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宮城県多賀城市在住の友人から年賀状が届きました。
昨年1月にご主人の転勤で新潟から多賀城に引っ越したことを知り、2か月後に震災が発生、自分は何をすることもできないまま時間が流れていきました。 それだけに今回の喜びは言葉では表現できません。ご主人は津波にのまれた会社で一夜を過ごし、脱出後も配給待ちや長距離通勤に奮闘されたとのこと、看護師の資格を持つ友人はボランティアで大活躍したようです。中学生と小学生の二人のお子さんも元気に学校生活を送っているそうで、本当に安堵しました。 復旧にはまだ時間がかかると思いますが、あらためて、現地の皆様の健康と一日も早い復興を心よりお祈りします。 過酷な環境下でも前向きに生活されている皆様に勇気をいただきつつ、自分も日々の責務をこなしていきたいと思います。
慌ただしい中、感傷にひたる間もないまま、新年を迎えました。
さっそく元旦から様々な用事が入り、先が思いやられますが、引き続きマイペースで趣味に向き合っていきたいと思います。 今年もどうぞよろしく。
2011年も本日で終わりです。
一年前は、来たるべき新年に向けて、様様な抱負を抱いていました。 2011年は敬愛なる酒井抱一の生誕250年目、関連展覧会にはすべて足を運ぶつもりでおり、できれば姫路にも行きたいと思っていました。他の都市への旅行も、海外を含めて2~3回は行く予定でした。 そんな年頭の希望を根底から覆した3月の大震災、3月11日以後、それまで当たり前に享受していた平凡だけれども安穏とした日々、仕事帰りに夜間延長の展覧会に足を運び、余韻にひたりながら食事とお酒を味わい、帰宅後に風呂で心地よい疲れを癒した後にパソコンに向かう、それが実現可能な生活が、どれほど恵まれた幸せなものだったのか、実感しました。断続的に襲ってくる余震や原発事故の恐怖に脅え、パソコンに向かう余裕もなく、公共の乗り物に乗っている間も心休まらず職場以外の場所へ出向くこともままならない毎日、被災地の情報を伝えるテレビニュースを見る度に涙があふれました。 被災された方々とは比較するべくもありませんが、自身の生活も大きく変わりました。加えて今年は公私共に大きな試練に見舞われ、6月の時点で年内の旅行は断念、空前の円高を記録した2011年は自身にとっては20数年ぶりに一度も海外の土を踏まない年となりました。出光美術館での酒井抱一展を含め、心待ちにしていた展覧会のいくつかは中止となりました。様々な出来事への対応が精いっぱいで、足を運んだ展覧会の記事は年内にアップするという目標も実現できず、年越しとなりました。 未曾有の国難に何もできない自分の無力さを幾度となく実感する一方で、過酷な環境の中でも未来に希望を託して前向きに生きておられる被災地の皆様に、心底勇気づけられました。また、治安と節度を守り計画停電その他や被災地復興に取り組む日本国民の姿に、誇りを感じました。 間違いなく戦後最大の試練の年となった2011年が、間もなく終わります。自身にとっても大きな課題を背負っての新年のスタートとなりました。正直、過去の経験で乗り越えられるのか、自信はありません。 しかし後戻りはできないので、一筋でも光明が見出せるよう、強く前進したいと思います。 あらためて、被災地の一日も早い復興を祈ると共に、2012年が良い年となることを切望してやみません。
[見学日] 2011年12月7日(水)
[会 場] すみだ郷土文化資料館 東京スカイツリーの御膝元、東京都墨田区を訪れた際、建設地に程近い郷土資料館に立ち寄って開催中の表記企画展を見学した。 本企画展の舞台である当地は明暦の大火(1657年)以後に開拓された地域、今回は開拓前後の様子やいったん中止された時の内容などについて、インフラ整備の様子とあわせて紹介している。 1階で入館料を払ってエレペーターで3階会場に移動、まず目に入ったのは【御江戸大絵図(部分・複製)】、武家の家紋や旗印など最近とみに惹かれるジャンルが見られた。 本日は他にも興味をそそられる絵図が何点か展示されていたが、この日のメインは展覧会見学でなかったため双眼鏡を持参しておらず、小さな字が読めず残念だった。 低地である本所は度々洪水に見舞われ、天和3(1683)年に開拓がいったん中止され、五年後に再開されるまで上知だった。再開拓後も水害はしばしば発生したが、宝永元(1704)年に中川筋の猿ケ股の堤防が決壊した時のことについて、弘前藩津軽家下屋敷には8尺(約2.7メートル)の水が押し寄せて畳を上げ藩主たちが一時避難した様子などを同家の【江戸日記】が伝えている。今年見るこれら水害を伝える史料からは、とりわけ感じるものがある。 あわせて注目したのは、公共工事に関する意見書や見積書に該当する展示、町奉行や名主・村役人らが関与した史料が何点かあり、今日の行政組織や政策・公文書などと比較して、いろいろ考えさせられる。 また、高校の日本史の授業で≪宝暦治水≫に代表される≪御手伝い普請≫について学んだ記憶があるが、当地での具体例を伝える史料も展示されていた。本所には荷揚げのための堀川が通っていて土砂の浚い は必須だが、享和元(1801)年の浚いは松代藩・秋田藩・柳川藩の御手伝い普請によって行われた。人足賃が払われた当地の百姓にとっては貴重な臨時収入だが、藩の町人農民にとっては重い負担となった。今日の地方交付税と全く逆の政策がなされていたわけで、江戸の繁栄の裏にそれを支えた地方都市の庶民があったことを伝える印象的な展示だった。 時間に制約があり念入りに見ることはできなかったが、心に残る内容が何点もあった。実はこの日はこの後に展示にも登場していた西葛西に出向く用事があり、なかなかタイムリーな見学だったと感じた。先だっての江東区の中川船番所資料館企画展と合わせて江戸時代は同一圏だった墨田区の企画展を見られたことも、非常に有意義だったと思う。 館を出て、言問橋詰から眺める東京スカイツリーは、とりわけ雄大な印象を受けた。
11月18日に平成館の特別展を見に東京国立博物館を訪れた際、庭園が秋の解放をされていることを知り、せっかくだからと立ち寄った。この日は紅葉はまだ進んでいなかったが、池に遊ぶ水鳥の姿など心和む景観にしばし癒された。この日はカメラを持参しておらず、残念に思った。
その後、この日に出品されていなかった展示がどうしても見たくなり、特別展最終日の12月4日に再び足を運んだ。鑑賞後に庭園に移動し、深まる秋をしばし体感、しっかり撮影もした。今年の紅葉は数年前に訪れた時よりはやや見劣りしたが、様々な事情で季節を感じる余裕のないまま年末を迎えた今年の自分には貴重な思い出となった。庭園内の建物では茶会等が催されていて、関係者以外は立ち入り制限されていた。 双眼鏡で覗くと、黄色に染まった湖面や、岩上で羽づくろいをする水鳥の鮮やかな羽毛の色が、強烈な印象となった心に焼きついた。江戸の絵師が見たままの風景を目の前に見る思いがした。しばし時のたつのを忘れて見入る。日本野鳥の会の方々の気持ちが分かるような気がした。 ![]() ![]() ![]() 帰りがけに見た、本館前の広場の色づいた銀杏もまた、すばらしかった。 ![]()
表記特別展は、実は3度足を運ぶ予定はなかった。
11月18日に2度目の見学をした時、国宝の【鏡御影】は第五期からの出展であることを知り、やはりこの作品は見ておきたい気持ちにかられた。師走に入り身辺も慌ただしくなり、調整には難儀したが、最終日の12月4日に何とか時間を確保した。 当日はJR線上野駅内のパン屋で朝食をとった後、徒歩で会場へと向かった。 午前9時40分を過ぎた頃、平成館に入る。1階のロッカーに手荷物を預けてエスカレーターで2階に上がった。会場に入ると、さすがに最終日らしく、日曜午前の開館直後なのに既に多くの人であふれていた。本日初見の作品はもちろん、既に見ているものもじっくり鑑賞し、新たな発見があった。 【源空(法然)書状】は、紙背に1500人の結縁交名が書かれている。 親鸞自筆の【教行心証(坂東本)】**は、訂正箇所も見られ、より親鸞の存在感が感じられる。本特別展では他にも、【唯信抄】【唯信抄文意】(共に重文)など、多くの親鸞自筆の史料が展示されていた。これまでに接した歴史上の人物の中で「自筆史料をたくさん残している」と感じたのは空海と足利尊氏だが、親鸞もそれに劣らないという印象を受けた。 いよいよ【親鸞聖人影像(鏡御影)】**と感動の対面、高校日本史の教科書に「専阿弥陀仏が描いた肖像を親鸞が自身を鏡に写して見比べ、“よく似ている”と言ったとの伝説から、この別称がある」という解説と共に掲載されていたことが思い出される。頭部は細い線で緻密に、体部は太い線で荒く描かれており、体部が後から描かれたことが分かるという。教科書の写真はサイズが小さく目を閉じて微笑んでいるように見えたが、双眼鏡で覗くと目は開けていることが分かった。シンプルな画風ながら見る人の心を打つ、日本美術史を代表する逸品であることは間違いない。鑑賞できた喜びをかみしめつつ、しばし見入った。 少し行ったところに展示されている【歎異抄】**もじっくりと再鑑賞、<釈蓮如>と奥書と花押は本日初めて気がついた。 伝記絵のコーナーは、絵巻などは前回展示作品でも巻が変わっていた。 【法然上人行状絵図】**は、巻第十一の、九条兼実が自邸に招いた法然を裸足で外に出て迎えたというシーンが印象的だった。 【拾遺古徳伝絵】*には、前期の目玉【七箇条制誡】が掲載されていた。 【法然上人絵伝】(知恩院所蔵)には七帖上部に≪二河白道図≫が描かれていた。 今回注目したのは、複数の作品に鳥居が描かれていたこと、明治以前の神仏習合を表しているように思った。 法然ゆかりの人物のコーナーの目玉は【熊谷直実自筆誓願状】**、<平家物語>にも登場する直実は鎌倉幕府の有力な御家人であり、法然の帰依者でもあった。法名は蓮生房、展示史料には各所に消込や習性が見られ、より現実性・存在感が感じられる。既存の価値観が根底から崩壊し、新たな時代の幕開けを目の当たりにし、戦場での修羅場も体験した武将が、台頭する新しい宗教に傾倒していったのはある意味当然の成り行きだろう。先の大戦後に多くの新興宗教が急激に勢力を拡大していった事実と相通じるものを感じる。 【善恵上人絵】は証空が九条兼実邸にて<選択本願念仏集>の代読をするシーンに特に注目、この作品の詞書はかの三条西実隆とのことだった。 第二会場の最初の展示は親鸞ゆかりの人々に関するもの、本日は特に親鸞の親族に関する展示が印象に残った。 【親鸞聖人書状類(ひたちの人々宛・いまごぜんの母宛)】は、親鸞が亡くなる直前にしたためた遺言状ともいえる書簡、常陸の人々に未亡人となった娘・覚信尼(いまごぜんの母)の扶持を依頼したもの だという。 【慕帰絵】*は親鸞の曾孫・覚如の発願で制作されたもの、端正な書で絵も味わいがあり、当代一流の芸術家が関与していたことが分かる。使われている絵の具も見るからに上等、強固となった教団の勢力がうかがえた。 【一流相承系図序第】(京都・教音院所蔵)と【一流相承系図】(滋賀・光明寺所蔵)は、一対であることが近年判明したとのこと、後者は僧侶と尼僧の肖像の側に名と年齢・一部は入滅した年が書かれていた。 教団の有力者の彫像や肖像からは、強固な意志と存在感が感じられた。 本日も、最後のコーナーまでじっくりと見た。 【浄土五祖絵伝】**はマンガタッチでユーモラス、見ていて楽しく私好みだった。 【本願寺本三十六人家集】は白河法皇60歳を祝して当時の能筆家20名が書写したもの、平安貴族の美意識が結集したような素晴らしい作品だった。 本特別展では、前回見た時はそれほど印象に残らなかった展示が次回の時に大変心に残ったというケースがかなりあった。その間に関連番組や書籍に接したことが一つの要因かもしれない。 最終的に三度足を運んだ本特別展、それに相応しい内容で、新たな発見もあり触発されたことも多かった。前回の空海展に続き、今年は日本の仏教の歴史を体感できる特別展が複数回実現した。日本史の教科書にも掲載されている有名な宝物・人物に触れることができ、今後につながる素晴らしい体験になったと感じている。 本特別展で学んだ内容に関してはこの後もマイペースで研鑽を積み、いつか機会が得られれば紹介されている所縁の地も訪問したいと思っている。
第3章・1 法然をめぐる人々
