IE9ピン留め

趣味の史跡巡り、美術展鑑賞などで得た感激・思い出を形にして残すために、本ブログを立ち上げました。心に残る過去の旅行記や美術展見学記なども、逐次アップしていきたいと思います。
by nene_rui-morana
カテゴリ
全体
展覧会・美術展(日本編)
展示解説・フロアーレクチャー
酒井抱一生誕250年
展覧会・美術展(外国編)
講演会・講座(含 回想)
平城遷都1300年巡り
東京スカイツリーの町から
慶州歴史めぐりと釜山
第44回京の冬の旅+α
横浜開港150年
エピローグ
思い出の展覧会
紅葉めぐりスタンプラリー
小旅行
幻の展覧会
歴史
名所旧跡巡り
芸術
映画
文学
季節の風物詩
近郊散策
記事作成中(近日中アップ予定)
書評
未分類
以前の記事
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 07月
2007年 06月
お気に入りブログ
ライフログ
幕末明治の
最新のコメント
こんばんは。 「歌川国..
by desire_san at 23:06
こんにちは。 平木..
by desire_san at 15:00
こんにちは。 「隠..
by desire_san at 14:26
こんにちは。 「隠..
by desire_san at 14:26
こんにちは。 私も..
by desire_san at 17:47
こんにちは、初めまして、..
by あーすぷらざ(地球市民かながわ at 15:24
「レンブラントからシーボ..
by kaguragawa at 20:38
拙ブログをエキサイトブロ..
by kaguragawa at 21:12
こんにちは。 「手紙」..
by letterstand at 15:54
メモ帳
最新のトラックバック
補:〔M.Kuroda〕..
from め ぐ り 逢 う こ と ..
検索
タグ
ネームカード
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by excite

絵で楽しむ忠臣蔵
 正月2日、江戸博5階の企画展示室は二つのコーナーに分けられ、先記の龍の企画展と表記展覧会とが開催されていた。
 暮れに平木浮世絵美術館で見た同内容の展覧会が大変良かったので、国貞作品を多数所蔵する本館の展示も楽しみにしていた。

●第一章 物語に魅せられて
 第一章はもっとも展示のボリュームがあり、≪仮名手本忠臣蔵≫に江戸の庶民がどれほど熱狂したのかがうかがえた。
 まず目に入ったのは、壁面に展示された落合芳幾の【仮名手本忠臣蔵】、大序から大尾まで全13枚の力作である。
 振り向くと展示ケースの中には我が歌川国貞の作品、相変わらず役者の個性や衣装の表現に関しては自分の拙い文章力ではとても伝えられない。特に【瀬川菊之丞のニ役早替り おかる勘平 中村芝翫の一文字屋才兵衛】は素晴らしいと思った。
 並んで展示されている歌川国芳画は四人の人物が描かれていた。
 その後も次々と国貞作品が目に入り大感激、国貞は間違いなく忠臣蔵の代表絵師といえるだろう。【忠臣蔵夜討の図】には手前の人物が持つ太鼓に「命依義軽」と書かれている。このような細かい表現も心憎い。
 【義士両国橋退去図】は、壮大な構図から一目で歌川貞秀作と分かる。本日、国貞・貞秀師弟の競作を見られたのも大変嬉しかった。

●第二章 ヒーローたちに憧れて
 表記タイトルなら主役が国芳作品であることに意義をはさむ余地はないだろう。中央ケースに展示されているのは【誠忠義士伝】、動きのある構図に魅せられる。【誠忠義臣名々鏡】のコマ絵は国芳の長女と次女が描いたと言われている。北斎の娘・応為と同様、偉大な父の血はしっかりと娘にも受け継がれたのである。
 このコーナーでは、同タイトルの【誠忠義士伝】を国貞・国芳の兄弟弟子の競演で見比べて楽しんだ。壁には弘化~嘉永年間に描かれた国芳作品、手前のケースには国貞晩年の作品、一部タイトルが異なっていた。
 国貞・国芳ともに、最近の自分にとっては極めて重要な絵師、その意味ではこのコーナーはまさに夢の競演で、感激もひとしおだった。


●第三章 パロディを玩味して
 最終章のタイトルも私好み、残念ながら先日の展覧会でノックアウトされた歌川広重の【見立滑稽忠臣蔵】は出展されていなかったが、興味をそそられる作品が数多くあった。
 【後姿忠臣蔵絵巻】はタイトルのとおり、登場人物は後姿であったり、袖などで顔を覆っている。
 【東都高輪泉岳寺開帳群衆之図】は、駕籠の猪人形や、水引暖簾の雁木模様などに、細やかな遊び心が感じられる。
 【忠臣蔵見立人形】は素材を忠臣蔵に見立てた<寄せ絵>(異り絵、変わり絵ともよばれる)、謎解きとしてもとても楽しい。
 他の展覧会でも見かけた八世市川団十郎の死絵が此処でも出展されていた(バージョンは別)。
 大トリを飾るのは、豊洲でも展示されていた国貞の【絵兄弟忠臣蔵】、この作品は国貞の代表作だそうで、再び見られて大変嬉しかった。四段目は前垂れの裾に<佐乃喜>と書かれているが、これは版元・佐野屋喜兵衛をもじったもの、このような国貞の趣向がたまらない。今回でさらに、国貞が大好きになってしまった。


 暮れの平木浮世絵美術館に続き、浮世絵にとっては重要なテーマである忠臣蔵の展覧会を江戸博でも見ることができて、触発されたことも多く、自分にとっては未来につながる貴重な経験となった。国貞や国芳ら御贔屓絵師の作品を堪能し、新たな魅力を発見し、探究心を掻き立てられた。今後も同様な展覧会が開催されたら、ぜひ足を運びたい。
 本企画展は12月から始まり、前後期で展示が変わったことを会場で知る。事前に分かっていれば前期も足を運んだのに、残念だった。

 当日は正月の臨時開館日ということで、常設展示室は観覧料無料、館内では≪えどはくでお正月!2012≫と題して様々な企画が催されていた。
 自分の滞在時にすべてが行われてはいなかったが、えどはく寄席、邦楽演奏、クロスワードパズル、絵はがきプレゼント、企画関連ワークショップでの「組上絵であそんでみよう」、等等、楽しそうな内容が目白押しだった。また江戸町人や鹿鳴館風のコスチューム姿の人が展示室内を歩いて来館者の記念撮影に応じていた。
 当日私は予想外に当館の滞在時間が長引き、この後に考えていた上野に行かれず国立博物館の正月イベントが体験できなくなったため、「今日はあちらに行けばよかったかな。」と少々後悔もしたが、宝船の絵をいただいたり本日ならではの催しを体験できたので、やはり来てよかったと思った。
# by nene_rui-morana | 2012-02-08 14:40 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(1)
歴史の中の龍
 平成24年の干支・辰にちなみ、江戸東京博物館5階の企画展示室では昨年末から龍の企画展が開かれていた。我が歌川国貞の作品も展示されているようなので見ておきたいと思い、正月2日、1階の特別展を見学した後に常設展スペースへと移動した。
 龍は日本人が畏れ、一方で憧れ親しんできた仮想の霊獣、展示室にはこの龍をかたどった武具や工芸品、また龍についてかかれた典籍や錦絵などが展示されていた。


●第1章 干支のなかの「龍」
 展示のスタートは【七福神宝船の図】(歌川芳虎画)、宝船の舳先は龍、上部に廻文<なかきよの とをのねふりの みなめさめ なみのりふねの をとのよきかな>が書かれている。
 続く国芳の【十二支見立て職人づくし】では、龍は玉師(あい玉づくり)として描かれていた。
 他には、和時計や年代記などが展示されていた。


●第2章 龍の力
 第2章には、龍を描いた絵草子類や、龍が持つとされる力にあやかった品々が展示されていた。
 ケースの中に国貞の【竜王太郎英雄譚・巻七】が展示されていて大感激した(署名は豊国)。
 一方、水の神・龍がモチーフとされた代表格は火消し関係の品々、【龍吐水】の他、龍の刺繍がされた火事装束などが出展、実際の火消し装束もあったが時代が下ったものは着て楽しむのが目的だった。
 火消しの姿を描いた浮世絵もあり、芳虎の【江戸の花子供遊びのうち 一番よ組】の人物は龍の刺青をしていた。国貞の【臥煙もの 四世市村家橘】は本日最も心に残った作品、やはり刺青をした火消人足は定火消に属するという。併せて描かれた纏・提灯・龍吐水とのコンビネーションも絶妙、国貞の真髄が堪能できる珠玉の逸品、この絵の前に何度も足を運び繰り返し見入った。
 異色の展示としては薬の看板と包紙、【登龍丸】や今日にも伝わる【龍角散】の看板が出展されていた。このジャンルも作品のデザインも個人的には気に入った。
 他には武具類や龍頭などを展示、倶利伽羅竜王の前立てなど非常に凝った作りだった。


●第3章 干支のなかの「龍」
 第3章の展示は龍がデザインされたグッズ類、たばこ入れ、印籠、櫛、笄、等等、龍文は江戸の人々に愛された。お馴染みの龍虎をあしらったものも見られた。
 他には反物や長襦袢、さらには「龍」の字凧も展示されていた。


 本企画展は、今年のスタートを飾るに相応しい内容だったと思う。龍ゆかりの品々はどれも見応えがあり、江戸の粋が感じられた。国貞や国芳の作品が見られたのは特に嬉しかった。
 自分は参加しなかったが、この日と翌3日は<辰年書初め体験>やパフォーマンス書道などの正月イベントも催された。
# by nene_rui-morana | 2012-02-07 10:32 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
平清盛
[副 題] NHK大河ドラマ五〇年特別展

