軍師 官兵衛

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[副 題] 大河ドラマ特別展
[見学日] 平成26年6月21日(土)   [会 場] 江戸東京博物館・1階展示室


 今や恒例となっている江戸博の大河ドラマ特別展、私自身は大河ドラマは子ども時代とは違って飛び飛びにしか見ていないが、本館特別展にはここ数年足を運び、未知の情報を仕入れることにしている。標記特別展にも告知後直ちに見学することを決意した。
 父の急逝で当初の予定よりやや遅くなったが、6月21日に現地にも赴いた。既に友の会の期限は切れており、今年は継続はしないことにした。


 スタートのコーナーのタイトルは≪プロロー~戦場のよそおい~≫、系図パネルに続いて、福岡市博物館(本特別展に所有文化財を多数出品)所蔵の【黒田如水像】、兜や具足・旗などが迎えてくれた。




第1章 播磨に生まれ
 如水こと黒田孝高の名は、織田信長関係の書籍や歴史小説で比較的早くに知った。しかし個人的にはさほど関心を抱かなかったのか10代で読んだ山岡荘八の『徳川家康』や司馬遼太郎の『関ヶ原』その他の歴史小説にも登場しているが、稀代の軍師としてより、関ヶ原の戦いで軍功をあげた黒田長政の父親という印象の方が強かったように思う。よって、官兵衛個人について調べることもないまま、今日に至っている。したがって本展覧会は、自分にとっては黒田官兵衛について学ぶ重要な機会となる。
 本章のスタートは【黒田家譜】、黒田家のルーツは近江長浜といわれている。官兵衛は徳川家康より4年遅れて、播磨国姫路に生まれた。その生涯については大河ドラマと次週予告後の史跡案内で詳しく紹介されるので、あらためて記すまでもないだろう。
 【小寺孝隆借銭請取状】が歴史デビュー、日付は永禄13(1570)年3月12日、25歳の官兵衛は主家の小寺を名乗り名の漢字も後とは異なっている。
 他には、父・識隆や祖父の書状、織田信長の肖像や朱印状、岐阜城や安土城の瓦などが展示されていた。


第2章 有岡城幽閉
 他の多くの戦国武将と同様、官兵衛も生涯に何度か、絶体絶命の危機に見舞われた。その一つが本章のタイトルで、生涯最大の危機だったかもしれない。
 毛利氏の勢力が強かった地域にあって、新興の織田信長に注目してその配下となり豊臣(当時は羽柴)秀吉にも出会った官兵衛、しかし信長の重臣・荒木村重が信長に反旗を翻すと、これを説得しようと有岡城に乗り込み、逆に幽閉されてしまう。嫡男・松寿丸(後の長政)も信長の人質となり、死刑寸前のところを竹中半兵衛によりからくも命を救われた。官兵衛は1年以上幽閉されたが、この間、黒田家の家臣団は一致団結して苦境を乗り切った。
 本コーナーには、秀吉の肖像や自筆の書状・制札、竹中半兵衛の肖像や書状、【黒田二十四騎図】や連盟起請文などが展示されていた。多くの場面や人物を生き生きと描いた【播磨三木合戦図】(兵庫県立歴史博物館所蔵)は大変見応えがあった。
 有岡城合戦では信長も窮地に立たされたが、昔読んだ歴史小説では桶狭間や長篠ほど華々しくは描かれていなかったと思う。日本史の授業でも触れられなかった。今回、信長は小説やや教科書ではあまり語られることのない試練に数多く見舞われたことを確認した。歴史に「もしも」はタブーだが、安土桃山という時代ではしばしばこれを考えてしまう。この時もし、官兵衛が獄死していたら、松寿丸が処刑されていたら、黒田家臣団が信長を見限り敵方に寝返っていたら、その後の歴史は大きく変わっていただろう。詮索すればこのような事例は他にもたくさんあると思う。
 なお、自分は荒木村重という武将を10数年前に旅行した三宮の花隈城跡で認知した。その後、岩佐又兵衛の名と、彼が村重の子で生母や一門が信長側から皆殺しにされた事実に触れた。村重自身は毛利方に亡命して信長より2年間長く生きたことは今回の展示で初めて知った。


