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2年4ヶ月ぶりの京都訪問、何回目かは自分でもよく分からないが、来る度に新たな発見が、出会いがある。それほど京都という町は奥深い。
正直、今回のスケジュールは少々欲張りすぎたと感じている。もっと時間をかけてじっくり鑑賞したい場所を何箇所も早々に後にしたし、移動にもかなり時間と体力を使い、疲労のために少し感動が薄れたと感じる時もあった。しかし、来たからには可能な限り見たいという自分の本質はなかなか変えられず、良くも悪くも自分らしい滞在だったと思っている。 街歩きは大きな京都の魅力だが、今回はこの分野はあまり実行できなかった。それでも、並河靖之旧宅の周辺の町屋など心に残る場所はいくつもあった。清水坂では舞妓さんを見かけた。バスやタクシーの車窓から眺める京都の町も実に魅力的だった。智積院や本願寺の前を通った時はあらためて「こんな大きな寺だったのか」と実感したし、立ち寄りはしなかったが蕪村旧宅跡など多くの旧跡を見かけた。 滞在3日目は慌しい中にも「京都」を満喫できる一日だった。ホテル前から乗ったバスからは西陣織会館などが見え、下車した堀川寺ノ内バス停のすぐそばには【薄雲御所】(慈愛院)があったが、ここは法性寺跡地ともいわれ、日野栄子(足利義持夫人)ゆかりの場所だという。近くには茶道総合資料館や表千家不審庵、裏千家今日庵などがあり、長谷川等伯と千利休との関わりが脳裏に浮かんだ。本法寺から相国寺への間で、文字通り、歴史と芸術を満喫した。等伯、光悦、狩野派、光琳、若冲らの作品は言うに及ばず、歩きながら、応仁の乱の激戦地・百々津橋の礎石や、光琳の墓所・興善院などを見かけた。近世初期を代表する芸術家、等伯、光悦、光琳が、いずれも熱心な日蓮宗信者だったことは注目に値すると思った。 現地新聞の歴史関係の記事は持ち帰った。訪問先で入手した拝観券やパンフレット類は、旅の思い出であると共に自分にとっては貴重な歴史関連資料でもある。 もちろん京都の自然も見逃せない。知恩院三門から眺めた景観や実相院周辺の心休まる景色は、今でも脳裏に鮮やかによみがえる。 古都・京都には、日本の歴史が凝縮されている。歴史はこの地でつくられたとこの身で感じた。旅のすべてを語りつくすことは不可能だが、月並みながら、今回も多くの出会いがある素晴らしい旅行だったと思う。現地で得た感動を、未来に向けて人生をより豊かにする糧とするべく、引き続きマイペースで研鑽を重ねていきたい。
[京の冬の旅]初公開という壬生寺、まだ訪れたことがなかったので今回の訪問地に加えた。3月20日午後、岩倉実相院からタクシー、地下鉄、バスと乗り継いで、「壬生寺道」で下車した。
寺へ向かう途中に、新撰組屯所だった【旧前川邸】が特別公開されていて、売店で関連グッズが販売されていた。買い物はしなかったが記念スタンプを押して持ち帰った。「壬生 島原巡り」というマップも配布されていた。近くの【八木家】も屯所だったという。この界隈は、新撰組ファンにはたまらない場所だろう。 境内に入ると、新撰組隊士の墓所が眼に入ったが、有料で普通以上に新撰組に興味があるわけではないので、通過して本堂へ向かう。 説明を聞く人がたくさんいたので、先に裏手の庭園を見学した。枯山水でなかなか風情のある庭だった。 続いて「文化財展観室」に入り、仏像や面などの寺宝を見た。 本堂内に入り、ボランティアの方から説明を聞く。中央に安置された本尊・地蔵菩薩は藤原時代のもので現存最古に属する地蔵像だという。寺の歴史についても詳しく説明していただいた。本堂脇にある「千体地蔵塔」は、戦乱や鴨川の氾濫で市内が荒廃した時に野ざらしにされた石仏が誰いうともなくここに持ち込まれ、現在の規模にまでなったという。