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趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。
by nene_rui-morana
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東京スカイツリーの町から
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第44回京の冬の旅+α
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カテゴリ:展示解説・フロアーレクチャー
  • 夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ③
    [ 2011-05-30 21:25 ]
  • 夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ②
    [ 2011-05-29 15:48 ]
  • 夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ①
    [ 2011-05-28 21:42 ]
夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ③
≪ひろがり/Diffusion≫

●(2枚のほぼ同じ肖像写真を指して)こちらの【少女像】は「山内家写場」という撮影場所は判明していたが被写体は不明だった。一方の【豊子像】は写された人物の名前は分かっていたが写された場所が不明だった。この2枚の写真を照合することにより、写された少女が土佐新田藩の姫・山内豊子であることが判明した。
<MC>
 他のコーナーでも、幕末から明治初年頃の大名藩邸内に写場が存在するケースがあったとの説明がされた。幕末明治の有名人の中には写真嫌いが目立つ一方、大名級の人物の中には徳川慶喜や弟の昭武など写真を趣味とした人もいたことを思い出した。

●井上俊三が写した写真を何枚か展示しているが、最近かの有名な坂本竜馬の写真を撮影したのは上野彦馬ではなく、上野の弟子で土佐藩出身の井上なのではないかという説が出されている。当時の写真スタジオも当然ながら複数のスタッフがおり、実際には弟子が撮影したとしても師匠のものとされる。その点からいえば竜馬の写真の撮影者は上野とみなされるのだが、井上俊三に関しては山内家からかなりの援助がされており、スタジオのレンタルフィーまで出ていた。テナント料まで出ていた以上、井上が撮影した写真ならば井上のものとしてもいいように思う。
<MC>
 新説には興味をそそられたが、実際に撮影した人物を特定することは多分不可能だと思うし、個人的には実際の撮影者が上野・井上のどちらでもいい。注目したのは時の写真スタジオのあり方で、これも日本古来の工房を継承している。伊藤若冲、葛飾北斎、歌川国貞、等等、膨大な作品を残した絵師はすべて工房を持ち、複数の弟子が制作に関与したが、完成した作品は師匠のものとして発表される。今日のアニメや漫画と同じである。黎明期の写真を取り巻く環境も同様だったのだと思った。

●コロディオン方式は紙に焼き付ける方法、画質は向上したが光と酸に弱いので、保存のためには桐箱に入れるかアルバムに整理された。ここの展示はその具体例の数々である。*写真の劣化については【ボードインアルバム】の展示箇所でも説明がありました。

●【明治天皇像】【美子皇后像】は印刷するためにゼラチン乾板(ポジ)にされた。当時皇族の肖像写真を売るのはもちろん違法で見つかれば投獄されたが、売れるし著作権などなかった時代なので釈放後に同じことが繰り返された。

●【写真袋】の発見は自分にとっては最も大きな感激だった。今日でもスタジオで証明写真を撮っても袋をとっておくことはまずない。展覧会にあたって実施したアンケートでも写真袋の所蔵はほとんどなかったので、今回発見できた感動はひとしおだった。
<MC>
 自分もこの展示は特に心に残ったので、三井氏の感動には大いに共鳴する。

●当時の写真は修整が必要不可欠だった。【開業式】にはそのための機材なども写されており、その様子がうかがえる。


≪全般的な感想≫
 時間がオーバーすることをしきりに気にされつつ、ほんの少し定刻をオーバーしてフロアーレクチャーは終了した。腰痛持ちの自分には1時間立ったまま説明を聞くのは厳しいのではと思っていたが、時々足休めをしながら興味深いお話をうかがい、疲れを感じることもなかった。
 今回の解説を聞いて、あらためて、物事を学ぶうえで専門家(もしくは教師)の存在がいかに重要かということを再認識した。最近の展覧会では説明文などもかなり分かりやすいように工夫されているが、どんなに気合を入れて取り組んでも限られた時間内では限界があるし、見落としは避けられない。知識がない身では重要な展示でもそれと気が付かないまま見学を終えてしまうこともある。またそれなりの知識や興味のある展示でも未知の要素は存在する。
 そういった意味では、今回の展示解説は自分にとっては非常に有意義だった。自分だけの見学ではその重要さに気がつかなかった【鶴丸城内の藩主居館】その他の展示について説明していただき、「すばらしい風景写真だな」としか感じなかった【長崎パノラマ】についても軍事目的がうかがえるとの指摘を受け、大いに感銘を受けた。
 また、はなはだご無礼なだから、三井氏の感性には自分と共通するものも感じた。写真裏面やフレーム外のデザイン、【写真袋】などに対する思い入れは自分も全く同じ、解説を聞いてそれを実感し、あらためて本展覧会を見ることができて本当に幸運だと思った。
 初期写真技術に関しては知識がほとんどない自分には充分理解できない点もあったが、全般的にはとても密度の濃い内容で新たに学べたことも多く、黎明期の写真の未知の魅力にも目覚め、大いに満足できた。今後も展覧会見学の折には可能な限りスケジュール調整をして講演会や展示解説をあわせて聴講したいという気持ちを新たにさせられた。
 「館長に怒られそうなのでぜひ」という三井氏の哀願にのったわけでもないが、いろいろ再確認したいこともあったので、当初は予定していなかった展示図録を購入した。じっくり読み、不明箇所等は調査して、次回の特別展までに近代写真に関する知識をもう少し増やしておきたいと思っている。
by nene_rui-morana | 2011-05-30 21:25 | 展示解説・フロアーレクチャー | Trackback | Comments(0)
夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ②
≪まなび/Mastery≫