第3章 秀吉を天下人に
 本能寺の変で信長が倒れ、世は秀吉の時代となる。このことについても官兵衛は重要な役割を果たした。周知のとおり秀吉の「中国大返し」は官兵衛の尽力により成功した。私が若い頃に接した歴史小説やドラマでは秀吉が去った後に信長横死を知った毛利方が地団太踏んだことになっているが、あらためてこの時のことを考察すると、毛利方の有力人物は秀吉と時を同じくして情報を得ていたのではないか、中国大返しは、官兵衛と安国寺恵瓊との外交駆け引きの賜物だったのではないかいう気がする。
本章で注目したのは【天正十壬午歳六月二日於本能寺二条城討死衆合祀位牌拓本】()、法名と俗名があわせて刻まれ、かの森蘭丸の名も見られた。
 【羽柴秀吉書状】(長浜市長浜城歴史博物館所蔵)の他、【羽柴秀吉朱印状】【黒田孝高・小早川隆景連署禁制】【豊臣秀吉朱印状】(いずれも福岡市博物館所蔵)など、本章の文書資料は大変見応えがあった。
 国宝の【太刀 名物「日光一文字」】も出展、九州旅行の折には福岡市博物館にも多分行ったと思うので、これを含めた所蔵品とは再会かもしれない。この名品は、【琵琶 銘「青山」】と同様、北条氏直から官兵衛に贈られたものと言われている。
 このコーナーにはまた、『官兵衛の足跡』と題して彼が赴いた各地が紹介されていた。長浜、岐阜、小田原、備中高松、小倉、中津、久留米、柳川、名護屋(唐津)、韓国のソウル、そして今日も黒田武士の名を残す終焉の地・福岡、『播磨勢力図』には、生地・姫路や龍野の記載も見られた。以上に記した地には、私自身も全て足を運んでいる。まだ体力も気力もあり家族も健康だった頃、思い出に残る旅を積み重ねていたことが懐かしく思い出された。
 官兵衛の略年表も展示されていた。これによると、官兵衛は祖父・重隆が30代の時に誕生している。これは早婚だった昔には当然ありえた。徳川家康や生母御大の方、一橋
やその子の十一代将軍・徳川家斉
いずれも30代で孫が誕生している。しかし、この展示を見ながら、前のコーナーのどこかに「官兵衛の父は職隆ではなく祖父とされている重隆であるという説がある。」と記されていたのを思い出し、信憑性があるように感じた。


第4章 如水となりて
 時はめぐり、秀吉も官兵衛も年を重ねた。秀吉が晩年に断行した朝鮮出兵により、官兵衛を含めた腹心は運命を翻弄された。
 文禄2(1593)年に官兵衛は朝鮮から無断で帰国し、秀吉の勘気を買う。有岡城の時と共に生涯で最も大きな試練だったといえるだろう。これを機に剃髪して「如水円清」と号した。
 重文の【黒漆塗桃形大水牛脇立兜】は【黒田如水自筆覚書】と共に非常に見応えがあった。所蔵は共に福岡市博物館である。
山口の吉川資料館からも【黒田如水自筆覚書】2通が出展されていた。


第5章 文雅のたしなみ
 戦国を代表する武将・官兵衛は、一方では和歌や連歌・茶道にも通じた文化人でもあった。このコーナーには如水と記す方が相応しいように思う。
 【千利休自筆書状】は死の前年に如水宛てに書かれたものだった。【六家抄】【新古今集聞書】は重要美術品に指定されている。【御茶堂之記】も印象に残った。これらの所蔵もすべて福岡市博物館だった。
 如水がキリシタンだったことはよく知られている。【黒田如水ローマ字印書状】には中央のクロスの周囲にローマ字で洗礼名<シメオン>が記されている。【キリシタン瓦】は弟・直之の居城だった秋月城跡から出土したもの、所有する歴史資料館がある福岡県の甘木に行った時のことが懐かしく思い出された。若き日に如水がキリシタンだったことを知り、「すべてのキリシタンが高山右近のように追放されたり迫害されたわけではない。」という事実に少々驚いた記憶がある。如水のように日本で天寿を全うしたキリシタンの信仰は、今日の通念である生涯を捧げるようなものとは、違うように思う。実際、如水は死後には戒名を与えられ寺に葬られている。


エピローグ ~思いおく言の葉なし~
 官兵衛は戦国武将には珍しく、側室を持たなかった。最終章には、官兵衛の正室・光(てる)の落髪後の書跡【照福院書状】が展示されていた。福岡県指定文化財【黒田如水像】を所蔵する崇福寺には、多分行っていると思う。


<感想>
 ここ数年の慣例で大河ドラマは飛び飛びにしか見ていないので、本展覧会は良い勉強になった。間違いなく官兵衛は、16世紀日本を代表する名バイプレイヤーであり、その足跡はしっかりと歴史に刻まれた。細川家同様、彼が仕掛けた大博打は大吉を招いた。
 私の歴史好きは亡き父ゆずり、幼少期はいろいろ教えてもらい、共に時代劇も見た。生涯最後の3年間を病院と施設で過ごした父が大河ドラマを見ていたのか、今となっては知るすべもないが、これからの歴史展覧会は父の思い出と重ねて鑑賞することになるのだろう。
 本展覧会で特に心に残ったのは、官兵衛の人生もさることながら、彼が足跡を残した各所に関する展示、展示室外にもゆかりの地のパネル展示があったが、その多くを自身でも訪れており、懐かしさで胸がいっぱいになった。特に多くの資料が出展されていた福岡を旅した時は、公私共に生活はまずまず充実し、家族も自身も健康で、ささやかながらも幸せな時期だった。父の病気と共に旅行は叶わぬ夢となり、次回いつ行かれるのか、見通しすらたたないが、希望は持ち続けたい。
 本展覧会には一部展示替えがあり、この日より後に大いに興味をそそられる史料が出展されており、できれば関連番組を見て多少の知識を蓄えた後期に見学したかった。しかし、展示終了間近の常設展スペースの国貞作品を見るためにはこの日に行かざるをえなかった。残念ながら今の自分には、この展覧会に再度足を運ぶ余裕はない。
 
 帰りがけに、官兵衛の生涯やゆかりの人物・出来事についてかかれているクリアーファイルを記念に購入した。
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by nene_rui-morana | 2014-07-31 22:07 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

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