今回その存在を知った「壬生大念佛狂言」は、鎌倉時代に僧・円覚が文字が読めない人の前で説法をしたが、あまりに大勢の人が集まるので後方の人も分かるようにお囃子にあわせてパントマイムで教えを説いたことに始まるという。円覚は多分、大きく美しい声の持ち主で、演技の才能もスターとしてのカリスマ性もあったのだろう。今日の歌手兼俳優のような一面があったのかもしれない。いいマネージャーや演出家がいたのかもと、得の高いお坊さんに対していささか失礼な想像をしてしまった。 その後も説明が続いたが、時間がないので名残りを惜しみつつ途中で本堂を出た。 境内で何枚か写真を撮り、千体地蔵塔や本堂入り口で場所を聞いた「狂言堂」を見て、寺をあとにした。 新撰組で有名な当寺だが、その歴史や寺宝、壬生狂言などにも、大いに興味をそそられた。できればいつか、狂言を見てみたい。その時はこの界隈もじっくり散策したいと思っている。 なお、この後に清水寺へ行ったが大混雑で目的の【成就院】見学は叶わず、当寺が今回京都滞在の締めくくりとなった。
京都は何度も訪問したが、岩倉に足を運ぶ機会がなかったので、岩倉御所ともよばれる【実相院】は今回の滞在中にぜひ訪れたい場所だった。3月20日の昼時、相国寺から地下鉄とバスを乗り継いで現地へ向かった。予想していたより遠く、特に国際会館駅からかなり奥までバスで入ったが、道中は市内とは違った田畑や山々の景観を楽しめた。
ようやく終点の最寄バス停・「岩倉実相院」に到着し、石段を上がって門をくぐる。それほど規模は大きくないが、門跡寺院だけあり風格のある門だった。靴をぬぎ、入り口で料金を払って奥に入る。 まずは奥の書院に進み、ボランティアの方の説明を聞きながら、床の間に掛けられた後水尾天皇の「忍」の墨蹟や、その横の天袋の襖絵などを見た。 続いて隣接する客殿で、狩野派の襖絵を鑑賞、「謁見の図」が描かれた[上段の間]は特別公開である。狩野永敬筆の華やかな「群仙図」、探幽筆の杉戸絵「竹に虎」など、市街地からかなり離れたこの地で至宝の数々を堪能することができて、本当に感激した。 当寺で最も心に残ったのは、江戸前期より坊官によって書き綴られてきた「実相院日記」、約10年前に屋内の物入れから偶然発見されたという。書院や客殿の複数箇所に展示ケースがおかれ、幕末期の注目する記述部分を中心に展示されていた。坂本龍馬など一般人が注目する記載についてはマーキングされ、一部にパネル展示もされていた。幕末に幕臣が惨殺・梟首された事件にはイラスト?も描かれ、興味深く見入った。この日記を書いた人たちは、相応の絵心・文章力はあったのだろうが、ボランティアの方が話されたとおりその道のプロではない。しかし当時の世相を如実に伝えていて大変見応えがある。最近とみに関心をよせている幕末という時代と古文書、この二つの要素を網羅した貴重な史料をこの地で見られた喜びは、計り知れない。 「実相院日記」は今後より詳しい調査研究がなされ、史料としての評価は今後ますます上がっていくだろう。過去に修復記念等で「久我家文書」「楽音寺文書」「東寺百合文書」の特別展を見て大いに感銘を受けた。「実相院日記」に関しても、将来は国立博物館のような大きな施設で、本格的な展覧会が実現することを願っている。その時は京都はもちろん、日本のどこで開催されていても駆けつけるし、図録も購入する。それまでの間は、研究機関や寺院のHPで公開していただけると嬉しいのだか。 今回が[京の冬の旅]初公開という実相院、想像以上に充実した内容で言い知れぬ興奮と感動を覚えた。残念ながらここも長時間の滞在はできなかったのだが、今思い出しても胸が一杯になる。 今後再び特別公開されるなら、ぜひまた訪れたい。その時はあわせて、未だ訪問が実現していない鞍馬・貴船にも足をのばしてみたい。
