2024年 02月 11日
小澤征爾氏 ご逝去
「日本の宝」の呼び声に異論をはさむ人はいない「世界のオザワ」、大指揮者・小澤征爾氏の訃報に接し、多くの日本人同様、私も底知れぬ寂しさ・虚脱感に襲われています。
私が小澤さんの名を知ったのは大学2年次に在籍していた近代史ゼミで、満州事変について発表した同期が同氏の名の由来を紹介した時でした。恥をさらしますがその時まで「世界のオザワ」の名を知りませんでした。
その前後に我が家は経済危機?に見舞われて学費等を親に頼ることが不可能となり、学生生活継続のためにアルバイトを増やすことを余儀なくされました。そのような中、アルバイトニュースで探した印刷会社で、昭和の日本の歩みを伝えた写真雑誌の中に小澤さんの記事が掲載されていました。24歳の時に渡欧してスクーターで各地を回り、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、その偉業は日本人も世界で通用すると大きな自信と希望をもたらしたと記されていました。
また、当時書店で配布されていた「新潮文庫の百冊」に小澤氏の自伝『ボクの音楽武者修行』が含まれていて、カラヤンとバーンスタインに師事されたことなどを抄録から知りました。
これ以外のことは音楽の専門家でない自分がここに記すまでもありません。
時代を代表する方の訃報に接する度に言い知れぬ喪失感に見舞われます。今回また、日本が世界に誇る偉人が旅立たれ、心の中は空虚さに満ち溢れています。同時に、偉大な人物の業績を後に語り継いでいくのは人としての使命だとも感じます。
つつしんで、ご冥福をお祈りします。
2024年 01月 13日
お見舞い
新たな年を穏やかに迎えることができました。
年末は大晦日まで雑事に追われ、4日からは通常勤務、明日は妹一家が来るため、理想的な晴天下にどこにも行かないのは少々悔しくもありますが、三賀日は自宅で過ごします。予定としては、暮れに大量に借りてきた書籍を読むほか、たっぷり溜まったテレビ番組の鑑賞、できれば美術展鑑賞記も少しまとめるつもりです。昨今の近場のランドマークの混み方は尋常ではなく、辟易とすることもしばしばなので、これはこれで良いと思います。
午前中激しく吹いていた風も午後にはおさまったので、氏神様に初詣、おみくじは大吉を引き当てて幸先の良いスタートとなりました。
今年も各所の展覧会で、素晴らしい芸術作品に出会い、新たな感動を得られることを、切望しています。
あらためまして、本年もよろしくお願いいたします。
令和六年 元旦
1月1日午後、上記文章をまとめました。
見直してからアップしようと思っていた矢先、テレビで緊急地震速報が流れました。東京もすこし揺れました。
ワード画面を閉じたのは午後4時3分、その後の情勢で投稿ができないまま、気がつけば13日になっていました。
被災地の石川県には、社会人になった年の夏に大学の友人と訪れました。もはや記憶は定かではなくなりましたが、往路はブルートレインを利用してまずは金沢に入り、その後はバスで輪島へ移動、友人は一足先に帰郷し単身で福井に行きました。覚えている訪問地は、兼六園、輪島の朝市、東尋坊、福井城、橋本佐内の銅像がある公園、等々、友人の希望で海沿いの塩田にもタクシーで足を運びました。青空の下、初めて見る日本海の美しさに息を呑みました。兼六園近くのミュージアムでは、大学・中世史専攻の先輩と友人に頼まれた展覧会図録を購入しました。友人がセレクトした食事も大変美味しかったことだけは覚えています。
現地からの報道に接する度に、まだ前途に多くの希望を抱いていた若き日と、その時期に訪れ今や記憶は曖昧ながら忘れがたい現地での思い出が脳裏をよぎり、胸がつぶれそうになります。地震発生前に刷られた北陸地方への旅行が紹介された新聞の折り込み広告で被災地の地名を見て、更に心が痛みました。
中越地震で被災した先輩からは元旦に年賀状が届き、福井にも知人がいます。