●黎明期の写真をになったのは大名、特に島津家は早くから洋楽研究を通じて写真術に注目していた。【島津斉彬像】は現存最古の日本人の手による写真だが、ここに展示されているのはレプリカで、オリジナルを所蔵する鹿児島の尚古集成館でも本物は展示していない。15年ほど前にレプリカを2つ作りました。(作品前の床を指さして)この光をご覧下さい、タゲレオタイプは銀の板を用いるので、このように光が集まるのです。
<MC>
 【島津斉彬像】は歴史書で何度か目にし、昔鹿児島を旅行した時に尚古集成館にも立ち寄ったが、詳しい解説をしていただいて新たに感じるものがあった。タゲレオタイプの銀板が集める光についても個人ではそこまで目が届かないので、専門家による解説の意義を再確認させられた。

●【鶴丸城内の藩主居館】(伝島津斉彬撮影)は後記最大の見ものの一つ、本日これを見られる皆様は幸運です。「カロタイプ」と呼ばれるネガポジ式で、ご覧のとおり質は良くなく、果たして日本でこの方式が採用されていたのか疑問の声があがっていましたが、この写真により島津家では実行されていたことが分かりました。
<MC>
 大変貴重な展示とのことだが、画質は不鮮明なので、本日三井氏のこの説明を受けなければ間違いなく見過ごしていただろう。あらためて、歴史的価値は大きくても素人目では判断できない展示を見逃さないために、専門家の解説は必要不可欠であると痛感した。

●【ソラールカメラ】は、実際に使用されたのではなく、写真術伝授のための教材であった可能性が高い。

●【横井小楠像】を撮影した鵜川玉川は上野彦馬や下岡蓮杖より先に開業しており、日本初のプロカメラマンだった。ただし彼には後進の存在が確認できないので、開祖とみなすのは難しい。鵜川は文久年間末に江戸の大名藩邸に出入りし、報酬として絹などを受け取っている。

●鵜川に少し遅れて開業した上野や下岡は多くの弟子を輩出し、以後の写真界を担う原動力となった。上野は写真術に関する書物も残し、肖像写真には薬品なども写されており、熱心に研究したことがうかがえる。

●(展示ケースを指さして)この高さとこの方式は私が考案しました。この時代の写真は、台紙裏面や下部にも注目してほしい、そのためにこの高さの展示ケースと立スタンド式の展示方法を考えたのです。裏面にも下部にも様々なデザインが施されているのがお分かりいただけると思います。完成度も様々で、かなり芸術性の高いものもあれば、正直あまり出来がよくないものもあります。上野は海外にもスタジオを持ち、ウラジオでの写真は未だ確認されていませんが、上海と香港については裏面のデザインが違うのですぐ判別できます。
<MC>
 近代写真に関しては自分自身もフレーム部分や裏面の装飾に大いに魅せられるので、三井氏のこの考案には感謝してやまない。
当館以外の展覧会でも、最近では壺など多面形の美術工芸品についてはあらゆる方面からの鑑賞を求めたいと感じるようになった。きっかけは≪皇室の名宝≫における並河靖之の【七宝四季花鳥図花瓶】、幸いこの作品はすべての面が見られたが、以後多面形の作品が壁面展示されていると物足りなさを覚えるようになってしまった。今後は三井方式を応用した展示の普及が望まれるが、不可能ならば、鏡を併設して死角部分を見えるようにするか、会期中に展示面を変更するなどの配慮を求めたい。

●内田九一のこれらの風景写真は江戸城周辺を廻って撮影され、お土産写真として用いられた。
<MC>
 九一の写真にも、明治初期の東京の様子を伝える貴重な史料として、大いなる感銘を受けた。日常生活の中で比較的親しく接している場所も多く、自身の地元の100数十年前の姿を残してくれたことを九一に感謝している。
by nene_rui-morana | 2011-05-29 15:48 | 展示解説・フロアーレクチャー | Trackback | Comments(0)
夜明け前-知られざる日本写真開拓史-四国・九州・沖縄編 ①
[日時]2011年5月3日

