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新・北斎展(後期)



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[別 題] HOKUSAI UPDATED


[見学日] 2019年3月18日(月)


[会 場] 森アーツセンターギャラリー



 大幅な展示替えがある表記展覧会、後期に足を運ばずにいられるわけはない。

 当日は既に異動の内示が出ており、各種引継ぎの準備や身辺整理、年度末のイベントの準備等で、超多忙だったが、例によってサービス残業等で何とか時間を確保した。



表題の次の()内は所蔵先、無記名は≪島根県立美術館(永田コレクション)≫です。


第1章:春朗期-デビュー期の多彩な作品

スタートは【五代目市川団十郎 あげまきのすけ六】、入口近くの展示はかなり変わっていたが、モノクロ作品や【新板七へんげ 三階伊達の姿見 沢村宗十郎】(日本浮世絵博物館)など、とても良いと感じた。

 【浮絵忠臣蔵夜討之図】(日本浮世絵博物館)は、北斎20代の頃の作品と言われる。

 【当世宮戸川十景 こまかた】【当世宮戸川十景 しゆひの松】は、北斎の活動拠点近くを描いた言わば「御当地」である。

 【花くらべ弥生の雛形】は、短冊や散る花なども印象的だった。

 【風流子供遊七節句 さつき】や【風流見立狂言 蚊すまふ】(日本浮世絵博物館)の子どもがとても愛らしい。

 【壬生狂言 夫婦酒】(日本浮世絵博物館)【壬生狂言 節分】(日本浮世絵博物館)では、人物が持つグッズやコマ絵に注目した。

 【鎌倉勝景色図鑑】は小さめな絵巻だが見事、何度か訪れた鎌倉の記憶と重ねつつ鑑賞した。



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# by nene_rui-morana | 2019-09-21 18:00 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

新・北斎展(前期)

[別 題] HOKUSAI UPDATED


[見学日] 2019年2月15日(金)


[会 場] 森アーツセンターギャラリー


 葛飾北斎の作品は、これまでに様々な場所で数多く見てきた。北斎に特化した大規模な展覧会にも足を運んだ。在外作品がお里帰りした展覧会も鑑賞している。これらの場で、北斎作品はあらかた見ていると思ったので、表記展覧会のチラシを入手した時は「忙しいし無理して行かなくてもいいか。」と思っていた。

 しかし、テレビ等で開催内容が紹介され、貴重な一点ものなども出展されていることを知り、これは何としても行かねばとあわててスケジュール調整、年度末やイベントを抱えて非常に厳しかったが前期の終了間際に何とか時間を確保した。



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# by nene_rui-morana | 2019-09-08 21:32 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

みちのくの仏像

[会期] 2015年1月14日(水)~4月15日(日)


[会場] 東京国立博物館 本館 特別5室



 仏像への思い入れは並々ならぬものがある私、奈良や京都の仏像の中にはそれなしの自分はありえないものが多数ある。東北の仏像についてはあまり接する機会がないので、表記展覧会に足を運ぶことにした。



 会場は平成館ではなく、本館の正面入口を入った奥の特別5室だった。


スタートは【聖観音菩薩立像】(岩手・天台寺)、像表面の横目の鑿跡が印象的だった。

続いて、【如来立像】(岩手・天台寺)、【菩薩立像(伝阿弥陀如来)】(秋田・吉祥院)等を鑑賞した。


【千手観音菩薩立像】(秋田・吉祥院)と【菩薩立像(伝薬師如来)】(秋田・吉祥院)には彩色の跡が見られる。冠に一木造の醍醐味が感じられた。脚部も印象に残った。


【薬師如来坐像】(宮城・双林寺)や【二天立像(持国天・増長天)】(宮城・双林寺)からも、往年の壮麗さが伝わってくる


すらりとして上品・微笑みを浮かべた【聖観音菩薩立像】(秋田・小沼神社)は、法隆寺の百済観音を彷彿とさせるものがあった。

【伝吉祥天立像】(重文、岩手・成島毘沙門堂)は、鑿目、木目が、非常に美しい。


【薬師如来坐像および両脇侍立像】(福島・勝常寺)は、東北初の国宝彫刻、制作は8世紀とのことだった。平成12(2000)年に当館で開催された<日本国宝展>に出展されたそうだが、記憶が定かではない。勝常寺は奈良の僧・徳一の開創と伝わり、造仏にあたっても都の仏師が招かれた可能性が指摘されている。


【薬師如来坐像】(岩手・黒石寺)は、内面の墨書により、862(貞観4年12月)に制作されたことが分かる、大変貴重な作品である。この7年後に東北地方で大地震(貞観地震)が発生した。この仏像は日本災害史に残る大震災を2度経験したことになる。犠牲者の鎮魂も含めて、本展覧会に相応しい名品といえるだろう。

 脇侍の【日光菩薩立像・月光菩薩立像】(岩手・黒石寺)はこれより時代が下った平安後期の作品と考えられている。


【訶梨帝母坐像】(岩手・毛越寺)は、子を抱いた姿で推察できるように「鬼子母神」のこと、この像は優しい母の表情をしている。2度平泉を訪れた時に現地で見ているか、記憶は定かではない。


【十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)】(重文、山形・本山慈恩寺)は、慶派仏師の作ともいわれる。動きのあるダイナミックな姿、写実的な風貌、入念な装飾表現、たなびく髪、彩色のあとも残り、大変見応えのある私好みの作品だった。いろいろな角度から、ケースに写る姿まで、繰り返し入念に鑑賞、その度に表情が変わった。

慈恩寺がある寒河江市には藤原摂関家の荘園があり、それがこの地に時代の先端を行く作風が花開いた事由と思われる。


【十一面観音菩薩立像】(重文、宮城・給分浜観音堂)は、3メートル近いカヤの巨像、牡鹿半島先端に近い集落の高台に安置されていて、地元の人々の灯台のような役割も果たしてきた。何度も繰り返し鑑賞、崇高な表情は、あらためて見ると印象深い。見ているうちに思わず

涙がこぼれた。頭部の仏の表情も双眼鏡でじっくり見た。影になって良く見られなかったのは残念だった。背面に回ると、怒った顔と笑った顔が垣間見えた。


本展覧会では複数の円空仏にも対面できた。【十一面観音菩薩立像】(秋田・龍泉寺)は背面が平らなので、壁に立てかけたのかもしれない。


 当日のメモには、「風土が育んだ祈りの美」及び「維摩和尚坐像 像内納入造像願文」の記載があるが、詳細は思い出せない。展示室内にパネル展示があったと推察される。前者はモニターテレビでの映像放映だったかもしれない。



≪感想≫

 今回出展された仏像の多くは、学校教科書に載らず作者も分からないが、奈良や京都の大寺のものとは一風違った、しかし味わいのある  名品揃いだった。素朴な作風が予想以上に心に強く響いた。

 どれも良かったが、【十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)】(山形・本山慈恩寺)と【十一面観音菩薩立像】(秋田・龍泉寺)は今後の自分の中に大きな位置を占めるだろう。

 震災の年に発病した父の一周忌が近い時期に見た仏像の展覧会ということでも、感じるものが大きかった。

 出展諸仏が伝わる東北地方の寺のロケーションは、平泉を除いては自動車を運転できない自分が観光で訪れるのは難しいので、東京で本展覧会を開催していただいたのは本当にありがたい。

 今の自分には、東北地方を訪れて諸仏と再会することはほぼ不可能に近いが、それでも夢は持ち続けていきたい。


# by nene_rui-morana | 2019-09-01 22:10 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

絵巻マニア列伝

f0148563_14412927.jpg[副 題] うい、らぶ、えまき


[会 期] 2017年3月29日(水)~5月14日(日)


[会 場] サントリー美術館



 絵巻というジャンルは個人的には非常に好きで、思い入れている作品も複数ある。展覧会で絵巻に接する度に、あらたな魅力を覚える。

 表記展覧会に足を運ぶに至ったいきさつは既に覚えていないが、例によって必死にスケジュール調整し時間を確保したことは間違いない。



序章・後白河院

 平清盛や源頼朝と関り、王朝末期~中世初期の歴史に大きな足跡を残した後白河法皇、今様狂いの治天の君として知られているが、蓮華王院の宝蔵に典籍や楽器などを秘蔵するなど、文化活動を推進した。平安王朝が最後の輝きを見せた後白河院の時代には、絵巻物の名品も数多く生み出された。