法然ゆかりの人物に関するこのコーナー、前回にも増して熱心に見ていった。先のコーナーにも登場した正行房の他、有力弟子の善恵房証空や勢観房源智、等等、彼らの存在と生きた時代を肌で感じられる展示の数々は、とりわけ心に残った。 証空の姿を伝える【証空思惟像】と生涯を描いた【善恵上人絵】、証空は九条兼実邸で<選択本願念仏集>の代読を行っている。【証空書状】(京都・禅林寺蔵)は重文に指定されている。 本特別展の珠玉の逸品、源智が胎内に結縁願文を納めた【阿弥陀如来立像】(重文)には、本日も特に入念に見入った。愛する天才仏師・快慶の影響を思わせる端正な御姿は多くの人を魅了してやまない、間違いなく、鎌倉時代を代表する名品である。今回も、胎内納入物が展示されないことを残念に思った。 なお、今回は関連展示はなかったが、後白河法皇の皇女・式子内親王と法然との間には、プラトニックな恋愛感情が存在したとする説がある。これが事実なら、百人一首にも入っている内親王の有名な忍ぶ恋の歌、子供の頃から大好きだった<玉の緒>の歌は、法然への思いを詠んだことになる。自分にはこの説を実証する学識はないが、激動の時代に翻弄され、自身が属する階級の没落や肉親の非業の運命を目の当たりにしてきた未婚の内親王が、精神的な支えとなった法然にほのかな慕情を抱いても不思議はなかったと思う。 第3章・2 親鸞をめぐる人々 当時の僧侶としては一大決心を要した妻帯に踏み切った親鸞、このコーナーでは親鸞の門弟の他に親族に関する展示も多数見られた。 親鸞筆【浄肉文】**は浄土真宗の教義を表す史料、【恵信尼自筆書状類】**は中世の女性の書状としても貴重だという。 後の世に一大勢力を形成した一向宗、その原動力となった有力な門弟に関する展示からは、信仰がもたらす実行力の強さが感じられる。円慶作【顕智坐像】**は、慶派作品の醍醐味を堪能できるリアルな逸品だった。 【親鸞聖人惣御門弟等交名】は特に勢力の拡大が実感できる史料、<シモツケニクニタカタ 真佛><エチコノクニコウ 覚善><ムサシノクニノタ 西念>などの記載が確認できた。一部滅失しているが推定できる箇所もあった。 第4章 信仰のひろがり フィナーレの展示も大変見応えがあった。 法然が心の師とした善導大師に関する展示は、前回以上に心に残った。口から小仏が出ている像は、十念が光明と化して口から十体の化仏が流れ出したという伝説を表したもの、六波羅密寺の空也上人像を思い出したのは私だけではないだろう。 知恩院所蔵の【阿弥陀如来立像】は快慶工房の作とみられる。同じく【刺繍九条袈裟貼屏風】は、重源が法然に贈ったものともいわれる。 巨大な【阿弥陀如来三尊坐像】(神奈川・浄光明寺所蔵)は、像内納入物もあわせて展示されていた。 名号は本日も特に入念に見た。三重・専修寺所蔵の【十字名号】は親鸞筆、【紺地十字名号】は親鸞賛である。 浄土真宗一派で幻の教義ともいわれる<諸行本願義>に関する展示を見られたのは、大変貴重な機会だったと思う。 当時の朝廷の有力者が揮毫した【熊野懐紙】は本日も、落日を迎えつつあった京都公家階級が放った最後の輝きのように感じられた。 前回同様、この日も大変充実した展示の数々に興奮しながら、何度も展示室を往復して夢中で見ていった。これまで知っていた事実の再確認、新たに知った事実、今回も展示をつうじていろいろ学び、興味を抱いた内容も多い。本特別展を通じて得たものを今後に生かせるように、今後もマイペースで研鑽を積んでいきたいと思う。 帰りがけにショップでクリアーファイルや絵葉書を記念に購入し、1階に下りて関連ミニ番組を鑑賞した。 その後本館に移動し、16室の特集陳列<東叡山寛永寺>を見学、あまり時間はなかったが、この地に関する古地図や古文書など貴重な史料が出展され、あまり長い時間は見られなかったがこちらも大変印象に残った。
大幅な展示替えがある表記特別展、複数回足を運ぶことは開始前から心に決めていた。二度目の鑑賞となる11月18日は第四期となる。前回はやや時間が足りなかったと感じたため、開館延長される金曜日の午後に休暇をとった。
当日は特別公開されている本館裏の庭園の見学、ミュージアムシアター<聖徳太子絵伝>の鑑賞、常設展見学の後、平成館に移動した。 第1章 人と思想 前回同様、入口付近は大変混雑していた。 【法然上人像】は【法瓶御影】の別称のとおり、頭部の角のような法瓶がユーモラスだった。 【源空(法然)書状】*は、この後もしばしば登場する正行房(おそらく法然の帰依者)が紙背に1500名もの結縁交名を記して阿弥陀仏内に納めたもの、法然と彼に帰依した同時代の人々の存在感が感じられる逸品だった。 京都・東本願寺所蔵の【教行信証(坂東本)】**は、この著作としては唯一の親鸞自筆本だという。 【阿弥陀経註】**は余白にまでびっしり書き込みがされ、親鸞の信仰に対する情熱が伝わってくる。 【親鸞聖人影像(安城御影)】*は親鸞自身が賛を書いている。獣皮の敷物や鹿杖なども描かれた異色の肖像画だった。 【西方指南抄】(三重・専修寺)は、近年裏表紙の折り返し部分から親鸞直筆と思われる紙片が発見され、大きな話題になったという。<西方指南抄 釈覺信>というその紙片の写真があわせて展示されていた。釈覺信とは本書を授与された弟子の名前と推察される。 第2章 伝記絵にみる生涯 第2章も、展示作品が変わったり、同じ作品でも巻が変わったりと、前回とはまた違った魅力ある内容で大変見応えがあった。 年譜によると法然は75歳で流罪となり、死後に二尊院に改葬されている。【法然上人行状絵図】**は、後白河法皇の如法経供養に際して法然が先達を務めるシーンを展示、宮中の仏事供養の様子がよく伝わってきた。弟子たちによって改装されるシーンでも、この時代の葬送がリアルに表現されていた。またこの作品の解説から法然は、皇族、貴族、高僧、武家、庶民と、身分を超えて多くの人々から師事されていたことがうかがえた。【法然聖人絵(弘願本)】*の、室津の遊女に念仏往生を説くシーンでは、自身が室津を訪れて現地の古寺の方から法然ゆかりの逸話をいろいろ話していただいた時のことが懐かしく思い出された。 親鸞関係の展示でも、越後に流罪になったシーンでは自身の新潟旅行の思い出が重なり、【本願寺聖人親鸞絵伝(康永本)】の火葬のシーンでは中世の野辺送りの様子がありありと伝わってきた。 掛軸様式の【親鸞聖人絵伝】*と【法然上人絵伝】も展示、まるで《洛中洛外図屏風》を見ているようだった。 浄土真宗側が制作した【法然上人絵伝】も出展されていた。 このコーナーには、別の時代・別の絵師が描いた複数の伝記作品が一堂に会していた。子供の頃、誰でも知っている物語や人物の伝記、また国内外の歴史などについて、複数の漫画を読んだ記憶があるが、今回もそれと似た体験をしたような気がした。
11日13日に、≪世界遺産ヴェネツィア展≫より早く会期が終了する他の展覧会を後にまわして江戸東京博物館に足を運んだのは、23日に終わる本企画展をあわせて見るためだった。
当日は1階で特別展を鑑賞し昼食をとった後、5階の第2企画展示室へと移動した。 日光は、修学旅行と個人旅行で合計3回訪れた。修学旅行では社会科の授業でも触れレポートも書かされたので、日光東照宮についてはそれなりに知っているつもりでいたが、本企画展で自分の知識は氷山の一角であったことを痛感する。展示スペースは大きくはないが内容は濃く、いろいろ触発された。 展示に関して全てを記載することは不可能であり、またそれができるほど勉強もできていないので、ここでは印象に残った史料を中心に記したいと思う。 後水尾天皇筆【「東照大権現」扁額】は、今回が初公開とのことだった。 板倉重宗が奉納した【編鐘】は、音も流されていた。 今回私が最も惹かれたのは、日光の縁起や道中の行列を描いた絵巻、参詣の様子を伝える屏風などである。私が好きな絵巻物や《洛中洛外図屏風》と共通するジャンルであり、文字では伝えきれない<歴史>が生き生きと描かれ、見ていて胸中は瑞々しい興奮にあふれた。 【東照社縁起絵巻】(重文)は、僧侶に続く楽団や仮装の行列が、入念に描かれていた。絵は狩野探幽、詞書は後水尾天皇他という豪華キャスト、展示場面は「御法事」、絵巻物展示で最も残念なのは一部しか見られないこと、今回も含めて全巻見たい欲求にかられる。 【日光東照宮参詣図屏風】は、その名のとおり参詣の行列を描いたものだが、幔幕や家紋などにも注目した。特筆するべき事実は、随行の人々が寄り道をしたり道中の店先を覗いたりとリラックスしていること、時代劇の大名行列のような整然とした隊列ではない。最終目的地の集合時間を守れば、案外自由だったことがうかがえる。実際、参勤交代の大名行列も土下座するのは市中のデモンストレーションで、飛脚には道を譲るなどの便宜が図られていたと何かで読んだ記憶がある。確かに、長い道中規則ずくめでは、上も下も到底やりきれないだろう。 参詣に随行した人々について伝える【旗印諸鵜役標識図】【日光山御参詣御供 百人組一手行列武器雛形略記】【日光御宮御供奉御役人附】なども、自分にとっては興味深い史料だった。武家の家紋や旗印などは、どれほど見ても見飽きない。 室内には【日光社参と道中】というタイトルで江戸から日光までの経路を記した地図も展示されていたが、中学生の時にバスで行った修学旅行とほぼ同じだった。途中の川越市には10年ほど前に訪れて、喜多院や東照宮などの史跡も見た。 展示の後半は主に江戸時代後期の将軍の日光社参に関する内容で、こちらも興味深く見た。 例祭の様子を描いた【日光御宮御祭礼図巻】は、行者や奏者の時代による変遷を伝えていて、印象に残った。 【徳川家慶乗馬図】は、おでこの突き出た個性的な風貌をリアルに伝えている。この人は、金本石宿を徒歩で歩いたり、商家で土産物を購入するなど、異例の行動をとったという。しきたりづくめの生活を強いられている将軍にとって日光参拝は、政務を離れられるつかの間の行楽だったのかもしれない。 かの松平定信による【日光責自画図写】は、本日特に注目した展示の一つだった。私は初めて知ったが今日も伝わる<強飯(ごうはん)式>の様子を描いたもの、修験者に山盛りの飯を食べることを強制される儀式で、江戸の上級武家も体験した事実がリアルに感じられた。同時に大名の子弟は絵画でも英才教育を受けていたことがうかがえる。定信の政治家としての手腕は超一級とはいえないだろうが、文筆と絵画で同時代を記録した点では歴史上の貢献度は大きい。 特別展と並んで、本企画展も自分にとっては大いに関心のある内容で、同時に見られた喜びは大きかった。展示全般には大変満足しているが、室内の照明が落とされていて展示室内の閲覧用の図録がよく見えなかったのが残念だった。 企画展示室を出てから、夕方に入っている用事の定刻まで時間があったので、常設展を少し見学、こちらでも我が歌川国貞の浮世絵などが見られて嬉しかった。今年の大河ドラマの主人公・お江の方に関する展示が見られたのは特に大きな収穫だった。図書室にも立ち寄ったが、こちらも興味深い資料がたくさんあり、あれこれ目を通しているうちに、あっという間に時間が経過した。 館内には次回の展覧会のチラシも配布されていたが、こちらも興味をそそられる内容で今から楽しみ、次回来る時は一日がかりになるかもしれない。 帰りがけにショップに入ると、国貞や弟子・貞秀のグリーティングカードもあり大感激、少々値がはるが数枚購入した。今後来館の度に買い足していこうと思う。特別展の絵葉書なども購入した。 館を出て、両国駅前の喫茶店で軽くお茶をした後、次の目的地へと向かった。
本日12月8日は、1941年の日米開戦からちょうど70年目にあたります。真珠湾攻撃により突入した太平洋戦争は、多くの日本国民に過酷な生活を強いることになりました。祖父母のように空襲ですべてを失った人、祖父の弟のように20代の命を南方の海上に散らした人、父の妹のように戦後の食糧難・物資不足による栄養失調と病気のため幼くして亡くなった幼児、母の従弟のように大陸からの引き上げ船の中で病死して水葬された子供、戦時下に生きた人の数だけ悲劇があります。
言語に絶する苦難と悲しみを乗り越え、祖父母と親の世代の先人は廃墟の日本を立て直し、繁栄へと導いてくれました。 そして今年2011年は、戦後日本にとって最大の試練の年となりました。被災された方々に戦中戦後の国民の姿が重なって見えたのは、私だけではないでしょう。福島原発関係の政府の報道にも、大戦末期の大本営発表と共通するものを感じてなりません。 今年も残すところわずかとなりましたが、あらためて、被災地の一日も早い復興を切望してやみません。 今年は開戦時の連合艦隊司令長官・山本五十六を描いた映画が封切られます。子供の頃から祖父母や両親に戦争の話は聞かされてきましたが、山本五十六という人物とその名前の読み方を知ったのは中学生時代に見たテレビドラマ、その前後に戦後のGHQ、あるいはスターリンや毛沢東など外国の戦争指導者に関するテレビ番組を見る機会があり、昭和の歴史に俄然興味を抱き、最終的には史学科進学と日本近代史ゼミという選択につながりました。 思えば20世紀の西暦末尾1年の年には、他にも歴史的大事件が発生しています。今年が100年目でやはり映画が制作された1911年の辛亥革命、1931年の満州事変、日米開戦も含めて、いずれも日本と世界の20世紀の歴史を語る上では避けて通れません。そして時代は流れ、1991年にはソ連邦が崩壊し戦後の東西冷戦の時代が終わりました。 最近は自分の興味は19世紀へと移り、卒論のテーマにまで選んだ20世紀への関心はいささか薄れておりますが、節目で国家が岐路に立つ今、あらためてこの時代を見直す必要があると痛感します。
第3章 美の殿堂
第3章にはヴェネツィアの絵画を展示、残念ながら今回はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品は出展されていなかったが、往年のヴェネツィアを描いた絵画の中には印象的な作品が何点もあった。18世紀に入ると海上貿易の覇権が他に移るなどして、ヴェネツィアは軍事的にも経済的にも斜陽化していくが、文化・芸術方面では依然として輝きを放っていく。そしてナポレオンのイタリア遠征により、ヴェネツィア共和国の歴史は終焉するが、往年の栄華は世界の歴史に燦然と輝き、今なお多くの人々を魅了し続けている。 【凍結したラグーナ】は心に残った作品の一つ、1788年の大寒波の様子を描いたもので、凍結したラグーナの上を歩いたり船上から斧をふるう人々が描かれていた。 【二人の貴婦人】は本特別展最大の目玉、テレビ番組などでも紹介されていたが、近年左側が発見され、家具の扉絵だったらしいことも判明した。向こう側の景観も印象的、二人の貴婦人の視線の先には何が描かれていたのだろうか、もう片方の扉絵の発見が望まれる。傍らのモニターテレビには解説映像が放映されていた。 ティントレットと彼の工房による【天国】はドゥカーレ宮殿の壁画の下絵、これだけでも充分見応えがある。 カナレット工房による【プンタ・デッラ・ドガーナ付近のカナル・グランデ】【サルーテ協会付近のカナル・グランデ】は、本特別展のフィナーレを飾るに相応しい作品、多くの船が行き交うカナル・グランデの景観が生き生きと描かれ、しばし見入った。大運河入口に建つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会は国内外の建築の中で最高に好きな建物の一つ、自身が生まれるはるか以前からその美しい姿で多くの人々を魅了してきた事実が確認できる史料としても、自にとっては嬉しい展示だった。 〔感想〕 今回も例によって、一度見終えた後に心に残った展示を何度も見直した。 愛してやまない、懐かしいヴェネツィアの景観を、東京にいながら体感できた喜びは計り知れない。絵画等の解説の下には現在の写真もあわせて展示され、比較して見ることができた。 今回は、かつて自身が体験したヴェネツィアの再確認と共に、(単に自分が無知だっただけかもしれないが)新たな発見もたくさんあった。ヴェネツィアの音楽や演劇、さらには賭博に関する展示もその一つ、市中にはこのような遊興施設が多数あり、富裕層の欲求を満たす娯楽が連日催されていたことが分かった。 昨年この同じ会場で特別展<隅田川>が開催されたが、水辺が発達し庶民の娯楽が充実していた点では、江戸とヴェネツィアは共通点を持つ。またイタリアは近代まで複数の大公国により構成されていたが、これも幕藩体制と似ている。我々日本人がイタリアという国に、特にヴェネツィアという町に魅せられるのは、このあたりに大きな要因があるのかもしれない。イタリアの人も親日的で、自身が訪れた外国の中ではイタリア人が最も親切だった。 本特別展を通じて、ますますイタリアが、ヴェネツィアが、大好きになってしまった。次回いつ訪問できるのか、皆目見当もつかないが、実現の夢は持ち続けたい。 見学を終えた後、ショップで記念の絵葉書等を購入した。 昼食は、この日に相応しく、興奮の余韻にひたりながら館内のイタリアンレストランでパスタランチをいただいた。
