![]() by nene_rui-morana カテゴリ
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日本中から熱い視線を浴びた今日5月22日を、私は東京スカイツリーの御膝元、東京都墨田区で過ごしました。
![]() 日中はしばしば、タワー上層部が雨雲で隠れました。界隈の道路には交通整備のボランティアらしき方々がたくさん見られました。なお、滞在したビル内で写真撮影したため、窓ガラスにカメラが写っています。 夕方は東京ソラマチに、当然ながら大変な混雑で、期間限定グッズなどを探す余裕もなく、本日は夕食と簡単な店めぐりにとどめました。 ![]() 屋外に出ると、一時弱まっていた雨足が再び強くなっていましたが、周りの人の多くはライトアップされたタワーに歓声をあげながら、カメラや携帯で撮影していました。 まだ時間を見つけて、足を運びたいと思います。
本日5月21日、各地で金環日食が観測されました。
昨日の天気予報では東京の天気は曇りで観測できるかどうか微妙なところ、通勤準備時間帯とも重なり早起きできる自信もなかったので、何の準備もしませんでした。 そして今朝、いつもより1時間以上も早く目が覚め、カーテンをあけると、予想に反して朝日が照っています。家族がメガネがあるかコンビニを見てきてくれましたが、「昨夜までは山ほど在庫があり売れ残りそうで心配していたが、一時間ほど前に完売しました。」とのこと、手近な下敷きやサングラスで試してみましたが全滅でした(昔の部分日食の時は下敷きで鮮明に見えたのですが)。 よって今回はテレビ中継を観測?、夜の記念番組と夕刊を記念に残します。かえすがえすも、残念でなりませんでした。 同僚の何人かは見たとのこと、ある人は「うちの近所は曇っていたから、テレビ映像ほどは綺麗に見えなかったよ。」とのことでした。
本日5月21日、各地で金環日食が観測されました。
昨日の天気予報では東京の天気は曇りで観測できるかどうか微妙なところ、通勤準備時間帯とも重なり早起きできる自信もなかったので、何の準備もしませんでした。 そして今朝、いつもより1時間以上も早く目が覚め、カーテンをあけると、予想に反して朝日が照っています。家族がコンビニを見てきてくれましたが、「昨夜までは山ほど在庫があり売れ残りそうで心配していたが、一時間ほど前に完売しました。」とのこと、手近な下敷きやサングラスで試してみましたが全滅でした(昔の部分日食の時は下敷きで鮮明に見えたのですが)。 よって今回はテレビ中継を観測?、夜の記念番組と夕刊を記念に残します。かえすがえすも、残念でなりませんでした。 同僚の何人かは見たとのこと、ある人は「うちの近所は曇っていたから、テレビ映像ほどは綺麗に見えなかったよ。」とのことでした。
私事で恐縮ですが、本日また一つ年齢を重ねました。
昨年の大震災で日本という国家は根底から揺さぶられましたが、ほどなく自分の身辺にも過酷な現実が怒涛のごとく降りかかってきました。特に今年の2月以後は待ったなしの対応を迫られる事態が相次ぎ、被災地の方々には比較すべくもありませんが、生きる厳しさを痛感させられました。 そして想定外の人事異動、ショックで言葉もないまま、限られた時間での引き継ぎ等を余儀なくされ、感傷にひたる余裕もないまま新職場で日々格闘しています。 昨年はかねてより待ち焦がれていた酒井抱一生誕250年目、他にもいい企画展が多数予定されていましたが、震災で中止になったり自身のスケジュール調整ができなかったりで、幻となった展覧会がたくさんありました。 本日もできれば休みをとってどこかの美術館で思い出づくりをしたかったのですが、多忙に加え、都心の天候は不安定で雷や突風の心配もあり、何よりも疲労困憊していたため、断念しました。 本日は、仕事も食事も、全く普通に過ごしました。 正直前途が見出せない日々、そんな中、崇高な芸術作品は何よりの癒しとなります。 今後旅行はいつ行かれるという保証もないので、近場の美術展だけが心の支え、多忙な中でのスケジュール調整は困難この上ありませんが、可能な限り足を運びたいと思います。
第Ⅱ部 清朝宮廷文化の精粋―他文化のなかの共生―