今回の京都訪問の大きな目的の一つ、【相国寺 承天閣美術館】へは、宝鏡寺から徒歩で向かった。前に相国寺を訪れた時には美術館は既にオープンしていたが立ち寄らなかった。予想していたより遠くて少々疲れた。ようやく相国寺の境内に入った後も、入り口までけっこう歩いた。
靴をぬいでシューズロッカーに預け、大きな荷物もロッカーに預けて、料金を支払い展示室へ入る。展示室は第一と第二に分かれ、本日の特別展のタイトルは[世界遺産 金閣 銀閣 寺宝展]、副題は[墨蹟・絵画・茶道具の名品]だった。 今や大ファンとなった伊藤若冲の作品を何点も有する当館は自分にとって何としても訪問したい場所であり、出発前から楽しみにしていた。 第一展示室で早速、その若冲作品と感動の対面?を果たした。若冲といえば何といっても、あの鮮やかな色彩の花鳥図が思い起こされるが、当館ではそれらと共に、全くちがった作風の作品を鑑賞できた。 【釈迦三尊像】はあのカラフルかつ精緻な作風で仏様を印象深く描いていた。対して【玉熨斗図】はシンプルかつ大胆なタッチで描かれたモノクロ作品、こちらも一度見たら忘れられない。 圧巻はやはり、重文の【葡萄小禽図】と【月夜芭蕉図】、鹿苑寺の大書院を飾っていた障壁画で、館内に建物を復元し展示されている。こちらもモノクロの静かだが高貴で力強い逸品だった。 あらためて、若冲という絵師の多才さ、多くのジャンルを網羅した作品群の芸術性に、脱帽した。間違いなく彼は、今後さらに高い評価を受けるようになるだろう。上野の特別展はよく分からないまま感動し終わってしまったが、再び同規模の展覧会が実現することを切望する。 当館では他でも、貴重な寺宝群に心を奪われた。第一展示室と第二展示室の間を何度か往復し、夢中で見入った。 如拙、乾山、蕪村、友松、大雅、等等、日本美術史を代表する芸術家の作品を一堂に見られて、本当に感動した。副題のとおり、工芸品コーナーでは利休や紹鴎の名も見られた。墨蹟や絵画の賛には歴史上の人物が名を連ね、歴史書で見かけた【足利義満像】(足利義持賛)なども展示されていた。 今回の展示作品はどれも貴重な歴史的宝物ばかりで、見られてとても嬉しい。個人的に気に入った若冲作品以外の宝物は、まずは応挙の【釈迦十六善神像】、多彩な作風に応挙の底力を見る思いがした。また焼失前の金閣の頂を飾っていた【鳳凰】も心に残った。傷みが激しいために外されて別の場所に移されていたために焼失を免れた貴重な逸品、眼光は鋭いながらもどこかユーモラスで可愛らしい印象さえ受けたが、義満以来の激動の時代を生き抜いてきた逞しい宝物でもある。 当館は文字通り、相国寺という寺の歴史と力、その真髄を実感できる施設だった。本来ならもっと時間をかけてじっくり鑑賞するところだが、本日はこの後にも予定が入っていたので、涙を呑んで切り上げた。帰りがけにショップで小さなグッズを記念に購入した。次回京都に来た時もぜひ立ち寄りたい。その時はやはり、ゆかりの金閣、銀閣もあわせて訪問するべきだと思っている。
当寺は当初の訪問予定に入れていなかったが、本法寺にほど近く、次の目的地・相国寺へ向かう途中にあったので、立ち寄った。
当寺は多くの皇女が住職をつとめた尼門跡寺院で、和宮も幼児期ここに滞在したことがある。御所にも程近い。 建物内に入ると、最初の間には和宮を模した十二単姿の人形が飾られていて、ここだけは撮影が許されていた。 当寺の見ものは、本堂の狩野探幽筆の襖絵【秋草図】、雅な雰囲気がいかにも探幽らしい。並ぶのは現代画家・河俣幸和の襖絵、新旧の競演が楽しめる。書院には円山応震筆【四季耕作図】も風情ある私好みの作品、東京で同じ作者の似た作品を見たことを思い出した。応挙の杉戸絵は彼が愛した子犬が愛らしく生き生きと描かれており、こちらも心に残った。 【鶴亀の庭】も小じんまりと落ち着いた庭で、幼い皇女がここで遊ぶ姿が眼に浮かぶようだった。 想定外だった当寺でも、最近好きになってきた狩野派や応挙の作品などが見られて、嬉しかった。