[副 題] 魅惑の芸術 - 千年の都
[見学日] 2011年11月23日 [会 場] 江戸東京博物館 二度訪れたヴェネツィアは、これまでに訪問した国内外の都市の中でも特に好きな一つで、テレビで特番が放映されるとついつい録画してしまい、今や手元には10番組近いDVDがある。 表記展覧会が告知された時は直ちに足を運ぶ決心をした。事前に本展覧会紹介するテレビ番組が放映され(もちろん録画した)、いい予習となった。 第1章 黄金期 展示室に入ると、正面の大スクリーンにはヴェネツィアの映像が流され、床には航空写真、懐かしい景観に興奮で胸が弾む。並びにはポスター等にも使われているカルパッチョ作【サン・マルコのライオン】が展示されていた。 ヤーコポ・デ・バルハリ作【1500年のヴェネツィア(ヴェネツィア景観図)】には、1500を示す<MD>の文字も見られた。隣の【ヴェネツィアの展望】(ヨーゼフ・ハインツ・イル・ジョーヴァネ作)と見比べながらじっくり見入った。2枚とも、五雲亭貞秀の横浜絵を思わせるスケールの大きな作品だった。 ヴェネツィアの歴史と文化については、今さら説明の必要もない。運河の町・ヴェネツィアの民は航海術に長け、これがひいては海軍・交易・為替などにつながり、大いなる富と繁栄をもたらした。第一章には、地球儀・コンパス・望遠鏡・海図・貨幣など、この分野の展示が数多くされ、海上都市ヴェネツィアを肌で感じることができた。所蔵のほとんどは懐かしのコッレール美術館だった。 【世界航海図】【地中海の海図】は実務よりはコレクション用だったらしいが、張りめぐらされた船の航路は、今日の機内誌に掲載されている国際線の航路を思わせた。 【船の模型;ガレー船】からは、軍事目的だが装飾もされていたことがうかがえた。《ベン・ハー》などの映画のシーンが脳裏をよぎった。 【ロレンツォ・ヴェニエールに指揮されたヴェネツィア艦隊】は1687年に描かれたとのこと、特に心に残る展示だった。 展示は総督(ドージェ)関係へと移る。ヴェネツィア共和国最高の地位だが、実際は政治は議員たちによる合議で名誉職に近かったらしい。それでも人徳と才能が求められたことは展示が証明している。総督の肖像や帽子などを見ながら、総督官邸だったドゥカーレ宮殿の記憶が懐かしく思い出された。 ヴェネツィアといえばゴンドラ、展示されていたフェッロ(船尾用鉄製部品)は豪華絢爛、ゴンドラは今日の高級自家用車に相当するのだろう。 ラストに展示されていた【ブロンズ製ノッカー】はまさに芸術品だった。 第一章では、芸術作品以外でも、委任状や規約集など、往年のヴェネツィアの自治政治を伝える史料に注目させられた。 第2章 華麗なる貴族 第2章は海外貿易により豊かになったヴェネツィア貴族の豪奢な生活を伝える展示の数々、貴族の館の復元模型もあり、当然だがゴンドラ乗り場もあった。各種服飾品の他、食器、調度、そして貴族の生活を描いた絵画から、全盛期ヴェネツィアの国力がうかがえた。 展示作品が多く、すべての感想を記すことはできないが、往年のヴェネツィア貴族・富裕商人の豊かな生活を体感する思いがした。幕末・維新が専門の私の大学の恩師は、かつてゼミの時間に「生まれ変わるなら文化・文政期の豪商の娘がいい。」とおっしゃっていたが、本日展示室で私は「全盛期のヴェネツィア貴族もいいな。」と思った。 ヴェネツィアングラスは繁栄の象徴、食器類が何点化か展示されていたが、豪華な【カ・レッツォーニコ様式のシャンデリア】は本日の目玉、500もパーツがあり組み合わせるのに3日もかかったという。 後半のピエトロ・ロンギおよびその周辺が描く絵画も、舞踏会、観劇、賭博、等等、当時の生活を如実に伝えている。モデルが仮面をつけている【香水売り】は特にヴェネツィアらしい作品で、多くの人が足をとめていた。
* 7階については、図録の順番ではなく入口からの展示の順番で記載します。
●7章 工芸意匠の展開 階段で7階に下りて展示室に入ると、まず目に入ってくるのは抱一画【白繻子地紅梅文様描絵小袖】、敬愛する光琳の画を彷彿とされるデザインは印象的だった。 続いて、調度や茶器・印籠などの抱一ワールドを思う存分堪能、≪大琳派展≫以来魅了されている原羊遊斎とのコラボ作品は実に豪華でしかも繊細かつ上品、現代でも充分通用するほど斬新で見事な感性で惚れ惚れする。お金があれば自分も一つくらい欲しいと思った。今回は羊遊斎の下絵帖も展示されていて嬉しかった。 ●5章 雨華庵抱一の仏画制作 酒井抱一といえば真骨頂は四季花鳥図だが、仏画でも味わい深い作品を多数残している。作風も、高価な絵具をふんだんに使ったカラフルな作品からシンプルな墨絵まで、多岐に渡っている。 【白蓮図】は宗達以来継承してきたモチーフを描いたもの、以前見た記憶があるが類似の別作品だったかもしれない。【日課観音像】は後の河鍋暁斎の同様作品や、当世代の北斎の【日新除魔帖】を連想した。個人的には龍と二童子をユーモラスに描いた【倶利伽羅剣二童子像】が気に入った。【月世楓図】には<畫僧抱一寫於/雨華庵南牎>と彼にしては珍しい隷書で書かれていた。 ●8章 鈴木其一とその周辺 ●9章 江戸琳派の水脈 展示のフィナーレは、抱一の弟子やその後進など<ポスト抱一>といった作品の数々、前回は閉館時間が迫り少々心残りだったが、本日は開館延長日なので心ゆくまで鑑賞することができた。其一の【夏秋渓流図屏風】や【翁図】など、前期で魅了されて作品が展示替えされていたのは残念だが、抱一の画風を受け継いだ弟子たちの味わい深い作品の数々に、心底魅了された。 見る度に感動を新たにさせられる其一作品、今回はこれまでにない多数の作品を見ることができて本当に嬉しかった。画風もモチーフも多彩で其一の卓越した才能がうかがえた。中には、あるジャンルに関しては師・抱一をしのいでいるのではと感じる作品もあった。【柳図扇】は抱一が賛を寄せている。【萩月図襖】は写実的で涼やかな逸品だった。【牡丹図】を見ていると、明治の帝室技芸員はこのような作品を自己流に昇華させたのではないかと思った。今後ますます、其一からは目が離せない。 其一以外では、池田孤邨の作品が印象に残った。孤邨が編纂した【抱一上人真蹟鏡】に紹介されている作品の中には、当然ながら本日オリジナルが展示されているものもある。 鈴木蠣潭は酒井家の家臣でもあった人物で、26歳で早世したため残された作品は少ないが、新出の【山水図屏風】は山水の表現が心に残る見事な作品だった。 《感想》 この日は途中に最上階レストランでの休憩をはさみ、何度も7階と8階を往復しながら、時間の許す限り作品を味わいつくした。 以前から心待ちにしていた本展覧会、規模・内容共に予想を大きく上回り、息詰まるほどの興奮と感動を味わった。既知の作品、初見の作品、弟子たちの作品、等等、多くの作品に触れて、抱一の新たな魅力も認知し、ますます魅了されている。 本展覧会で感じたものは多い。 まずは、抱一は実に多作の絵師であったこと、もちろん弟子との合作はあるが、伊藤若冲や葛飾北斎と肩を並べる作品数だと感じた。加えて内容の多彩にも驚嘆させられた。画風・画法・描くモチーフなど実に様々で、抱一の多才ぶりがうかがえた。 あわせて、展示作品を通じて感じたのは、やはり多彩な抱一の人間関係、当時としては長命な68年の人生を通じて、抱一は年齢や門地を超えて実に多くの人々と交流した。展示の解説に紹介されている抱一の知人友人の出自は、将軍家に近しい大名家、公家、中級以下の武士、豪商、豪農、町人、職人、等等、実にバラエティーに富んでいる。年齢層も、父や祖父に近い世代から、同世代、子供や孫に相当する世代など、実に様々だった。これらの人々との華麗なる交流から、抱一はその作品に象徴されるように、高貴な出身を奢ることのない慈愛に満ちた温かい人柄であったであろうことがうかがえる。身分と年齢を超えて時代を代表する人々と接した抱一は、大変幸せな人間だったと感じる。 この日展示室で多くの抱一作品に囲まれている時、決して誇張ではなく私は、抱一が天上からこの部屋に下りてきて、そこに立って「皆の衆、よく足を運んでくだされた。感謝つかまつる。」と微笑んでいるような気がした。抱一の肉体は昇天しても、彼の魂と情熱は作品に宿って今日に脈々と生き続けていることを実感した。 今回あらためて、自分は心底、酒井抱一という芸術家に惹かれていることを再確認した。そう感じたのは本稿を執筆している時、本ブログにアップする内容は自分にとってはすべて興味をそそられる好きなものなのだが、多忙の時などは文章にまとめる際にそれなりの苦痛を覚えることも多い。しかし抱一に関しては、殺人的に忙しい時期であったにもかかわらず、苦しみを感じることはなかった。 日本が未曽有の国難に直面し、自身にも多くの試練が課せられた2011年、この年に見た抱一作品は、特に心に響くものがあった。今後も引き続き、抱一ファンをマイペースで続け、新たな発見を楽しみにしている。 酒井抱一という芸術家は近年大いに注目されているが、まだその真価が十分に認知されているとは思えない。個人的には、抱一を主役にした映画かテレビドラマでも制作されれば、より多くに知られるのではとも感じている。 難しいとは思うが、来年に京都に巡回する本特別展最終回も、行かれるのであれば出向きたい。今後また、抱一や弟子の作品を紹介する展覧会が実現することを心待ちにしている。
[見学日] 2011年11月5日(土)
[会 場] 千葉市美術館 待望の表記展覧会、前期見学時は6時閉館で少々物足りなさを感じたので、8時まで延長している土曜日にスケジュール設定した。当日は会場に赴く道中から【夏秋草図屏風】との再会に心躍った。新京成線・千葉中央駅構内の店で昼食をとった後、徒歩で現地に向かった。 今回の展覧会ではリピーター割引が適用された。出品目録は展示番号順ではなく章も記載されていないので、ここの部分の確認もかねて、前回以上に念入りに鑑賞した。 ●一章 姫路酒井家と抱一 最初のコーナーに展示されているのは酒井家代々の書画、【佐野の渡り図】は抱一の父・酒井忠仰が画を、母・里姫が賛をかいている。抱一は幼くしてこの両親と死別しているが、芸術の才能は血筋がなせる技だったことがうかがえる。 抱一の兄・酒井宗雅の【夢・蝶】には画を描いた抱一の花押も見られた。展示ケースの中の宗雅の日記には抱一の幼名<栄八>の名が何箇所か見られ、兄弟愛が感じられた。 何点か作品が展示されていた<松平乘定(のりさだ)>は名前からも血筋がうかがえるが、抱一の母方の叔父で老中まで務めた人物とのことだった。画風も後の琳派を彷彿とさせ、政治家と芸術家双方の才を持つ人物だったことがうかがえる。 また酒井家の家臣・松下高徐が編纂した【摘古採要】には、抱一が一時住んでいた本所番場(現在の東京都墨田区)の屋敷のが収録されていて、浅草川(隅田川)をはさんだ向いに<駒形堂>がみられる。 ●二章 浮世絵制作と狂歌 大名家の御曹司・抱一は幼い頃より様々な芸術をたしなんできたが、今日知られている抱一のスタートは狂歌、絵画は浮世絵から始まった。このコーナーには寛政の改革以前の、庶民階級の狂歌仲間と活発に活動していた尻焼猿人時代の史料や、その頃描いた美人画などが展示されていた。 解説には、四方赤良・宿屋飯盛・喜多川歌麿・等等、そうそうたる面々が名を連ねている。これら当代一流の文化人との交流が抱一の芸術に磨きをかけ、後に幾多の傑作を生み出す感性の下地作りになったのは間違いない。 絵草子の類にも最近とみに惹かれているのでこのコーナーの展示も心に残ったが、特に印象的だったのは【手拭合】、当代文化人が紙上で手拭いのデザインを競う趣向の本で、抱一は鷹を描いている。画はかの山東京伝、歴史の授業では戯作者としてしか触れられないが、最近様々な展覧会で絵師として作品や硬派?な著作を目にし、その多才ぶりに俄然注目している。今後ますます、目が離せない存在となりそうな気がした。 ●三章 光琳画風への傾倒 ●四章 江戸琳派の確立 ●六章 江戸文化の中の抱一 * 当日の記録と図録を照合すると、四章と六章が入れ替わっており、展示室の関係かもしれません。また記録では六章は7階となっていますが、これは誤記で8階だったような気がします。この3章についてはどの作品がどのコーナーという明確な区別がつけられないので、まとめて記載します。 いよいよ抱一らしい?作品の登場、今回は展示数も多く、興奮と感動は並々ではない。10余年前に抱一のファンになって以来、多くの展覧会に足を運んで様々な抱一作品を見てきたが、今回ほど大規模かつ多くの作品が一堂に会したことはなく、興奮と感動もひとしおだった。とりわけ今回は、美術書などにも紹介されていない作品も多く、抱一の新たな一面に触れたように思う。 【月次図】は簡素な画風ながら後年を彷彿とさせる私好みの作品、特に【六月 団扇に夕顔図】【九月 墨菊図】が気に入った。 今日にも伝わる亀戸天神の神事を描いた【鷽替画賛】や、馴染みの吉原遊郭の主人をユーモラスに描いた【大文字屋市兵衛図】には、この日も目がいった。 【梅屋花品】は著者・佐原鞠塢が向島に新梅屋敷を開設して植えた梅の品種を記したもの、抱一は<百花園>の命名者ともいわれ挿絵を描いている。 【播州室津明神々事棹歌之遊女行列図】は室津・賀茂神社の<小五月祭>の様子を描いたもので、姫路観光の最終日に室津まで足をのばした時のことが懐かしく思い出された。個性的な落款も印象的だった。なお印からこの作品の所有者は【甲子夜話】の作者・松浦静山だったことが分かる。解説によると静山は抱一よりわずか一歳年上、生活していた平戸藩邸があったのは東京スカイツリーで沸いている現在の墨田区、雨華庵他の抱一邸からも遠くなく、両名は面識があった可能性もある。 【四季草花金銀泥下絵和歌巻】を見て、多くの人は光悦と宗達のコラボ作品を連想しただろう。 本日は【光琳百図】と、オリジナルである尾形光琳の【飛鴨図】をあわせて鑑賞することができた。 六曲一双の【四季花鳥図屏風】(陽明文庫蔵)は後期展示の目玉、鮮やかな金地に上等な絵具で描かれた、眩いばかりに豪華で華やかな作品、フィレンツェで見たやはり大好きなボッティチェリの【春】が思い出された。琳派モチーフの集大成ともいえる画題は私好み、特に雪の表現がたまらない。感激で言葉を失いながらしばし見とれた。 歩みを進め、いよいよ待望の作品と感動の再会、【夏秋草図屏風】とその草稿に関しては、表現すべき言葉が見当たらない。この作品に関しては多くの解説もあり、感想については筆力のある方の別のブログにお任せして、ここには感動で胸がふるえたとだけ記したい。 抱一作品の中では最高に好きな【十二ケ月花鳥図】(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)十二幅とも感激の再会、この作品が展示されている8階ラストの小展示室のベンチでしばし足休めしながら、「いつまでもこうしていたい。このまま時間が止まってほしい。」と真剣に思いながら、名画が放つオーラに酔いしれた。