[見学日] 平成24年1月2日(月)

[会 場] 江戸東京博物館


 最近は多くの博物館が正月二日から開館しているが、江戸東京博物館もその一つ、表記特別展は告知された時から見たいと思っていたので、様々な正月イベントが催される新年初開館日に訪問し、平成24年展覧会見学のスタートを切った。
 会場内はなかなかの盛況だった。


 厳島神社の鳥居の写真に迎えられて会場内に入る。
 日本史に興味を持ち始めた幼き頃、夢中になっていたのが源平合戦の時代、平清盛よりは少し後の時代となるが歴史小説や関連書もずいぶん読み、高校の史学部でもこの時代を研究した。したがって、清盛その人直接ではないが彼の時代にはそれなりに取り組んできたので、清盛の関しては人並みの知識はあると思っている。
 実際に本特別展からは、かつて追求してきた内容を実史料で再確認できたという感想を得た。また、随所に当時の様子を現代の新聞風にまとめた【平氏ニュース】が展示されていて、こちらはこれから歴史を学ぼうとする小中学生等にとっても良い指南になったと思う。


●第一章 平氏隆盛の足跡
 第一章は、清盛の一生と平家の盛衰を駆け足で伝えていた。
 特に心に残ったのは【平清盛請文(武家手鑑)】(重文)、清盛自筆書状にはやはり注目させられる。【後白河院庁下文】は大学のテキストか歴史書で目にしているかもしれない。清盛は院司の一人<参議右衛門督平朝臣>として連署・花押をしている。
 【中右記】【山槐記】など当時を伝える実史料も自分にとっては意義のある展示だった。


●第二章 清盛をめぐる人々
 第二章は清盛所縁の人々に関する展示が中心だった。
 【鳥羽法皇・美福門院・八条院像】【待賢門院像】などは歴史書で見た記憶がある。
 在学中の古文書学の成績は惨憺たるものだったが中世の古文書は好きなので、【後白河法皇参詣時祈念祝詞】(厳島神社所蔵)や【藤原忠道消息】(重文)、【平宗盛消息】(重文)などは自分にとっては嬉しい展示だった。特に<安元三(1177)年6月5日>という日付が特定できる【伊都岐島水精寺勤行日記注進状案】は800年の歳月を経て歴史を伝える史料として強く心に刻まれた。


●第三章 平氏の守り神-厳島神社
 いよいよ本特別展の目玉、【平家納経】(国宝)と感激と対面、感動と興奮で胸が一杯になった。日本美術の粋と呼ぶに相応しい、豪華で、華麗で、雅びな名品、この作品も一部を以前に見ているが、後世の琳派芸術等に触れた今日ではまた格別に感じるものがある。もちろ本日特に心に残った展示で、何度も念入りに見入った。
 【金銀荘雲龍文銅製経箱(平家納経納置)】(国宝)や【松喰鶴文蒔絵小唐櫃(伝安徳天皇調度納)】にも注目させられた。
 【伝源為朝所用 小桜韋黄返威鎧】(国宝)を見た時、先の≪法然・親鸞≫の展覧会で熊谷直実関係の史料を見た時と同様、為朝は物語上の架空の人物ではなく実在し歴史に名を残した人物であることを実感した。
 会場の一部には厳島神社の模型も設置され関連ミニ番組をリレー放映、遥かなる昔に現地を訪れた時の記憶が懐かしく甦ると共に、【平家納経】の美にこめられた一途な思いも感じられた。


●第四章 平氏の時代と新たな文化
●第五章 平家物語の世界
 第三章の後半以降はどこまでの展示がどの章に属するのか明確に記録しなかった。
【権中納言平清盛家政所下文(御判物帖)】(重文)や【後白河院并建春門院神宝物奉納日記】【官幣并神宝物等奉納日記】などの古文書は先のコーナーと同様に興味深く見た。
 厳島神社に奉納された舞等で使用されたであろう伎楽面や楽器には、古の日本の演劇を垣間見る思いがした。江戸より前の時代に制作された【平家琵琶 銘 千鳥】き京都市文化財に指定されている。
 装飾経の他に仏像・仏画も展示、【閻魔天像】(国宝)の水牛に坐した閻魔は観音のように優しい表情だった
 ゆかりの遺跡からの出土品の中の白磁の壺や碗、さらには当時の船の模型などから、平氏が行った日宋貿易を生で感じる思いがした。 
 展示のフィナーレは≪平家物語≫を描いた絵巻や屏風、合戦シーンを描いた作品から中高生時代の古文の授業が思い出された。全編完璧に読んだわけではないが、≪平家物語≫も好きな古典だった。


 本特別展は若き日に夢中で追求していた時代の展覧会で、とても懐かしく思うと共に、今回も新たな発見がたくさんあり、有意義な内容だった。
 【平家納経】の素晴らしさはとても言葉では表現できず、いつか全幅を公開する展覧会が実現してほしいと心底感じた。


 会場を出ると、ミュージアムショップの側で関連ミニ番組が放映されていた。
 【平家納経】の絵葉書その他を記念に購入し、昼食をとった後、常設展コーナーの企画展を見学に向かった。
# by nene_rui-morana | 2012-02-04 20:20 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
「隠元禅師と黄檗文化の魅力」展
[副 題] 萬福寺開創350周年記念

[見学日] 2011年12月29日(木)

[会 場] 日本橋高島屋8階ホール


 年末の新聞に表記展覧会の広告が大々的に掲載された。伊藤若冲の絵画が出展されるとあっては、行かずにはいられない。
 仕事が休みに入った12月29日、六本木で≪歌川国芳展≫(記事は後日アップします)を見た後、日本橋の会場へと向かった。
 ロッカーがなく、手荷物は預かってもらえたがジャケットを手にもっての見学は少々不自由を感じた。

 会場に入ってまず目に入ったのは、筍・蓮根・西瓜・さやいんげん・隠元豆などが入った籠、字面で推定できるとおり、これらは隠元がもたらしたものといわれている。

 京都府宇治市にある萬福寺が江戸時代に中国から来日した隠元隆琦の開祖であることは、高校の日本史の授業で習った。今年は開創350周年で、本展覧会はその記念である。
 展示の最初は隠元の所有品、銀如意・払子・印章・柱杖・椅子が、時空を超えて隠元の存在感を伝えていた。
 時代を代表する能筆家だった隠元の書も多数あり、その存在がよりリアルに感じられた。遺偈や肖像画の賛なども見られた。
 
 会場内には黄檗宗の読経【梵唄(ぼんばい)】が流れていた。唐音による独特り節回しで誦経し、鳴り物を多数使うのが特徴、この楽器類も展示されていた。知らない人間が聴いたら歌と思うだろう。香港市内の寺院で聴いた鳴り物入りの読経が思い出された。

 十八羅漢像などの彫像も展示されていた。
 ポスターやチラシにも掲載されていた【韋駄天立像】は全身・台座まで金づくめで装飾された豪華でエキゾチックな彫刻だった。

 奥に進むと、絵画類のコーナーとなった。
【後水尾法皇】の肖像画は、法皇の第八皇女・照山元瑤の作、自画自賛も並んで展示されていた。一流文化人だった父の血を受けて学問や書画に秀で、萬福寺の開創にも尽力したという。なお当日のメモには<本阿弥>と書かれているが、内容が思い出せない。光悦とは年代的に合わないので、その作品に感化されたのか、もしくは本阿弥家と交流があったのだろうか。
 【釈迦三尊像】は隠元と狩野探幽の夢のコラボ、脇侍は女性的で乗った象がとても可愛い。一方の獅子もユーモラスで、狩野派らしさが感じられた。【塗[亞鳥]図】(とあず)は六歳の探信が塗った墨絵に父の探幽が手を入れたと伝わる。
 この後も、最近注目している柳澤淇園の作品や、杲堂元昶の【梅蘭図】など華やかで印象的な絵に新鮮な感動を受けた。

 いよいよ若冲作品の登場、興奮で胸が高鳴る。今回は八作品が出展、すべてが強く心に焼きついた。以前に別の展覧会で見た作品もあると思うが、数は少なくとも比較的すいている会場でじっくり眺めると、また違った味わいがある。
 【深沢百丈山石峯禪寺 石像五百羅漢】は自身がデザインした石仏群を描いたものである。
 【唐子図】【梅図】はシンプルな画風ながら心に残り、若冲の真骨頂が堪能できる。
 【蒲庵浄英像】はおそらく過去の展覧会で見ていると思う。
 【払子図】は中央の払子が大根に似せて描かれているような気がした。
 【玉堂双鶏図】は本日最大の目玉、若冲得意の鶏が番いで、海棠・木蓮(この植物は中国伝来とのこと)と共に華やかな色彩で緻密に描かれている。作品上部に目をやると、もう二種類の美しい番いの鳥が描かれていた。
 対して並んで展示されている【隠元豆・玉蜀黍図】はシンプルな画風のモノクロ作品、解説がなければこの二作品が同じ作者と想像できるだろうか。あらためて、若冲の卓越した才能、多様な画風に驚嘆させられた。
 【売茶翁図】は若冲が深い感銘を受けた黄檗僧を描いたものと言われている。

 展示室の最後には、以前に足を運んだ展覧会でその名を記憶した鶴亭が出展されていた。
 あわせて、萬福寺に縁がある茶道具や普茶料理解説パネルなどを展示、この日は既に終了していたが会場内には茶席も設けられていた。