第Ⅱ部を彩るのは清朝の華麗な文物の数々、特に中国史上屈指の名君とされる乾隆帝は展示の中で重要な位置を占めている。 第1章 清朝の礼制文化-悠久の伝統- 展示のスタートはそのものずはり【乾隆帝像】、25歳の若き日の肖像画で作者はイタリア人ジュゼッペ・カスティリオーネと言われている。 続いて、皇帝や皇后の礼服、宮廷女性を華やかに彩った簪や髪留・腕輪・数珠などが展示されていた。金印も見応えがあった。 【康熙帝南巡図巻】はこの日特に心に残った逸品、、私が好きな日本の絵巻物や屏風絵と共通点があるが、よりスケールが大きく壮大かつ多彩な逸品、何時間見入っても見飽きそうになく、この後も幾度となく作品の前に戻って特に念入りに鑑賞した。もともとは全十二巻で現存するのは九巻、本日展示されているのは第十一巻と十二巻だが、それだけでも圧倒的なボリュームがあり、清朝皇帝の権威・文化に対する造詣の深さを体感した。壁には各所の現在の写真をパネル展示、破壊された建物など現存しないものは日本の小川一真が撮影した写真が往時の様子を伝えていた。 【御製五体清文鑑】は五か国語の対訳標音辞典、満州族である清朝皇帝は他民族の伝統文化を尊重することで国家を統治してきたが、その歴史を物語る史料ともいえると感じた。 第2章 清朝の文化事業-伝統の継承と再編- このコーナーの主役はもちろん乾隆帝、【乾隆帝是一是二図軸】は至宝の数々に囲まれて物思いにふける乾隆帝の姿が描かれている。そして背後にはこの作品に描かれている遺愛の品々を展示、清朝皇帝は名宝の数々に囲まれて生活していたことを再認識した。 【藍地粉彩蓮華文花盆】はサンプル画である【粉彩蓮華文花盆 図様】と併せて展示されており、興味をそそられた。 数々の調度、書画、写本、等等、展示のすべてを語りつくすことは到底できない。 第3章 清朝の宗教-チベット仏教がつなぐ世界- 仏教関係を展示したこのコーナー、【八宝法具】は≪空海展≫などで見た日本の法具が思い出されたが、より綿密な装飾が施された華麗な作品だった。 インド・バーラ朝の仏像には宝飾も施され、華やかな印象を受けた。 チベット仏教にも寛容な政策をとった清朝、本日は通常では接する機会の少ないこの分野の展示も見られ大変嬉しかった。【大威徳金剛立像】は多くの顔や手など複雑な造形が卓越した鋳造技術で完成され、どこかユーモラスな印象を受けた。 第4章 清朝の国際交流-周辺国との交流- ラストの章にも乾隆帝の肖像画が展示されていた。【乾隆帝大閲像軸】は騎馬民族に相応しく凛々しい馬上姿で描かれている。 【銅製鍍金三辰公晷儀】【銅製鍍金嵌琺瑯晷儀】は清朝の学問水準の高さがうかがえる作品、【銅製鍍金琺瑯亭昇降塔飾置時計】はオルゴールとからくりも仕掛けられ、金や青・緑など色の造形も鮮やか、鑑賞用としても超一級の美しい逸品だった。 【万国来朝図軸】には、日本の他に朝鮮や琉球、また清とは藩属関係になかったイギリスやフランスの使者も描かれていて、国際色豊かで多くの情報が入ってきた当時の北京の姿がうかがえる。 【乾隆帝生春詩意北京図軸】は本展覧会を締めくくるに相応しいダイナミックな大作、縦横2メートルを超える絹本に、紫禁城・北京の町並み、彼方の山々、そして往来を行き来する人々が緻密に描かれ、非常に見応えがあった。私が好きな日本の風俗屏風絵や絵巻物をさらにスケールアップしたようで、隅々までじっくりと見入った。 本日はまた、館内で【紫禁城 天子的宮殿】というフィルムもリレー放映されていた。
あの日から一年がたちました。
当日私は、出光美術館で開催されていた酒井抱一の展覧会を見に行く予定で事前に早退の申請をし、そろそろ帰り仕度を始めようと思っていた矢先、経験したこともないような激震に襲われました。 以後今日までのことは、とうてい語りつくせません。 被災地の方には比較になりませんが、自分にとってもこの一年は公私共に大変過酷で、まだ大きなハードルを抱えています。ブログの更新が滞っているのもそのためです。 被災地からの映像、特に身内を亡くした未成年の若者幼児の姿に、あふれる涙をおさえられないこともしばしばでした。 一方で、未曽有の天災に見舞われながら前向きに生きておられる現地の方々の姿に、自身もどれほど勇気づけられたかわかりません。時間はかかりましたが、東北在住の知人からは全員連絡がつきました。 あらためて、被災地の一日も早い復興を心よりお祈りします。 いつか必ず、日本屈指の景勝地・東北を、旅したいと思います。
宮城県多賀城市在住の友人から年賀状が届きました。