第3章・1 法然をめぐる人々
法然ゆかりの人々が登場するこのコーナーのスタートを飾るのは【七箇条制誡】**、専修念仏の停止を求めた天台宗徒に対し、弾圧回避のために門弟たちに示した制誡の書である。箇条書きの制誡、「これに背く者は門人ではない」という内容の文章、日付と<沙門源空>の署名花押に続き、門弟数十人が署名している。寂西(信実)、蓮生(直実)、僧綽空(親鸞)、等等そうそうたる面々に、法然が生きた時代を肌で感じる思いがした。ここに署名した人々は、古代から中世へと大転換した激動の日々を生きぬいたのである。この史料の所蔵は二尊院、嵯峨野散策が懐かしく思い出される。 【阿弥陀如来立像】*は本特別展珠玉の逸品、法然の一周忌に弟子・源智の発願により制作され、胎内には46000名もの結縁交名が納められていた。残念ながら今回は胎内納入品は出展されていないが、傍に解説とあわせて展示されている写真には平清盛や源頼朝のような有名人から無名の庶民まで、多くの名が見られる。像の作者は快慶レベルの名仏師とみられる。この作品は本日特に心に残り、何度も繰り返し鑑賞した。 【末代念仏授手印】には花押と署名もあり、古文書としても興味深い。 第3章・2 親鸞をめぐる人々 妻子や子孫がいて多くの直筆書状を残した親鸞のコーナーからは、より人間的な存在感が感じられた。 【藤原有範絵像】のモデルは親鸞の父と呼ばれる。幼き親鸞ゆかりの地ともいわれる日野法界寺はかなり昔に訪れた。親鸞の書状や妻・恵信尼の肖像・書状、両名の子や孫ゆかりの展示、等等、どれも興味深い。 あわせて、浄土真宗の基盤を築いた親鸞の弟子たちやその系譜の人物に関する展示もされていた。多くは今回初めて知る名だが、居並ぶ品々から存在感がよりリアルに感じられた。円慶作【顕智坐像】*(栃木・専修寺蔵)は文字通り生けるがごとき彫像で、慶派作品の真髄を堪能できる逸品だった。 第4章 信仰のひろがり 展示のフィナーレは、両名の教えの広がりを伝える展示の数々、このコーナーでも仏像・仏画・五輪塔・等等、多くの名品に出会えた。 【阿弥陀三尊坐像】*(神奈川・浄光明寺蔵)はやや横向き加減のポーズをとる脇侍が印象的、傍らに展示されている胎内納入物も興味深い。鎌倉彫刻はまさにタイムカプセルである。 ≪名号≫は真言密教の曼荼羅のような真宗信仰の必須アイテム、本日は親鸞筆の貴重な史料を複数見ることができた。浄土真宗を含めて中世初期に台頭した新興仏教が教義上必ずしも仏像を必要としなかったことが、古代より続いてきた仏像制作を下降させる原因となったのだろう。 また今回は、親鸞の聖徳太子信仰に関する展示も見られた。太子の絵伝や像の中には、おそらく以前に当館で開催された≪聖徳太子展≫の時に見た作品も含まれているだろう。 【熊野懐紙】**(京都・西本願寺蔵)はそこに名を記した後鳥羽天皇や高級公家に相応しく優雅で格調高い名品、没落する朝廷が最後に放った輝きのように思えた。 締めくくりは円山応挙の【竹雀図襖】、親鸞を祖とする本願寺は日本が世界に誇る江戸絵画の誕生に大きく貢献したといえる。 例によって一通り見た後、心に残った作品を中心に何度も見直した。 本特別展も展示替えがあるので、入場直前に本日しか見られない作品をチェックしてこれらは特にしっかり見ようと心に決めていた。しかし実際に鑑賞をし始めると素晴らしい展示の目白押しで、手元のリストと照合する余裕はとてもなかった。 あっという間に時間が経過、午後からは仕事に出なければならないので、可能な限り心に刻むべくギリギリまでひたすら見続けた。時刻は正午をまわり、名残りを惜しみつつ会場をあとにする。本館経由で帰路につき、歩きながら企画展示を流して見た。 何としても展示替え以後に再度足を運ばねばならないと決意したことは、言うまでもない。
[副 題]法然上人八百回忌・親鸞上人七百五十回忌 特別展
[見学日]2011年10月27日(木) [会 場] 東京国立博物館 平成館 以前開催された特別展で当館を訪れた時にチラシを入手した本特別展、迷わず見学を決心する。芸術の秋を迎えて休日は混雑すると思い、無理して年次休暇をとって平日の午前に足を運んだ。しかし平日午前にもかかわらず、会場内はけっこう混雑していた。(**は国宝、*は重文を表します) 第1章人と思想 第1章には、法然と親鸞の肖像画や著作(直筆含む)、またその生涯を解説したイラスト入り年譜などが展示されていた。両名の一生については新たに説明の必要がないのかもしれないが、一般に知られているそれは激動の人生のごく一部であることを展示から実感した。 複数の【法然上人像】に続いて展示されていたのは【選択本願念仏集】**(京都・廬山寺蔵)、巻頭と内題は法然自筆と言われ、所々に訂正があることから草稿とみられる。解説によると、この著作は九条兼実の要請によって撰述されたという。 【源空(法然)・証明書状】は、かの熊谷直実の質問に答えたものだという。直実が息子と同年代の平家の公達・敦盛を討った無常観から出家したというのはフィクションで、本当の原因は所領争いという極めて俗世間的なものだったらしいが、直実が平家物語の作者が生み出した架空の人物ではなく実在した鎌倉幕府御家人であることを、この展示から再認識できた。なお、この後もしばしば登場する法然の高弟・証空は、由緒ある公家の出とのことだった。 親鸞の書も、肖像画の後に多数展示されていた。【教行信証】**(京都・東本願寺寺蔵、訂正あり)、【見聞集】*(三重・専修寺蔵、唯一の平仮名書写)、等等、800年の時を超えてありし日の親鸞のゆくもりを伝える展示の数々に、しばし見入った。 【観無量寿経註】**(京都・西本願寺蔵)は特に心に残った展示の一つ、行間や余白・紙背にまでびっしり書き込みがされ、親鸞の学識の深さ・信仰に対する真摯な姿勢が感じられた。 蓮如筆【歎異抄】*(京都・西本願寺蔵)も今回の見ものの一つ、日本史の教科書でも紹介されている有名な≪善人ナオモテ...≫の一節は第三条である。この史料を基に書かれた倉田百三の【出家とその弟子】は、高校時代に流し読みしたが内容は詳細は忘れてしまった。 第2章 第2章は両名の生涯を描いた絵図や絵伝などを展示、個人的には絵巻物は好きなジャンルなので(これは漫画と共に成長したことに起因しているのかもしれない)、このコーナーの展示も強く心に残った。中には掛け軸のものもあった。 【法然聖人伝絵】*(個人蔵)と【法然上人伝絵】*(東京国立博物館蔵)の他、同じシーンが描かれている別個の作品を見比べた。 また、これまでに旅行で両名ゆかりの地を何度か訪れたことがあるが、【法然上人行状絵図】**(知恩院蔵)の室津のシーンなどは旅先での思い出を回想しながら鑑賞した。 【拾遺古徳伝絵】*(茨城・常福寺蔵)は、法然の【往生要集】の講義に感銘した後白河法皇が藤原隆信に描かせたものだという。 親鸞の生涯を描いたものでは、曾孫・覚如が詞書を書いた【善信聖人絵(琳阿本)】*(京都・西本願寺蔵)が印象的だった。 展示作品の制作年代は鎌倉時代から江戸時代にまで及ぶ。時代が下ると、教団によって始祖を神格化する目的もあったのだろうと思った。
[聴講日] 2011年10月16日
[会 場] 千葉市美術館 [講 師] 小林忠氏(当館館長) 千葉市美術館のHPで表記講演会の情報を得た時、抽選に当たって聴講できるならこの日に行こうと決意し予約のハガキを出す。私はくじ運が極端に悪く、これまで試写会やイベントの応募に関してはほぼ全滅に近い人生を送ってきたが、天に願いが通じたのか前回の講演会に続き当選できた。 当日は開始30分ほど前に到着し、展示を軽く見た後、エレベーターで会場階へと移動、入口でレジュメ等をいただき着席して始まりを待った。 定刻になり、まずは当館の方が講師・小林忠館長を紹介、続いて先生が登壇される。 挨拶に続いて、今回特別展実現の経緯等に関する説明、姫路市の美術館長さんからお誘いがあったという。 その後はスライドも含め、抱一の生涯と作品について詳しく解説していただき、今回も大いに触発された。以下に印象に残った内容と、それに対する感想をMCという形で列記します。 ●(抱一の生涯について説明しながら)姫路藩主の家柄に生まれた酒井抱一は、青年期は書画や俳句・狂歌などに親しみ、詩人としての一面もありました。次男の彼には、賛を書いた作品が本日展示されている土井利厚家の他にも多くの家から養子の話があったがすべて断っています。37歳に武士を捨てて出家し、権大僧都となりました。 本名は忠因、他にもいくつか号がありましたが、<抱一>という名には老子思想・隠遁趣味が感じられます。 ●私は学習院大学で教鞭をとって早28年となりました。この間、優秀な教え子が何人か輩出しました。自分でいうのもなんですが、私は弟子の育成はけっこう上手いと思っています。私はあまり教えません。それでいい研究者が育つのです。 [MC] 今回の展覧会では各地で活躍されている小林先生のお弟子さんたちの努力により実現した。抱一ファンの自分にとっては、先生とお弟子さんは大恩人といえる。 続いて、酒井抱一に関する研究本数冊も紹介、手元にあるか図書館で借りるかして既読の書籍に続き、「何としても極めつけはこちらです。」と手にとられたのは、もちろん本展覧会の図録も兼ねた分厚い書籍、さすがに重くてこの日は購入できなかったが、間もなくネット通販で入手した。 ●酒井抱一は敬愛した尾形光琳と同様、次男でした。この次男というところがミソです。次男は長男に比べれば身軽で気楽です。私・小林忠は実は三男なのですが、長男は40代で亡くなりました。いろいろ責任や気苦労があったのでしょう。しかし三男の私はあまり大きな病気もせずに古希を迎え、大学も本年度で定年となります。 ●(抱一以前の琳派について)第一世代の本阿弥光悦は活字本(嵯峨本)の出版を手掛けています。 第二世代の尾形光琳は本名は方祝(まさとき)、酒井家を含めた大名家の家臣として一時期江戸で暮らしていました。その後帰京し、2階の日当たりの良いアトリエで制作活動をしたようです。 俵屋宗理はかの葛飾北斎の師匠です。 ●(本日は抱一の弟子たちに関しても詳しい解説がありました) 鈴木其一は紫染職人の子から酒井家の家臣にとりたてられ、150人扶持の武士となりました。これは今日でいえば年収千万円クラスに相当します。初めは<噲々其一>、後には<菁々其一>の画号を名乗りました。【根岸略図】によると、雨華庵の隣に居を構え、しばしば師の代筆も行っていたようです。なお、抱一の大親友である漢学者・亀田鵬斎もすぐ近くに住んでいました。 田中抱二は17歳の時に師・抱一と死別していますが、時代が下って明治16年に雨華庵の見取り図を回想で描きました。また彼は≪<六月二日光琳忌扇合≫とも書いていますが、実はこの日は乾山忌でもあります。さらには≪稽古日一六 マト上へ惣画致 下マト≫とも証言しています。 [MC] 他にも酒井鶯蒲や池田孤邨についての解説があった。弟子たちに関する解説は、本日特に心に残る内容だった。雨華庵とそこでの画塾の様子を詳細に伝えてくれた抱二の功績は本業にひけをとらないだろう。 なお余談だが、河鍋暁斎は若い頃に其一の娘きよと結婚している。子供のないまま2年ほどで死別したが、其一のことを知ってから、自分の好きな複数の絵師の思いがけないつながりに驚きと感激を覚えた記憶がある。 ●(【夏秋草図屏風】についてはスランドで各所を示されながら特に詳しい解説があり、並々ならぬ思い入れがあることがうかがえました) この作品が出品されない酒井抱一の展覧会はサビの効いていない寿司のようなもの、私はサビぬきの寿司は食べませんので、何としても出展したいと思い、国所有の重要文化財なのでいろいろ苦労しましたが、本館の後期に展示が実現しました。 私が東京国立博物館の学芸員をしていた頃は、【夏秋草図屏風】は光琳の【風神雷神図屏風】の裏面絵でした。このあたりに私の手垢がついているはずです。その後現在のように別々に仕立て直されました。 近年この作品の大下絵とそれに付属する書付が発見され、誕生の経緯が明らかになりました。課題レポートともいえる書付によると、この作品は十一代将軍・家斉の父である一橋治済の注文により制作されました。表と比較すると、天と地、金と銀、神と季節の花、といった対比が見られ、抱一の俳諧的精神も感じられます。 [MC] 私も自分にとってのNo.1ではないがこの作品はとても好きなので、上野での二回の対面?に続き今回再会の運びとなったのは、大変嬉しい。下絵もあわせて展示されるということで、後期が待ち遠しい。 ●来年にはニューヨークで抱一展が開催される予定です。お金と時間のある方はぜひ見に行って下さい。(また、ハリソン氏所蔵【月の女郎花図】や、最近発見されたという【乾山花籠図写し】についても解説があった。) [MC] 先だってもドイツで葛飾北斎の展覧会が開催され、大きな反響を呼んだという。来年ニューヨークに行かれる可能性はほぼゼロだが、私はいつか外国で開催される日本美術の展覧会を見たいと思っている。日本の美術が外国で認知され多くの人々に感動を与えている現実を、自身の目で確かめたいから。 あっという間に時間が過ぎ、最後はやや駆け足に近かったが、愛してやまない芸術家・酒井抱一について、記念すべき今年に日本屈指の研究家である小林先生から解説をいただけた喜びは計り知れない。本講座は間違いなく、自分の中での抱一の新たな一歩となるだろう。 終了後にわずかの時間だが小林先生とお話しする時間が得られ、抱一と江戸美術に対する自身の並々ならぬ思い入れを聞いていただき、「大変失礼な言い方かもしれませんが、私は先生と好みがあいます。」と付け加えると「いい趣味をされています。」と穏やかに微笑んでいただけた。 あらためて、小林先生の益々のご健勝をお祈りするとともに、また企画展や講演会でお目にかかれる日を心待ちにしている