 私が萬福寺を訪れたのは平安建都1300年で京都を旅した時、「ずいぶん大きな寺だな」という印象を受けたが、当時はまだ旅の感想をあまり明確に記録していなかったので、実際に目にした境内の見所等については恥ずかしながらほとんど記憶がない。当時はまだ、中国圏内も鎖国下に中国との窓口となった長崎も訪問しておらず、江戸絵画の魅力にも開眼していなかったので、この寺の魅力・見所が充分に理解できなかったように思われる。
 本展覧会で、萬福寺の歴史と寺宝の魅力を体感できたような気がする。狩野派や若冲、さらには江戸時代の皇族の手による作品の数々は大変見応えがあり、あらためて、京都寺院の真髄・底力を実感した。江戸時代の庶民の信仰心が、この寺を繁栄させたのだろう。
 今後京都を訪れる機会があれば、ぜひ萬福寺に足を運びたい。その時は見学の感想をしっかり記録してくるし、できれば普茶料理も味わいたいと思う。

 本展覧会が、2011年の大トリとなった。
# by nene_rui-morana | 2012-01-28 17:36 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(2)
神奈川県立歴史博物館常設展
神奈川県立歴史博物館には、2Fと3Fに渡って古代以後の神奈川県の歴史に関する常設展がされている。12月20日に当館を訪れた際、特別展示とあわせて常設展スペースも少しの時間だが見学した。
神奈川県は、鎌倉時代と幕末の開国という、自分にとっては極めて重要かつ魅力的な歴史的事実の舞台となった場所、展示の大半がレプリカだったが、見学を通じて時代を体感できたと思う。

 特に印象的だったのはやはり、≪テーマ2 都市鎌倉と中世びと≫のコーナー、学生時代に授業や関連書で見かけた古文書や肖像画・彫刻、等等、歴史を伝える展示の数々に心躍った。【源頼家袖判下文】など貴重な史料も見られた。
 貿易に関するコーナーに展示されていた青磁の皿や壺は、韓国でも類似の史料を見たような気がする。
 鎌倉五山に関する展示や板碑なども心に残った。
 エントランスに見覚えのある仏像を発見、先日上野の特別展≪法然と親鸞ゆかりの名宝≫に出展されていた【木造勢至菩薩坐像】だった。特に気に入った作品の一つだったので、レプリカでも再会?できたのはとても嬉しかった。間近でじっくり見つめると、天女のような美しさにますます魅了される。高く結い上げた髪も双眼鏡でじっくり見た。ブレスレット?をしていたことに本日気が付いた。

 関所手形その他の東海道関係史料はいわば「ご当地もの」、この地で見るこの類の展示からは特に感じるものがある。
【鎌倉絵図】は展示されている三点をじっくり見比べた。複製でもいいので手元にも一枚欲しくなった。なお、余白に「御免鶴ケ岡總畫圖不許翻訳」との記載があり、当時も著作権的概念が存在したことがうかがえた。

 近代コーナーでも、≪第二回内国勧業博覧会≫の陳列図や会場案内、≪サスケハナ号≫の複製模型など、最近特に心惹かれる時代の史料が多数展示されていて、大変感激した。
 西田武雄コレクションの【銅版画帖】は、双眼鏡を使ってもよく見えないほどの小ささと、それに相反する精緻な画風に驚嘆した。
 
 本日の目的の一つ、≪国芳が描いたかながわ≫でも、奇跡的な国芳ワールドに酔いしれた。
 【東海道五拾三駅五宿名所】の他、日蓮、金太郎、頼光、為朝、曽我兄弟、その他国芳の描くモチーフは、どれも魅力的で心に響く。
 【妙でんす十六利勘】は十六羅漢のパロディー、国芳得意の美人と猫が描かれている。
 【二十四孝童子鑑 孟宗】は今日でいう副読本、当時の子供たちはこれを見ながら古典や古事を勉強したのだろう。


 特別展同様、常設展示も大変見応えがあり、大いに触発された。次回当館を訪れる時はもう少し時間に余裕を持ち、常設展示もより深く鑑賞したいと思う。
 帰りがけにミュージアムショップに寄り、絵葉書等を記念に購入した。大変嬉しかったのは一年前に開催された特別展≪浮世絵☆忠臣蔵≫の図録が販売されていたこと、今の自分なら迷うことなくこの特別展に足を運ぶが、当時は今以上に人間ができていなかった。先日豊洲の平木浮世絵美術館で同様の展覧会を見学し大いに感動したが図録が販売されていなかったので、同じ作品も収録されていたこの冊子を入手できた喜びは計り知れない。特に収録作品の中にノックアウトされた広重の【見立滑稽忠臣蔵】を見つけた時の興奮と感動は並々ではなかった。

# by nene_rui-morana | 2012-01-24 21:22 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
特別陳列 鎌倉彫と眞葛焼
[見学日] 2011年12月20日(火) 

[会 場] 神奈川県立歴史博物館


 テレビで表記展覧会を特集した番組を見る。多忙な師走、少々遠い横浜まで出向くのは困難だったが、国芳の浮世絵も展示されているとあっては行かないわけにはいかない。例によって前後にサービス残業に従事し、20日の火曜日に午前中だけ仕事をした後に早退させていただいた。
 当日は穏やかな晴天で、疲れもあってか現地に向かう車中でいい心地でまどろんでしまい、寝過ごして慌てて横浜に引き返した。みなとみらい線に乗り換え、会場に到着した後に館内のレストランで昼食をとる。この後も見学の合間にこの店でケーキセットで小休憩した。


 本日は1Fの展示室は閉鎖中、エスカレーターで3Fに上がって見学を開始した。
 会場の一角に鎌倉彫の作品が展示されている。副題は<鎌倉にはぐくまれた漆の美>、印象的な赤と黒、素朴な中にも風格のある造形、以前見た≪シルクロード展≫≪正倉院展≫の残影を見る思いがした。施されたされたモチーフも、花鳥あり、幾何学文様あり、非常に多彩だった。
 【鎌倉彫残滓入】は、ひょっとこの根付が面白かった。
 【堆朱花鳥文食籠】は八角形の各面に花鳥図、余白には地模様が施され、蓋の上に見られるのは宴に集う仙人の姿、精緻な彫りと鋭い刀技に魅せられた。
 二点展示されている【鎌倉彫阿弥陀位牌図鉦架支板】は、鉦鼓を吊り下げる仏具とのこと、阿弥陀如来や二基の位牌の意匠に注目させられた。
 【鎌倉彫獅子形香合】【鎌倉彫獅子文香合】の他、燭台、袈裟箱、文卓、等等、当時の身近な品々に施された入念な装飾に心奪われた。圧巻は県指定重要文化財の【鎌倉彫牡丹文獅子形墨壺】、3代前から建築を生業としている我が家にも墨壺を含めた大工道具はあったが、もちろんこんな見事なものではない。職人道具にもこのように精緻な美術的造形が施された事実には驚嘆させられた(もっともこの墨壺が実用で制作されたのか鑑賞用だったのか自分には分からないが)

 階段で2Fに下り、眞葛焼を見学する。副題は<横浜に花開いたやきもの>、最近は明治期の工芸品や≪帝室技芸員≫に関心を寄せている。展示作品の何点かは過去に見ていると思うが、このジャンルを見られる美術展が開催される機会はまだ多くないので、その意味でも本特別展はぜひ見ておきたかった。
 展示のスタートは初代・宮川香山の精緻な高浮彫の作品、【高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水差】【高浮彫南天ニ鶉花瓶】【高浮彫葡萄ノ蔦ニ蜂ノ巣花瓶】【高浮彫鬼ニ白竜鷲香炉】は想像していたより小ぶりで、それだけに見事な造形に驚嘆させられた。なお、壁面展示作品は一点だけ鏡が併設され背面も見ることが出来たが、他の作品の背面も見たかった。最近の展覧会で壺などの立体作品を見る度にこの気持ちにかられる。
 【青磁釉向獅子香炉】は、初代香山の陶工としての本領も堪能できる逸品、シンプルな青磁に香山の技が結集して輝く。【上絵金彩山水図カップアンドソーサー】【上絵金彩扇面散図カップアンドソーサー】は自宅にも欲しくなる素敵なカップだった。
 初代の技能を受け継いだ二代目香山の作品も素晴らしかった。【仁清意孔雀形香炉】の尾羽の絶妙の表現については、言葉が見当たらない。【黄釉青竹二群雀文香炉】【緑釉菊花紋香炉】のモダンで斬新な造形は現代でも通用すると思う。
 初代香山はまた、作品の重要な輸出先である欧米での流行が変わり高浮彫の時代が終焉に近いことを敏感に察知し、新たな趣向の作品を生み出した。【色嵌釉紫陽花花瓶】【釉下彩緑釉藤図大花瓶】はアール・ヌーヴォーを彷彿とさせる繊細で上品な作品、香山は時代の変化を見事に乗り切った。
 一方で、亡くなる前には己の技を結集された逸品を生み出す。【高取釉渡蟹水盤】は、生けるがごとき高浮彫の蟹と、釉薬が見事に融合した水盤とが、完璧なハーモニーを奏でる近代美術史上屈指の名品であることに間近いない。
 この日当館を訪れた人は皆、香山の驚異的な技巧に感嘆の声をあげていた。私も時間の許す限り、作品の間を何度も往復して繰り返し見直した。展示作品のモチーフに使われている花鳥には江戸時代の琳派や文人画を思わせるものがあった。
眞葛窯は関東大震災後も存続し香山は四代目まで続いたが、大戦末期の横浜大空襲(昭和20年)で窯場が壊滅し、眞葛焼はその歴史を閉じた。大戦は日本の美術史にも深い傷と損失をもたらした。
明治期の工芸品は輸出目的で制作されたため、国内にはあまり残っておらず、長い間その作者も含めて注目されることがなかった。近年は本特別展にも協力されている田邊哲人氏などが企画展の開催等を通じてその真価を世に訴えておられる。私も今回を含めて足を運んだ展覧会で、江戸の技の受け継いだ明治期の工芸に驚嘆し心底魅せられつつある。この分野の作品は重文指定並の評価を受けるものもあると思うし、香山や並河靖之ら帝室技芸員も高村光雲や横山大観と同等に扱われるべきだと感じる。