まず目に入ったのは、後白河院ゆかりの蓮華王院に収められた【六道絵】のひとつである【病草紙断簡 不眠の女】(出光美術館)、眠りにつけない女性が一人、数を数えている。今の自分も年齢からくる不眠症気味で、翌日の仕事を控えて眠れない苦しさはよく分かる。

以降、断簡作品が続く。



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# by nene_rui-morana | 2019-08-31 23:50 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

f0148563_16064334.jpg[副 題] 雪舟、永徳から光琳、北斎まで


[見学日] 2019年5月29日(水)


[会 場] 東京国立博物館 本館特別5・4・2・1室



 令和時代のスタートを飾る表記展覧会、各所で開催されている≪TSUMUGU-紡ぐプロジェクト-≫、天皇陛下(現在は上皇陛下)の御即位30年を記念した≪両陛下と文化交流-日本美を伝える-≫とそれに続く表記展覧会もその一環、告知された時点で見学を決意したことは言うまでもない。



 主催者挨拶に迎えられて、本館1階展示室奥へと入る。



★第1会場

展示のスタートは【唐獅子図屏風】(宮内庁三の丸尚蔵館)、狩野永徳筆の右隻は記憶が正しければ三度目の対面となる。右端の極書は孫の探幽の書、左隻は曽孫・常信の筆で、マンガチックでどこか可愛い。

同じく永徳の【檜図屏風】(東京国立博物館、国宝)とも再会だが、前回いつどこで見たかは覚えていない。

【四季草花図屏風】(宮内庁三の丸尚蔵館)も再会かもしれないが、記憶は不明瞭、伝永徳筆との解説を見て、永徳もこのような花鳥画を描いていたのだなと感じた。

長沢芦雪の絵巻は、今回の【花鳥遊魚図巻】(文化庁)が初見かもしれない。動物や植物の表現、特に犬や竹の描写に注目した。



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# by nene_rui-morana | 2019-08-18 17:25 | 平成から令和へ | Comments(0)
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# by nene_rui-morana | 2019-08-18 15:25 | 記事作成中(近日中アップ予定) | Comments(0)

終戦記念日

 今日8月15日は令和初の終戦記念日です。
 例年とおり、職場では正午に一分間の黙祷が捧げられました。
 74年という歳月により、かつて日本が戦争をしていたという事実が実感できなくなることは否めません。
 戦争を経験された方々も年々少なくなっていきます。空襲下を逃げた祖父母も父も亡くなりました。
 しかし、毎年この日を迎える度に、悲しい歴史を風化させてはならないと感じます。
 戦地はもとより、国内でも、多くの尊い人命が失われました。祖父の弟は27歳の誕生日を待たずに南方で戦死しました。終戦後間もなく病気と栄養失調で亡くなった曽祖父や父の妹も、戦争の犠牲者だと思います。
 首里城や名古屋城など、戦禍で破壊された貴重な文化遺産も少なくありません。
 近年、これまで明らかにされてこなかった戦前戦中の記録や事実がテレビ番組等で紹介されています。
 歴史的事実をしっかり認識し、二度と同じ過ちを繰り返さないことが、今を生きる我々に課せられた義務であると、再度認識します。

 戦争で亡くなられた方々と、祖父母を含めた戦争の傷跡を抱えてながら戦後の復興を成し遂げた先人の尊き御霊の、安らかな眠りを心よりお祈りします。

# by nene_rui-morana | 2019-08-15 20:34 | 歴史 | Comments(0)

 『至上の印象派展-ビュールレ・コレクション-』に出展されていた表記作品には、永年に渡り少々思い入れがあるので、特に一章を設けて記したいと思う。

 

f0148563_14395222.jpg 自分はこの作品を、小学生時代に知った。両親が加入していた某生命保険会社のおばさんが毎月集金に来る際に、季節の花の絵葉書や名画のカードなどをくれた。その中にこの作品のカードが含まれていたので、極めて早く知ることが出来たのである。カードはお土産にいただいたと記憶している小箱に入れて保管した。

当時住んでいたのは四畳一間のアパート、当然ながら持てるものは限られており、子ども心に取っておきたい品々の多くが小学校から帰ってくると廃棄されていて、幾度となく悲しい思いを経験した。後に家を新築した時も、中学高校の制服など多くの思い出の品々を新居に移すことは許されなかった。

こんな中にあっても、カードを入れた小箱は奇跡的に今も手元にある。自分が書いたリストも残っていた。

 「絵画史上、最強の美少女(センター)」と明記されたこの作品掲載のチラシを入手した際、長年の多くの思い出につながる作品のオリジナルをこの目で見られる機会に恵まれたことに対して、本当に嬉しかった。


 想像にたがわず、この作品は本当に素晴らしかった。

 深い緑色の茂みの中に佇む美少女、透き通る白い肌、栗色の豊かな髪、青いドレスと髪飾り、背景の群葉が清楚な横顔をいっそう引き立てる。胸元に飾りをつけているのか、豊かな髪の間からきらりと光っていた。

 ルノワール独特の流れるような筆遣いが遺憾なく発揮された、珠玉の名品である。


 モデルのイレーヌは1872年にパリで誕生、日本ではこの年は明治5年、2年後にウィンストン・チャーチルや私の父方の曽祖父が生まれている。父ルイ・カール・ダンヴェール伯爵はユダヤ人の裕福な銀行家だった。この肖像画から、極めて恵まれた幼少期を送ったであろうことは容易に想像できる。


現在を生きる我々を心和ませ魅了してやまないルノワールのこの作品は、サロンでは高い評価を受けたが、クライアントであるイレーヌの両親やイレーヌ自身はお気に召さなかったらしい。画家に肖像画を依頼するような当時の上流階級が求めたのは絵具の存在や筆跡を消し去った入念な仕上げであり、そのような仕上がりを求めていたダンヴェール家からみると、極論だが極端にデフォルメされた東洲斎写楽や山藤章二の似顔絵のような印象を受けたのかもしれない。

画料の支払いも遅延したようで、ルノワールは知人に宛てた手紙でダンヴェール夫妻の吝嗇ぶりについて激しい不満の気持ちを表している。


 数年前にこの作品に触れたテレビ番組を見る機会があり、この可憐な美少女のその後の人生が紹介された。本展覧会であらためて、再確認した。チャーチルや曽祖父と同様、彼女も時代の激流にその運命を翻弄されることになる。作品が描かれた時は、画家もクライアント一家も、誰一人としてそれを想像できなかっただろう。


 イレーヌは11年後に結婚したが後に離婚、イタリア貴族と再婚したがその結婚も破綻した。最初の離婚は駆け落ちだったともいわれ、なかなか情熱的な女性だったらしい。

 20世紀に入り、欧州は二度の大戦に見舞われ、激動の時代はユダヤ人イレーヌの人生を飲み込んだ。

 イレーヌの長男は第一次世界大戦で死亡した。

 イレーヌの両親の次に所有者となった娘ベアトリスはナチスの強制収容所に送られ一家全員死亡、イレーヌの妹も同じ運命を辿った。イレーヌはカトリックに改宗しイタリア人の姓となっていたのでユダヤ人であることが発覚せず命拾いしたと先の番組で見た記憶がある。イレーヌの他の兄弟姉妹や親戚の運命を知る術はないが、ベアトリス一家と同じ最期を迎えた人がいた可能性は高い。

 イレーヌは1963年に91歳の長寿を全うしたが、二つの大戦を経験し多くの身内を失うという壮絶な半生の後、胸中にどのような気持ちが去来したのか、想像に難くない。生涯、子どもや孫のことは語らなかったという。


 周知のようにナチスが没収したユダヤ人の美術品の多くは戦後に元の所有者に返還され、本作品はベアトリスの相続人であるイレーヌの手元に戻った。

 しかし、わずか3年後に彼女はこの作品をビュールレに売却した。

 このことについて、各所でいろいろな推論がなされている。最初の離婚の際の親権は前夫がとっており、両親と同様にイレーヌはこの作品にはさほど愛着がなかったのだという人もいる。本展覧会を特集したテレビ番組では、あるゲストが「生活費に困っていたのだろう。」という現実的かつドライな意見を述べていた。確かにそうであった可能性は否定できない。