歩みを進めて8階最後の小さな展示室に入った瞬間、感動と興奮とで胸が一杯になる。
展示されているのは【十二ケ月花鳥図】(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、多くの抱一作品の中でもこれは特に大好きで、皇居東御苑を訪れた時には絵葉書を購入した。抱一生誕250年の今年、三の丸尚蔵館で公開されないかと度々HPをチェックしていたが情報がなく、残念だが年内対面は無理そうだと諦めかけていた。それだけに本日この会場で十二幅全てを見られたのは文字通りサプライズで、夢中で食い入るように見ていった。四季花鳥は自分にとっての抱一の真骨頂、とりわけこの作品は格調高い江戸琳派の金字塔、ため息が出るほど上品で美しくそして繊細、いつまでもこのまま見続けていたいと真剣に思った。個人的には【十一月 芦に白鷺図】がもっとも気に入っている。振り向く白鷺の表現が心に残る逸品である。一方で本日あらためて全幅見てみると、他の幅も全て素晴らしい。【七月 玉蜀黍朝顔に青蛙図】の葉上の蛙、【十二月 檜に啄木鳥図】の木の向こうから覗く啄木鳥、四季の移ろいや小動物に対する慈愛に満ちた抱一の視線が感じられる。 階段を下りて7階の展示室へと向かう。 *以下に記載する作品の中には8階に展示されていたものもあるかもしれませんが、記憶が定かでないので当日のメモの順番に記します 7階展示室の最初は、抱一が手掛けた工芸衣装の数々、敬愛した光琳作品を彷彿させる【白繻子地紅梅文様描絵小袖】に始まり、蒔絵の盆や茶箱・盃・印籠・櫛・茶器、等等、やはり雅びな抱一ワールドに陶酔した。原羊遊斎とのコラボによる蒔絵作品は数年前の≪大琳派展≫で何点か目にし、以後こちらも大ファンとなったので、本日の再会はとても嬉しい。【原羊遊斎下絵帖】も心に残る展示だった。 あわせて、我が歌川国貞の【江戸自慢 仲の町灯籠】も展示、モデルの遊女は抱一の落款が入ったコウモリの団扇を手にしている。隣に展示され【猫と遊ぶ美人】(魚屋北渓作)の中にも「抱一」円印入りの衝立が描かれていて、馴染みの吉原で抱一ブランドが絶大な支持を得ていたことがうかがえる。 展示室内は他に、抱一が描いた仏画が展示されていた。こちらにも四季花鳥図とは違った魅力がある。 【隅田川窯場図屏風】は現在の台東区内にあった今戸焼の窯場を描いたもの、左双には雄大な筑波の山々と隅田川の景観をシンプルだが味わい深く描いている。近くで生活していた抱一には馴染みの風景だったのかもしれない。余談だが、抱一命名といわれる向島百花園では≪隅田川焼≫が生産されていたが、残念ながら現在では絶えてしまっている。 展示の後半は抱一の弟子たちの作品を展示、稀代の芸術家だった抱一は後進の育成という点でも不滅の功績を残したことを体感した。 見所はやはり一番弟子の鈴木其一、彼の名を知ってからまだ日は浅いが、その作品に接するたびに魅せられ、現在では大ファンになっている。国内に現存する作品はあまり多くないとも聞いていたが今回の展示数はこれまでの最多、師・抱一を継承しつつも独自の画風を確立した其一の世界にしばし陶酔した。居並ぶ作品群を見ていると、一部については抱一を凌駕しているのではないかと感じる。 【夏秋渓流図屏風】と感動の再会を果たす。鮮やかな青の渓流、優雅な白百合、色づいた秋草、私の好きなモチーフが集約された珠玉の逸品である。 他の作品もすべて心に残ったが、【群禽図】中央のユニークな梟、若冲作品を思わせる【蔬菜群虫図】などが特に気に入った。【翁図】【猩々舞図】などの能画も素晴らしく、其一はあらゆるテーマと技法をこなすオールマイティな不世出絵師だったことを再確認した。 其一以外の弟子の作品にはこれまであまり接する機会がなかったが、本日はこの方面の展示も充実していて見応えがあった。注目したのは池田孤邨、其一と肩を並べる逸材だったと感じる。抱一が賛を書いた【墨田川遠望図】は、江戸博の特別展≪隅田川≫で扇型の落款を目にした記憶がある。 期待にたがわぬ素晴らしい内容で、何度も7階と8階の間を往復し、繰り返し見入った。気がついたら閉館まで30分を割り大慌て、残念ながらラスト近くの弟子たちの作品をより入念に見直すことができず急ぎ足で再鑑賞した。 正直ここまでスケールの大きな展覧会とは思っておらず、【十二ケ月花鳥図】など想定外の作品に対面できるなど、インパクトとサプライズにおいては近年稀にみる美術展だった。毎度のことながら、展示の素晴らしさにおいては自分の拙い文章力では到底表現できず、ご自身で現物か刊行された図録を見ていただきたいとしか記せない。 【夏秋草図屏風】が展示される後期が楽しみである。
[見学日] 2011年10月16日(日)
[会 場] 千葉市美術館 以前から心待ちにしていた表記展覧会、秋口に入ってからは千葉市美術館のHPをマメにチェックし、開始間もない10月16日に小林忠館長の講演会聴講とあわせて見学した。 当日は京成線・千葉中央駅構内で昼食をとった後、徒歩で現地へと向かった。 入館料を支払って出品目録をもらうと、まずは前期のみ展示の作品を見落とさないようにチェックした。途中、小林先生の講演会をはさみ、閉館ギリギリまでじっくり鑑賞した。 展示室に入ると、まず迎えてくれたのは【桜に小禽図・柿に小禽図】、柿の橙色と鳥の青が印象的だった。 スタートは≪プレ抱一≫≪プレ江戸琳派≫ともいうべき内容、抱一の兄・酒井宗雅などの作品が展示されていた。36歳で早世したこの兄が文学や芸術に造詣が深かったことはよく知られている。若き抱一(幼名は栄八)にとってこの兄の存在は極めて大きかったことが展示からもうかがえる。 抱一の叔父・松平乘完の【秋叢草露図】は、琳派を彷彿とさせる画風の作品だった。 いよいよ待望の抱一作品登場、抱一ファンになってから彼の作品が見られる展覧会には可能な限り足を運び、多くの関連書にも目を通してきた。だから抱一作品はそれなりに知っているつもりだったが、今回はどの書籍にも紹介されていない作品が多数出展されていて、自分にとっては文字通り涙ものの展覧会だった。 どの作品も大変素晴らしく、心に残った作品の感想を記載することは到底不可能である。毎度のことながら、ご自身の目で見ていただくか、展覧会にあわせて出版された同タイトルの書籍を読んでいただきたいとしか、記せない。 個人的に好きな抱一画は、鮮やかな色彩で格調高く描かれた【十二ケ月花鳥図】のような作品だが、今回は墨のみで描かれた作品や、さらにはやはり上品な書にも、心底魅せられた。 【元禄美人図】は、秋草に流水の着物柄が印象的だった。 【燕子花図屏風】は、≪琳派の色≫ともいえる群青の燕子花の中に白を混ぜ、斜めに伸びた葉にとまる鉄漿蜻蛉がアクセントを加えている。 【麦穂菜花図】はこれまで見聞した抱一作品からはやや異例の印象を受けたが、やはり目がいってしまう。 【鶯賛画賛】(うそかえがさん)は、我が歌川国貞の地元・亀戸天満宮の神事で使われる≪うそ鳥≫を描いたもの、この鳥を参詣人が持ち帰って交換すると悪いことがうそになると言われている。現在も続く神事を、亀戸からさほど遠くない場所で生活していた抱一が知っていたことを伝えるこの展示は、特に心に残った。 【摘芳集】は抱一の盟友だった大田南畝や山東京伝が揮毫し、抱一が巻頭を飾っている。 抱一が若い頃から足繁く通った吉原の季節の風俗を描いたのはその名のとおり【吉原月次風俗図】、シンプルな線が往年の様子を生き生きと伝えている。 【雪舟写金山寺図】は抱一が墨画の才能をいかんなく発揮した逸品である。 異色の【ヒポクラテス像】からは、抱一も洋風画の影響を受けていたことがうかがえる。 【青楓朱楓図屏風】は高価な絵具をふんだんに使用した煌びやかな作品、木の苔の表現も美しい。弟子・鈴木其一はこの作品の波の表現を手本に【夏秋渓流図屏風】を描いたのではと思った。 【乾山写花籠図】は個人蔵で今回初公開となる目玉作品、押印されている印は現在のところ他の作品には見られないという。抱一は光琳の弟・乾山の顕彰も行い、彼の作品も独自にアレンジして模写した。 【十二ケ月花鳥図屏風】(六曲一双、香雪美術館蔵)は同タイトルの他の作品よりは小ぶりで地味だが、個人的には大いに気に入った。其一かせ手本としたであろう向日葵や、ユーモラスな梟に特に惹かれた。 【四季花鳥図巻】はおそらく所蔵する東京国立博物館で以前見たことがある。私好みの画風とモチーフで、本日ここで見られた喜びは計り知れない。 【襖に秋草図】は襖四面全体に得意の秋草を描写、その草むらから兎が勢いよく飛び跳ねている。
第二展示室も≪スケッチと真景画≫の展示が続いていた。
入室早々に嬉しい展示が目に飛び込んでくる。【両国川開図】、この画風はまさに歌川国貞、本日ここで国貞作品に会えたのはまさにサプライズで感激もひとしおだった。船に掲げられた<歌川丸><香蝶丸><英丸>などは自身のCM、いかにも国貞らしい作品だった。 長谷川雪旦の下図、雪堤の画による【高崎屋絵図】は、現在の文京区の大酒屋の様子を描いたもの、店先に積まれた26種の酒は上方産から江戸のものまで商標が正確に書かれている。庭も豪華で、高崎屋が大豪商であったことがうかがえるリアルな作品だった。 蹄斎北馬作【浅草寺境内図屏風】には群衆が細かく描かれ、頭の中に現在の様子を思い浮かべて比較した。 ≪事件≫ このコーナーの作品はわずかだが、日本史上特筆する事件を伝える史料として、いずれも興味深いものだった。 羽川藤永作【朝鮮通信使図】は貞秀の横浜絵を思わせる構図で朝鮮通信使の行列をダイナミックに描いている。往来の見世から見物する人々の様子からも、当時は名物だったことがうかがえる。 【文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図】は以前に所蔵する江戸東京博物館の展覧会で見たことがある。名もない一市民の作と思われるが、庶民が残した大事件の記録として貴重な史料だと思う。 プチャーチン一行の軍艦を描いた図巻も展示されていた。 ≪博物趣味≫ このコーナーの作品からは、幕末期までには西洋の影響を受けた日本の博物学も相当な水準に達していたことがうかがえた。 【群獣図屏風】は作者の応挙が愛した子犬の他、虎や象、山羊などが描かれていた。 狩野探幽作【獺図】は、水かきや毛の表現などに、探幽の卓越した写生技法が感じられた。 彼らのような有名な絵師とあわせて、大名や旗本の作品もしくは編纂した画集が展示されていた。 旗本・小田野直武作【鷺図】には、抱一描く鷺とは全く違う美しさがあり、菖蒲や牡丹が華やかさを添えていた。 堀田正敦は仙台藩出身で竪田藩主の養子となり佐野藩主になった人物とのこと、彼が編纂した【禽図】は当時のお殿様の学問に対する造詣の深さを伝える貴重な史料で、展示に添えられているフクロウ博士はここからの抜粋である。 中央のケースには動植物の図譜が展示され、貝や魚そして多くの植物のリアルな表現に感嘆させられた。 当時の大名の間には同一の研究テーマのネットワークがあり、互いに手元の資料や情報を提供しあっていたらしい。私は大学のゼミは近代史だったが、幕末維新期が専門の恩師が「この時期の大名の中には、今時の卒論よりよっぽど立派な著作を残している人物がいる。」という内容の発言をされていたことを思い出した。研究成果を形にして残すために、力のある絵師を御前に召したのだろう。 展示のラスト近くで見かけたのは高橋由一らが画した【博物館魚譜】、金目鯛の鮮やかな色彩表現が印象的だった。中島仰山作【うみがめノ図】【サケノ図】は、当時の人々を大いに触発しただろう。 本展覧会で、博物学を含めた江戸時代の日本の学問水準の高さを感じることができた。江戸時代の識者は鎖国下であっても外国からもたらされた技術や学問を着実に日本に根付かせていたことを展示は証明していた。現代を生きる我々は、実直で勤勉な先人の姿勢を見習わねばならないだろう。 あわせて、味わい深い情感作品で我々を魅了する応挙や探幽が、写実においても並々ならぬ才能を発揮していた事実を伝える展示にも触れることができて、大変感激した。 予想にたがわず見応えのある展覧会で、当館到着時は見学後に周辺散策かどこかに立ち寄ろうかとも思っていたが、結局閉館直前まで見続けた。当館の難点は交通アクセスがよくないことだが、それを補ってもなお足を運ぶ価値がある。 帰路はバスで再び成増に戻った。 駅前で少し早めの夕食をとったが、この辺りは物価が安いらしく、地元より安い料金でたっぷり食べさせていただいた。
[見学日] 2011年10月7日(金)