昨年1月にご主人の転勤で新潟から多賀城に引っ越したことを知り、2か月後に震災が発生、自分は何をすることもできないまま時間が流れていきました。 それだけに今回の喜びは言葉では表現できません。ご主人は津波にのまれた会社で一夜を過ごし、脱出後も配給待ちや長距離通勤に奮闘されたとのこと、看護師の資格を持つ友人はボランティアで大活躍したようです。中学生と小学生の二人のお子さんも元気に学校生活を送っているそうで、本当に安堵しました。 復旧にはまだ時間がかかると思いますが、あらためて、現地の皆様の健康と一日も早い復興を心よりお祈りします。 過酷な環境下でも前向きに生活されている皆様に勇気をいただきつつ、自分も日々の責務をこなしていきたいと思います。
慌ただしい中、感傷にひたる間もないまま、新年を迎えました。
さっそく元旦から様々な用事が入り、先が思いやられますが、引き続きマイペースで趣味に向き合っていきたいと思います。 今年もどうぞよろしく。
2011年も本日で終わりです。
一年前は、来たるべき新年に向けて、様様な抱負を抱いていました。 2011年は敬愛なる酒井抱一の生誕250年目、関連展覧会にはすべて足を運ぶつもりでおり、できれば姫路にも行きたいと思っていました。他の都市への旅行も、海外を含めて2~3回は行く予定でした。 そんな年頭の希望を根底から覆した3月の大震災、3月11日以後、それまで当たり前に享受していた平凡だけれども安穏とした日々、仕事帰りに夜間延長の展覧会に足を運び、余韻にひたりながら食事とお酒を味わい、帰宅後に風呂で心地よい疲れを癒した後にパソコンに向かう、それが実現可能な生活が、どれほど恵まれた幸せなものだったのか、実感しました。断続的に襲ってくる余震や原発事故の恐怖に脅え、パソコンに向かう余裕もなく、公共の乗り物に乗っている間も心休まらず職場以外の場所へ出向くこともままならない毎日、被災地の情報を伝えるテレビニュースを見る度に涙があふれました。 被災された方々とは比較するべくもありませんが、自身の生活も大きく変わりました。加えて今年は公私共に大きな試練に見舞われ、6月の時点で年内の旅行は断念、空前の円高を記録した2011年は自身にとっては20数年ぶりに一度も海外の土を踏まない年となりました。出光美術館での酒井抱一展を含め、心待ちにしていた展覧会のいくつかは中止となりました。様々な出来事への対応が精いっぱいで、足を運んだ展覧会の記事は年内にアップするという目標も実現できず、年越しとなりました。 未曾有の国難に何もできない自分の無力さを幾度となく実感する一方で、過酷な環境の中でも未来に希望を託して前向きに生きておられる被災地の皆様に、心底勇気づけられました。また、治安と節度を守り計画停電その他や被災地復興に取り組む日本国民の姿に、誇りを感じました。 間違いなく戦後最大の試練の年となった2011年が、間もなく終わります。自身にとっても大きな課題を背負っての新年のスタートとなりました。正直、過去の経験で乗り越えられるのか、自信はありません。 しかし後戻りはできないので、一筋でも光明が見出せるよう、強く前進したいと思います。 あらためて、被災地の一日も早い復興を祈ると共に、2012年が良い年となることを切望してやみません。
台風15号直撃の予報が出ていた当日、レインコートや強い傘など、それなりの準備をして出勤した。
午後になって降り始めた雨は3時過ぎから激しくなり、終業の頃はたたきつけるような暴風雨、所属係のある9階のフロアーは風圧で船のように揺れて地震と錯覚するほどだった。 5時過ぎの時点では窓から見るとまだ空車が走っていたが、打ち合わせその他で職場をあがれたのは6時過ぎ、ニュースでは交通機関が止まったとの速報が次々と報じられ、帰宅の足を奪われた同僚がフロアーにたくさん残っていた。 タクシーを利用するつもりだったが、拾えなかった場合はバスでと思い、手荷物を炭カルの手提げ袋に入れて意を決してバス停に向かった。 職場の周辺は高層建築が乱立し、通常でも非常に強い風が吹く。必死の思いで前に進んだ。 バス停まであと50メートルほどのところで、これまで経験したことのないような強風に巻き込まれる。息がつまり、一瞬何が何だが分からなかった。24本の骨がある傘はお猪口になったかと思うとあっという間に無残に壊れた。前にも進めない。風に巻き上げられるか、転倒してコンクリートの地面にたたきつけられるかと思った。