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100年前の世界へ ~アルベール・カーン平和への願い~ ②

 本展覧会で私が最も注目させられた事実は、日本とカーンとの深い関わり、BBCの番組では渋沢栄一や大隈重信との交流は報じられたが日本とカーンとの関係についてはそれほど多く触れられなかった。それだけに今回、カーンは日本と深いつながりがあることに触れて、大いに感銘を受けた。

 会場にはカーンと日本の関係について解説した年表等も展示されていたが、それによると、カーンは1896(明治29)年に初めて来日し、翌年再び訪日して、かの高嶋嘉右衛門の元に滞在している。以後の足跡には、銀行家らしい事実が垣間見られる。1899年(明治32年)の渋沢名義による第一銀行株購入、1904(明治37)年の日露戦争戦時外債購入、益田孝ら財界人との交流、京都市の外債シンジケーター、等等、こうして見ていくと、カーンは近代日本の経済に極めて深く関与した外国人であることが分かり、日本においてはもっと注目されていい人物であろう。

 カーンの業績の一つに、【世界周遊奨学生】制度の設立があり、複数の日本人がこの制度の恩恵を受けている。今回初めてその名を知ったが、高名な英語学者・市河三喜のその一人で、彼に関する展示も見られた。また日本では、末松謙澄が代理人となって【カーン旅行財団】が設立され、戦後は文部省に移管されて現在も休眠状態で存在し、世界中で唯一残るカーン関係組織だという。こちらの留学生の中に、大学の講義でその存在を知った歴史学者・辻善之助の名が見られた。財団に関する文書は、近代日本を物語る史料として、大いに関心をそそられた。

 カーンは明治・大正期の政治家や財界人のみならず、皇族とも深い関わりを持った。
 1923年2月ないし3月にカップ・マルタンの邸宅で撮影された写真は、北白川宮成久王夫妻と同席するカーンを姿を伝える。カーン自身は写真嫌いだったので、この写真は彼の存在を伝える極めて貴重な史料である。以前読んだ、明治以降の皇族について書かれた文献に、フランスで交通事故死した宮様に関する記載があったことを思い出したが、その人がこの北白川宮成久王でこの後間もなく亡くなられたのである。カーン別荘のテラスで撮影された朝香宮夫妻の写真もあった。
 日本滞在中もカーンは皇族と交遊をもった。朝香宮附宮内事務官が当時の北海道廰長官にカーンの日本滞在について便宜をはかってもらうよう依頼した文書が展示されていた。カーンは近代日本の公文書にもその名を残す、日本とは極めて深い関わりのあった外国人なのである。

 カーンのカメラマン、ロジェ・デュマは、1926年から翌27年初夏まで日本に滞在した。奇しくもこの間、大正天皇が崩御し時代は昭和へと移る。デュマは近代日本の大きな節目に立会い、貴重な記録を残してくれた。会場の一角には日本に関する特設コーナーが設けられ、写真や映像が当時の日本の様子をありのままに伝えている。近代日本にとりわけ大きな関心を寄せる日本人としては実に嬉しい内容で感激もひとしお、あらためて当館スタッフの皆様と、カーン、デュマに、心から感謝する次第である。
 御大葬の写真や映像は極めて貴重な近代の史料、とりわけ外国人が撮影したという点からも意義があると思う。デュマはまた、カーンと交流のあった宮家やその周辺の様子も写真に残した。北白川宮邸その他の宮家と皇族、学習院の先生と園児の写真などが展示されていた。

 日本滞在中にデュマは各地を廻り、詳細に記録した。横浜、三渓園、松島、奈良、京都、厳島、岩国の錦帯橋、芦ノ湖と富士山、日光、松本、等等、自分自身も訪れた観光地の100年前の景観を見て、感じるものは大きかった。焼失前の金閣の貴重な写真もあった。能「望月」のシテ、金剛謹之助の写真(1912年)は重厚で風格がある。初めて知った人物だが、上方の名優だという。
 名所旧跡だけでなく、人力車が多数待機する東京駅前なども当時の様子を伝えていて興味深い。
 さらにデュマは、浅草や堀切など東京の下町にも足を運んでいた。昭和初期の浅草仁王門や仲見世、堀切菖蒲園の写真なども、強く心に刻まれた。特に、浅草六区の興行の幟や、[う奈ぎ40銭]などの看板が見られるすしや横町の写真は、強烈にインパクトがあった。個人的にはこれらを撮影したデュマの視点に、国貞などの浮世絵師と共通するものを感じた。私がカーンの写真に惹かれるのも、このあたりに大きな所以があるのかもしれない。太平洋戦争下の空襲で壊滅的な被害を受けた下町の戦前の様子を知る上でも、大変貴重な史料である。

 カーンは日本に好感を持っているという証言を残していて、邸宅内に日本庭園も作っている。これはあるいは、彼が生きた時代にヨーロッパに勃興したジャポニズムに影響を受けたからかもしれず、モネやゴッホと共通するのかもしれない。いずれにせよ、カーンが日本という国に並々ならぬ関心を抱いていたことは、彼のカメラマンが残した写真と映像が証明している。
 カーンが生まれた1860年、日本では3月3日に大老・井伊直弼が桜田門外で暗殺され、18日に年号が「万延」と改元された。勝海舟らが咸臨丸でアメリカに渡航したのもこの年で、日本が近代に向かって大きく動いた年に誕生したことにも、カーンと日本との運命めいた結びつきを感じる。
 
 繰り返しになるが、本企画展であらためて、カーンと日本との強い結びつきと彼が残した業績の重大さを認識した。【地球史料館】は間違いなく、ベアトや内田九一、上田彦馬、下岡蓮丈らの写真の次代を継承するもので、近代日本の極めて重要な歴史史料である。カーンの名と功績はもっと日本で認知されてしかるべきであり、個人的には日本という国には【地球史料館】を研究して母国の近代を再認識する義務があるとさえ感じる。
 そのためにも、本企画展の巡回展や別の史料による続編の実現、BBCレベルの日本での特別番組の実現などが、切望される。
 
by nene_rui-morana | 2011-02-26 23:55 | 旧展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

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