開港と文明開化の面影が残る当館の界隈は、自分にとっては心惹かれる大好きな場所、当館を訪れた回数もまだ多くはないがここで見た展覧会は全て心に残っている。今回も自分の中に新たな一頁が刻まれた。今後も興味をそそられる企画が実現し当地を訪れる日を心待ちにしている。

# by nene_rui-morana | 2012-01-23 20:22 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
トゥールーズ=ロートレック展 ②
 3Fの展示室のラストには、ロートレックの複製画集や所縁の地のパネル写真などが展示されていた。私はまだフランスを旅したことがないので、いつかぜひ、パリやアルビなどを訪れ、彼の地でロートレック作品に触れたいと思う。


●第3章 芸術家の人生
 階段を下り、2Fの展示室に移動、こちらでも魅力的な作品の数々に酔いしれた。日没を迎えて屋外のクリスマスイルミネーションが美しく、多くの人がさかんに携帯で撮影していた。
 【悦楽の女王】は大富豪ロスチャイルドを描いたものといわれる。【ドイツのバビロン】は当時の在仏ドイツ大使からクレームがつき自費出版となったといういわくつきの作品、同名小説のPR用だった。【『ラ・ルヴュ・ブランシュ』誌】を飾るのは、先のコーナーにも登場したミシア・ナタルソン、同誌発行者タデ・ナタルソンの妻で、当時の文化芸術界のミューズと称賛されていた女性、ロートレックは同時代の人物の姿を的確に後世に伝えてくれた。少し後には、トリスタン・ベルナールやオスカー・ワイルドを描いた作品も見られた。
 【『怒れる牡牛』誌】はマンガチックでユーモラスな私好みの作品だった。
 【奇妙な踊り(『ラ・デペッシュ・ド・トゥールーズ』の展覧会カタログ)】【『イジドール一族』の表紙】【モリエール賛】などは、日本の絵草子を見ているようだった。
 このコーナーにはまた、ロートレックが入り浸っていた娼館での日常生活を描いた作品が、彼が感銘を受けた日本の浮世絵(吉原を描いた歌麿の【青楼十二時 続】)とあわせて展示されていた。化粧や入浴など、さり気ない一瞬をロートレックの卓越した筆は如実に表現している。「名門に生まれながら庶民階級の人々と関わった芸術家」という点ではロートレックは酒井抱一と共通するものがあるが、我々日本人がパリにおけるロートレックの生活からまず連想する同国人は、何といっても永井荷風だろう。実際に荷風も官僚の家に生まれて外遊経験もあり、明治期では富裕に属する階級の出身だった。ロートレックも荷風も、社会の底辺でたくましく生きる人々の姿を生き生きと後世に伝えた。
 ルナールの【博物誌】の挿絵をロートレックが描いていたこともこの日の新たな発見の一つ、牛や山羊の描写が心に残った。 
 【54号室の女船客】は本日最大のヒット、ロートレックは船上でこの女性に魅せられ予定を変更して航海を続けたというエピソードも伝わっている。女の私から見ても魅力的で、国貞の美人画が脳裏に浮かんだ。
 展示室ラスト近くに展示されていたメニューや招待状も新たに知ったロートレックの一面、このジャンルは好きなので大いに感銘を受けた。招待状やメニューの作者がロートレックならば、展覧会や晩餐会のホストもゲストも大満足だろう。仲間を戯画化し後ろ向きの自身の姿も描き添えた【鯖のメニューカード】は特に心に残った。この作品にももちろん、あの独特のモノグラムが見られた。


 今回はロートレック作品とあわせて、その生涯の解説パネルや所縁の地の写真なども多数展示され、より身近にロートレックという芸術家を感じられたように思う。
 ロートレックの作品が今日世界的に高い評価を得ているのは、理解者であったいとこや、友人モーリス・ジョワイヤンの尽力に依るところが大きい。ジョワイヤンがロートレックの母が地元に寄贈した作品を母体にロートレック美術館の設立に奔走した。彼は惜しくも1930年に事故死した。
 私はかねてからロートレックの両親が彼の没後どのような余生を送ったのか知りたいと思っていたが、ネット等で調べても現在のところよく分からない。ロートレックの母は彼の弟が夭逝した後、いとこでもあった夫と別居する。当時の彼らの階級は正式な離婚は許されなかったのだろう。彼女は重い障害をおったロートレックに、彼が亡くなるまで深い愛情を注いだ。この日の展示を見た限りでは、母は1920年までは存命していたのではないかと思われる。彼女の実家セレイラン家の子孫が今なおロートレックの暮らした城やゆかりの品々を守り続けている。


 かねてから心待ちにしていた本展覧会、大好きなロートレック作品に多数触れられて、喜びは計り知れない。既に知っていた作品、初見の作品、どれも個性的で素晴らしく、この日も複数のフロアーを行き来しながら何度も繰り返し見た。
 モノクロ作品も良かったが、個人的にはやはり華麗な色使いを駆使した作品により魅せられた。
 何はともあれ、世界的巨匠であるロートレックの質の良い作品がこれだけ日本にあることは、彼のファンとしては嬉しい限りであり、日本贔屓だったロートレック自身も満足しているのではないかと思う。今後また同様の展覧会が実現することを今から待ち望んでいる。


 帰りがけにショップで、ブリュアン外数枚のポストカード、マグネット、クリアーファイル等を記念に購入した。

# by nene_rui-morana | 2012-01-22 11:43 | 展覧会・美術展(外国編) | Trackback | Comments(0)
トゥールーズ=ロートレック展 ①
[副 題] 三菱一号館美術館コレクション<Ⅱ>

[見学日] 2011年12月15日(木)

[会 場] 三菱一号館美術館


 某所で表記展覧会のチラシを入手し、直ちに足を運ぶことを決意、多忙な年末で調整は困難を極めたが、午後8時まで開館している木曜日に実現にこぎつけた。
 当日は豊洲の平木浮世絵美術館の企画展を見学した後、地下鉄で有楽町に移動した。寒さがゆるみ、夕刻以後は屋外でもコートがいらない暖かさだった。
 当館を訪れるのは今回が初めて、まずは見学のエネルギー源確保のため、館内のレストランに入りケーキセットをいただく。キャンドルがきらめくレトロで落ち着いた雰囲気の店、次回はぜひここで食事をしようと思った。
 入館にあたっては、先日訪れた出光美術館のチケットで割引がきいた。
 ロートレックの人生と作品については、映画等の影響で日本でもよく知られている。過去に何度か展覧会が実施されているが、今回は当館が所蔵する状態の良い作品が多数見られるととあって、期待に胸が膨らむ。


●第1章トゥールーズ=ロートレック家の故郷・南西フランスと画家揺籃の地アルビ
 エレベーターで上がった3Fから展示はスタートする。余談だが当館は往年の姿を復元しているのでハイヒール等では床板にかなり響く。足裏にタコができていたのでスニーカーを履いて行ったのは大正解だった。
第1章には画家の家族や自身の肖像画、ゆかりの地を描いた風景画やその地で働く人々の姿などが展示されていた。若きロートレックの自画像や両親の肖像画、所縁のセレイランやアルビの風景を見ながら、関連書で知ったロートレックの生涯を頭の中で思い起こした。
このコーナーで注目したのは【読書する画家の叔父】、モデルはロートレックの父親の弟・シャルル・ド・トゥールーズ=ロートレック伯爵、ロートレックの家系は代々の当主が玄人はだしの画を描くことで知られており父親もそうだったが、叔父も同様に画才に恵まれていたことを知った。数多くの風俗作品を手掛けたロートレックだが、幾多の傑作誕生には名門貴族出身の彼が先祖から受けついだ血が色濃く反映していたことを実感する。