 しかし私個人は、この絵画を手元に置いていたならば、二度と戻ることはできない幸せだった日々とその後の不幸を絶えず思い出すことになり、到底耐えられなかったのではないかと思う。加えて、幼き日の自分に失った娘や孫の姿が重なったのかもしれない。

 これは、身内に太平洋戦争下の空襲を経験した日本人だからこそ、感じるものである。イレーヌの子どもより少し若い私の祖母は、貧しい幼少期や空襲後の過酷な経験について、生涯孫に語ることはなかった。 戦後に生まれた自分のこれまでの人生はイレーヌに比較すべくもないが、終生消えることはないであろうトラウマをもたらされた不幸・屈辱を何度か味わっており、この時期に関わりのある衣類や写真を一大決心して断捨した経験がある。


 時は移ろい、人の世は変わり続ける。

曽祖父は終戦の翌年に、チャーチルは1965年に亡くなった。

 祖父母も父も亡くなった。集金に来ていたおばさんは、御存命なら100歳を超えていると思う。

 自分は現在、絵葉書を貰っていた頃の両親の年齢はとっくに過ぎた。結婚が早かった知人には、当時の私の父より年長の子どもがいる。

 しかしこの肖像画は、モデルや作者を含めて関わる人々が亡くなった後も、未来永劫変わらぬ清楚な美しさで新たなファンを増やし続けていく。

 

 自分は本作品を大変気に入り、受けた感激は並々ではなかった。これまで知ったルノワール作品の中では最高にランクインした。

 それだけではなく、直に見た人物を描いた作品としては、歌川国貞の美人画や、ルカス・クラーナハの【ホロフェルネスの首を持つユディト】、ヴァン・ダイクの【マリア・デ・タシスの肖像】、ヨハネス・フェルメールの【真珠の首飾りの少女】、藤田嗣治の【カフェ】などと並び、最も好きな作品となった。

 この感激をしっかり心に焼き付けるべく、何度も何度も繰り返し見入った。

 いつの日か、チューリヒで再会できる日を心待ちにしている。


# by nene_rui-morana | 2019-08-13 14:52 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

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     [見学日] 2018年4月27日(金)   [会 場] 国立新美術館 


某所で【イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢】で用いられた表記展覧会のチラシを入手、この作品については別途まとめるが幼少期からの思い出があるので、直ちに見学を決意した。

 しかし展覧会が開催されたのは特に忙しい年度末から年度初めにかけての時期、 気がつけば会期終了が迫り、例によってサービス残業をして早退し、何とか時間を確保した。


 タイトルのとおり、本展覧会はスイスの実業家エミール・ゲオルク・ビュールレのコレクションを紹介するもの、2020年には全てがチューリヒ美術館に移管されるという。

 会場に入り、まず目についたのはE.Q.ビュールレ財団り理事長クリスチャン・ビュールレ(ビュールレの孫)のメッセージ、正面にはコレクションに囲まれたビュールレの写真が展示されていた。



第1章  肖像画

 スタートはフェルメールの展覧会でその名を知ったフランス・ハルツ作【男の肖像】、彼は80代まで生きた。

 ピエール=オーギュスト・ルノワール作【アルフレッド・シスレー】は、画家、モデル、共にビッグネームである。

 個人的には、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの【イボリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像】と【アングル夫人の肖像】(未完)に注目した。



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# by nene_rui-morana | 2019-08-12 09:30 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

企画展 東京150年

 

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 江戸東京博物館1階の特別展示室がリニューアルで閉室している時、5階の企画展示室で表記展覧会が開催されていた。

 2018年8月7日(火)~10月8日(月祝)のいずれかの日に足を運んだ。



第1章 明治の東京と市区改正

 本章でまず注目したのは【江戸遷都意見書】、日本郵便制度の父・前島密が大坂遷都を主張していた大久保利通に江戸遷都を建言したとされる書簡である。

 明治前期に撮影された【東京府庁舎(初代)】は、幸橋門内(現在の千代田区内幸町)にあった大和郡山藩上屋敷を転用したものである。

 過去に何度か見た明治初期の『ファーイースト』には、丁髷や帯刀の人物も、人力車も、写されている。

 東京府の大区小区制は1871(明治4)年に始まった。

 会場の床には【明治東京全図】(明治9年)、現在の東京と頭の中で比較しつつ見た。



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# by nene_rui-morana | 2019-07-21 21:18 | 明治維新150年関係 | Comments(0)

[副 題] 総合開館20周年記念<総集編>


[見学日] 平成29年5月3日(水)


[会 場] 東京都写真美術館



2007年より足を運んできた『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史』シリーズ、東京都写真美術館のリニューアルオープンにあわせて総集編が開催された。ポスターの写真は土方歳三のあの有名な肖像写真、もちろん今回も行かないわけにはいかない。ただし、4期全ては難しいので、父の喪中等で見られなかった作品が展示されていそうな時期を選んだ。

 当日はギャラリートークもあったが、例によって長期間が経過し記憶も不明瞭となっているので、当日のメモの記録を盛り込んで記します。作品名後の()内は所蔵館、無記名は当館所蔵です。



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# by nene_rui-morana | 2019-07-18 10:37 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

ミュシャ展 2

 本展覧会には【スラヴ叙事詩】のほかに、お馴染みのポスターなどのミュシャ作品も出展されていた。

 以下にこのジャンルの作品について記します。



Ⅰ ミュシャとアール・ヌーヴォー

 本章の所蔵者は全て堺市、自身が当地を訪れた時はミュシャの名前すら知らなかった。

スタートは1888年制作の【自画像】、以降は見覚えある懐かしい作品が続く。

【サラ・ベルナール】は1895年の作品、パリ時代のミュシャを象徴する頭部の百合の花飾りが印象的だった。

 【メディア】は有名な作品、こちらは過去に見たことがある。この後はアーチがヒロインを囲み下部に劇場名を記す作品が続く。カラフルな装飾がミュシャらしい。個人的にはサラが男装した【ハムレット】【ロレンザッチオ】に注目、初見の【トスカ】も含めて、彼女は多くの役を演じ分ける名優であったことがうかがえた。

【蛇のブレスレットと指輪】はミュシャがデザインしサラが実際に舞台で着用したもの、金にエナメル、オパール、ダイヤがあしらわれた豪華なアクセサリー、自分も一度でいいので身に着けたいと思った。

【ラ・ナチュール】は美しい女性のブロンズ像、ミュシャはロダンとも親しかった。

サラ・ベルナールの名は高校生の頃より知っていたが、本展覧会でより深くその足跡に触れることが出来た。驚き、かつ感激したのは、ミュシャがポスターに描いた時のサラは既に50代に入っていたこと、当時としては老齢といってもおかしくない年で時代を魅了する女優として活躍していた事実に触れ、同性として心底尊敬の念を抱かされた。



Ⅱ 世紀末の祝祭

 1900年にパリ万国博覧会が開催される。名声の極みにあったミュシャは、「ボスニア・ヘルツェゴビナ館」の装飾を担当、展示されている壁画の下絵は【スラヴ叙事詩】の前座的作品で、大変気に入った。「オーストリア館」のポスターも展示されていた。

 一方、ミュシャの故国は好景気を迎えつつもオーストリア・ハンガリー帝国の圧力下にあり、プラハの為政者は自らを暫定政府と位置づけ、1910年にチェコの社会・文化の中心としてプラハ市民会館が建設された。展示作品はミュシャが手掛けた装飾画、【独立-ポジェプラディのイジー王】は同時期に準備に取り掛かっていた【スラヴ叙事詩】を思わせるものがあった。【警護-ホットの人々】は、きっとこちらを見る男性が印象的だった。

 そして第一次世界大戦が終焉した1918年の10月28日、市政会館は独立宣言の舞台となり、新生国家の象徴としての役割を果たした。



Ⅲ 独立のための闘い

 パリ万博開催時に汎スラヴ主義が高まっており、愛国者ミュシャはパビリオンの装飾画で心情をダイナミックに表現した。その後アメリカに渡って肖像画や室内装飾を手掛ける一方、スラヴ協会を設立、実業家チャールズ・R・クレインの資金提供にこぎつけた。そしてボヘミアに戻り、【スラヴ叙事詩】制作に取り掛かる。

