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阿蘭陀とNIPPON~レンブラントからシーボルトまで~②+α

《第3章 シーボルトと川原慶賀》
1.第1回来日
 展示は一般にも馴染みの深いシーボルト関連へと移る。彼や鳴滝塾、シーボルト事件については、あらためて述べるまでもない。この最初のコーナーには、シーボルトの紋服や免許状などが展示されていた。
 よく目にするあの肖像画もあったが、これは後述する出島出入絵師・川原慶賀筆とのことで、シーボルト事件には彼も連座して犯科帳にその名が見られた。

2.オランダでの研究と第2回来日
 国外追放処分となったシーボルトは、オランダのライデンを拠点に日本研究に打ち込む。その後時代が移り変わって再来日を果たし、妻子とも再会できた。
 このコーナーには、【日本植物誌】【草木花実写真図譜】(絵は川原慶賀)の他に、娘・楠本イネの【宮内庁省御用掛】も展示されていた。

3.川原慶賀
 川原慶賀は活動が制約されていたシーボルトと商館員の求めに応じて、当時の日本人の日常生活や通過儀礼などを卓越した技法で描いた。当時の日本人自身は気にもとめなかった市井の生活を伝える彼の作品は、今後さらに存在価値と評価が高まるだろう。私は今回初めて彼の名を知ったが、展示作品から得た印象は強烈で、深く心に刻まれた。
 《出島オランダ商館》のコーナーに展示されていた慶賀の作品にも心惹かれたが、このコーナーに展示された彼の作品すべて、特に【人の一生】が大変見応えがあった。冠婚葬祭や季節ごとのイベントなど、当時の生活が手にとるように伝わって感激した。個人的には、死去・葬列・墓穴掘など通常は絵画の題材になることが少ない場面を描いた作品が印象的だった。【墓穴掘】では、傍らの墓石の戒名の遊び心や塔婆などにも注目した。このシリーズすべてが展示されていなかったのが残念で、このことが当初の予定になかった図録購入を決心するきっかけとなった。
 【唐人・紅毛人図】のシルクハット型の落款も、慶賀のキャラクターを表しているようで微笑ましい。
 本日を期に、川原慶賀は自分にとって注目の絵師となった。また彼の作品と対面?できる日が来ることと、新たな作品が発見されて知られざる一面が明らかになることを、切望してやまない。 
 

《エピローグ;出島の終焉~商館長から領事へ~》
 幕末の開国にともない、出島の商館はオランダ領事館へと変わる。
 直前の講演会で芳賀徹氏が触れられた【海軍伝習方書類】(写本)は特に注目した。内容は西洋式カレンダーによる長崎伝習所のカリキュラムなどで、勝海舟の名も見える。伝習生は選りすぐりの英才だったという。


《ミニ企画コーナー》
 2階の常設展示室内にはミニ企画コーナーが設置され、【長崎版画】と【VOCコイン】が展示されていた。版画も、昔のお金(紙幣・貨幣共)も、好きなジャンルなので、こちらも短い時間ながら大変興味深く見た。木版黒刷摺の作品などが特に印象的だった。


《シーボルトの眼になった男 川原慶賀》
 1階視聴覚ホールでは、表記ビデオ(13分)がリレー放映されていた。こちらも川原慶賀の足跡を簡潔にまとめてあり、興味深くかつ楽しく見た。外国人には分かるまいと絵の中に少々卑猥な言葉を使ったところなど、思わず噴き出しそうになった。もちろん当時の生活をリアルに描いた慶賀作品の魅力も見逃せない。彼の晩年の消息が定かでないことが残念でならない。


 本日も自分にとっては大変魅力のある展示で、閉館ギリギリまで興味をそそられた展示を中心に繰り返し見た。
 オランダと日本との交流は長く深いが、これまであまり身近に接する機会がなかったように思う。それだけに今回の特別展では、医学その他日本にもたらされたものについては実史料で歴史の授業の復習ができたし、輸出用の工芸品が制作されていたことなども知り、両国が与え合った影響の大きさが肌で感じられた。
 今後も同様の展覧会が開催されたらまた足を運び、新たな発見に遭遇したいと思う。

 帰りがけに1階のショップで展示図録とVOCのロゴがあしられたストラツプを購入した。
 夢中で見学した結果、館を出る時は疲労困憊し、空腹で倒れそうだった。
by nene_rui-morana | 2010-07-02 21:23 | 旧展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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