3月20日土曜日、ホテルをチェックアウトし、本日最初の目的地・本法寺へと向かう。
二条城側のバス停から調べておいたバスに乗り、西陣織会館の前なども通り、堀川寺ノ内バス停で下車、そばにあったコンビニで本日最初の目的地【本法寺】の場所を聞く。堀川通りの向こう側で、すぐ近くには茶道総合資料館や表千家不審庵、裏千家今日庵などがあり、長谷川等伯と千利休との関わりが脳裏に浮かんだ。 東京で見た特別展【長谷川等伯】とその関連テレビ番組を通じて、ゆかりの当寺のことを知り、京都に行くことがあったらぜひ足を運ぼうと決心した。それからほどなく京都訪問が決まり、泊まったホテルからのアクセスも良く予想外に早く実現した。 通りから境内に入ると、門や多宝塔・鐘楼など立派な伽藍が眼に入る。大変失礼ながら、予想していたより大きな寺で驚いた。境内の看板で、開祖はかの「天文法華の乱」で有名な日親上人と知った。等伯の銅像と対面した後、しばし境内を散策する。本日は理想的な晴天で隣地内の木々の間からウグイスの鳴き声も聞こえる。ここには、平和で静かな時間が流れていた。 続いて、霊宝・宝物を見せていただく、受付に向かう。拝観は10時開始、時計の時刻は10分をまわったところでナイスタイミングだった。最初に奥様が、その後にテレビ番組でもお見かけしたご住職が出てこられて、奥へと案内していただく。宝蔵の鍵が開けられて中に入ると、特別展で魅了された等伯のあの大型の【佛涅槃図】が眼に入る。ご住職と共に手を掌わせた後、じっくりと見入った。ご住職は「隣の部屋も鍵を開けておきます。庭も見て下さい。」と言われて戻られた。 【佛涅槃図】のオリジナルは展覧会に出品中でこれはレプリカだが、実に見応えがある。特にここでは2階へも上がらせていただけるので、上部も至近距離で鑑賞できる。東京での特別展での感動が甦り、胸が一杯になった。 当寺所蔵の他の宝物は、開祖・日親上人の真筆や等伯筆の肖像画、狩野派の作品などで、こちらも一部はレブリカ展示だったが心に残った。由緒ある寺の歴史が彷彿とされる貴重な逸品揃いだった。 当寺はまた、本阿弥家の菩提寺でもあり、光悦の手による螺鈿の経箱や筆跡も残されている。中学時代の読んだ歴史小説に、光悦が熱心な日蓮信者だったと書かれていたことを思い出した。【巴の庭】は光悦作とも言われ、枯山水の影響を残しながらも桃山時代の息吹が感じられる斬新な庭で、芸術家・光悦の真骨頂がうかがえる。 庭と宝蔵との間を何度か往復しながら、貴重な品々と景観に繰り返し見入った。 帰りがけには、記念に絵ハガキを購入した。 当寺はまだ観光ガイドブックなどで紹介されることは少ないようだが、日本の、京都の歴史が感じられる、素晴らしい名勝だと実感した。【佛涅槃図】等が公開されるのは春の彼岸の頃だけらしいので、ぜひ来年も訪れて現物をここで見たくなった。 帰りがけに墓地をのぞく。入ってすぐの所にあった墓石群の卒塔婆に[本阿弥]の名が見えたのでこれが本阿弥家の墓所だと思ったが、帰郷後ネット等で調べたらどうも違うらしい。その点からも、再び当寺を訪れて光悦の先祖や一族に「私は光悦さんの大ファンです。光悦さんは日本を代表する大芸術家です。」と語りかけたい。
宿泊したホテルをこのカテゴリーに掲載するのはおかしいかもしれないが、今回はぜひ記したい。
京都国際ホテルがたつ場所は、かつて越前藩の藩邸があった所で、幕末の激動期に松平春嶽や橋本佐内がここで日本の行く末について策を講じあった。言うまでもなく、向かいの二条城は大政奉還の舞台となった場所、最近とみに関心を深めている幕末期の歴史が展開された地に、今回滞在できたのは大きな喜びだった。 客室から眺める二条城、朝食、万事満足し大変快適に過ごせた。機会があればぜひまた利用したいと思っている。