●第2章世紀末パリとモンマルトルの前衛芸術
 タイトルのとおり、第2章はロートレックといわれてすぐに連想される作品が展示されたコーナー、過去に見たお馴染みの作品、初めて見る作品、ポスターあり、芸人や観客のリトグラフあり、珠玉のロートレック・ワールドに、自分も感動と興奮で胸が一杯になった。
 このコーナーで注目したのは、何点かの同じタイトルの作品が並んで展示されていたこと、【ムーラン・ルージュのイギリス人】は貴重な試し刷り(青色)が、【エグランティーヌ嬢一座】は線のみの番外刷りが、【アンバサドゥールにて、カフェ・コンセールの女歌手】も試し刷りが、普及版?とあわせて展示されていた。【《賢明》の石版】は文字入り前と文字入り後が展示され、文字入り前は反転、個人的に好きな日本の浮世絵との共通点を見るようで興味をそそられた。
 【エルドラド、アリスティド・ブリュアン】は後ろ向きのシルエット、これから舞台に出るところを描いたのだろうか。彼を描いた数点の作品からは、豪胆で強い性格がありありと伝わってくる。イヴェット・ギルベールは【ディヴァン・ジャポネ】他の作品にトレードマークの黒い長手袋で描かれていた。
 本日はまた、≪ラ・グーリュと骨無しヴァランタン≫の他、ロートレックが描いた人物の写真も何点か展示されていて、女性に関しては実際はロートレックが描いたよりも美しかったように感じられた。日本の写楽のように、ロートレックはモデルの容姿の欠点を誇張して描く傾向があったのかもしれない。モデル自身は不満を感じたかもしれないが、一面それは美化して描く時代から新しい時代へと移行したことを表しているように思う。文化の成熟・大衆化、新たな時代の幕開けを、ロートレック作品は伝えている。
 芸人のみならす観客を描いた作品も多数展示、【金色の怪人面のある桟敷席】ではオペラグラスを覗く女性と英人画家チャールズ・コンダーが描かれていた。
 雑誌やパンフレットなどポスター以外の作品のほとんどは今回が初見、この中でも印象的なものが数多くあった。
【『レスタンプ・オリジナル誌』、表紙】には、ジャヌ・アブリルと並んでロートレックお気に入りの擦り師・コテル爺さんも描かれていた。
 【『昔語り』扉絵】は楽譜で挿絵をロートレックは担当、扉絵の熊はロシア系の作詞家ジャン・クデツキを、引き連れている人物は作曲家デジレ・ディオーを表しているという。【疲れ果てたキューピッド】【ご老人方】【私の綺麗なスミレを買って】【老いぼれ蝶々】もおそらく、楽譜かヒットソング集だと思う。【海燕】は字なし版と楽譜版とが展示されていた。このジャンルの作品はは自分にとっては新たなロートレックの魅力の発見だった。、
 舞台の幕が下りる瞬間を描いた【『レスタンプ・オリジナル誌』(終刊号)、表紙】は、まさに最終号を飾るのに相応しいモチーフといえるだろう。モデルは後のコーナーにも登場するミシア・ナタルソン、当時の社交界ではミューズとあがめられていたという。
# by nene_rui-morana | 2012-01-21 14:57 | 展覧会・美術展(外国編) | Trackback | Comments(0)
「変わり種」忠臣蔵
[見学日]2011年12月15日(木) 

[会 場]平木浮世絵美術館


 平木浮世絵美術館で年の瀬恒例となっている<忠臣蔵展>が開催中であると知ったのは12月に入った頃、多忙な年末で他にも見たい展覧会がたくさんあり、調整が難しかったが、歌川国貞の作品も出展されているのでぜひ見たいと思い、サービス残業を重ねて早退にこぎつけた。
 当日は昼過ぎに仕事をあがり、現地へと向かう。会場が入っているアーバントップららぽーと豊洲に到着後、アジアンダイニングの店で昼食をとってから見学を開始した。
 私が当館を訪れるのは今回が二度目、数年前に見たい企画展が開催されたが体調を崩して実現しなかった。前回来た時は板張りの床で靴音が気になったが、今回はカーペット敷きとなっていた。
 
 展示のスタートは歌川豊国(初代)の作品、【浮繪忠臣藏大序段之圖】から十一段までが、下に解説付きで展示されていた。続く【新版忠臣藏十一段續】は五枚続に全段が描かれていた。歌舞伎はほとんど見ず忠臣蔵に関してはテレビドラマの知識しかない自分のような人間には、教材としては格好の作品だった。

 次に目に入ったのが月岡芳年の作品、【義士肖像】全八枚のうち、一枚のみが五人で他は上下に三人ずつぴったり四十七人が、襟の氏名の他、職名・行年・戒名まで添えて、個性的に描かれている。芳年の作品を見る度に、その几帳面な性格が伝わってくる気がする。

 そしていよいよ、我が国貞の登場、興奮で胸が高まった。
 【忠貞義婦傳】(署名は豊国)は、人情本作者の松亭金水が詞書を寄せている。
 続く【繪兄弟忠臣藏】(初段目~十一段目)は、背景に各段の場面を描き、手前には女性が各段を連想させる小道具と共に描かれている。クイズのように二倍三倍に楽しめる作品、女性の美しさ、着物や帯・アイテムの使い方など、国貞作品の醍醐味が満喫できる逸品である。

 他に、数は少ないが歌川広重や国芳の作品も展示されていた。
 広重の【見立滑稽忠臣藏】(全五枚)は本日特に印象に残った作品だった。忠臣蔵のパロディーで、脇には正統派?の作品を併せて載せた対比解説パネルを展示、マンガチックでとにかく楽しかった。三段目では勘平が伴内と捕手の雀踊りを眺め、由良之助らは家臣たちをとうせんぼ(当時の遊戯<子とろ子とろ>)、五段目ではトレードマークの傘が売られている。六段目では<山鯨>が、十段目では<天川>という屋台でしっぽくにゅうめんが食される。他にも曲乗りや当時の風俗が満載、この絵を見た同時代の人たちは笑い転げたことだろう。あの情緒豊かな風景画を描いた広重がこのような河鍋暁齋ばりの愉快な戯作画も描いていたのは自分にとっては大きなサプライズであり、この日の最大の収穫だった。

 締めは再び国貞、【誠士義士傳】は画中に≪七十九歳豊國筆≫とあるように最晩年の作品、一部は弟子も関与していると思われる。好評だったらしく追加で登場人物を描いた【誠士義士傳之内】が制作され、こちらにも国貞作品ですっかりお馴染みの当時の人気役者が登場する。役者の個性がひときわ輝いて感じられた。

 当館は決して大きな美術館ではないが、コレクションは充実していて本日も非常に見応えがあった。さすがに午前中に仕事をしてから来たため少々疲れ、館内のソファーで少々まどろんだ後、いつものように気に入った作品を中心に何度も見直した。大好きな国貞作品を多数見られ、広重の【見立滑稽忠臣藏】との出会いもあり、自分にとっては非常に収穫のある展覧会だったと思う。
 この後に別の予定を入れてあったので閉館まで留まることはできず、館を出る時は後ろ髪を引かれる思いだった。残念ながら本企画展の図録は制作されていなかったが、国貞作品を収録した図録を2冊購入できて大変嬉しかった。

 この日は展覧会見学以外でも、大変美味しい昼食やイタリアンジェラートを味わい、ウィンドウショッピングをし、つかの間の楽しみを満喫できた。
 夕刻の水辺の景観も強く心に残った。
# by nene_rui-morana | 2012-01-19 21:21 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(1)
長谷川等伯と狩野派 ②
Ⅲ.長谷川派と狩野派-親近する表現
 長谷川派と狩野派はライバルだが、絵画表現には親近する特徴が見出せる。
 このコーナーでは両派の同じテーマの作品【波濤図屏風】を見比べた。個人的には水鳥や苔の表現から狩野常信の作品の軍配をあげたいが、長谷川派の作品も構成や描き方が似ていて、心に残った。
 また、狩野重信作【麦・芥子図屏風】も展示、芥子の葉は以前≪麻薬撲滅キャンペーン≫のポスターで見た写真の記憶と重なった。芥子の花自体はなかなか美しく、琳派の展覧会でも見ており、江戸時代には普通に自生していたのだろう。


Ⅳ.やまと絵への傾倒
 琳派その他の近世絵画の展覧会でお馴染みのモチーフが目白押し、柳、水車、蛇籠、等等、雅な雰囲気にうっとりとさせられた。
 絢爛豪華な【宇治橋柴図屏風】は高貴な人からの注文と思われる。
 高尾や東寺を描いた【月次風俗図扇面】と、永徳の弟・狩野宗秀による【洛中洛外図扇面貼付屏風】は、両方とも気に入った。後者には朱文壺形の印章が見られた。【洛中洛外図】は過去に何度か見たが、歌舞伎の成田屋の【暫】や【助六】のように、【洛中洛外図】は狩野派の十八番だったのだろう。


 今回も、ひと通り見た後、心に残った作品を中心に何度も見直し、足腰の疲れと闘いながら閉館ギリギリまで館内にとどまった。上野の平成館の特別展に比べれば展示作品は多いとはいえないが、予想にたがわぬ素晴らしい内容で大変感激した。
 同じ日本の絵でも10代の頃から親しんできた浮世絵などに比べれば、長谷川等伯の作品は接する機会が少なかったため、その作風に注目するようになったのは比較的最近になってからである。しかし近年実現した展覧会でその高い芸術性に魅せられ、俄然気になる存在となった。
 そして今回、その地位は自分の中で不動のものとなった。その多彩な画風は伊藤若冲や酒井抱一らの先駆者を彷彿とさせるもので、見る度に新鮮な興奮と感動を覚える。等伯は間違いなく、世界に誇る日本屈指の芸術家だと実感する。今後は琳派や浮世絵と同様、等伯の展覧会が近場で開催されるなら自分は必ず足を運ぶだろう。
 あわせて、長谷川派とライバルだった狩野派の魅力も体感できたと思う。【洛中洛外図】など個人的に好きな狩野派作品も多い。狩野派についても今後接する機会が得られればとても嬉しい。
 本展覧会で、抱一らは<琳派>の先人だけでなく、等伯や狩野派を含めて日本に伝わるあらゆる画風を継承し昇華して独自の画風を確立したことを実感した。展示室のあちこちには琳派を思わせる画風の作品が見られた。