 本章の展示は帰国後に制作された民族色豊かな作品の数々、【同胞のスラヴ】は1926年に開催される予定だった水上劇の素描だが、嵐で実現しなかった。

 他に、【チェコスロバキア独立10周年】と【「スラヴ叙事詩」展】のポスターや、ミュシャがデザインした切手・紙幣などが展示されていた。【郵便切手「プラハ城」】は小さくて老眼の自分には判別不可能だが、懐かしいプラハ城だけは見分けられた。



Ⅳ 習作と出版物

ラストの本章の展示も個人的には好きな分野で、存分に楽しめた。

ケース内には画集【ヤン・フス-アルフォンス・ムハとヤン。ジェジナの絵画】【モラヴィアへ】、文芸雑誌【黄金のプラハ】の表紙などが展示されていた。

展示室の一角には映像コーナーが設けられていた。放映映像のタイトルは多分、『アルフォンス・ミュシャ わが祖国に捧ぐ』だったと思う。



≪感想≫

 自分がプラハとブラチスラバを訪れたのはベルリンの壁が崩壊してまだ間もない頃、素晴らしい思い出は数多く残っているが、当時はミュシャの名前もよく知らず、現地でその足跡に接したのか記憶が定かではない。

 本展覧会では、懐かしい思い出が蘇ると共に、【スラヴ叙事詩】ほかの作品でミュシャの魅力を満喫でき、自分にとっては非常に有意義な企画だった。

 近代を代表する芸術作品に魅了されると同時に、展示作品を通じて日本人には今一つ馴染みが薄いフス派やフス戦争を含んだチェコの歴史、スラヴの文化に触れることができ、大いに触発された。また、本稿をアップするまで2年以上の歳月が経過してしまったが、この間にミュシャもその一翼を担った19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパの文化や万国博覧会などについて、各所で接する機会を得た。

 今回はスラヴの歴史と文化や万博でのミュシャの活躍については詳しく調べることは出来なかったが、近々都内で再びミュシャの展覧会が開催されるようなので、この分野をしっかり勉強したうえで、ぜひ足を運び、夢のミュシャ・ワールドを堪能したいと思っている。


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# by nene_rui-morana | 2019-07-16 09:09 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

ミュシャ展 1

[見学日] 2017年5月22日(月)


[会 場] 国立新美術館



 父・恩師・親友Chiakiが存命していた2013年に森アーツセンターギャラリーで見た≪ミュシャ展≫は大変素晴らしかった。当時の感想記に「スラヴ叙事詩をいつか見たい」と書いている。

 この時の展覧会は大規模でミュシャの代表作の多くを見ることができたので、表記展覧会は当初は行かなくてもいいかなと思っていた。

 しかし同僚(今は既に退職)から「とても良かったわよ!」と言われ、【スラヴ叙事詩】も出展されているので、足を運ぶことにした。


 ミュシャといえば、時代がやがて20世紀に入ろうとする頃、パリで名女優サラ・ベルナールに見いだされ、彼女のポスターを描いて一躍時代の寵児となった履歴が知られている。

 この時期の作品も出展されているが、今回の主役【スラヴ叙事詩】は故国チェコスロバキアに戻った後の1910年よりプラハ近郊のズビロフ城にアトリエを借りて制作を開始し、中断を含めてのべ16年の月日をかけて完成させた。

 この間にチェコスロバキアは独立を果たし、10周年にあたる1928年に19点がプラハのヴェレトゥルシュニー宮殿で公開された。



映像に迎えられて会場に入る。

「ミュシャ」は語読みで、故国チェコでは「ムハ」とのことだが、本稿では日本で親しまれている表記にする。


 

入って優れた会場壁面に飾られているのは、本展覧会の目玉【スラヴ叙事詩】、現在はプラハ市立美術館が所蔵している。一部は撮影が許可されていた。

本当に大きく(サイズは全作同一ではないが)、圧倒的なスケールで見る者に迫ってくる。ヴァティカンで見たミケランジェロの天井画・壁画が思い出された。しかも今回の展示はケースごしでないので、ミュシャの筆遣いが直に伝わってくる。

全部で20作、以後はリストの番号に従って心に残った作品の感想を記していく。一部順番が前後します。



f0148563_21364020.jpg1.原故郷のスラヴ民族

スタートのこの作品はチラシにも用いられており、やはりインパクトがあった。2人の人物の表情、満点の星空、青を基調としたバックが心に残る。


2.ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭

 本作中の女性の頭部の飾りは、パリ時代を彷彿とさせる。


3.ブルガリア皇帝シメオン1世

 円形アーチや床の模様が印象的、カラフルな衣装がミュシャらしい。


4.グルンヴァルトの戦いの後

あらゆる時代の戦争がもたらす現実を本作品は伝えている。犠牲者はもとより、死んだ馬も忘れがたい印象を残す。晩年のミュシャが遭遇した20世紀の大戦にも通じるものがある。


7、9、10は、フス派を主題とする三部作といわれる。

7.クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ

描かれているのは14世紀の著名な伝道師ヤン・ミリーチ、多くの娼婦を改心させ、娼館跡に修道院を建てたといわれる。


9.ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師

中央やや右寄り後姿の三人、中央の白い衣装に目がいく。


10.クジーシュキでの集会

 本作では、太陽をかたどった整体顕示台にかかげられた白と赤の軍旗に注目した。


12.ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチッキー

フス戦争を描いた本作品は、横に展示された8【グルンヴァルトの戦いの後】と比べつつ鑑賞した。制作当時は第一次世界大戦末期だった。


15 イヴァンチツェの兄弟団学校

ミュシャの故郷に捧げられた作品、この地でチェコ語の聖書の翻訳・印刷がされた。


18.スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い

 素人目には分からないが、この作品は未完成とのことだった。ミュシャの息子と娘がモデルとなって描き込まれている。


19.ロシアの農奴制廃止

本作品のクライアントはスラヴ文化を愛したアメリカ人実業家チャールズ・R・クレイン、ロシアが舞台となっている。クレインは【スラヴ叙事詩】制作のパトロンだった。


20.スラヴ民族の賛歌

フィナーレに相応しい重厚な大作、ミュシャらしいモティーフが随所にみられる。

1918年にチェコスロバキアは建国を果たした。


 会場内では、関連年表・制作中の写真・舞台となった場所の地図なども見られた。

明確な記憶はないが、1928年9月22日発行『ナーロドニーポリィカ紙』も展示されていたようである。当日のメモには「9月21日~10月31日 8時」とある。



≪エピローグ&感想≫

ミュシャが生涯をかけて取り組んだ【スラヴ叙事詩】、現代を生きる我々を圧倒し魅了するこの作品は、実は発表直後は若い世代からは保守的とみなされ評判は芳しくなかったらしい。

やがてナチスが台頭しオーストリアはドイツに併合される。第二次世界大戦直前にはプラハにドイツ軍が入城し、共和国は解体された。

ミュシャはゲシュタボに拘束されて尋問を受け、釈放後間もなく、あと10日で79歳となる7月14日にこの世を去った。今気が付いたが、この日は若きミュシャが名声を博した地・パリにとっては忘れてはならない日である。

ミュシャの死後、【スラヴ叙事詩】は親族によって秘かに守られ、大戦後23年を経てようやく公開された。この大作をどうやって隠し守ったのか想像もできないが、おかげで21世紀の我々日本人も見ることができる。

 今の自分には懐かしいプラハを再び訪れることはまず不可能なので、東京で【スラヴ叙事詩】を見られた喜び・感動は並々ではなかった。

 全て素晴らしかったが、やはり最初の【原故郷のスラヴ民族】とラストの【スラヴ民族の賛歌】は印象に残った。


# by nene_rui-morana | 2019-07-15 09:03 | 展覧会・美術展(西洋編) | Comments(0)

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[副 題] 皇室からのかわいい贈り物


[見学日] 2019年5月4日(土祝)


[会 場] 銀座・ミキモトホール



 改元に伴う連休中、銀座のミキモトで、表記企画が開催されていた。情けなくて今やわずか2カ月前のことも思い出せないが、知ったのはおそらく新聞広告だと思う。

 東京国立博物館の特別展『両陛下と文化交流-日本美を伝える-』に何点か出展されていたボンボニエールがとても可愛く、また素晴らしかったので、同じく日本が世界に誇るミキモトの真珠とあわせて見ておこうと思った。

