銀行家と芸術家

 本コーナーでは、メディチ家ら銀行家の「メセナ(芸術庇護活動)」と、その結果誕生した作品の展示がされていた。バブル期の日本ではさかんに「メセナ」が取り上げられ、自分が住む地の自治体もかなりの額の税金をこの分野の事業に投入していたらしいが、四半世紀が経過した現在、どんな成果があったのか、極めて疑わしい。

 【回廊の聖母】以降のボッティチェリ作品には、当然ながら、彼の師匠フィリッポ・リッピの影響が感じられた。破戒僧にして偉大な画家、彼が描く美しい聖母のモデルは、駆け落ち結婚した元尼僧の妻がモデルと言われる。

また、この章の作品中のマリアの衣装は、色は違うが、【春】のヴィーナスの衣装とデザインが似ていると思った。表情とポーズも、他に似た作品がある。

 【聖母子と二人の天使、洗礼者ヨハネ】の綿密な衣装の表現に注目した。

 【受胎告知】の舞台はメディチ家の寝室で、サンタ・マリア・デッラ・スカラ施療院附属聖室の回廊を飾っていた。他のボッティチェリ作品に、マリアの表情とポーズが似ているものがある。大天使ガブリエルが【ヴィーナスの誕生】の西風の神ゼフロスと似ていると感じたのは、自分だけではないだろう。ボッティチェリの身近にいた人物がモデルなのかもしれない。

 【キリストの降誕】のヨセフは、母を真似る幼児のよう、【聖母子と洗礼者ヨハネ】と共に、頭の中で同じテーマのレオナルド作品と比較しながら見た。レオナルドはボッティチェリより7歳年下で、没年は9年後だった。

 ボッティチェリ作品は、未だ現物を見たことはないがイコンを思わせる作風が感じられる。

 【メディチ家の紋章が織り込まれた布の断片】(フィレンツェの織物工房)にはもちろん、あの七つ球が見られた。

 【ジャスミンの肖像】(ロレンツォ・ディ・クレディ)は、昔読んだ歴史関係書で、かのチェーザレ・ボルジアとも張り合ったルネサンスの女傑、カテリーナ・スフォルツァの肖像として紹介されていたように思う。


 

第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容

 メディチ家の最盛期に君臨しボッティチェリを含めた多くの芸術家を庇護した豪華王ロレンツォ・デ・メディチ(私が特に好きな外国史上の人物の一人)が42歳で亡くなると、メディチ家は衰退しフィレンツェは危機の時代を迎える。この頃台頭した修道士ジロラモ・サブォナローラは極端な禁欲主義を説き、贅沢品や官能的な芸術作品などを燃やした。

 ロレンツォの死により、最大の庇護者・注文主を失ったボッティチェリは、サブォナローラに傾倒していく。従来では彼に従って自作を自ら火に投じたと言われてきたが、本展覧会の解説ではこれを否定し、焚画はサブォナローラの死後されたとしている。

 【パッツィ家の陰謀のメダル】(ベルトルト・ディ・ジョヴァンニ)には、ある意味メディチ家凋落ともいえるロレンツォの弟ジュリアーノの暗殺の瞬間が刻まれているが、よく見えなかった。

周知のようにサブォナローラは、数年ほどで勢力を失い、処刑された。今回は【サブォナローラの火刑】(フィレンツェの匿名画家)および【聖人としてのジロラモ・サブォナローラ】(修道女プラウティッラ・ネッリ帰属)も展示されていた。死後も信奉者は残り、サブォナローラの活動は宗教改革の走りだったとする説もある。

 ボッティチェリが最後の10年間に描いた複数の作品に登場する聖母は、表情が似ていた。

 室内では「ルネサンスの美を支えた富の力」がリレー放映され、過去に接したコジモやロレンツォに関する書籍・テレビ番組等を思い出しながら見た。



<感想>

 例によって一度見た後、【ケルビムを伴う聖母子】など心に残った作品を中心に再び見直した。大変美しいこの作品は、最もお気に入りのボッティチェリ作品になると思った。

 ボッティチェリの作品はサブォナローラ台頭後に多くが焼かれたとも聞いていたが、なおこれだけの作品が残っていることを知り、それらを今回日本で見られたことは、自分にとっては大いなる喜びであり、興奮と感激もひとしおだった。

 展示作品を、2度訪問したフィレンツェの懐かしい思い出と重ねて見ていった。ウフィツィから出展されたものもあったが、現地で見た記憶はなく、フィレンツェが育んだ文化の奥深さを体感した。フィレンツェの街と文芸に繁栄をもたらした金融にも触れた本展覧会は、非常に良い企画だったと思う。

 今度いつイタリアに行かれるのか、その見通しもたたないが、夢を諦めず、当面は引き続き国内展覧会に可能な限り足を運んで行きたい。

 帰りがけにショップで記念グッズを少し購入した。フィレンツェ特産のマーブル紙もあった。私はこれは非常に好きで、いつかワークショッップ等でオリジナルを作ってみたいと思っている。

ボッティチェリとルネサンス _f0148563_16051722.jpg












by nene_rui-morana | 2015-08-30 16:49 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

by nene_rui-morana