3月19日の金曜日、午後 を過ぎた頃、一日の観光を終え疲れ果ててバスでホテルに戻った。最寄りバス停の二条城前で降車して通りの向こうへ渡ろうとすると、城の入り口が大勢の人で賑わっていた。案内表示で本日からライトアップが始まったことを知る。係の人に聞くと、見学は20分ほどで中では物産展なども開かれているという。二条城は今回滞在中の見学予定には入っておらず、入ろうかどうか迷った。明日も一日あちこち廻るので体力温存のために早く休んだ方がいいだろうと一度は離れかけたが、決心して戻りチケットを買った。ホテルは眼の前だし、見るとしたら今しかない、明日のこの時間にはもう京都にはいないのだから。
二条城へは修学旅行以来足を踏み入れていないので記憶はあまりない。だから今回の見学と比較はできない。 中に入り、ライトアップされた白壁沿いに歩きその向こうへと行った。ライトアップされた城とピンク色の花(梅か桃か?)との取り合わせが実にいい。彼方には桜、花はまだ咲いていないが、こちらでも幽玄な美しさに圧倒された。二条城は桜の名所、ほどなく満開の桜に彩られるのだろう。 堀の傍まで来た時、思わず息を呑んだ。石垣に波打つ堀の水が映り、言い知れぬ幻想的な雰囲気をかもしだしている。想定外のこの光景に、見学を決めて本当によかったと思った。残念ながら手持ちのデジカメではこの美しさを記録に残すことはできなかった。 足元はよくなかったが、灯篭に照らされた道もなかなかだった。物産展では軽食コーナーもあり、ここで夕食をとってもよかったかなと思った。 賞味20分ほどだが、予想以上に素晴らしく、本当に感動した。次回もライトアップの時期にぜひ訪れたいと思った。あわせて、久々に日中の見学もしたい気持ちにかられた。
* 写真は近日中にアップします
私が日本で、世界で最も愛する場所のひとつ、今回の京都訪問の大きな目的でもある桂離宮の参観は、3月20日の午後に実現した。 3時少し前に到着、開門は参観開始より20分前なので、それまで周囲を写真撮影したりして過ごした。入り口付近の景観もなかなかのものだと思った。3時10分に入場、身分証明書を提示し拝観許可証を渡して参観者休所に入る。我々の回は本日最後で戻ったときには売店はもう開いていないそうなので、記念に小さなクッズを購入した。 3時半、いよいよ参観開始、拡声器を持った案内の方に続いて庭内へと入る。前回の訪問から3年余り、まだ記憶が残っているので順路の勝手はある程度分かる、表門に向かう途中の生垣の合間から庭の様子が垣間見え、興奮で胸が高鳴った。 御幸門から庭園方向に戻り、紅葉山の横をぬけると、目に飛び込んできたのはまぎれもなく、愛してやまない松琴亭、3年ぶりの感動の再会?、感動と興奮で胸が一杯になった。前回は紅葉が色づきかけた季節だったが、今は春のはじめ、新緑の季節にはまだ早いが緑が茂り前回よりも建物がやや隠されていたような気がした。外腰掛、洲浜、天の橋立、懐かしい景観が目の前に広がる。ここは庭園、建物、その他すべてが素晴らしい。 松琴亭という建物も超一級の芸術作品だが、ここから眺める離宮の景観も実に素晴らしい。拝観を申し込んだ時に「護岸工事のために庭池の水がぬかれている。」と言われたが、幸いにも参観直前に工事は完了した。張られたばかりの水鏡に、木々や対岸の古書院が映り、息をのむほど美しい。この景観の素晴らしさは実際にその場に立ってみないと分からない。もとより自分の拙い文章力や写真撮影ではとうてい伝えられない。 この後は池に沿って庭内を時計回りに進んでいく。賞花亭、円林堂、笑意軒を見て古書院に到った。十数年ぶりの訪問だった前回は文字通り感動と興奮の連続で高鳴る胸を抑えながら夢中で見学したが、今回はその時よりはやや落ち着いて見られたように思う。ほとんど何も知らないまま見学した前回に比べて今回は多少の知識もあったので、建物の内部なども注目して見た。 窓、襖、飾り棚、化粧天井裏、等等、桂離宮の建物は素朴だが凝った造りで、洗練された美しさがある。