 当日は三井記念美術館で円覚寺の特別展を見た後、地下鉄で程近い銀座へと向かった。

 この界隈から日比谷にかけては、若い頃より様々な思い出がある。映画、食事、ネット通販が普及する以前はよくCDやビデオ(まだDVDは出ていなかった)を山野楽器で購入した。それらは全て、今は昔となった。

 会場は7Fのミキモトホール、エレベーターで上がった。


 「ボンボニエール」の語源はフランス語、ボンボンのような砂糖菓子を入れる容器のこと、皇室の慶事の際に催される祝宴に招待された方々に記念品として贈られるという。近年では中に、上皇陛下御退位の時にビートたけしさんが語っていたように金平糖が入れられているらしい。

 本企画の監修は、ボンボニエールについて研究されている学習院大学史料館学芸員・長佐古美奈子氏、以前に浮世絵学会もしくは小林忠先生の講座で学習院大学に行った時、ちょうど史料館でボンボニエールのの企画展示が実施されていた。正直その時は、時間がなかったことや、展示作品が少なかったことなどで、さほど印象には残らなかったらしく記憶も定かではない。

 しかし今回は、多く出展されていたこと、帝室技芸員など近代日本の芸術家の至芸に魅せられていることなどから、大いに感銘された。


 ボンボニエールは、意匠も造形も様々、日本の錺職人の至芸の結晶、どんなに見ても見飽きない。様々なモティーフから日本の文化が堪能できる。刻まれた皇族方の「お印」にも注目させられる。

 元々は銀製だったが、平成になってからは色絵のボンボニエールも制作された。

 前記の繰り返しになってしまうが、本当に見事で、可愛い。私は小さな芸術品が好きなので、今後ボンボニエールには益々注目していくだろう。

 展示の中には、台座が回転して全面見られたものもあった。他に、ティアラや手箱なども展示されていた。


 表記展覧会を見られ、とても嬉しかった。新時代の思い出として、記憶に刻まれるだろう。至宝と宝石に囲まれて、しばし貴婦人になったように感じた。

 当然ながら、本企画の出展リストはなかった。個々の作品については、多くはないが長佐古の著作のほかボンボニエールに関する書籍が出版されていて、写真も掲載されているので、そちらを参考にしていただきたい。 

 将来ぜひ、リストや解説シートが配布されるようなボンボニエール展が実現してほしい。

 あわせて、叶わぬと分かってはいるが、自身も一つボンボニエールを手にすることを、ミキモト・パールを購入することとあわせて、一生の夢として持ち続けたい。


# by nene_rui-morana | 2019-07-09 17:45 | 平成から令和へ | Comments(0)

[副 題] 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち


[会 期] 2016年1月14日(木)~3月31日(木)


[会 場] 森アーツセンターギャラリー



 あまりにも長い時間が経過し、表記展覧会の情報をどこから入手したのか思い出せない。

 ヨハネス・フェルメールの作品が見られる貴重な機会なので足を運んだことは間違いない。

 ※作品名後の()内は所蔵館、無記入は個人所蔵です



Ⅰ ハールレム、ユトレヒト、アムステルダム-オランダ往郷時代の幕開け

スタートはヘンドリック・ホルツィウス作【苦悩するキリスト】(ユトレヒト中央美術館)、描かれたキリストは泣いてはいるが、筋骨隆々たる肉体が力強く逞しい。

ヤン・ファン・ベイレルト作【マタイの召命】(カイレイネ修道院美術館、ユトレヒト)は、カラヴァッジョの有名な同タイトル作品に触発されて制作されたことは一目で分かる。

アブラハム・ブルーマールト作【ラトナとリュキア人の農民】(ユトレヒト中央美術館)は、農家の表現が印象的だった。

【モルデカイの凱旋】(レンブラントハイス美術館)の作者ピーテル・ラストマンはレンブラントの師匠、馬上のモルデカイの衣装、馬具や鞍下の表現に注目した。



続きはこちら
# by nene_rui-morana | 2019-06-30 16:10 | 展覧会・美術展(東洋編) | Comments(0)

東西美人画の名作

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[副 題] ≪序の舞≫への系譜  [見学日] 2018年5月2日(水)  [会 場] 東京藝術大学大学美術館

上村松園の作品には近年とみに魅せられている。代表作である【序の舞】が鑑賞できるとあっては、足を運ばずにはいられない。

当日は、東京国立博物館・平成館の見学を終えた後、途中カフェで小休止し、会場へと向かった。

 ※作品名後の()は所蔵館



美人画の源流

 スタートは重要美術館【舞踏図】(サントリー美術館)、その後は江戸時代の美人画が続く。

 鈴木春信作【三十六歌仙 「藤原仲文」】(千葉市美術館)、鳥居清長作【「美南見十二候」 六月 茶屋の遊宴】(千葉市美術館)、喜多川歌麿作【「高名美人六家撰」 辰巳路考】(東京藝術大学)、【「当時三美人」富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ】(千葉市美術館)、等々、自分好みの美人画を楽しんだ。

注目したのは歌麿作【積物屋の遊女「丁字屋内千山 磯治 八十治」「松葉屋内染山 もみち はなの」「若那屋内若浦 をなみ めなみ」】(千葉市美術館)、積物とは贔屓筋から贈られた祝儀をその名の通り積み上げたもの、画中では吉原江戸町二丁目の菓子司・万屋伊兵衛のロゴが入った蒸籠が積まれている。「吉原細見」との照合により、この作品は描かれた三人が振袖新造から遊女へデビューする際の広報のための入銀物と思われるという。

 役者絵や相撲絵が有名な勝川春章作の美人画【青楼美人合鏡 上】(東京藝術大学)や、お気に入りの歌麿作品【吉原青楼年中行事 下之巻】(東京藝術大学)なども展示されていた。  



東の美人

【水鏡】(東京藝術大学)は菱田春草若き日の大作、背景や天女がまとった衣装の金と、紫陽花の水色が印象的、頭部の装飾も細やかに描かれている。

本章の展示の多くは本学の卒業生の作品、知らない画家がほとんどだった。

【栄誉ナラズヤ】(東京藝術大学)の作者・三浦孝は日露戦争に従軍し、金州南山の戦いを実見した。その経験が、女神のような美女の足元に兵士の亡骸が転がる本作を描かせたのだろう。

 山川秀峰の【序の舞】(東京国立近代美術館)は昭和7(1932)年制作、本作のモデルは黄土色の地に笛が散らされた振袖と、水色地に菊が描かれた袴を身に着けている。抑えた色調が厳かな雰囲気を醸し出している。

 鏑木清方も好きなので、【一葉】(東京藝術大学)、【たけくらべの美登利】(京都国立近代美術館)【清秋】(光ミュージアム)は嬉しい展示だった。【にごりえ】(鎌倉市鏑木清方記念美術館)は小説のタイトルとおおまなかストーリーは知っているが、しっかり読んでいないので、この機会に読んでみようと思っている。



2室へと移動する。



西の美人

本章の作者は、ほとんど知らなかった。

 注目したのは中村大三郎、【読書】(東京藝術大学)は画面に満ちる静謐な雰囲気に、【三井寺】(東京国立近代美術館)は洗練された画面構成に、それぞれ魅せられた。

 鳥成園作【香のゆくえ(武士の妻)】(福富太郎コレクション資料室)は、大阪の陣で戦死した木村重成の妻が出陣前に夫の兜に香を焚きこめていたという伝説を描いたもの、戦地から届けられたであろう兜とそれを手にした妻の着物・後方の襖絵の描写が見事だった。



美人画の頂点

 いよいよ、我が上村松園作品と感動の対面となる。

重文【母子】とは所蔵する東京国立近代美術館で初対面して以来、感激の再会、女性が職業を持つことが難しかった時代に画家となる決意の後押しをしてくれた慈母への思い、母子の情感が、女性らしいこまやかな筆致で描かれた胸を打つ逸品、この作品で自分は一気に松園のファンになったのである。

本日は、松園の画材一式やスケッチなども展示されていた。

いよいよ本日のクライマックス、【序の舞】(東京藝術大学)は間違いなく重文に相応しい松園の最高傑作、モデルの女性は松園の息子の妻といわれ、瑞雲文様の大振袖と鳳凰をあしらった丸帯を身に着け文金高島田に結っている。凛とした、しかし優しい表情、着物や帯の色合いとデザイン、質感、髪型、序の舞の中で最も美しい型といわれる完璧なポーズ、能に精通していた松園の真骨頂が堪能できる、近代日本画壇を代表する逸品である。