[場所]東京都写真美術館

[講師]三井圭司氏(当館学芸員)

 最近、各博物館の展覧会にあわせて開催される講演会や展示解説にも興味を抱くようになり、できれば同じ日に見学とあわせて聴講したいと思っている。よって、本展覧会が告知されてフロアーレクチャーが行われると知った時、迷わずその日にスケジュールをあわせることを決心した。ただし、当初は夜間開館時に行くつもりでいたが地震の関係でこれがなくなったため、GWの日中に足を運んだ。
 当日は少し早めに到着し、展示を見ながら開始の時間を待った。

 定刻の11時、会場前に集合、休日ということもありかなり大勢の人が集まった。解説員の三井氏より簡単な挨拶と説明がされ、「内容的にどうしても一時間はかかってしまうのでご了解下さい。」と付加された後、会場に入り、約1時間ほど説明を受けた。「本展覧会のタイトルから、被写体としてこの地域を認識されてきた方も多いと思いますが、必ずしもそうとは言い切れません。この地に残された写真を展示しています。」とのことだった。
以下に印象に残った内容を中心にまとめ、その後に<MC>として感想を記したい。


≪であい/Encounter≫

●【外国写真鏡之図】は日本国内のスタジオの様子を描いたのか外国なのは、はっきりしないが、おそらく日本だと思う。注目すべきは、浮世絵でいわば「敵」である写真を取材していること、なおこの時代「写真」といえば「肖像写真」のことだった。
 【松尾延二郎】は水夫としてサンフランシスコへ渡り、【野々村忠実】は遣欧使節としてニューヨークに立ち寄った。混沌とした時代に撮影された史料である。

●長崎海軍伝習所内の医学伝習所の教師ポンペから写真術が上野彦馬らに伝授された。ポンペは写真家ではないが日本における「写真の伝道師」と言われる。

●【相撲】(ジャパニーズ・コスチュームより)はスタジオ内で撮られた。対してロシエが撮影しミラーが印画した【相撲】は屋外で撮影され、臨場感がある。この時代の写真の感度は1程度で、力士にポーズしてもらって撮影した。

●下岡蓮杖の【相撲】には力士や行司の名札が貼られており、一見奇怪な印象を受けるが、これは従来の浮世絵の題箋を踏襲したものである。メディアとしての浮世絵は写真術がもたらされたことにより駆逐されたわけだが、初期の写真はこのように旧来の方法を取り入れることにより、ハイブリット式で実行されていった。

●内田九一の【長崎パノラマ】も、3枚続でパーツ単位でも成立するところに、浮世絵の影響が感じられる。真ん中の人物は写されるためにポーズをとっているが(前述のとおりこの時代はスナップは不可能)、写真の目的には不要のモチーフが撮られているあたりにも、浮世絵と共通するものがある。また写真には、近代の象徴である「製鉄所」と、伝統的な「神社」とがあわせて写されており、このあたりにもこの時代の写真の特性が感じられる。
<MC>
 前回の展覧会で俄然魅了されたこの写真、今回も見られて感動もひとしおだったが、専門家の解説により新たな視点が加わり、より深い感銘を受けた。

●(もうひとつの【長崎パノラマ】の前で)こちらの写真も見ていただければ分かるとおり、7枚組で鉛筆の線も残っているので何に注目して撮影されたのか推察できます。山の稜線や海岸線です。この写真は外国にあったもので、撮影者は不明ですが、最近オイレンブルク遠征隊の写真家ビスマルクでは?との説が出されている。これが事実だとしたら、この写真が撮影された目的も容易に理解できる。風光明媚な長崎の景観を伝えるこの写真に、軍事目的や日本への野心があったとしたら、少々恐ろしいものも感じる。
<MC>
 個人的にも今回特に気に入ったこの写真、一人で見た時は19世紀の美しい長崎の風景にひたすら感動したが、その裏に激動の時代を伝える事実があることを知らされ、また違ったインパクトを受けた。

●【ペリー日本遠征記】内の琉球の人物と【崎原當貴像】を見れば、琉球装束などから本土の人間との違いがよく分かる。太平洋戦争末期の激戦があった沖縄では現存する史料は少なく、大変貴重だが、本島以外では多少は残っていて、崎原の写真は石垣島に現存していた。
by nene_rui-morana | 2011-05-28 21:42 | 展示解説・フロアーレクチャー | Trackback | Comments(0)