[会 場] 板橋区立美術館 新聞の特集で知った表記展覧会、池大雅など好きな絵師の作品が展示されるというので、ぜひ見ようと決意した。 10月7日の金曜日は検査のため年次休暇を取得、病院を出た後に最寄駅ビル内で買い物と昼食を済ませ、地下鉄で現地へと向かった。地下鉄成増駅前からバスが出ているが、バス停に行ったらあいにく出たばかりで次は30分後、時間節約のため少々贅沢してタクシーを利用した。 当館は区立ながら非常に良い企画展を行うことで知られている。自身がここをを訪れるのは今回が二度目、前回の英一蝶の展覧会がとても素晴らしかったので今回も期待している。 入館料を払い、1階のロッカーに荷物を預け、会談で2階に上がって見学を開始した。 ≪スケッチし真景図≫ 配布されたシートに書かれた<図譜とスケッチと真景図と事件。リアル・タイムな江戸からの視線。>というキャッチコピーそのままに、本展は江戸期に写生に対する感覚を概観するものである。 今回は2つの展示室の他に、室外にも展示がされていて、解説パネルと共にまずはそちらから見始めた。【(反射式)眼鏡絵 三十三間堂図】(円山応挙作)、【広尾親父茶屋図】(司馬江漢作)、【大日本金龍山之図】(亜欧堂田善作)など、スタートから巨匠の作品で俄然興奮した。葛飾北斎の【地方測量之図】は江戸時代の測量の様子を如実に伝えていて興味深い。あわせて後述の【日本沿海輿地図】のレプリカも展示されていた。いずれの作品からも、江戸も中期以降になると、学問や芸術・技術など様々な分野で西洋の影響が顕著になってきたことがうかがえた。 第一展示室に入る。今回は各作品に<ふくろう博士の一言>というミニコメントが付記されていた。 狩野探幽作【草花写生図巻】は芍薬や牡丹などをさっぱりとした粋な画風で描いた美しい作品だった。 池大雅らによる【三岳紀行】は、大雅が白山・立山・富士を巡った時の絵日記を屏風に仕立てたもの、この類の作品好きなのでじっくりと見入った。傍らには所有者である京都国立博物館が作成した解説ファイルが置かれていたが、残念ながら持ち出しも複写もできなかった。 【日本沿海輿地図】(重文)は今回の大きな目玉の一つ、この地図と制作者・伊能忠敬については改めて説明する必要もないだろう。幕府への上納品は焼失し展示されているのは小図、それでも3枚で壁面の展示ケースがいっぱいになる。当時としたは最高レベルという精巧さにも驚嘆させられ、あらためて、忠敬の業績の偉大さを実感した。 大雅の【児島湾真景図】【比叡山真景図】は、先の出光美術館の展覧会で認知した大雅描く水と船の魅力を存分に堪能できた。 鍬形蕙斎は近年、北尾政英名による浮世絵作品を見る機会があり、注目している絵師の一人、本日展示されている【江戸一目図】も印象深い作品だった。 【袋田滝図】の作者・守住貫魚は今回初めて聞く名だが、帝室技芸員だという。 展示室中央のケースに目をやると、見覚えのある画風にまたまた大感激、【日光地取絵巻】は河鍋暁斎の数少ない風景画とのこと、はるかな昔、埼玉県蕨市の暁斎記念館で購入し重さに苦労しながら必死に持ち帰ったお気に入りの【暁斎絵日記】とも共通点が見出せ、自分にとっては嬉しい展示だった。 応挙の【写生帖】は大変リアルでまるで図鑑を見ているよう、文句なしに本展注目の逸品といえるだろう。応挙といえば味わい深い情感画を思い出すが、100冊ものスケッチ帖も残しているとのこと、写生の画家としても超一流であったことがうかがえる。
第Ⅳ章 達観した笑い-玉堂の極み
このコーナーの作者・浦上玉堂についてはこれまでは名前くらいしか知識がなかった。岡山藩のエリート藩士だったが脱藩し、子供と放浪の旅を続けながら作品を生み出していった。今日流にいえば、ドロップアウトした高級官僚といったところだろうか。従来は「藩で意志が叶えられなかった悲壮の画家」というイメージが強かったらしいが、当時としては老境に入った後に全ての柵から解放され好きな画業に専念する生活は、案外まんざらでもなかったような気がする。既存の価値観が崩壊している現代に生きる自分には、彼の生き方には感じるものがある。 【峰崿隆峻図】(この作品の険しい山や崖、漁をする人々などの表現は素晴らしい)の後ろ向きの隠者など、玉堂作品にしばしば登場する隠者は自らを投影していると思われるが、【密林軼雲図】の庵の中の文人などはマイナスイオンをたっぷり浴びてうっとりしている感すらある。 玉堂の作品は小さめのものが多いらしいが、60歳を過ぎてからは大作も手掛けている。理由は息子が優秀で売れる絵を描いてくれたからだとのこと、極端にデフォルメされた玉堂の作品は同時代の人にはなかなか受け入れられなかったらしい。稼ぎのある子供に恵まれ生活のために画風を曲げる必要がなかった点でも、早期退職後の玉堂のセカンドステージは恵まれていたように思う。 時代が変わり、今日では玉堂作品の真髄が再評価されるようになった。今後も彼の作品は、その個性的な生き方も含めて、ますます注目されていくだろう。 第Ⅴ章 知的な嗤(わら)い-蕪村の余韻 展示は蕪村作品へと移る。出光氏によると「蕪村は俳諧師だったこともあり、その作品は知的でそれなりの教養がないと理解できない面がある。中国の影響を受けた立体的で真面目な作品は、力を蓄えてきた同時代町人に人気で売れる画を残した。」とのことだった。 【寒林孤鹿図】の上目使いで笑う鹿には、俳諧の世界と共通するものがあるという。 六曲一双の【山水図屏風】(重文)は卵型の山がしっかりしているが、「力のぬけた文人」を批判すね意見もあったとのことだった。 出光氏の説に従えば、蕪村は今日でいえばプロの詩人兼画家ということになるのだろう。古典の教養も加えれば文学博士的側面も加わるのかもしれない。その点からいえば、自分は蕪村作品の真価を理解できるレベルには程遠いが、そんな私が見ても彼の画はやはりいいと思う。 第Ⅵ章 笑わせてちくり-仙厓さんの茶目っ気 フィナーレは我が仙厓の作品、繰り返しになってしまうが随所にバロディーも盛り込んだ彼の作品は文句なく楽しい。もちろんその根底には深い仏教思想が流れているのだが、心身が疲労困憊している今の自分はひたすら楽しんで見ていたい。 との作品もいいが、六曲一双の【書画貼交屏風】はやはり心に残った。出光氏の解説がなければ千利休などが描かれているとは気づかなかった。 仙厓さんは一時期引退を宣言して≪絶筆碑≫を建立したらしいが、早々にカムバックした。今回は【絶筆碑画賛】も展示されていた。 なお、正確に記録しなかった(したがってどの作品かは不明)が、このコーナーには仙厓の失敗作も展示してあると出光氏が話しておられたような記憶がある。 本展覧会でも、江戸時代の魅力的な作品を多数鑑賞し、大いに感銘を受けた。以前から好きだった大雅や蕪村・仙厓はもちろん、これまで接する機会の少なかった玉堂の作品の魅力にも触れ、良い刺激を受けたと思う。展示解説では自分では気が付かない細部の見所を示していただき、新たな発見もあり、とても嬉しかった。 あらためて、江戸絵画の真髄に触れたように感じている。展示解説にあわせて抱一・其一の作品を見る予定でいた3月11日、あの悪夢のような大震災が発生し、昨年から楽しみにしていた作品鑑賞は幻となった。いつかぜひ、あらためて当館で復興記念の江戸絵画展覧会が開催されることを切望している。 この日は会場に向かう道中、行く夏を惜しむような蝉の声と、間もなく訪れる秋を告げる虫の声とのハーモニーが聞かれた。秋の彼岸の墓参の直後でもあったが、中国で亡き人の魂の化身ともいわれる蝶の姿も見た。休憩コーナーから眺める皇居の景観も相変わらず素晴らしかった。
[副 題] 「笑(わらい)」のこころ
[見学日] 2011年9月29日(木) [会 場] 出光美術館 表記タイトルの展覧会とくれば、今の自分は見ずにはいられない。残っていた夏季休暇を利用して9月29日の木曜日に会場に足を運んだ。当館での大雅の本格的な展覧会は9年ぶりとのことだった。 幸運にもこの日は午前10時半より、当館学芸員・出光佐千子氏の列品解説を聞くことができた。かなり専門的な内容まで踏み込み、素人の自分には正直よく理解できない部分もあったが、作品鑑賞の上では良い指南をしていただいたと思う。すべてを記せたわけではないが、以下にこの解説を含めた感想を記します。 第Ⅰ章 笑いの古典-瓢箪ころころ、鯰くねくね 【瓢鯰図】(池大雅画、大典顕常賛)はもちろん、如拙の【瓢鯰図】をモチーフに描かれたものだが、大雅流に大幅にアレンジされたユーモラスな作品となっている。室町時代には漢学を用いて遊ぶ禅僧のサークルのようなものがあったという。大雅作品の落款は鯰の髭を模したもので、指頭画の技術も見られる。 第Ⅱ章 無邪気な咲(わら)い-大雅のおおらかさ (出光氏は大雅の履歴を説明されながら)従来大雅はネクラな人間と思われていたようですが、私は大学院で彼の作品を研究し、決してそのような人格ではなかったと感じました。大雅は幼少時から神童の誉れ高く、母子家庭だったので慈母の愛に包まれて育ちました。玉蘭と結婚した後も、母と妻の家を行き来するような生活をしていたようです。大雅の絵には、そのような周囲の女性の優しさが感じられます。 【山邨千馬図】はタイトルのとおり、多くの馬が緻密に描き分けられている。漢詩文のエピソードから唐の黄檗に倣ったことが分かり、大雅の中国への憧れがうかがえる。 大雅作品の大きな特徴に、輸入品のモチーフを独自にアレンジして生き生きとした線で表現していることがあげられる。その典型が唐子で、大雅作品には唐子が多く描かれている。五幅対の【寿老四季山水図】は南極寿老を中心とした作品で、笛を吹く唐子が描かれた【秋幅】は特に味わい深い。月に照らされたきらめく湖面やススキの細やかな表現が心も残る。【竹里館図】は王維の有名な詩を描いたものだが、ここでも唐子が茶を点てている。当館所蔵ではないが、パネルで紹介されていた【洞庭秋月図】での船上で笛を吹く唐子も印象的だった。 今回の展示を見て、水上の船とその上の人物というモチーフに、大雅作品の大きな魅力を感じた。 階段を下りた所に展示されている六曲一双の【十二カ月離合山水図屏風】は本展覧会の圧巻、ポスターやチラシにも用いられている。離合山水も中国の画題だが、彼の国では屏風形式はないとのことでこちらも大雅流、四月の幅には点描が用いられていて、スーラより100年も前にこの技法を開拓していたことになる。大雅は晴れた日には屋外の陽光の下で作品制作をしたという。微笑ましいのは何といっても、さり気なく描かれているアヒルと戯れる唐子の姿、本作品でもサブキャラにスポットをあてる大雅の趣向が遺憾なく発揮されている。 第Ⅲ章 呵呵大笑-幸せを招く笑い型 【腹さすり布袋図】(相阿弥画)は足利将軍家に珍重されたという。 そしていよいよ仙厓登場、【鬼笑画賛】では大笑いする親分鬼と当惑気にそれを見つめる子分鬼が描かれ、意味するところはあるものの、素人目にはとにかく楽しい。 【三福神虎渓三笑画賛】も心に残ったが、仙厓自身は「虎渓三笑だと感違いしてくれるな」と記しているという。【寿老画賛】は担いだ杖をしならせ、のけぞっている。【百寿老画賛】は、百歳を百人、多様に描き分けていた。 最近、様々な展覧会で水墨画や文人画に接し、禅についてとみに興味をそそられている。もちろん今回の展示の背景にも禅の思想があるので、関連書などに目を通してこの方面の勉強を少ししてみたいと思っている。
[見学日] 2011年9月16日(金)
[会 場] 東京国立博物館 平成館 本特別展に足を運ぶのもこの日で三回目、近年は展示替えがある大規模な展覧会は前後期見学するのが恒例となっているが、同じ展覧会を三度見るのは今回が初めて、あらためてスケールの大きさがうかがえる。 会場では本日しか見られない作品や、過去の二回で印象に残った作品を中心に、時間の許す限り念入りに見入った。 【聾瞽指帰】**の展示ケースの前は、本日も大混雑していた。解説によると、経年により作品が弓なりに変形しているため、今回のような展示方法になったという。 【紫紙金字金光明最勝王経】**は見るからに高価な紫紙に端正な写経体で書かれていた。 本日展示されている【真言七祖像】は空海の師・恵果の肖像、画も文字も劣化していて、過去繰り返し使われてきた事実が、ひいてはそれほど重要な請来品であったことがうかがえた。 【兜跋毘沙門天立像】**は本日も念入りに鑑賞、両肩の獅子や胸部と腹部の鬼の造形など、印象に残る。 【板彫両界曼荼羅】*は小品ながら、緻密な完成度には驚嘆させられる。 【釈迦如来および諸尊仏龕】*は、本日は厨子の扉までじっくりと見た。 【両界曼荼羅図(血曼荼羅)】は本日は金剛界を展示、経年による劣化はあっても、表情は肉眼でも識別できる、日本美術史上屈指の逸品である。 何度目かの対面となる【風信帖】**は、先の【聾瞽指帰】に比べるとラフな印象を受ける。 【薬師如来坐像】**(大阪・獅子窟寺)は全期間展示だが、本日特に心に残った。端正なお顔や、螺髪・衣紋の表現が、とても素晴らしいと感じた。、 【増長天立像】*(京都・仁和寺)は、【兜跋毘沙門天立像】と同様にベルト?部分に鬼の造形が施させていた。本日は背後からもじっくりと鑑賞した。 ≪仏像曼荼羅≫コーナーは、本特別展のクライマックス、本日も各像に夢中で見入った。 【降三世明王立像】**は他の作品と同様に背面もじっくりと鑑賞、会場内は暗いがシルエットと表情がとても味わい深く、俳優がポーズしているようだった。 【梵天坐像】**は乗っている鵞鳥の水かきもじっくりと見た。 この度は諸般の事情が重なり、スケジュール調整にはいつも以上に苦労した。特にこの日は、夏の酷暑や大震災以後のストレス・疲労の蓄積のためか、体調が悪く会場内で非常に苦しい時があった。それだけに、何とか合計三回の鑑賞を実現できた喜びは計り知れない。さすがに全作品は網羅できなかったが、これだけの展示を一度に見られた感激は大きく、東京在住のありがたみを再確認した。 帰りがけにショップで、記念のグッズを何点か購入した。図録も、2004年に開催された≪空海と高野山≫との共通が多いので迷ったが、結局買ってしまった。1階で関連するミニ番組も見た。 大変素晴らしかった本特別展で個人的に残念だったのは、7年前の時にとても感動した運慶の【八大童子立像】(金剛峰寺)の出展がなかったこと、それだけに本館で慶派作品を見られたのはとても嬉しかった。この日はあわせて、本館特別2室の展示≪博物館の妖≫のギャラリートークがあり、当館研究員が天狗や河童などについて解説、かなり混雑していて時間もあまりなかったので少ししか聞けなかったが、なかなか楽しかった。
[副 題] 100年前の日本と中国