平成以降、数多くの天災が日本を襲いましたが、生活インフラ全般の復旧に長期間を要している点では今回が最悪のように思います。電気・ガス・水道の全てがとまり、建物も住宅も大きな被害を受けた被災地を雪が容赦なく襲うニュース映像を見て、言葉がありません。
翌日の羽田空港での痛ましい事故も地震が原因で、何故、天はかくも過酷な現実を強いるのか、やりきれない思いです。
令和6年は、日本の誰もが想像だにしなかったスタートとなりましたが、あらためまして、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
いつの日か再び、現地を訪問する日がくることを、切望してやみません。
2023年 12月 31日
令和5年大晦日
令和5年も残すところ本日のみとなりました。
年齢を重ねるにつれて時が速く経つように感じますが、今年はとみに短い一年でした。
年ごとの事柄に接する度に、もう一年も経ったのか、つい先日のことかと思ったのにと、驚いたのは数知れません。
昨年、自分は4カ月の欠勤を余儀なくされましたが、復職後は現職場や同僚の理解・協力により何とか勤務できています。しかし時勢を反映して身辺はせわしなくなる一方で、今年は連日サービス残業の連続、定刻より早く出勤して仕事に取りかかっても追いつかない状態でした。同僚の一人は病気休職し、年度途中の退職者も複数出ました。持ち越した仕事も多く、年明けの仕事始め初日も残業は必至です。
多忙とストレスのためか、寄る年齢のためか、これまでほとんど経験したことのない体調不良に襲われて病院に駆け込んだこともありました。
帰宅して食事をはさんで家の仕事に取り組めば、あっという間にその日最後のニュースの時間です。テレビ番組をリアルタイムで見なくなって久しいのですが、未視聴のまま溜まる一方で、かろうじて見る時も倍速再生です。何としても見たかった番組をいくつも録画し損ないました。
買い物や身の回りを整える時間の確保も容易ではありません。図書館で借りた本もほとんど目を通せないまま期日を迎えることもしばしばでした。
展覧会の感想記のアップも軒並み遅延、何としても今年中にまとめたかった企画展の記事の多くが年越しとなりました。
12月は休日出勤があったのに加えて、今年はカレンダーの関係で年末の休暇に入ってから大晦日までの日数が少なく、いつにも増してせわしない年末となりました。買い物は最初に行った店で売り切れの品があり、その後2軒をハシゴしました。
大晦日の今日も、天気予報が雨とのことだったので交通機関を使う用事は控えたのですが、東京は晴天のまま日が暮れ、外の用事が済ませず貴重な一日を中途半端に過ごしました。
例に気の滅入るような内容ばかり書き連ねてしまいましたが、今年は自分にとっては、それなりに良い年でした。
今年は心に残る素晴らしい展覧会をいくつも鑑賞できました。
加入している保険が満期となるなど、少しですが想定外の臨時収入がありました。
過去には経済的にかなり苦しく3度の食事も満足にとれない日々も経験していますので、今のご時世で、有能には程遠く体力気力も人並みに達していない身で定収を得られるのには感謝しなければならないと感じています。
震災前年まで父と共に行っていた神棚のしめ縄飾りも、一人でそれなりに上手くできるようになりました。
ネットオークションでは欲しいものを複数、入手できました。中には、小学校時代に失って長年思いを寄せつつも今生では自分の手には届かないと諦めていた誕生日プレゼントも含まれていますので、本当に嬉しかったです。
最近とみに、自分もいろいろな面での節目を迎える時期を迎えたと実感させられます。寂しいですがかつての自分とは違うという現実を受け入れ、それと折り合いをつけつつ、来年も引き続き日々の責務に向き合っていこうと思います。
令和5年12月31日
2023年 12月 30日
令和5年の季節の便り(秋の皇居)
2023年 12月 30日