館内では関連映像❝上村松園筆≪序の舞≫修理の記録 2015~2017❞が放映され、この作品が掛け軸から額へ装丁し直されたことなどを知った。

【草紙洗小町】(東京藝術大学)と【草紙洗小町 下絵】(松伯美術館)も素晴らしかった。

 松園の作品はたおやかで上品、豊かな抒情性と京都の女性らしい雅びさにあふれ、色彩も美しく鮮やか、ますます大ファンになってしまった。



なお、当日のメモには「データベース」「胡粉」「芋子」といった記載があるが、例によって長期間が経過し、内容は思い出せない。



≪感想≫

 本展覧会の鑑賞で、ますます松園が好きになった。今回のメイン【序の舞】は松園のみならず、近代絵画の代表作といっても過言ではないだろう。対面できた喜びは計り知れず、館を出る時は早くも再会できる日を切望した。今後も可能な限り、松園作品が公開される展覧会には足を運びたい。

 なお本稿執筆にあたっては、10連休中に足を運んだ国立新美術館内のアートライブラリー所蔵の図録を参考にさせていただいた。



# by nene_rui-morana | 2019-06-16 15:29 | 展覧会・美術展(日本編) | Comments(0)

 令和初日に訪れた東京スカイツリータウン内の郵政博物館で、表記「2019年度 第2回 郵博 特別切手コレクション展」が開催されていた。入口近くのコーナーを囲むように、貴重なコレクションが展示されていた。


 展示のスタートは、タイトルのとおり、世界各国の皇族・王族の人々を描く切手を用いた封書や葉書などだった。

 自分が注目したのは、リチャード3世やエリザベス1世が描かれたウィンザー朝の切手や、レーニエ3世とグレース・ケリーが描かれた切手、歴史上の人物や外国のロイヤルファミリーが身近に感じられた。


 日本の皇室関係では、昭和天皇、上皇、今上天皇の御成婚の切手のほか、他の皇族方の切手などその存在を初めて知ったものもあった。

 上皇陛下が美智子様と結婚された昭和34年4月の「皇太子殿下御成婚記念切手」には多くのコーナーが設けられていた。


「改元物語」という、これも今に相応しいコーナーも設置されていた。

大正以降の改元時の混乱を、こちらも使用済みの葉書や封筒を展示して、消印などの解説をしている。大正天皇が崩御された大正15年12月25日は同日付けで改元されたそうで、「大正15年12月25日」と「昭和1年12月25日」が混在している。全国隅々までは告知がリアルタイムに行き届かなったのだろう。大正16年1月1日付の展示もあった。


他には、【満州皇帝来訪】など戦前の記念切手や、戦前のゾロ目の消印がされた葉書などが、展示されていた。


ケース内には、【1915年大正大礼 1928年昭和大礼 1952年立太子礼献上品控】や、【1925年大正銀婚献上品控】【1928年昭和大礼記念絵はがき版木・原版】【1952年立太子礼試刷、試作図案】【1953年皇太子帰朝記念公募原画試刷試作図案】などが展示されていた。



本展覧会は、新たな時代のスタートに相応しい内容だった。

個人的には、過去の展覧会の焼き廻し的な印象を受けた『鴻爪痕』よりも心に残った。

もっと長く見ていたかったが、この後にも予定があるため、後ろ髪をひかれつつ会場をあとにした。

スカイツリータウン入口で振舞われていた祝い酒をいただき(大変美味しかったが出来上がってはいけないので軽く1杯)、次の目的地へと向かった。


# by nene_rui-morana | 2019-06-15 22:18 | 平成から令和へ | Comments(0)

鴻爪痕展

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   [副 題] 前島密没後100年記念


   [見学日] 2019年5月1日(水)


   [会 場] 郵政博物館



 令和最初の展覧会見学は、東京スカイツリータウン内にある郵政博物館で開催中の表記、ここを選んだ理由は、館内で令和最初の記念オリジナル消印を押した挨拶状を、前職場でお世話になった先生方および知人諸氏に出したかったことによる。


 昼過ぎに到着し、まずは当初の目的を果たす。自分宛ての葉書も書いて出した。


 チラシをいただいて見学開始、企画展示ゾーンには下記の3コーナーに分けて、前島の生涯を紹介していた。残念ながら展示リストは配布されていなかった。

 Ⅰ 男子いやしくも志を立つ

 Ⅱ 新しい国づくり

 Ⅲ 消えぬ鴻の爪痕

 前島の一生を描いた【前島密業績絵画】のパネルなど、展示の多くは、平成27(2015)年に当館で開催された『前島密-生涯とその業績展』の際に見ていると思う。

 今回の展覧会のタイトル『鴻爪痕』は明治9年までの前島の自叙伝、ケースに草稿や初版本が展示されていた。

 郵政関係展示は、太政官札(金壹分)、竜文切手および摸刻原版、郵便決議書、郵便現業絵巻など、昔の貯金通帳は小冊子のような装丁だった。明治6年の『郵便報知新聞綴』により、当時本社が「両国米澤町三丁目」にあったことが分かった。帰宅後に調べたら、現在の中央区・東日本橋とのことだった。

 開化浮世絵や様々な辞令などは、時代を感じる。

 前回同様、前島が交流を持った近代の著名人もパネルで紹介されていた。注目したのは、新札で話題になっている渋沢栄一や武田斐三郎など、竹内卯吉郎(貞基)は海軍操練所教授をつとめた人物、彼の講義を記した前島のノート(多分)なども展示されていた。

 他の前島関係の展示は、手記、書簡、雅印、書軸など、前島の写真には、鈴木真一・江崎禮二(浅草公園地)などのキャプションが付られていた。内田(東京浅草・横浜馬車通)の表示がある写真が写されたのは、内田九一のスタジオだろう。

 展示室の一角では≪郵政博物館劇場 前島密一代記≫がリレー放映されていた。

 既述のとおり、本展覧会の展示の多くは4年前に見ているが、東京遷都論などで注目が集まっている前島の企画展を、没後100年かつ令和元年という節目の年に見られた意義は大きいと感じている。


# by nene_rui-morana | 2019-06-09 22:01 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和最初の誕生日

 本日5月18日、また一つ年齢を重ねました。

 今年は職場が変わり、10連休が明けて連日多忙、もとより祝う年でもありませんので粛々と迎えました。

令和最初の誕生日となる今年は非番なので、それなりに思い出を作りたいと多少の予定を入れていたのですが、不測の事態が発生して全てキャンセルとなりました。明日以降はしばらく、休みがなくなりそうです。

職場も来週は決算等でまた多忙な毎日となります。

一日も早く、通常の生活に戻ることを切望しています。


# by nene_rui-morana | 2019-05-18 22:00 | 平成から令和へ | Comments(0)

10連休を振り返って

 10連休もあっという間に終了し、新たな時代・令和も半月が過ぎました。

20年以上前の夏休みにヨーロッパを旅行して以来、10日連続で職場を離れたのは初めて、今後も退職前にこのようなことがあるかは分かりませんので、休み前に立てた計画と結果とを記録しておこうと思います。

タイトル前の記号は結果です。


パソコンのメール設定

 現在使用しているパソコンの調子が悪く、いつエンコしてもおかしくない状態なので、かなり以前に買ったのですが、機械音痴でメール送受信が未設定のままになっていました。しかし大切なメールも入るので、連休中に何としても新機でメールの送受信を出来るようにしたいと思いました。

連休中でもサービスセンターの方が電話で丁寧に教えてくださり、無事完了しました。若い方なら数分でできることですかもしれませんが、自分にとっては最大のヒットとなりました。今回の対応により、今後もプロバイダー契約を継続する決心をしました。


〇 展覧会鑑賞

 連休前に計画していた展覧会には概ね足を運びました。

 国立新美術館と東京都写真美術館では、館内のライブラリーで調べものもできました。


〇 挨拶状

 前の職場でお世話になった先生方宛ての御礼状と、知人宛ての異動のお知らせを、新年号初日の消印で出しました。異動通知のハガキは手元の未使用郵券を郵便局で交換し、ほぼ持ち出しなしで入手できました。


〇 新旧時代の記念品?