[見学日] 2011年8月20日 [会 場] 東京国立博物館 本館特別第5室 8月6日に本展覧会を見た時、前期後期で展示が変わることを知り、ぜひ後期も来ようと決意した。 当日はまず江東区の中川船番所資料館の企画展を見学した後、大雨の中、タクシーで上野へと向かった。 1章:清朝の黄昏 前期同様、最初のこのコーナーから展示に魅了された。 【太和門】【太和門前ノ金水橋】【保和殿中央ノ陛】さらには雑草が生い茂る【乾清宮】の写真などは、タイトルのとおり黄昏時を迎えた清朝末期という時代を如実に伝えていて、感慨深い。一方で【太和門前ノ戸棚】【太和門前ノ鏡】の見事な造形には驚嘆させられた。 【朝陽門以北ノ城壁】には、堀?に船が浮かび、馬に引かれた荷車も写され、こちらからも時代を感じた。 他では【上海蘇州竜化塔】が心に残った。 2章:孫文と梅屋庄吉 このコーナーの展示品の多くは前後期共に出展、前回心に残った写真を再び見ることができて、大変嬉しかった。 前回は記さなかったが、孫文の胸像や羽織なども展示されていた。 3章:幕末明治の日本 こちらのコーナーの展示も前期に比べて遜色なく、自分にとっては非常に意義のあるものだった。20世紀の震災や戦災に襲われる前の、開国後来日した多くの外国人を魅了した日本の風景には、やはり感じるものがある。まるで映画の一シーンを見ているようだった。 当会場にも程近い【上野不忍池】が伝える19世紀の景観を、頭の中に残る今日とのそれとを比較しつつ、念入りに見た。 他の写真もすべて大変素晴らしかったが、とりわけ残ったのは長崎を撮影したもの、原爆で壊滅的な被害を受ける前の、鎖国下から外国との窓口になっていたこの町の写真には、歴史を愛する者をとらえて話さない魅力がある。【諏訪町通り】には彩色が施されていた。 同様に横浜の様子を伝える写真にも魅せられた。【弁天通り】は彩色写真、【横浜海岸通り(2)】は船頭が漕ぐ船を中央においたアングルがとても良いと思った。 4章:近代中国の姿 展示内容が変わったこのコーナーが伝える第二次世界大戦前の中国各都市の姿からも、強烈な印象を受けた。 世界で最も愛する町・香港の写真では、雑多な町屋・高層建築・ぶら下がる洗濯物などに、今日相通じるものを感じた。 北京のそれは、まるで映画やドラマの一シーンを見ているようだった。 前期同様、特に心に残ったのは上海を撮影した【上海港】【上海河南路】など上海を撮影した写真、港町の光景は島国・日本を母国とする我々のアイデンティティーに訴えかけるものがあるような気がした。 そう遠くない昔に夢中になってレンタルビデオ店の棚を制覇していった中国・香港映画、多くの作品で描かれていた戦前のセピア色の都市の雰囲気、今回の展示作品からの同じものが感じられて、いささか感無量だった。 5章:万国写真帖 最後のコーナーの展示品も変わり、前期と同様、頭の中に各都市の現在の姿を思い浮かべながら、比較して見入った。 【壬申検査関係写真】は18世紀の各地の名勝の姿を伝える貴重なもの、いくつかは過去の展覧会で目にしたことがある。華やかな美術品に比べれば地味な作品かもしれないが、これらも当館が世界に誇る貴重な資料・至宝だと自分は感じている。 前後期を見た本展覧会は自分にとっては実に意義のある内容で、展示作品は魅力的なものばかり、また新たな学んだことも多く、いろいろ触発された。同時に日本人、ひいてはアジア人として、当然に知っておくべきことを知らなかった自身の不勉強も痛感させられ、しっかり学び直さねばと反省させられた。 前期の繰り返しになってしまうが、本展覧会は中国にとっても意味のある内容だと思うので、個人的にはぜひ彼の国でも開催されることを切望する。良好とは言い難い昨今の日中関係を思うにつけ、戦前までの両国の関係を再確認することは、それなりに意義があるだろうと感じている。 見学を終えた後、ミュージアムショップで記念の絵葉書等を購入した。図録にも魅力を感じたが、自宅書架も限界なので涙を呑んで諦めた。 また本日は、以前に平成館の特別展も見ていたので、その記念の絵葉書も一枚いただけた。 PS.本稿のカテゴリを日本にするか外国するか、非常に迷い、妥協案として、前期は日本・後記は外国にアップすることにしました。
[副 題] 平成23年中川船番所資料館企画展
[見学日] 8月20日 [会 場] 江東区 中川船番所資料館 某所で本企画展のポスターを見かけ、我が歌川国貞の浮世絵が使われていて、会場が国貞の生地近くということもあり、見にいくことにした。 当館は中川船番所跡地に建設された3階建ての施設、企画展会場は2階の一角で、年表その他の展示で、竪川の歴史が詳しく解説されていた。 年の明暦の大火により、江戸の町は大々的に生まれ変わる。両国橋の架設、大寺院の移転、道路整備、等等、大規模が公共事業が実施されたが、タイトルとなっている≪竪川≫の掘削もその一つ、竪川は江戸の川向う(本所深川地域)を江戸に組み込むために開かれた運河である。江東区は川の町、JR線錦糸町駅前からバスで会場へ向かう道中も、車窓から江戸時代の面影残る川を複数見かけた。 【本所之絵図】【本所深川之図並道積書付】(共に【弘前藩津軽家文書】)は、頭の中で現在の地図を広げてそれと見比べなから、じっくりと見た。他の展示の中にも≪小松川村≫≪逆井≫≪元佐倉道≫など今日も残る名称が見られ、興味をそそられた。今日の千葉方面へと続く幹線や近隣とのつながりにも、現代と共通するものがある。多くの浮世絵や当時の記録が伝える【五百羅漢寺】も見られた。今も残るという【亀戸浅間神社】【常光寺】にはいつか足を運んでみようと思う。 【幕末竪川沿岸の問屋商人】と題するパネルで、この地には今日も多く見られる材木商の他、武家や寺社御用達の米問屋・両替商・炭薪問屋などもたくさんあったことが分かった。当時川がいかに重要な輸送手段であったかがうかがえる。 我が国貞の作品との感動の対面を果たせた。本日展示されているのは【江戸名所百人美女 竪川】【東都高名会席尽 本所立川さがみ(亀戸)】の二点、署名は豊国だった。国貞は本所五つ目の生まれでここはまさにご当地、所縁のこの地で、この地所縁の作品を見られた喜びは計り知れない。 弘前藩上屋敷跡からの出土品も展示されていたが、こちらはお隣の墨田区が北斎館建設に先立って行った発掘調査の成果の借用、現在は行政区が分かれているが江戸時代の弘前藩上屋敷は二区にまたがる広大なものだった。 時代は移り、≪竪川の近代≫の明治から昭和にかけての写真展示も興味深く見た。竪川都電専用橋、船や材木が浮かぶ竪川、等等、自分にとってはたまらなく魅力的な展示だった。 江東区の歴史を解説する2階の常設展も見応えがあった。あさり漁や鰻漁、川での養殖、木場の木置場など、川の町・江東区が体感できる展示だった。 一方で、当然ながらこの地域は、しばしば水害に見舞われた。特に寛政13(1791)年の津波と、明治43(1910)年の大洪水の被害は甚大であったことを、展示は伝えている。今年これらの展示を見ると、やはり感じるものも大きい。 明治の大洪水の時に水につかった亀戸天神の石灯籠の写真が展示されていたが、これによると推定1メートル前後の浸水だったという。以前別の場所でも、この洪水で破壊された民家や川と化した道路を船で移動する人々の写真を目にしたことがある。江戸の名所として多くの浮世絵に描かれた小村井の梅園はこの時に廃園に追い込まれた。現在、墨田区と葛飾区の間を流れる荒川放水路は、この洪水の後に防災のために開かれたものである。 3階展示室には中川番所が再現され、番所の歴史や機能、江戸の水運、江戸・東京の釣り文化などが、模型やパネルを使って解説されていた。番所跡からの出土品の他、船鑑札や古文書など貴重な史料に触れ、こちらからも大いに感銘を受けた。 当館は比較的新しい施設で今回初めてその存在を知ったが、コンセプトや展示内容は自分にとっては大いに意義のあるもので、足を運んでよかったと実感している。より気合を入れて展示を見ようとすればもっと長い時間が必要だと思うが、この日はあいにく後に別の予定を入れており、解説メジュメをもらってある程度で切り上げざるをえなかった。 館の周辺は、すぐ前を流れる旧中川や由来が詳しく解説されていた小名木川など、江東区の歴史が体感できるスポットが数多く、他の施設もある。さすがに徒歩で移動するのは無理なので、いつかレンタサイクルでこの界隈を廻りたいと思った。 当日は天気予報のとおり、昼過ぎから雲が出始め、午後3時頃から土砂降りの雨となった。当初はバスと電車で移動するつもりだったが、それは不可能と判断し、少々贅沢をしてタクシーを呼んだ。車が到着するまでの間は1階で図書室の蔵書に目を通したり釣り具の展示を見たりしていた。 予想外のお金はかかってしまったが、次の目的地・東京国立博物館へ向かう道中に、国貞の生地・五の橋付近や、所縁の柳嶋・亀戸の近くを通り、彼の存在も肌で感じる思いがした。横十間川沿いから見る東京スカイツリーは実に壮観でこちらかも強烈なインパクトを受けた。
[見学日] 2011年8月23日(火)
[会 場] 東京国立博物館 平成館 表記特別展の二度目の鑑賞は、大幅な展示替えが行われた初日であり、酷暑が少々やわらいだ8月23日(火)に実行した。道中は蝉しぐれを浴びながら会場へと向かった。 ≪第一章 空海-日本密教の祖≫ 前回とは別の【弘法大師像】*は鎌倉時代の作、空海の著作≪即身成仏義≫の偈頌が記されている。 夏休み中のためか、平日の午前中にもかかわらず、会場内はかなり混雑していた。前回同様に入り口付近の【弘法大師行状絵詞】*の前は大混雑だった。本日も【聾瞽指帰】**をじっくりと鑑賞、入唐前の奔放かつ豪快な筆跡からは輝かしいオーラが放たれ、見ていて飽きない。 本日のこのコーナー目玉は伝空海筆【狸毛筆奉物表】**、嵯峨天皇への上奏文の写しといわれ、ラフな書体や書き込みなどに現実味と人間味が感じられた。 ≪第二章 入唐求法-密教受法と唐文化の吸収≫ 【真言七祖像】**は前回と内容が変わっている。文字は空海筆といわれ、斬新な「見せる書体」が印象的だった。 【海賦蒔絵袈裟箱】は質実で格調高い逸品、正倉院宝物が思い出された。 本日の【御請来目録】*は草稿文からの写書と伝わる。この目録をじっくりと眺め、今日の海外旅行と比較して、エコノミークラスの旅客が搭乗時に預けられる量とはとても思えない。特別機チャーターに相当する措置がとられたように思う。 【兜跋毘沙門天立像】**には本日も会えた。あらためてじっくり見ると、どんぐり眼にベルト?の顔、地天女や二鬼の表情はなかなかユーモラスである。 本日もきらびやかな法具類のコーナーでは興奮と感動で胸が弾んだ。【四天王五鈷鈴】その他は、その名のとおり、四天王や五大明王が鋳表され、細かく精巧な技法に魅せられた。 ≪第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺≫ 【五大力菩薩像】*は怒りの表情の中にもユーモアが感じられた。装飾品の綿密な表現が心に残る。 隣室へ向かう正面に、本日最大の見ものが展示されている。印刷博物館でVRシアターを見て、何としても今回この作品に直に触れたくて日程を調整した。【両界曼荼羅図(血曼荼羅)】*本日は≪胎蔵界≫を展示、その名の由来は絵の具にこの大曼荼羅を奉納した平清盛の頭血が混ぜられているという伝承による。経年による劣化はあっても、ありし日の華やかさ、絶頂期の清盛の権勢がうかがえる、スケールの大きな名品である。モニターの映像を見た後、じっくりと眺めた。今回もリフトに乗って上部も近くで見たいと感じた。 傍らには空海筆【風信帖】**が展示されていた。初めてその名を知ったのはもちろん高校の日本史の教科書、私はこの作品とは縁があって、その後様々な場で過去見る機会に恵まれた。今回も久々の対面?「お久しぶりです」というような感覚で、懐かしく見入った。三筆に数えられる空海の真髄が堪能できる日本史上でも珠玉の名品、彼の時代より1200年後を生きる自分がこの作品を見られる奇跡を天に感謝してやまない。周知のように最澄に充てた私信で、今日でいう論文や公式文書に比べるとより人間性が感じられる。本日は【金剛般若経開題残巻】も展示、こちらも空海筆の草稿で、消込や書き足しに臨場感が感じられた。 【四種護摩本尊並眷属図像】は空海の甥で弟子でもある智泉の筆、【兜跋毘沙門天立像】も見られた。スケッチ風の素朴だが緻密な描写は見事、この類の作品は個人的に好きなので心に残った。隣の【仁王経五方諸尊図】とあわせて、現存する諸仏については写真も展示してほしかった。 【如意輪観音菩薩坐像】**は本日も上品で美しく、見ていて癒された。 ≪第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹≫ 本日もフィナーレを飾る展示は圧巻だった。 主役の諸仏はもちろん、【帝釈天像】の白象や羊など、脇役?もユーモラスで見ていてなかなか楽しい。 【宝簡集】**(高野山文書)も内容を変えて展示されていた。【処分状】**は寺の人事について記したもの、大変貴重な自筆書状だという。 【十天形像】**は私好みの素描風の作品、本日は類似の展示が他にもあり、とても嬉しかった。 【如意輪観音菩薩坐像】**は本日も上品で美しく、見ていて癒された。 ≪仏像曼荼羅≫のコーナーは熱気であふれていた。【降三世明王立像】**の前は特に大勢の人が集まっていた。私もまずはステージ上から眺めた後、各像をじっくり鑑賞、前回でお気に入りとなった【帝釈天騎馬像】**は乗っている象の表情までじっくりと見た。 前回同様、この日も素晴らしい美術品を肌で感じて、心底感激した。 古の時代、空海がもたらした新進気鋭の仏教に当時の人々がどれほど強いインパクトを受けたか、実感できるような気がした。 これだけの作品を一度に東京で見られる幸運を感謝してやまない。 大幅な展示替えがある本特別展、あと一度足を運ぶ予定で、その日が待ち遠しい。
台風15号直撃の予報が出ていた当日、レインコートや強い傘など、それなりの準備をして出勤した。
