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大江戸と洛中~アジアのなかの都市空間~

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          [副 題] 江戸東京博物館 開館20周年記念特別展

          [見学日] 平成26年4月12日(土)

          [会 場] 江戸東京博物館・1F特別展示室


 洛中洛外図にひとかたならない思い入れのある私、アップは前後したが少し前に平成館で大規模な洛中洛外図の特別展を鑑賞したので、標記特別展も何としても見たいと思っていた。年度末に異動が告知されて身辺があわただしくなり、新職場に移った直後に会場に足を運んだ。
 *()内は所蔵を記します。今回は解説の上にコメントが書かれていました。

プロローグ
 スタートは【東海道五十三次図屏風】(当館)、年代は広重を遥かに遡る寛文年間(1661~73年)、町絵図がデザインされたフレームも印象的だった。
 【道中図巻】(当館)は、師宣の類似作品を他館で見て大いに共鳴を感じた記憶がある。


1 世界の都市
【十二都市図世界図屏風】(南蛮文化館)に始まる本章の展示は、南蛮貿易が江戸時代に引き継がれたことを物語っている。ベネツィアとプラハのみ判読できた。
 【世界万国全図説】(当館)からは、開港150年記念の年に横浜で見た開国期の地図が思い出された。
 雄大な【坤万国全図】(当館)は、宣教師マテオ・リッチが刊行した地図の写本とのこと、地中海・日本海・應帝亜(インドシナ)などが読み取れた。
【新訂万国全図】(当館)も、この直前に他館で見た亜欧堂田善の地図が頭に浮かんだ。標記も現代に近く、今日につながる世界の認識を伝えている。書かれた字が小さくて老眼の自分には厳しいが、見ていて飽きることがない。レプリカを部屋に飾りたいと思った。




2 洛中への系譜~都市の中心と周縁~
●東アジアの都市
 【太平御覧】(宮内庁書陵部)は平清盛が日宋貿易で輸入したことで知られている辞書、日本史の教科書にも紹介されている。
 【京城内外首善全図】(宮内庁書陵部)以降の中国に関する展示は、過去に見た孫文の特別展や自身の中国訪問時の記憶と重ねながら鑑賞した。
 【箕城図】(東洋文庫)は現在の平壌を描いたもの、日本人は現地に赴いて現在の姿を直に見ることがほぼ不可能な場所なので、

●御所と洛中
 いよいよ展示はクライマックスに入る。
 【洛中洛外図屏風】(南蛮文化館)はやや小さ目だが、さすがに見応えがあった。
 宝暦年4(1707)年に刊行された【平安京左右京職九条坊保図】(古代学協会)や、幕末のカラー版【洛中洛外町々小名 大成京細見絵図】(当館)は、記憶の中にある現在の京都と比べながら見た。前者には、伊藤東涯、清盛、九条太政大臣などが書かれていて、歴史上の人物が京都のどのあたりに居住していたのが分かり興味深かった。
 ミニチュア・ハンディサイズの【大内裏図】(当館)は、幕末に内裏に勤務する職員が持ち歩いて使用したのだろう。
 【賢聖障子 賢聖像】(宮内庁京都事務所)は、過去の展覧会で似た作品を見た記憶がある。


3 将軍の都市~霊廟と東照宮~
●江戸と江戸城
 展示の舞台は京都から江戸へと移る。
 江戸時代初期の様子を伝える【正保元年江戸図】(本館、明治時代の写し)には、右下に浅草が見られるが、大川(隅田川)の対岸・東京スカイツリーなどがある現在の墨田区押上あたりは描かれていない。当時は江戸ではなかったことを表している。
 【一六五七年三月四日火事にあった江戸市街の図】(当館)は、オランダ商館長一行の中の人物が描いたもの、一面焼け野原で犠牲者や焼け出された人々てせあふれる光景には、後世の震災や空襲と共通するものがある。
 ケンペルの【日本誌】(当館)は、フレーム部分に描かれている剣や斧のデザインに注目した。
 万延元(1860)年に制作された雄大な【江戸城御本丸惣地絵図】(本館)は、所々に切り貼りがあり、赤の線が引かれている。絵画の大作と同様に非常に見応えがあった。やはり同館所蔵の【江戸城御天守百分壱之建地割】【武州州学十二景図巻】とあわせて、自身が皇居東御苑を散策した時の記憶と重ね合わせてじっくりと見た。この展示は特に心に残り、何度も繰り返し見た。そのうちに、かつての本丸や内裏に、現代のアウトレットやショッピングモールと共通するものを感じた。方向音痴の自分は、フロアーガイドなしでは間違いなく迷子になる。
 2基の【擬宝珠】(江戸東京たてもの園)は、制作年や作者もはっきり読み取れる、貴重な歴史史料である。
 歩みを進めると、当館所蔵の重文【旧江戸城ガラス原板】が目に入る。多分、過去にも対面していると思うが、このジャンルは好きなので何度見てもワクワクする。特に櫓や蔵が写されている【数寄屋二十櫓と富士見宝蔵】は心に残った。
 他には経典類なども展示されていた。

●徳川秀忠
 このコーナーには、秀忠の肖像画や所用の武具・彼自身が描いた絵画などを展示、複数の書状は花押を見比べた。
 寛永年間の【武家諸法度】(当館)も展示、学生時代の歴史の授業では圧政の典型のような教わり方をしたが、現在あらためて読み直してみると、そこそこ民主的な内容も含まれているような気がする。

●廟所
 雄大でカラフル・金も使われている【台徳院御霊屋絵図】(増上寺)からは、さすが将軍家!という印象を受けた。【台徳院銅製燈籠】は荘厳で美しい。
【台徳院霊廟装飾図】と【上野献備楼堂御修復絵方仕本】(共に当館)も彩色が美しい。絵画作品としても逸品だと感じた。

●東照宮
 展示作品は、額や御簾など、所蔵は当館や徳川記念財団などだった。

●武家の都市
 タイトルのとおり、鎧や裃など、着衣や武具を展示、所蔵はすべて当館だった。

●エピローグ~都市図屏風~
 最終章には、日本各地の城下町の絵図や屏風を展示、小田原や宇和島の屏風は、自身で訪れた時の記憶と重ねて鑑賞した。


大江戸と洛中~アジアのなかの都市空間~_f0148563_21103712.jpg<感想>
 異動直後の慌ただしい時期だったが、以前から見たいと思っていた展覧会であり、今回も多くの感銘を受けた。新たに学んだことも多く、自分にとっては未来につながる内容だったと感じている。 
 そして、この特別展が、より正確にいえばこの後に見た常設展スペースの展示が、父の生前に見た最後の展覧会となった。
 本特別展を見た4月12日、父の体調はおおむね良好だったが、3日後の15日に容態が急変し、中一日を置いた17日の早朝に帰らぬ人となった。多忙にかこつけて見学をGWまで先延ばしにしていたら、「建仁寺展」などと同じく本展覧会も幻となっていただろう。
by nene_rui-morana | 2014-08-30 21:11 | 旧展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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