 旧時代の日付入り  平成最後の天皇賞の馬券、宝くじ、地元氏神様の御朱印、自分宛てのハガキ

 新時代の日付入り  宝くじ、地元氏神様の御朱印、自分宛てのハガキ


〇 映画鑑賞

 テレビ番組に輪をかけて、録画したまま未視聴の映画が積みあがっているので、連休中に少し鑑賞したいと思いました。

 結局、見られたのは「英国王のスピーチ」1本だけでしたが、幼少時のエリザベス女王やマーガレット王女が登場、直後にヘンリー王子に長男が誕生し、タイムリーだったと思います。


ブログ引っ越しの準備

 こちら以外にやっているブログのサービスが今年中に終了するので引っ越しの手続きをしなければなりません。

 別のサービスのIDだけは取得しましたが、元のブログの方で移行ツールが未だ出来ていないため、足止めとなっています。


読書

 連休前から読んでいた本を数冊読み進めましたが、完読には至りませんでした。


× 掃除

 一向に片付かない自室、連休中に少し掃除せねばと思いましたが、ほとんどで出来ませんでした。言い訳の余地なし、反省しています。


× 会報投稿用原稿の執筆

 母校が発行している会報に会員の投稿欄があり、可能なら一度コラムを掲載してもらいたいと思っていました。この連休中に素案だけでもまとめられればと思っていましたが、手が回りませんでした。


× 季節を感じる

 GW中に生活圏内で季節を感じられる場所といえば、上野寛永寺の牡丹園、藤が見頃を迎える亀戸天神、薔薇が咲き始める旧古河庭園など、連休中に一箇所くらいは足を運びたいと思いましたが、季節の花を見に行くことはできませんでした。

今年はご近所の薔薇や道路わきのつつじで季節を感じようと思います。



# by nene_rui-morana | 2019-05-15 22:21 | 平成から令和へ | Comments(0)

 アメリカと日本の、20世紀を代表するスターの訃報に接しました。


 20世紀アメリカを代表する歌手で女優としても活躍されたドリス・デイさんの名を初めて知ったのは中学生の時、当時急激に傾倒していった全盛期のハリウッド映画に関する書籍からでした。それから少しして、偶然流れていたラジオ番組の特集で多くの歌を聴き、注目する存在となりました。当時の我が家にはステレオがなかったので(ようやくCDが出始めた頃で主流はまだレコードでした)、地元の公立図書館でカセットテープを借りて聴き、両親より上の世代でしたがその歌が好きになりました。

 社会人になってようやくCDプレーヤーが自室に入り、真っ先に購入したのがドリス・デイさんのCDだったように記憶しています。

 心に残る歌の中には、出演された映画の主題歌・挿入歌が多数含まれています。「ケ・セラ・セラ」「シークレット・ラブ」「先生のお気に入り」「夜を楽しく」、他にも「プロードウェイの子守歌」など多くのヒット曲があります。まさに良き時代のアメリカの象徴でした。

 個人的で最も好きな歌は「センチメンテル・ジャーニー」、リリースされたのは大戦末期で故郷を離れ戦地にいる兵士たちの郷愁をさそったといわれますが、戦後生まれの自分の心にも響きました。他では「お目々を閉じて」「我が心を君に」「君に寄り添い」などが好きで、一時期は本当に毎日のように繰り返し聴いていました。貧しく苦しい生活を送っていた若き日、ドリスさんの歌には随分励ましていただきました。

 享年97歳、自分がその名を認知した時期はもう少し後の生まれと報じられていたような気がします。


 日本でも、昭和を代表する名女優が旅立たれました。

 京マチ子さんは、出演テレビはいろいろ見ていると思いますが、残念ながら必殺シリーズしか思い出せません。映画「雨月物語」も同様です。

黒澤明監督の「羅生門」を三船敏郎さんが亡くなられた時に追悼で見た時の感想は「この時代の日本の男優はすごい!今のこの世代の役者にこれだけの表現力・存在感が出せるだろうか?黒澤明監督も京マチ子さんも素晴らしい。」というものでした。


お二人とも日本の元号でいえば大正のお生まれ、激動の20世紀にあって銀幕の頂点に君臨され、新たな時代をしっかり見届けて旅立たれました。

昨今は日々の雑事に翻弄され、撮りためた映画を見ることも、少ない給料の中を必死に買い集めたCDを聴くことも、めっきり少なくなりました。

しかし、未来に希望をもって必死で生きていた若き日に接した映画や歌は、自分の中では不滅です。


つつしんで、ご冥福をお祈りします。


# by nene_rui-morana | 2019-05-14 22:22 | 映画 | Comments(0)

日本橋のお祭り

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5月11日の土曜日、先週訪れた三井記念美術館に忘れてきた私物を取りに日本橋に行きました。


 午後1時半頃に現地に到着して地下鉄から地上に出ると、ちょうど御祭りの御神輿が出ていました。

 三越デパートの車止め近くが神酒所となっていて、こちらにも御神輿が待機?していました。

 令和最初の御祭り、新天皇の即位を祝う垂れ幕も掛けられ、外国人を含めた多くの人々が写真を撮っていました。

 実は前日の金曜日に早退して行きたかったのですが、同僚に急用ができ職場が手薄になるので順延、自分にとっては忘れ物とこの事態が結果的に良い思い出をもたらしてくれました。


# by nene_rui-morana | 2019-05-12 21:16 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和の仕事始め

 本日7日は、令和に入ってから初めての出勤日です。

 超がつくほどではありませんでしたが、やはり忙しい一日でした。

 連休中の夜更かし癖がぬけず、昨夜の睡眠時間は4時間弱、さすがに午後に入ると少々バテてきました。以後は終業まで、神経を使う仕事は最低限にとどめ、書類の仕分けや資料のコピーなど比較的楽な仕事を中心に行いました。


 思い起こせば、平成が始まって間もなく現在の職務に就き、先述のとおり最初に配属された職場が滅茶苦茶で、GW明けには既に転職を決意して試験勉強を始めました。運よく希望が叶ったら年休を全て使って働かずに2カ月分の給料を貰って退職するのが夢でした。

 異動した後も糾弾を浴び続け、何度も転職にトライしましたが、2カ月のバカンスが実現することはありませんでした。


 爽やかな5月は最も好きな月ですが、しばらく祝祭日はありません。年齢的にこれから辛い季節に入ります。

 何はともあれ、締切ものが山積していますので、明日以降は全力で取り組んでいきます。


# by nene_rui-morana | 2019-05-07 23:30 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月6日

 空前の10連休もとうとう最終日となる。事前から本日は、明日から始まる仕事に備えて、体力温存につとめることに決めてある。

 平日に9時過ぎまで寝ていられるのも本日が最後となる。


起床後、お茶を飲みながら朝刊に目を通した後、昨日中断したパソコンの設定に再挑戦する。機械音痴でパソコンやスマホを買い替える度に設定に苦労しており、件のパソコンも購入後かなり日数がたっているが本格的に活用できないままになっていた。しかし使用中の旧機が経年劣化で黄色信号が点滅しているため、10連休が決まった時にこの間に何としても設定を完了させたいと思った。幸い本日は、カスタマーサービスセンターに早く電話がつながり、遠隔操作で迅速に設定完了、長期間の心痛(大袈裟ですね、笑)が一気に解消した。これで新時代の仕事がスムーズに進む。正直、連休中に最も嬉しく安堵したのはこのパソコン設定完了だった。auのサービスセンターの方、感謝申し上げます。


 朝食兼昼食は冷蔵庫内にあるもので済ませる。


 設定が済んだパソコンで少々用事を済ませてから、当座足りない生活用品や寝がけに飲むワインなどを買いに行き、図書館へ借りた本の返却に出た。


 戻った後は、明日の準備やブログ原稿の執筆、あわせて録画しておいたテレビ番組と映画『英国王のスピーチ』を見た。映画は途中で睡魔におそわれラスト20分ほど未だ見ていない。


 夕食は久々に宅配のピザを注文した。


 いよいよ明日より仕事再開、勘を取り戻すまで少し時間がかかりそうな気がする。


# by nene_rui-morana | 2019-05-06 23:30 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月5日

 連休も残り2日、初日よりずっとうずいていた腰が今朝も痛んだ。


理想的な晴天となった本日は自室がある3階の3室の窓を全開して空気を入れ替え、たまった洗濯物を片付けた。


 昼過ぎより甥と姪が来たので昼食を食べさせ、差し入れてくれた柏餅をいただき、夕刻まで預かって宿題をさせたり遊ばせた。3時過ぎには昨日三越で買ってきたフルーツで小休憩した。


