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細川家の至宝(第3期) ①

[副 題] 珠玉の永青文庫コレクション

[見学日] 2010年5月3日(月)

[会 場] 東京国立博物館 平成館


 昨年中に平成館を訪れた時に会場内で本特別展のチラシを入手、当然ながら足を運ぶことを即決した。展示が変わるので最低2回は行きたいと思い、前期後半のGW中に予定を入れた。
 5月3日の憲法記念日、比較的すいているであろう午前中に見ることにして、10時半に上野に到着すると、会場近くは右翼の車が大量に集まっていて大音響の演説が響き、機動隊も出ていた。別の日に来た方が良かったかなと少々後悔しつつ入門、待たずに入場できたが会場内は混雑していた。


第Ⅰ部 武家の伝統-細川家の歴史と美術-
[第1章 戦国武将から大名ヘ-京・畿内における細川家-]
 どこか愛らしい【細川家守護天童像】に迎えられて、第1会場に入る。 解説文や系図により、細川家の祖先は足利一族の流れをひくこと、応仁の乱で有名な管領・細川勝元とは別家系であることなどを知った。
 最初のこのコーナーはそのタイトルのとおり、武具や陣羽織・火縄銃など[戦国武将]としての細川家ゆかりの美術品等が展示されていた。時代は鎌倉から江戸初期までに渡り、細川家の長い歴史がうかがえた。関ケ原の合戦の時に細川忠興が使用したという【黒糸威二枚胴具足】の前で、小学生の女の子がお父さんに「かわいい!女の子みたい。」と言っていたが、確かに言われてみれば、ヘルメット型の兜につけられた飾りなど10代少女にファッションに似ていなくもない。それに、この時代の日本人は小柄だったからなおさらそう感じる。眼前の展示物が当時の日本人の体型を物語っている。
 見ものはやはり、安土桃山から江戸初期までの作品や史料、【織田信長自筆感状】は現存する唯一のものだという。他にも、信長や秀吉の朱印状のや、本能寺の変の後に明智光秀が送った【覚書】など貴重な古文書が展示されていた。多くの英雄を輩出した、ある意味日本史上最も華やかだったこの時代は、歴史ドラマや小説の題材になることも多く、それらを通じて一般にも親しまれている。本日ここで多くの展示を目にし、あらためて歴史は事実で人物は実在したということを実感した。
 このコーナーの主役はもちろん、細川藤孝(幽斎)とその子・忠興(三斎)、そして忠興夫人のガラシャ(明智光秀の娘・玉)である。解説文で幽斎は信長と同い年であることを知った。幽斎は信長より長岡の地を与えられ、「長岡」姓を名乗った時期もあった。信長は特に親しかった藤孝の息子ということで忠興に目をかけ、有力な側近光秀の娘・玉をめあわせたのだろう。
 藤孝と忠興の肖像画も展示されていた。ドラマや小説での忠興は、ガラシャ夫人の夫として壮年期で登場することが多いが、本日対面した?のはおじいさんになってからの姿だった。中学生時代に関ケ原のテレビドラマを見た時、光成を演じた俳優の魅力もあり、非業の最期をとげた光成に深く同情して徳川方についた忠興や加藤清正を好きになれなかった。しかるに、ほどなく徳川方の視点から書かれた小説で光成を批判するような記述を読み、一体何を信じればいいのか、大いに悩んだ記憶がある。今日の自分の原点である若き日の懐かしい思い出が、展示を見てよみがえった。
 関ケ原前夜、西軍の人質になるのを拒み、大坂・玉造で自害したガラシャ夫人の最期はあまりにも有名だが、その様子を伝えたガラシャの侍女・霜女の【覚書】は、隣の【細川ガラシャ消息(松本殿御内儀宛)】と共に、特に心に残る展示だった。関ケ原から48年後に時の当主に乞われて証言した記録とのこと、無学な自分には会場展示では到底判読できず、ぜひ全文掲載されている資料を探して読んでみたいと思った。
 

[第2章 藩主細川家-豊前小倉と肥後熊本]
 関ケ原の戦いで甚大な被害を出した細川家に家康は配慮した。江戸時代に入ると、細川家は英明な藩主が輩出し、比較的安定した領国経営が行われた。
 このコーナーには、三代・忠利の他、歴代当主の肖像画やゆかりの品々などが展示されていた。忠利の庇護を受けた宮本武蔵の書画もあったが、剣術のみならずこの分野の腕も相当なものだったことがうかがえた。
 6代藩主・重賢の【懐中日記】は、職場で配布されるスケジュール管理用の手帳のような印象を受けた。権力者の日誌は貴重な歴史史料となる。重賢は「肥後の鳳凰」とたたえられ、藩政改革や学問の奨励で大きな功績を残した。特に博物学に力を注いだが、【游禽図】などこの分野の展示もあった。
 御用絵師・杉谷行直が描いた【富士登山図巻】は、富士と共に、咲き乱れる桔梗や山百合が華やかで印象的だった。狩野派ほどの知名度はなくても、各藩お抱えの優秀な絵師が存在したことが分かった。【領内名勝図巻】なども私好みの作品、谷文 筆【東海道勝景図巻】も嬉しい展示だった。
 

[第3章 武家の嗜み-能・和歌・茶]
 能は戦国武将の基本的な嗜み、このコーナーでは細川家に伝わる多くの能面や衣装が展示されていた。翁の能面などはおそろしいほどリアルで、これをつけて演じられた能はさぞ迫力があっただろうと思った。
 幽斎が「古今伝授」の歌学者であったことは有名で、今回は幽斎筆の【古今和歌集】【古今伝授証明状(智仁親王宛)】など貴重な展示が見られた。それと関連して重大な歴史的事実も知った。関ケ原の折、幽斎が隠居していた田辺城が石田軍に攻められ、討ち死も覚悟していたが、智仁親王(後陽成天皇弟)の尽力により和議が成立したとのこと、教科書には書かれないドラマが存在することを再認識した。
 展示の締めくくりは数々の茶道具、忠興は千利休の茶道を継承した当代随一の茶人だった。長次郎の【黒楽焼碗 銘 おとごぜ】その他多くの茶碗、茶道具、そして忠興の書などを堪能した。細川のお殿様は参勤交代の時も思い盆石(?記憶不明確)を江戸まで持っていったと何かに書いてあったが、それほど細川家にとって茶の湯は重要だった。
by nene_rui-morana | 2010-05-08 21:11 | 旧展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。

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