日本芸術の粋を尽くした至宝の数々をこの身で体感し、あらためて、世界に誇れるこのような文化・芸術を有する国に生まれたことを誇りに思った。建物の窓から覗く外の景観も風情があり心に残る。今回の京都滞在中に訪問した他所でも同じ光景が見られたが、窓枠や襖の桟が絵画のフレームの役目を果たしている。時間と共に、四季の移り変わりと共に変わる風景、ここで外を眺めていたら何時間たっても飽きないだろう。 飛び石、苔、四季の花々、庭を彩る役者?も超一級、ここでは季節ごとに多くのドラマが展開される。 古書院側から眺める松琴亭の姿も、実に素晴らしい。一の間の青白の市松模様もしっかり確認できた。今回あらためて、望遠機能がある一眼レフカメラが使いこなせたら、と思った。 今回は一時間の参観時間があっという間に経過した。見学を終えて庭園から出る時、彼方の松琴亭に「今日もすばらしい感動をありがとう。また必ず来ますから、その時までしばらく、ごきげんよう。」と名残りを惜しんだ。 できればもう少し後の桜の季節に訪れたかったのだが、仕事に関係でそれは叶わなかった。桂離宮の四季を自身で体験するのが今の私の見果てぬ夢、そして叶わぬ夢は建物の内部に上がること、私にとって桂離宮は、文字通り夢と理想の結晶なのである。 帰りがけには、穂垣や桂垣もじっくりと見た。 桂離宮に関して、自分の文章能力では、美しい、素晴らしい、といったありきたりの表現を繰り返すことしかできない。しかしここの真価は筆舌に尽くしがたいもの、自身の目で見てみなければ、写真や文章では到底理解できない。すべての人に声を大にして、参観手続きに多少手間がかかっても、ご自身で足を運ばれることをお勧めしたい。
並河靖之記念館を出て徒歩で金戒光明寺へと向かう。穏やかな晴天で散策には理想的な天候だった。平安神宮方面に北上し、丸太町通りを右折、途中に見つけた蕎麦屋で昼食をとった。
岡崎神社脇の細道をぬけて極楽橋を渡り、御影堂の前に出た。予想していたより遠く時間がかかった。拝観料を支払い、御影堂に入る。 ここの目玉は、今回のキャンペーン誌の表紙写真にも使われた[文殊菩薩]、運慶作といわれ、獅子に乗った優雅な仏様である。もう一体は吉備真備が唐から持ち帰った香木を行基が刻んだといわれる[吉備観音]、ボランティアの方が解説を申し出で下さったが時間があまりないのでお断りし、急いで見て奥へと向かった。 幕末に京都守護職に任命された会津藩主・松平容保は、ここに本陣を構えた。大方丈は焼失後に再建されたものだが、新撰組が容保に拝謁した「謁見の間」は、やはり風格があった。ここには容保の遺墨がかけられ、今回は他にも会津藩ゆかりの兜その他の資料が展示されていた。 他には富岡鉄斎、谷文晁の屏風絵を展示、こちらが見られた意義は大きい。久保田金僊による虎の襖絵は色鮮やか、今年の干支と同じでタイムリーな拝観だった。 堂内をひと通り見た後、[紫雲の庭]にも入り記念撮影、その後再び堂内を足早に見てまわった。 以前一度ここに来た時はさほど興味を覚えなかったが、今回の御影堂内見学に加え、堂内で入手したパンフレット「会津藩と黒谷と新撰組」を読んで、当寺に深い関心を寄せるようになった。 今回の当寺の特別公開は、自分にとっては大変貴重なもので、もう少し時間をかけて見学したかった。できればボランティアの方からも詳しい説明が聞きたかった。 しかし本日は、この後にここからかなり距離がある桂離宮の参観が控えており、時間的にも体力的にも、後ろ髪ひかれる思いで見学を切り上げざるをえなかった。 次回、できれば御影堂内に入れる時に再びここを訪れてじっくり見学し、その時は「会津藩殉難者墓地」の方まで足をのばしたい。 < 前のページ次のページ >
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