 トラブルを起こしかけたパソコンとプリンターは何とか復旧したが、機械音痴なのでOFFFICEの設定が上手くできない。


 本日は子どもの日なので夕食は甥姪が好きな定食屋の出前を奢ったが、この店は今月いっぱいで遠方に移転予定で、自分も中学生以来親しんできた料理をもう味わえないと思うと寂しい。


 本日は甥姪が買ってきてくれた菖蒲を湯に入れた。自分が子どもの頃、祖母は5月5日は毎年必ず菖蒲を買ってお風呂に入れてくれた。自分はあまり記憶がないが、浮世絵に描かれているように軒先に花を飾ったりもしていたらしい。


 体はすっかりご隠居モード、あさって以降、本調子に戻るまで多少時間がかかりそうである。


# by nene_rui-morana | 2019-05-05 23:30 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月4日

 連休も残り3日となる。

 本日の朝食は昨夜買ってきたお気に入りのパン、久しぶりに大変美味しくいただいた。


 本日はどこに行こうか迷ったが、日本橋の三井記念美術館に決定、本日は高くはないがブランドのスーツとジュエリーを身に着けて家を出た。

 地下鉄経由で三越前駅に出て、駅近くの金券ショップで少し安くチケットを購入し、美術館に向かう。鑑賞したのは≪鎌倉禅林の美 円覚寺の至宝≫、鎌倉に行ったのは20年も前で、今後もいつ行かれるか分からないので、懐かしく、かつ念入りに鑑賞した。


 御朱印をもらい映像を見て館を出たのは3時過ぎ、近くのレストランは軒並み準備中、結局かろうじて空いているカフェで食べたパンケーキが昼食変わりとなったが、そのビルの地下には食事が出来る店が何軒かあり、少々残念だった。


 この後は地下鉄で銀座に出る。先日購入した天皇賞を換金、結果は赤字、自分は競馬は向いていないことを実感した。


次の目的地はミキモト、先日の東京国立博物館の特別展で見た「ボンボニエール」がとても素晴らしかったので、ネットで期間限定の展覧会≪ようこそ、ボンボニエールの世界へ≫が開催されている当店7Fのホールにに足を運ぶことにしたのである。予想にたがわず、こちらの展示も心に残った。本当はもう少し見たかったが、午前中快晴だった天候が雲行き怪しくなり、傘を持っていないので、早めにあがることにした。


三越の地下で夜のお弁当と明日食べる軽食を買い、家路につく。幸い雨は降らなかった。


夕食後、録画しておいた<ツタンカーメンの秘宝>を見る。

入浴後は一般参賀のニュース番組をディスクにダビングした。


# by nene_rui-morana | 2019-05-04 23:30 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月2日

 昨夜は帰宅した後、本日の準備をしたり探し物をしたりで想定外の時間をとられ、寝たのは午後2時を過ぎていた。

そのため、令和最初の憲法記念日は少し寝坊、ゆっくりめの軽い朝食をとった後に家を出た。理想的な五月晴れで清々しい。


 本日の目的地は東京都写真美術館、午後2時開始のフロアーレクチャーを聴いた後、近くの店で昼食をとって館に戻り、4階の図書室で約1時間ほど調べものをした。その後は再び展示室に入り、≪写真の起源 英国≫を鑑賞、今年の展覧会も大変素晴らしかった。

 本日の展覧会で、連休前に組んだ予定のうち最低限これだけはというノルマは果たした。


 午後7時過ぎに館を出る。父が元気で自分の心身も今よりは良好だった頃、恵比寿駅近くにほぼ毎週習い事に通っていた。ガーデンプレース界隈にも思い出がある。悲しい経験もしたが通い続けた。しかし体調を崩して学生時代から続けていた数少ないこの趣味は断念を余儀なくされた。

 当時のことを懐かしく思い出しながら駅方面へと戻る。駅ビルの中に自宅近くは閉店してしまったチェーン店のベーカリーがあり、久々にお気に入りのパンを買った。

 夕食は、習い事の帰りに時々利用した五反田駅併設の店でとろうと思ったが、工事でなくなっていて、目に入った別の店でとった。


# by nene_rui-morana | 2019-05-03 23:58 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月2日

 令和2日目、いつも起床する時間に目が覚めてしまったので、録画しておいたテレビ番組を見た後、少し寝直した。

 朝食後、外出の準備をしていると妹から電話が入り、姪と甥の昼食を食べさせてほしいとのことなので、出発を遅らせることにした。昨日、郵政博物館内で出したハガキが早くも到着、先生方や知人の手元にも届いているだろう。

 甥と姪とは、テレビを見ながら、自身の記憶にある浩宮様時代の天皇陛下、雅子様との御成婚、平成の改元などの思い出を、語ってきかせた。

 午後から雷雨の予報も出ていたので、食事が済んだら晴れているうちに帰し、自分も出発した。地元は下町で、昨日も今日も、個人商店や飲食敵は営業していた。1月の年明け早々に労災でお世話になった整形外科も回診していた。

 向かうは六本木、昨日の教訓で、駅を出てすぐ目に入った店で昼食をとる。

 本日の目的地は国立新美術館、まずは3階のアートライブラリーで少し調べものをする。静かで落ち着いた部屋で係員の方もとても親切、大いに好感がもてた。

 会期終了近くの特別展≪トルコ至宝展≫も大変素晴らしかった。新たな時代に彼の地への訪問は実現するのだろうか。

 8時の閉館と共に建物を出て、ミッドタウン内で夕食をとり、家路につく。

 帰宅後は、後片付けや明日の用意をしながら、昨日と同様、日中に撮りためたテレビ番組をディスクにダビングした。


# by nene_rui-morana | 2019-05-02 23:45 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和元年5月1日

 新たな時代が幕を開けた。昨夜は年度越しのテレビニュースを見続け、就寝したのは2時を過ぎていた。


7時前に一度起床して仏壇のお水を変えたりした後、寝直した。

 再び起きてほどなく、新天皇陛下が赤坂御所を出られる中継が始まる。午前中は晴れ間も出て、爽やかな新緑の中、勲章を召された陛下は沿道の人々に笑顔で手を振られていた。朝食をとったり出掛ける準備をしながら「剣璽等承継の儀」を見る。厳粛な雰囲気に自分も身がひきしまる思いがした。この儀式には皇位継承権がある成年皇族のみ参列されるとのことで、合間に前回の映像も流されたが半数が亡くなられて今回は御三方、この現実を見ると皇室の将来を考えねばならないと感じてしまう。

カメラは御所を出られる新皇后・雅子様のお車を中継、輝くティアラとネックレス、満面の笑みで手を振られるお姿のまばゆい美しさに、平成5年の御成婚パレードが重なり、ため息が出た。

「朝見の儀」を見た後、出発する。


 令和最初の訪問は、東京スカイツリー内の「郵政博物館」、本日付けの消印で先生方への御礼状や知人への挨拶状を送付、当館限定のスタンプが3種類あるので自分宛にも3枚出した。

 

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展示を見た後にレストランフロアーに行ったが、どこも長蛇の列、比較的すいている店に入ったが、注文が出てくるまでに長く待たされて。

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 女性用洗面所の混み方も半端ではない。

 なお、スカイツリーで、新時代最初のの落し物をした。残念ではあるが大したものではないので、厄落としと諦める。


 入口で大変美味しい振舞い酒をいただいた後、墨田区内巡回バスで錦糸町に出て、令和初日の記念に宝くじを購入した。


 再び巡回バス乗り場に向かうが、道路渋滞でかなり遅れて到着、食事の待ち時間とあわせて想定以上のロスタイムが発生し、令和最初の「すみだ北斎美術館」鑑賞時間は少なくなってしまった。本日は年間パスポートを購入した。


 5時半に出た時はかなり雨足が強まっていた。


 途中の商業施設内で夕食のお弁当を買い、家路についた。

 


# by nene_rui-morana | 2019-05-01 23:59 | 平成から令和へ | Comments(0)

令和、スタート

 日付が変わり、新たな時代、令和がスタートしました。
 自分にとっては二度目の時代越えです。
 新たな時代が、明るく平和であることを、切に願います。

# by nene_rui-morana | 2019-05-01 00:00 | 平成から令和へ | Comments(0)

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。


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