1分に満たないこの時間が、非常に長く感じられた。決して誇張ではなく、この時は本当に身の危険を感じた。 必死の思いでバス停に到着、既に大勢の人が待っていた。背後に高層ビルがあり、雨風が容赦なく襲ってきて、傘は役に立たない。 到着したバスは「満員なので次の車を利用して下さい。」と言って通過した。たまに通るタクシーはすべて人が乗っているか回送で乗車拒否され、空車が来る気配はない。 どうしたものかと迷い、駅まで行けばタクシーに乗れるかと思い、とりあえずJR駅まで向かうバスに乗った。間もなく雨はやみ、一番悪いタイミングで出てしまったと後悔した。駅まであと2停留所というところで都道は大渋滞となり、車が動く気配はない。やむなく、一つ手前で下りる。車道には水があふれ、歩道には壊れた傘や街路樹の枝が散乱していた。通常なら20分ほどで到着する行程が、倍近くかかった。 ようやく駅前に到着するも、タクシー乗り場には長蛇の列でいつもは常時20台ほど待機している空車は一台も見られない。道中の渋滞から鑑みて、ここで待っていてもタクシーが来る見込みはない。駅前のバス停は自宅近くを通るバスの始発だが、こちらもあっという間に満員となって乗れず、後続車がいつ到着するか分からない。 ここも周辺に高層建築が多く、強い風が吹き付けるので、先刻の恐怖から立って待つ気分になれない。地下鉄が動き始めたとの情報を得たので、とりあえず乗ることにした。すぐに電車は来たが、一つ先の駅で折り返し運転となり、その先までは動いていない。仕方ない、ここから歩いて帰ろうと、出口を目ざす。 接続する私鉄は止まっていて、改札前は人であふれていた。ラッシュ時の電車の中のような人混みをぬってようやく階段へ到着、多くの人が座り込んでいた。 地上に出るも、強風が吹き続けている。通常はここから自宅までは徒歩で30分程度だが、先刻の恐怖がまだ生々しく、落下物等に当たったり車道に転倒したりといった身の危険も感じ、歩いて帰るのは無理だと判断した。 幸い、近くに叔父の家があるので、電話をして少し休ませてもらうことにした。 10分足らずの道中も、高層住宅があり決死の行程となった。 叔父の家に到着した時は、安堵の気持ちで全身の力が抜けた。 仏壇に手を掌わせ、クーラーの側で汗だくの体を冷やし、お水やコーヒーをいただいた。長年運転手をしていた叔父は地元の道路にも精通している。当初はタクシーを呼ぼうと思ったが「渋滞してて来てくれないよ。もう少しすいてきたら送ってやるよ。」と言ってくれた。 しばらく世間話をした、午後8時過ぎるとさすがに空腹感を覚え、御飯や漬物などの夕食をいただいた。 何度か家の前の道路を見ては「まだ渋滞してるな。」を繰り返し、午後10時を過ぎて「そろそろ行くか、抜け道を使うから。」と出発、橋を渡って隣区に行く道はまだ詰まっているが、別の道路は透いていて、通常とさほど変わらない時間で自宅に着いた。何度も何度も御礼を言い、車を見届けた後、家に入った。この時までは気持ちが張っていて気がつかなかったが、雨と風で髪の毛は滅茶苦茶に乱れていた。 今回の台風で、都心では3月の震災に続いて多くの帰宅難民が発生した。強風で徒歩が困難な点は前回よりも深刻だったといえる。 高層建築の下で強風に見舞われた時、空襲下を逃げた祖父母や、今回の津波に見舞われた被災者の方々の気持ちが、規模は全く比較にならないにせよ実感できる思いがした。自分はこの年になるまで、真の自然の脅威はまだ分かっていなかったことを今回痛感した。遅ればせながら、この経験を真摯に受けとめて今後の教訓としたい。 公務員をしている知人の話では、当日は多くの職員が防災待機となって台風下も街中を巡回し、台風一過の翌日は道路管理関係部署は浸水関係その他により電話が鳴りっぱなしだったという。地元のゴミ収集の日には、多くの壊れた傘が出されていた。 今回あらためて感じたが、高層建築の乱立に伴い強いビル風が吹くようになり、時に弊害が生じる。現在の職場に移ってから台風でなくても傘を何本もダメにしたし、歩行に困難を感じることもしばしばある。高層建築を建てる時は、1階部分等に風と雨を遮断する屋根・壁附きの歩道の設置を義務づけてほしいと感じた。 < 前のページ次のページ >
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