午後になって降り始めた雨は3時過ぎから激しくなり、終業の頃はたたきつけるような暴風雨、所属係のある9階のフロアーは風圧で船のように揺れて地震と錯覚するほどだった。 5時過ぎの時点では窓から見るとまだ空車が走っていたが、打ち合わせその他で職場をあがれたのは6時過ぎ、ニュースでは交通機関が止まったとの速報が次々と報じられ、帰宅の足を奪われた同僚がフロアーにたくさん残っていた。 タクシーを利用するつもりだったが、拾えなかった場合はバスでと思い、手荷物を炭カルの手提げ袋に入れて意を決してバス停に向かった。 職場の周辺は高層建築が乱立し、通常でも非常に強い風が吹く。必死の思いで前に進んだ。 バス停まであと50メートルほどのところで、これまで経験したことのないような強風に巻き込まれる。息がつまり、一瞬何が何だが分からなかった。24本の骨がある傘はお猪口になったかと思うとあっという間に無残に壊れた。前にも進めない。風に巻き上げられるか、転倒してコンクリートの地面にたたきつけられるかと思った。1分に満たないこの時間が、非常に長く感じられた。決して誇張ではなく、この時は本当に身の危険を感じた。 必死の思いでバス停に到着、既に大勢の人が待っていた。背後に高層ビルがあり、雨風が容赦なく襲ってきて、傘は役に立たない。 到着したバスは「満員なので次の車を利用して下さい。」と言って通過した。たまに通るタクシーはすべて人が乗っているか回送で乗車拒否され、空車が来る気配はない。 どうしたものかと迷い、駅まで行けばタクシーに乗れるかと思い、とりあえずJR駅まで向かうバスに乗った。間もなく雨はやみ、一番悪いタイミングで出てしまったと後悔した。駅まであと2停留所というところで都道は大渋滞となり、車が動く気配はない。やむなく、一つ手前で下りる。車道には水があふれ、歩道には壊れた傘や街路樹の枝が散乱していた。通常なら20分ほどで到着する行程が、倍近くかかった。 ようやく駅前に到着するも、タクシー乗り場には長蛇の列でいつもは常時20台ほど待機している空車は一台も見られない。道中の渋滞から鑑みて、ここで待っていてもタクシーが来る見込みはない。駅前のバス停は自宅近くを通るバスの始発だが、こちらもあっという間に満員となって乗れず、後続車がいつ到着するか分からない。 ここも周辺に高層建築が多く、強い風が吹き付けるので、先刻の恐怖から立って待つ気分になれない。地下鉄が動き始めたとの情報を得たので、とりあえず乗ることにした。すぐに電車は来たが、一つ先の駅で折り返し運転となり、その先までは動いていない。仕方ない、ここから歩いて帰ろうと、出口を目ざす。 接続する私鉄は止まっていて、改札前は人であふれていた。ラッシュ時の電車の中のような人混みをぬってようやく階段へ到着、多くの人が座り込んでいた。 地上に出るも、強風が吹き続けている。通常はここから自宅までは徒歩で30分程度だが、先刻の恐怖がまだ生々しく、落下物等に当たったり車道に転倒したりといった身の危険も感じ、歩いて帰るのは無理だと判断した。 幸い、近くに叔父の家があるので、電話をして少し休ませてもらうことにした。 10分足らずの道中も、高層住宅があり決死の行程となった。 叔父の家に到着した時は、安堵の気持ちで全身の力が抜けた。 仏壇に手を掌わせ、クーラーの側で汗だくの体を冷やし、お水やコーヒーをいただいた。長年運転手をしていた叔父は地元の道路にも精通している。当初はタクシーを呼ぼうと思ったが「渋滞してて来てくれないよ。もう少しすいてきたら送ってやるよ。」と言ってくれた。 しばらく世間話をした、午後8時過ぎるとさすがに空腹感を覚え、御飯や漬物などの夕食をいただいた。 何度か家の前の道路を見ては「まだ渋滞してるな。」を繰り返し、午後10時を過ぎて「そろそろ行くか、抜け道を使うから。」と出発、橋を渡って隣区に行く道はまだ詰まっているが、別の道路は透いていて、通常とさほど変わらない時間で自宅に着いた。何度も何度も御礼を言い、車を見届けた後、家に入った。この時までは気持ちが張っていて気がつかなかったが、雨と風で髪の毛は滅茶苦茶に乱れていた。 今回の台風で、都心では3月の震災に続いて多くの帰宅難民が発生した。強風で徒歩が困難な点は前回よりも深刻だったといえる。 高層建築の下で強風に見舞われた時、空襲下を逃げた祖父母や、今回の津波に見舞われた被災者の方々の気持ちが、規模は全く比較にならないにせよ実感できる思いがした。自分はこの年になるまで、真の自然の脅威はまだ分かっていなかったことを今回痛感した。遅ればせながら、この経験を真摯に受けとめて今後の教訓としたい。 公務員をしている知人の話では、当日は多くの職員が防災待機となって台風下も街中を巡回し、台風一過の翌日は道路管理関係部署は浸水関係その他により電話が鳴りっぱなしだったという。地元のゴミ収集の日には、多くの壊れた傘が出されていた。 今回あらためて感じたが、高層建築の乱立に伴い強いビル風が吹くようになり、時に弊害が生じる。現在の職場に移ってから台風でなくても傘を何本もダメにしたし、歩行に困難を感じることもしばしばある。高層建築を建てる時は、1階部分等に風と雨を遮断する屋根・壁附きの歩道の設置を義務づけてほしいと感じた。
[副 題] 100年前の日本と中国
[見学日] 2011年8月6日(土) [会 場] 東京国立博物館 本館特別第5室 空海の展覧会で東博を訪れた際に知った表記特別展、内容的にも関心をそそられるし、≪誰モ見テイナイ写真≫と銘打たれては、行かないわけにはいかない。 午後に他の用事が入った8月6日に足を運んだ。特別展でも会場は平成館ではなく、本館1階の第5室、スペースは広大とはいえないが、東京帝室博物館以来の東博の真骨頂を堪能できる、質の高い展覧会だった。 1章:清朝の黄昏 展示室に入ってまず目に入ったのは、1901(明治34)年に伊藤忠太調査隊により記録された北京の写真、撮影したのは写真師として唯一帝室技芸員となった小川一眞、もちろんすべて当館所蔵である。 一連の【北京城写真】が伝える100年前の姿にはやはり感じるものがあり、自身が北京・紫禁城を訪問した時の記憶と重ねて、しばし見入った。小川の実力が堪能できる写真はすべて印象深いが、三枚続きパノラマの【太和殿】は特に素晴らしいと思った。雄大で壮麗な一方、【正陽門】【外城城壁ノ断面】【永定門】などは荒廃の様子を生々しく伝え、清朝が黄昏時を迎えていたことを如実に表していた。 小川の写真以外に、公泰照相楼の写真も展示、こちらは清時代の人物や町中の店などが被写体、こういったジャンルも自分にはたまらない。 あわせてこのコーナーには、奥平恒五郎写と銘打たれた【北京城及び紫禁城略図】のパネルを展示、1902年のものだという。20世紀の激動の歴史の中で、北京の町は大きく変貌した。19世紀以前の面影を残す史料として、こちらも大いに興味をそそられた。 2章:孫文と梅屋庄吉 本特別展のメインというべきコーナーで、さすがに見応えがあった。孫文についての知識は常識のレベルを超えず、彼と深い関わりを持った梅屋庄吉は恥ずかしながら今回初めてその名を知った。それだけに展示から学んだことも多かったと感じている。 展示の中心は【梅屋庄吉アルバム】、こちらはファミリーポートレートであるが、孫文と共に写った梅屋他の日本人の写真などもあり、大変貴重な歴史史料でもある。あらためて日本人の中には辛亥革命のバックボーンとなった政財界の有力者が多数いたことを実感した。革命の志士の寄せ書き衝立などもあり、孫文死後の日中関係は展示品や解説を見た方が関連図書よりも実感できる。無念の最期をとげた孫文の同志に関する展示もあった。 犬養毅や安川敬一郎の写真も展示されていた。 もちろん、孫文夫人・宋慶齢の写真も展示されていた。直前に彼女に関するテレビ番組を見たばかりで、いいタイミングだった。若き日の宋慶齢は非常に美しい女性だった。彼女と孫文の結婚のお膳立てをしたのは、梅屋夫人・トクだという。 最も心に残った展示は【総理銅像掲幕典礼】、余白等に梅屋自身の書き込みがあり、蔣介石などそうそうたるメンバーが大勢写されている、大変見応えのある写真だった。他の写真にも写された人物の名前など詳細な書き込みがあり、梅屋の几帳面な性格がうかがえた。 当館から程近く、最近は若者のデートスポットとして人気があるらしい場所で撮影された【浅草・花やしきでの集合写真】もあった。 あわせてこのコーナーには、日活創始メンバーの梅屋に相応しく、【孫文と梅田庄吉ゆかりの人々】【日本南極探検】というフィルムもリレー放映されていた。 3章:幕末明治の日本 タイトルはまさしく自分の理想そのもの、ベアトや上野彦馬の写真もあった。長崎、東京、横浜、神戸、19世紀の様子を伝える写真の数々に胸は高まり、夢中で見ていった。 【長崎出島】【中島川河口】などはGWに東京都写真美術館で見た写真などを思い出しながら、真剣に見入った。 【新橋停車場と蓬莱橋】は小舟も写されていて、それぞれが来るべき時代と過ぎ行く時代を象徴しているようで特に心に残った。 【横浜居留地のパノラマ】は横浜で見た浮世絵そのもの、浮世絵師はこんな景色をその目で見ていたんだなと思った。 【湊川神社前の通り】は、当然ながら自分が訪れて見た景観とは全く違うが、傍らの方が奥様に「これは芝居小屋かね?」と示された建物に注目、櫓や看板などに浮世絵で見た江戸時代の芝居小屋の残影が感じられて、こちらからも強いインパクトを受けた。 4章:近代中国の姿 今回は日本でいえば昭和初期の頃の中国各地の写真も展示、亜東印画協会による【亜東印画輯】で、こちらも戦前の中国の様子が生き生きと伝わってきて、大いに感銘を受けた。 【雨後の街裏】【固定した水上街】【船家屋の内部】などは、以前訪れたハノイ・ハロン湾や、テレビ等で目にしたタイの風景と共通するものを感じ、また広重の風景画も脳裏に浮かんだ。 10回以上足を運んだ愛すべき香港の写真もあり、嬉しかった。香港島・上環を散策の折に、≪孫文滞在地≫という内容の看板を目にしたことを思い出した。 上海を写した作品では、【小渡船】【浦東から見た上海】などが心に残った。 5章:万国写真帖 フィナーレは19世紀の国内外の写真、自身で訪れた名古屋や京都・奈良・ベルリンなどは記憶と、未踏のニューヨークやロンドン・アムステルダムは映像や写真と重ねて、じっくりと見た。 ≪のぞいてみようステレオ写真≫というコーナーも設置、こちらは現代の3Dの元祖ともいえる。 空海より1000年後の時代を特集した本展覧会も、自分にとっては大いに興味をそそられる魅力的な内容で、今回見られてとても嬉しかった。本展覧会は中国にとっても非常に意義のある内容で、北京や上海・香港などで開催する価値があると思う。 午後に予定が入っていてそれに合わせて館を出たが、時間があればもっと長居しただろう。展示内容が変わる後期もあるとのことなので、必ずまた来ようと思った。 今回は作品保護のためか展示室内の照明は落とされていたが、ベンチ付近にはライトがあてられて図録が読みやすいような配慮がされていた。しかし節電が叫ばれる割には少々冷房が効きすぎていると感じた。
≪第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺≫
隣室へ向かうと、正面に展示されているのは壮大な大曼荼羅、【両界曼荼羅図(高尾曼荼羅)】**は退色はしているが往年の華やかな面影を伝えるスケールの大きさな作品、しばし見入った。リフトに乗って上部も近くで見たかった。 空海筆の【灌頂歴名】**には最澄の名も見られる。メモ書き、手記に近いもので、随所に消しこみなどもあるが、それだけに現実味・人間味が感じられた。少し後に展示されている【大日経開題】**も書き込みや加筆が見られるが、こちらは論文執筆のための資料もしくは草稿といった趣で、学究への並々ならぬ意欲も感じられる。コピーのない時代だから自ら筆写するしかなかったのだが、本特別展だけでもこれだけあるのだから、空海は生涯にどれほどの文書を書いたのだろうか。あらためて、その超人ぶりに脱帽する。 【細字金光明最勝王経】**は格調高い謹厳な楷書で記されている。名前のとおり極小サイズの字で拡大鏡を使わなければ見えず、よく書けたものだと感嘆した。 【仁王経五方諸尊図】*は東寺講堂立体曼荼羅を丁寧に細かく描いている。私好みの紙本墨画作品で、細かな表現とユーモラスな表情が印象的だった。 ずらりと並んだ仏像群には目を見張る。【増長天立像】**や【五大明王う】*のダイナミックなポーズからは強烈な印象を与えられた。モデルに像と同じ衣装をつけさせて制作されたのではと思った。諸仏が乗っている馬や孔雀もじっくり観察した。 優雅で美しい【如意輪観音菩薩坐像】**には、うっとりと見とれた。目を閉じてくつろいだ雰囲気は神秘的で口紅も施されている。身につけた冠や胸飾り・手にした数珠や蓮の花も精巧で、本日特に心に残る彫像だった。 ≪第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹≫ 本特別展は最後まで息がぬけない展示が続いていた。 【両界曼荼羅図(西院曼荼羅)】**は、華やかな色彩が印象的だった。 【宝簡集】**は【高野山文書】とも呼ばれる貴重な古文書、学生時代に授業で見た覚えがある。 クライマックスは≪仏像曼荼羅≫、もちろんすべてが国宝、設置されたステージの目線から双眼鏡で眺めた後、像の側に行き、通常は見られない背後を含めてじっくり見入った。東京でこれだけの数を見られた喜びは計り知れない。 どの像も素晴らしいが、【帝釈天騎象像】はなかなかイケメンでファンになってしまった。六の面・腕・足を持つ【大威徳明王騎牛像】も印象的だった。【隆三世明王立像】はヒンドゥー教のシヴァ神とその妻ウマを踏みつけているが、先のコーナーの【仁王経五方諸尊図】はこの像を描いた部分が展示されていたこともあり、こちらも大変心に残った。 先述のようにこの日はあまり時間がなかったが、時計を見ながら許された時間ギリギリまで、会場内を何度も廻り心に残った展示を中心に何度も見直した。 今回も自分の拙い文章力ではその素晴らしさは伝えられないとしか記せない。これだけの文化・芸術を残した日本という国に生まれたことを誇りに思う。 過去には東寺にも高野山に訪れており、その時に見た作品もあるはずだが、当時は不勉強だったらしく今回ほど強烈な印象を受けた記憶がない。これを機に、旅行の時に入手した資料等に目を通し直してみようと思った。
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