 見学の途中、休憩コーナーで何度か足休めをした。眼下の望む冬の皇居の景観も、実に情緒があった。
# by nene_rui-morana | 2012-01-11 21:49 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
長谷川等伯と狩野派 ①
[副 題] 日本の美・発見Ⅵ

[見学日] 2011年12月15日(木)

[会 場] 出光美術館

 * 2012年最初のレポは、年末に見た出光博物館の等伯展となりました。

 前回特別展見学の折に知った表記展覧会、長谷川等伯にも近年とみに惹かれており、ぜひ見ようと前売券を購入した。多忙な年末を迎えて調整には苦労したが、会期終了間際に何とかに足を運ぶことができた。
 同じ目的の方数名とエレベーターで上がる。会場に入ると、平日にも関わらずかなり混雑していて、注目の展覧会であることが感じられた。


Ⅰ.狩野派全盛
 最初のコーナーを含めて、今回展示されている狩野派作品のいくつかは、過去に別の場所で見ていると思う。
 スタートの【花鳥図屏風】(伝狩野松栄作)もその可能性のある一品、中央の松樹の下の鶴を描き、他にも小禽類や百合の花などが見られた。
 続く【桜・桃・海棠図屏風】の作者は、親子ほど年の離れた永徳の末弟・狩野長信、やや肉厚に表現された白の桜、ピンクの桃、海棠、木の苔の表現が印象的だった。
 【扇面貼交屏風】は松栄らの作、狩野派は扇屋の中枢だったが元信の代までで、その後はこのジャンルで真っ先に連想される宗達一門へと移る。
 【花鳥図屏風】は<元信>印が見られるが、一門の他絵師の作品とされている。梅樹下のヒヨドリや、番の錦鶏が、モノクロで見事に表現されている。


Ⅱ.等伯の芸術
 待望の等伯作品が展示されているコーナー、興奮と期待で胸が高鳴る。

 少し下りた所に、本展覧会の珠玉の逸品、等伯の【竹虎図屏風】が展示され、多くの人が熱心に見入っている。私もしばし時を忘れて見入った。右隻の虎は口を結んで前方を睨み、左隻の虎は足で首を掻いて口元をゆるませている。狛犬の阿吽が脳裏に浮かんだ。ダンナミックな中にも繊細さ・ユーモアがあり、まばゆいオーラに溢れる素晴らしい作品だった。毛の表現などは実に秀麗、墨の濃淡だけでこれだけ表現する等伯の実力に驚嘆させられた。
 この作品の左隻には狩野探幽の注目すべき<紙中極>(鑑定)が見られる。内容は以下のとおり。
  《 竹虎繪屏風一双周文真筆两片破損之處加予筆令補修者也 探幽齋書 》
 実際に左の一扇と五・六扇は探幽が修復したそうで、いわれてみれば竹の表現が違う。しかしこの作品は、周文ではなく等伯の作とされているという。探幽は当然ながら、祖父・永徳のライバルだった等伯の名も画風も知っていた。もちろん私には、この作品が等伯作と断定する鑑識眼はないが、解説のとおりこの逸品の真の作者が等伯であるなら、探幽は等伯の抹殺を試みたが、一流芸術家の眼力で等伯作品の真価は認めていて、その作品を焼き捨てることまでは出来なかったということになるのだろうか。

 他の等伯作品も実に素晴らしかった。
 【竹鶴図屏風】の右隻の雌鶏は多分卵を抱いていて、優しい表情が印象的だった。対して左隻に描かれているのは雄々しい鳴鶴、墨の濃淡のみで表現された竹が実に素晴らしい。霧や霞、岩の表現は、以前見て感激した【松林図屏風】を彷彿とさせるものがあった。
 【松に鶴・柳に白鷺図屏風】の、松や烏の巣の表現が心に残った。タンポポや芦、雪などで四季の移ろいを表している。

 このコーナーには等伯が手本とした絵師の作品も展示されていて、テーマやモチーフが興味をそそられる内容のため、特に念入りに見た。代表は宋末期の画家・牧谿(もっけい)、本国では墨をぼかした繊細な表現は異端とされて人気がなかったらしいが、日明貿易でその作品が輸入された日本では絶大な支持を受け、多くの絵師が手本としたという。現代でも、アラン・ドロンからペ・ヨンジュンまで本国以上に日本でブレイクする(その逆もまたしかり)芸能人がいるが、場所が変われば見方も変わるということだろう。【平沙落雁図】は自分の心にも残った。
 他にも高校の教科書か何かでその名を知った能阿弥の【四季花鳥図屏風】が展示されていた。
 【叭々鳥・小禽図屏風】は探幽作といわれているが、タッチが違うとの指摘もあるという。
# by nene_rui-morana | 2012-01-10 21:27 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
被災地からの年賀状
 宮城県多賀城市在住の友人から年賀状が届きました。
 昨年1月にご主人の転勤で新潟から多賀城に引っ越したことを知り、2か月後に震災が発生、自分は何をすることもできないまま時間が流れていきました。
 それだけに今回の喜びは言葉では表現できません。ご主人は津波にのまれた会社で一夜を過ごし、脱出後も配給待ちや長距離通勤に奮闘されたとのこと、看護師の資格を持つ友人はボランティアで大活躍したようです。中学生と小学生の二人のお子さんも元気に学校生活を送っているそうで、本当に安堵しました。
 復旧にはまだ時間がかかると思いますが、あらためて、現地の皆様の健康と一日も早い復興を心よりお祈りします。
 過酷な環境下でも前向きに生活されている皆様に勇気をいただきつつ、自分も日々の責務をこなしていきたいと思います。
# by nene_rui-morana | 2012-01-03 00:46 | Trackback | Comments(0)
謹賀新年
 慌ただしい中、感傷にひたる間もないまま、新年を迎えました。
 さっそく元旦から様々な用事が入り、先が思いやられますが、引き続きマイペースで趣味に向き合っていきたいと思います。
 今年もどうぞよろしく。
# by nene_rui-morana | 2012-01-01 11:52 | Trackback | Comments(0)
2011年大晦日
 2011年も本日で終わりです。
 一年前は、来たるべき新年に向けて、様様な抱負を抱いていました。
 2011年は敬愛なる酒井抱一の生誕250年目、関連展覧会にはすべて足を運ぶつもりでおり、できれば姫路にも行きたいと思っていました。他の都市への旅行も、海外を含めて2~3回は行く予定でした。
 そんな年頭の希望を根底から覆した3月の大震災、3月11日以後、それまで当たり前に享受していた平凡だけれども安穏とした日々、仕事帰りに夜間延長の展覧会に足を運び、余韻にひたりながら食事とお酒を味わい、帰宅後に風呂で心地よい疲れを癒した後にパソコンに向かう、それが実現可能な生活が、どれほど恵まれた幸せなものだったのか、実感しました。断続的に襲ってくる余震や原発事故の恐怖に脅え、パソコンに向かう余裕もなく、公共の乗り物に乗っている間も心休まらず職場以外の場所へ出向くこともままならない毎日、被災地の情報を伝えるテレビニュースを見る度に涙があふれました。
 被災された方々とは比較するべくもありませんが、自身の生活も大きく変わりました。加えて今年は公私共に大きな試練に見舞われ、6月の時点で年内の旅行は断念、空前の円高を記録した2011年は自身にとっては20数年ぶりに一度も海外の土を踏まない年となりました。出光美術館での酒井抱一展を含め、心待ちにしていた展覧会のいくつかは中止となりました。様々な出来事への対応が精いっぱいで、足を運んだ展覧会の記事は年内にアップするという目標も実現できず、年越しとなりました。
 未曾有の国難に何もできない自分の無力さを幾度となく実感する一方で、過酷な環境の中でも未来に希望を託して前向きに生きておられる被災地の皆様に、心底勇気づけられました。また、治安と節度を守り計画停電その他や被災地復興に取り組む日本国民の姿に、誇りを感じました。
 間違いなく戦後最大の試練の年となった2011年が、間もなく終わります。自身にとっても大きな課題を背負っての新年のスタートとなりました。正直、過去の経験で乗り越えられるのか、自信はありません。
 しかし後戻りはできないので、一筋でも光明が見出せるよう、強く前進したいと思います。
 あらためて、被災地の一日も早い復興を祈ると共に、2012年が良い年となることを切望してやみません。
# by nene_rui-morana | 2011-12-31 15:55 | Trackback | Comments(0)
まちができる~本所開拓とインフラ整備~
[見学日] 2011年12月7日(水)

[会 場] すみだ郷土文化資料館

 東京スカイツリーの御膝元、東京都墨田区を訪れた際、建設地に程近い郷土資料館に立ち寄って開催中の表記企画展を見学した。
 本企画展の舞台である当地は明暦の大火(1657年)以後に開拓された地域、今回は開拓前後の様子やいったん中止された時の内容などについて、インフラ整備の様子とあわせて紹介している。

