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アルブレヒト・デューラー版画・素描展 ②

《第2章 肖像/Portraits》 ②
 デューラーは時の有力者の支持を受けて彼らの庇護のもとに数多くの名作を後世に残したが、皇帝マクシミリアン1世は最大のパトロンであり最重要人物だった。このコーナーに展示された皇帝関係作品はどれも見応えがあり、デューラー自身も特に熱意をもって取り組んでいたことがうかがえる。
 【神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世】は皇帝の風貌を如実に伝えている。一品ものの肖像画ではなく大量複製が可能な版画という手法を用いたことは、より多くの大衆にアピールするのに極めて有効だっただろう。明治日本の[御真影]と共通するものがある。【神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の凱旋車】は皇帝の版画プロジェクト[凱旋]により生まれたもの、日本の御物もそうだが皇室ゆかりの作品にはやはり権威と風格があり、このような要素が芸術家の制作意欲に大きな影響を与えたことは確かだと思う。8枚組のこの作品も特に入念に仕上げられていて、見応えがあった。
 圧巻は何といっても【マクシミリアン1世の凱旋門】、全展示作品の中で最も心に残る逸品だった。構想から完成までに数年を要した49枚組の大作、そのスケールの大きさと細部まで緻密に表現された技巧の見事さに圧倒され、言葉で表現できないほどの感動を味わった。もちろん大天才デューラーであってもこれだけの作品を単独で仕上げることは不可能であり他との共同合作だが、間違いなく歴史に残る名作であり、本日この作品を見ることができて本当に嬉しく思った。皇帝の生涯の他に、系図や貴族とその紋章、宗教絵画などが画面いっぱいに表現されていて、何時間見ていても見飽きそうにない。実際、この作品を研究することにより、歴史や美術史の学術論文が書けるだろう。
 マクシミリアン1世は政治力に秀で、芸術に対する造詣も深かった。このような英明な君主の統治下に活動できたことは、芸術家にとって幸運だったといえるだろう。ちなみに皇帝は婚姻政策をとり、皇子フィリップ美公はスペイン女王イザベラの王女ファナ(狂女として有名)と結婚した。この2人に間に生まれたカール5世の時代にスペインは最盛期を迎える。

 階段を上がったところにあるコーナーには、一般庶民を描いた作品を展示、【不釣合いなカップル】【頭蓋骨のある紋章】などにはタイトルから分かるように、パロディーとも戒めともとれるものが感じられる。
 【料理人とその妻】以降の展示は、当時の民衆の風俗を伝えていて興味深い。【バクパイプ奏者】は[ハッチング技術(斜線で画面を埋める)]を駆使した傑作だという。


《第3章 自然/Nature》
 見事な肖像画の数々に魅了されたが、自然をテーマにしたこのコーナーの作品も大変素晴らしかった。ここでも宗教画が多く見られたが、そこに描かれた風景や動物にデューラーの筆力と観察眼の鋭さが感じられる。
 【3匹のウサギがいる聖家族】は2011年を飾るにピッタリ、他にも【バッタのいる聖家族】【ライオンを引き裂くサムソン】といった作品が見られた。
 有名な【犀】も展示、デューラー自身は一度も本物の犀を見ずにこの作品を描いたが、ながらくヨーロッパでは犀という生き物はここに描かれたとおりだと信じられていたという。背中に実際にはない小さな角があるが、緻密な描写に感嘆させられた。
 【北星天図】【南星天図】は星座の他に神々なども描かれ、現在でも挿絵などに使ったら楽しいだろうと思った。
 【聖アントニウス】は会場に入口に非常に大きく拡大された写真があり、その細かな表現に惹かれたので、現物を見た時にあまりの小ささに驚いた。肖像画もそうだが、このサイズでよくここまで描けたものだと、あらためてデューラーの才能に尊敬の念を感じた。
 【アダムとイヴ】はモノグラムでなくフルネームの署名が見られた。


 テレビ番組や美術書でその作品を見るたびに、魅了され好きになっていくデューラー、地元・東京で刷りの質の高い貴重な作品を数多く見られた喜びは計り知れない。できれば藝大の展覧会と同日に見たかったのだが、諸般の事情でそれは叶わなかった。
 今回の展示を見て、デューラー作品の完璧な写実表現や精緻な技巧に、近代的な斬新さを感じた。先述のとおりダ・ヴィンチとデューラーの年齢差は20歳もない。デューラーが生まれた時、日本はちょうど応仁の乱のさなかだった。彼と同年代の日本人はすぐには思いつかないが、織田信長のお祖父さんくらいの世代といっていいだろう。こうして見ていくと、デューラーはずいぶん昔の人なのだが、展示作品のほとんどは説明がなければ500年前のものとは思えないほど、同時代の他の芸術家に比べるとモダンだった。その理由の一つには、モデルといえば特権階級が主流だった時代にあって、デューラーには庶民を描いた作品がかなりあること、庶民の服装は上流階級ほどは時代で変化しないだろうから近代に通じるものがある。宗教画であっても、建物や室内、背景の景色がリアルに描かれ、当時の様子が手にとるように伝わってくる。ある意味デューラーは、ミレーやコローの先駆者だったのかもしれない。
 デューラーはまさしく時代の変換期を生きた芸術家だった。奇しくも大作【凱旋門】が完成した1517年は、母国ドイツのヴィッテンベルク大学にルターの[九十五箇条]が貼り出され、宗教改革の火蓋が切って落とされた年でもあった。社会に、経済に、信仰に、その他歴史のあらゆる場面に大衆が登場し始めた時代、不世出の大芸術家デューラーはその時代の息吹を作品に投影したということを今回実感した。
 加えて今回見たのが、版画という個人的には特に心惹かれ、かつ、これもまた近代的な技法による作品群であったのも、斬新なイメージをより強く感じることにつながったのかもしれない。肖像画ではモノクロームでモデルの個性を完璧に表現していた。小さなサイズの作品も驚くような細かい描写が施されていた。我々日本人には、自国が世界に誇る芸術・浮世絵と共通するものが感じられる。
 また今回は版画作品が中心だが、周知のようにデューラーは多くの手法であらゆるモチーフを描いている。これも自分は日本の伊藤若冲と相通じるものを感じる。
 このようなわけで、自分が好きな要素が凝縮された今回のデューラー展は、大変満足のいく素晴らしい展覧会だった。いつの日かヨーロッパを訪れ、彼の地の美術館でデューラー作品と対面する日を心待ちにしている。
by nene_rui-morana | 2011-01-11 20:25 | 旧展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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