 1階で入館料を払ってエレペーターで3階会場に移動、まず目に入ったのは【御江戸大絵図(部分・複製)】、武家の家紋や旗印など最近とみに惹かれるジャンルが見られた。
 本日は他にも興味をそそられる絵図が何点か展示されていたが、この日のメインは展覧会見学でなかったため双眼鏡を持参しておらず、小さな字が読めず残念だった。
 低地である本所は度々洪水に見舞われ、天和3(1683)年に開拓がいったん中止され、五年後に再開されるまで上知だった。再開拓後も水害はしばしば発生したが、宝永元(1704)年に中川筋の猿ケ股の堤防が決壊した時のことについて、弘前藩津軽家下屋敷には8尺(約2.7メートル)の水が押し寄せて畳を上げ藩主たちが一時避難した様子などを同家の【江戸日記】が伝えている。今年見るこれら水害を伝える史料からは、とりわけ感じるものがある。
 あわせて注目したのは、公共工事に関する意見書や見積書に該当する展示、町奉行や名主・村役人らが関与した史料が何点かあり、今日の行政組織や政策・公文書などと比較して、いろいろ考えさせられる。
 また、高校の日本史の授業で≪宝暦治水≫に代表される≪御手伝い普請≫について学んだ記憶があるが、当地での具体例を伝える史料も展示されていた。本所には荷揚げのための堀川が通っていて土砂の浚い
は必須だが、享和元(1801)年の浚いは松代藩・秋田藩・柳川藩の御手伝い普請によって行われた。人足賃が払われた当地の百姓にとっては貴重な臨時収入だが、藩の町人農民にとっては重い負担となった。今日の地方交付税と全く逆の政策がなされていたわけで、江戸の繁栄の裏にそれを支えた地方都市の庶民があったことを伝える印象的な展示だった。

 時間に制約があり念入りに見ることはできなかったが、心に残る内容が何点もあった。実はこの日はこの後に展示にも登場していた西葛西に出向く用事があり、なかなかタイムリーな見学だったと感じた。先だっての江東区の中川船番所資料館企画展と合わせて江戸時代は同一圏だった墨田区の企画展を見られたことも、非常に有意義だったと思う。
 館を出て、言問橋詰から眺める東京スカイツリーは、とりわけ雄大な印象を受けた。

# by nene_rui-morana | 2011-12-27 12:38 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
東京国立博物館 秋の庭園解放
 11月18日に平成館の特別展を見に東京国立博物館を訪れた際、庭園が秋の解放をされていることを知り、せっかくだからと立ち寄った。この日は紅葉はまだ進んでいなかったが、池に遊ぶ水鳥の姿など心和む景観にしばし癒された。この日はカメラを持参しておらず、残念に思った。
 その後、この日に出品されていなかった展示がどうしても見たくなり、特別展最終日の12月4日に再び足を運んだ。鑑賞後に庭園に移動し、深まる秋をしばし体感、しっかり撮影もした。今年の紅葉は数年前に訪れた時よりはやや見劣りしたが、様々な事情で季節を感じる余裕のないまま年末を迎えた今年の自分には貴重な思い出となった。庭園内の建物では茶会等が催されていて、関係者以外は立ち入り制限されていた。
 双眼鏡で覗くと、黄色に染まった湖面や、岩上で羽づくろいをする水鳥の鮮やかな羽毛の色が、強烈な印象となった心に焼きついた。江戸の絵師が見たままの風景を目の前に見る思いがした。しばし時のたつのを忘れて見入る。日本野鳥の会の方々の気持ちが分かるような気がした。




 帰りがけに見た、本館前の広場の色づいた銀杏もまた、すばらしかった。

# by nene_rui-morana | 2011-12-25 20:32 | 季節の風物詩 | Trackback | Comments(0)
法然と親鸞 ゆかりの名宝  第六期
 表記特別展は、実は3度足を運ぶ予定はなかった。
 11月18日に2度目の見学をした時、国宝の【鏡御影】は第五期からの出展であることを知り、やはりこの作品は見ておきたい気持ちにかられた。師走に入り身辺も慌ただしくなり、調整には難儀したが、最終日の12月4日に何とか時間を確保した。
 当日はJR線上野駅内のパン屋で朝食をとった後、徒歩で会場へと向かった。

 午前9時40分を過ぎた頃、平成館に入る。1階のロッカーに手荷物を預けてエスカレーターで2階に上がった。会場に入ると、さすがに最終日らしく、日曜午前の開館直後なのに既に多くの人であふれていた。本日初見の作品はもちろん、既に見ているものもじっくり鑑賞し、新たな発見があった。


 【源空(法然)書状】は、紙背に1500人の結縁交名が書かれている。
 親鸞自筆の【教行心証(坂東本)】**は、訂正箇所も見られ、より親鸞の存在感が感じられる。本特別展では他にも、【唯信抄】【唯信抄文意】(共に重文)など、多くの親鸞自筆の史料が展示されていた。これまでに接した歴史上の人物の中で「自筆史料をたくさん残している」と感じたのは空海と足利尊氏だが、親鸞もそれに劣らないという印象を受けた。

 いよいよ【親鸞聖人影像(鏡御影)】**と感動の対面、高校日本史の教科書に「専阿弥陀仏が描いた肖像を親鸞が自身を鏡に写して見比べ、“よく似ている”と言ったとの伝説から、この別称がある」という解説と共に掲載されていたことが思い出される。頭部は細い線で緻密に、体部は太い線で荒く描かれており、体部が後から描かれたことが分かるという。教科書の写真はサイズが小さく目を閉じて微笑んでいるように見えたが、双眼鏡で覗くと目は開けていることが分かった。シンプルな画風ながら見る人の心を打つ、日本美術史を代表する逸品であることは間違いない。鑑賞できた喜びをかみしめつつ、しばし見入った。
 少し行ったところに展示されている【歎異抄】**もじっくりと再鑑賞、<釈蓮如>と奥書と花押は本日初めて気がついた。

 伝記絵のコーナーは、絵巻などは前回展示作品でも巻が変わっていた。
 【法然上人行状絵図】**は、巻第十一の、九条兼実が自邸に招いた法然を裸足で外に出て迎えたというシーンが印象的だった。
 【拾遺古徳伝絵】*には、前期の目玉【七箇条制誡】が掲載されていた。
 【法然上人絵伝】(知恩院所蔵)には七帖上部に≪二河白道図≫が描かれていた。
 今回注目したのは、複数の作品に鳥居が描かれていたこと、明治以前の神仏習合を表しているように思った。

 法然ゆかりの人物のコーナーの目玉は【熊谷直実自筆誓願状】**、<平家物語>にも登場する直実は鎌倉幕府の有力な御家人であり、法然の帰依者でもあった。法名は蓮生房、展示史料には各所に消込や習性が見られ、より現実性・存在感が感じられる。既存の価値観が根底から崩壊し、新たな時代の幕開けを目の当たりにし、戦場での修羅場も体験した武将が、台頭する新しい宗教に傾倒していったのはある意味当然の成り行きだろう。先の大戦後に多くの新興宗教が急激に勢力を拡大していった事実と相通じるものを感じる。
 【善恵上人絵】は証空が九条兼実邸にて<選択本願念仏集>の代読をするシーンに特に注目、この作品の詞書はかの三条西実隆とのことだった。

 第二会場の最初の展示は親鸞ゆかりの人々に関するもの、本日は特に親鸞の親族に関する展示が印象に残った。
 【親鸞聖人書状類(ひたちの人々宛・いまごぜんの母宛)】は、親鸞が亡くなる直前にしたためた遺言状ともいえる書簡、常陸の人々に未亡人となった娘・覚信尼(いまごぜんの母)の扶持を依頼したもの
だという。
 【慕帰絵】*は親鸞の曾孫・覚如の発願で制作されたもの、端正な書で絵も味わいがあり、当代一流の芸術家が関与していたことが分かる。使われている絵の具も見るからに上等、強固となった教団の勢力がうかがえた。
 【一流相承系図序第】(京都・教音院所蔵)と【一流相承系図】(滋賀・光明寺所蔵)は、一対であることが近年判明したとのこと、後者は僧侶と尼僧の肖像の側に名と年齢・一部は入滅した年が書かれていた。
 教団の有力者の彫像や肖像からは、強固な意志と存在感が感じられた。

 本日も、最後のコーナーまでじっくりと見た。
 【浄土五祖絵伝】**はマンガタッチでユーモラス、見ていて楽しく私好みだった。
 【本願寺本三十六人家集】は白河法皇60歳を祝して当時の能筆家20名が書写したもの、平安貴族の美意識が結集したような素晴らしい作品だった。


 本特別展では、前回見た時はそれほど印象に残らなかった展示が次回の時に大変心に残ったというケースがかなりあった。その間に関連番組や書籍に接したことが一つの要因かもしれない。
 最終的に三度足を運んだ本特別展、それに相応しい内容で、新たな発見もあり触発されたことも多かった。前回の空海展に続き、今年は日本の仏教の歴史を体感できる特別展が複数回実現した。日本史の教科書にも掲載されている有名な宝物・人物に触れることができ、今後につながる素晴らしい体験になったと感じている。
 本特別展で学んだ内容に関してはこの後もマイペースで研鑽を積み、いつか機会が得られれば紹介されている所縁の地も訪問したいと思っている。
# by nene_rui-morana | 2011-12-19 21:51 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
法然と親鸞 ゆかりの名宝  第四期②
第3章・1 法然をめぐる人々
 法然ゆかりの人物に関するこのコーナー、前回にも増して熱心に見ていった。先のコーナーにも登場した正行房の他、有力弟子の善恵房証空や勢観房源智、等等、彼らの存在と生きた時代を肌で感じられる展示の数々は、とりわけ心に残った。
 証空の姿を伝える【証空思惟像】と生涯を描いた【善恵上人絵】、証空は九条兼実邸で<選択本願念仏集>の代読を行っている。【証空書状】(京都・禅林寺蔵)は重文に指定されている。
 本特別展の珠玉の逸品、源智が胎内に結縁願文を納めた【阿弥陀如来立像】(重文)には、本日も特に入念に見入った。愛する天才仏師・快慶の影響を思わせる端正な御姿は多くの人を魅了してやまない、間違いなく、鎌倉時代を代表する名品である。今回も、胎内納入物が展示されないことを残念に思った。
 なお、今回は関連展示はなかったが、後白河法皇の皇女・式子内親王と法然との間には、プラトニックな恋愛感情が存在したとする説がある。これが事実なら、百人一首にも入っている内親王の有名な忍ぶ恋の歌、子供の頃から大好きだった<玉の緒>の歌は、法然への思いを詠んだことになる。自分にはこの説を実証する学識はないが、激動の時代に翻弄され、自身が属する階級の没落や肉親の非業の運命を目の当たりにしてきた未婚の内親王が、精神的な支えとなった法然にほのかな慕情を抱いても不思議はなかったと思う。

 
第3章・2 親鸞をめぐる人々
 当時の僧侶としては一大決心を要した妻帯に踏み切った親鸞、このコーナーでは親鸞の門弟の他に親族に関する展示も多数見られた。
 親鸞筆【浄肉文】**は浄土真宗の教義を表す史料、【恵信尼自筆書状類】**は中世の女性の書状としても貴重だという。
 後の世に一大勢力を形成した一向宗、その原動力となった有力な門弟に関する展示からは、信仰がもたらす実行力の強さが感じられる。円慶作【顕智坐像】**は、慶派作品の醍醐味を堪能できるリアルな逸品だった。
 【親鸞聖人惣御門弟等交名】は特に勢力の拡大が実感できる史料、<シモツケニクニタカタ 真佛><エチコノクニコウ 覚善><ムサシノクニノタ 西念>などの記載が確認できた。一部滅失しているが推定できる箇所もあった。


第4章 信仰のひろがり
 フィナーレの展示も大変見応えがあった。
 法然が心の師とした善導大師に関する展示は、前回以上に心に残った。口から小仏が出ている像は、十念が光明と化して口から十体の化仏が流れ出したという伝説を表したもの、六波羅密寺の空也上人像を思い出したのは私だけではないだろう。
 知恩院所蔵の【阿弥陀如来立像】は快慶工房の作とみられる。同じく【刺繍九条袈裟貼屏風】は、重源が法然に贈ったものともいわれる。
 巨大な【阿弥陀如来三尊坐像】(神奈川・浄光明寺所蔵)は、像内納入物もあわせて展示されていた。
 名号は本日も特に入念に見た。三重・専修寺所蔵の【十字名号】は親鸞筆、【紺地十字名号】は親鸞賛である。
 浄土真宗一派で幻の教義ともいわれる<諸行本願義>に関する展示を見られたのは、大変貴重な機会だったと思う。
 当時の朝廷の有力者が揮毫した【熊野懐紙】は本日も、落日を迎えつつあった京都公家階級が放った最後の輝きのように感じられた。


 前回同様、この日も大変充実した展示の数々に興奮しながら、何度も展示室を往復して夢中で見ていった。これまで知っていた事実の再確認、新たに知った事実、今回も展示をつうじていろいろ学び、興味を抱いた内容も多い。本特別展を通じて得たものを今後に生かせるように、今後もマイペースで研鑽を積んでいきたいと思う。

 帰りがけにショップでクリアーファイルや絵葉書を記念に購入し、1階に下りて関連ミニ番組を鑑賞した。
 その後本館に移動し、16室の特集陳列<東叡山寛永寺>を見学、あまり時間はなかったが、この地に関する古地図や古文書など貴重な史料が出展され、あまり長い時間は見られなかったがこちらも大変印象に残った。
# by nene_rui-morana | 2011-12-18 19:22 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
法然と親鸞 ゆかりの名宝  第四期①
 大幅な展示替えがある表記特別展、複数回足を運ぶことは開始前から心に決めていた。二度目の鑑賞となる11月18日は第四期となる。前回はやや時間が足りなかったと感じたため、開館延長される金曜日の午後に休暇をとった。
 当日は特別公開されている本館裏の庭園の見学、ミュージアムシアター<聖徳太子絵伝>の鑑賞、常設展見学の後、平成館に移動した。


第1章 人と思想
 前回同様、入口付近は大変混雑していた。
 【法然上人像】は【法瓶御影】の別称のとおり、頭部の角のような法瓶がユーモラスだった。
 【源空(法然)書状】*は、この後もしばしば登場する正行房(おそらく法然の帰依者)が紙背に1500名もの結縁交名を記して阿弥陀仏内に納めたもの、法然と彼に帰依した同時代の人々の存在感が感じられる逸品だった。
 京都・東本願寺所蔵の【教行信証(坂東本)】**は、この著作としては唯一の親鸞自筆本だという。
 【阿弥陀経註】**は余白にまでびっしり書き込みがされ、親鸞の信仰に対する情熱が伝わってくる。
 【親鸞聖人影像(安城御影)】*は親鸞自身が賛を書いている。獣皮の敷物や鹿杖なども描かれた異色の肖像画だった。
 【西方指南抄】(三重・専修寺)は、近年裏表紙の折り返し部分から親鸞直筆と思われる紙片が発見され、大きな話題になったという。<西方指南抄 釈覺信>というその紙片の写真があわせて展示されていた。釈覺信とは本書を授与された弟子の名前と推察される。


第2章 伝記絵にみる生涯
 第2章も、展示作品が変わったり、同じ作品でも巻が変わったりと、前回とはまた違った魅力ある内容で大変見応えがあった。
 年譜によると法然は75歳で流罪となり、死後に二尊院に改葬されている。【法然上人行状絵図】**は、後白河法皇の如法経供養に際して法然が先達を務めるシーンを展示、宮中の仏事供養の様子がよく伝わってきた。弟子たちによって改装されるシーンでも、この時代の葬送がリアルに表現されていた。またこの作品の解説から法然は、皇族、貴族、高僧、武家、庶民と、身分を超えて多くの人々から師事されていたことがうかがえた。【法然聖人絵(弘願本)】*の、室津の遊女に念仏往生を説くシーンでは、自身が室津を訪れて現地の古寺の方から法然ゆかりの逸話をいろいろ話していただいた時のことが懐かしく思い出された。
 親鸞関係の展示でも、越後に流罪になったシーンでは自身の新潟旅行の思い出が重なり、【本願寺聖人親鸞絵伝(康永本)】の火葬のシーンでは中世の野辺送りの様子がありありと伝わってきた。
 掛軸様式の【親鸞聖人絵伝】*と【法然上人絵伝】も展示、まるで《洛中洛外図屏風》を見ているようだった。
 浄土真宗側が制作した【法然上人絵伝】も出展されていた。
 このコーナーには、別の時代・別の絵師が描いた複数の伝記作品が一堂に会していた。子供の頃、誰でも知っている物語や人物の伝記、また国内外の歴史などについて、複数の漫画を読んだ記憶があるが、今回もそれと似た体験をしたような気がした。
# by nene_rui-morana | 2011-12-14 21:11 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
日光東照宮と将軍社参
 11日13日に、≪世界遺産ヴェネツィア展≫より早く会期が終了する他の展覧会を後にまわして江戸東京博物館に足を運んだのは、23日に終わる本企画展をあわせて見るためだった。
 当日は1階で特別展を鑑賞し昼食をとった後、5階の第2企画展示室へと移動した。

 日光は、修学旅行と個人旅行で合計3回訪れた。修学旅行では社会科の授業でも触れレポートも書かされたので、日光東照宮についてはそれなりに知っているつもりでいたが、本企画展で自分の知識は氷山の一角であったことを痛感する。展示スペースは大きくはないが内容は濃く、いろいろ触発された。
 展示に関して全てを記載することは不可能であり、またそれができるほど勉強もできていないので、ここでは印象に残った史料を中心に記したいと思う。

 後水尾天皇筆【「東照大権現」扁額】は、今回が初公開とのことだった。
 板倉重宗が奉納した【編鐘】は、音も流されていた。

 今回私が最も惹かれたのは、日光の縁起や道中の行列を描いた絵巻、参詣の様子を伝える屏風などである。私が好きな絵巻物や《洛中洛外図屏風》と共通するジャンルであり、文字では伝えきれない<歴史>が生き生きと描かれ、見ていて胸中は瑞々しい興奮にあふれた。
 【東照社縁起絵巻】(重文)は、僧侶に続く楽団や仮装の行列が、入念に描かれていた。絵は狩野探幽、詞書は後水尾天皇他という豪華キャスト、展示場面は「御法事」、絵巻物展示で最も残念なのは一部しか見られないこと、今回も含めて全巻見たい欲求にかられる。
 【日光東照宮参詣図屏風】は、その名のとおり参詣の行列を描いたものだが、幔幕や家紋などにも注目した。特筆するべき事実は、随行の人々が寄り道をしたり道中の店先を覗いたりとリラックスしていること、時代劇の大名行列のような整然とした隊列ではない。最終目的地の集合時間を守れば、案外自由だったことがうかがえる。実際、参勤交代の大名行列も土下座するのは市中のデモンストレーションで、飛脚には道を譲るなどの便宜が図られていたと何かで読んだ記憶がある。確かに、長い道中規則ずくめでは、上も下も到底やりきれないだろう。
 参詣に随行した人々について伝える【旗印諸鵜役標識図】【日光山御参詣御供 百人組一手行列武器雛形略記】【日光御宮御供奉御役人附】なども、自分にとっては興味深い史料だった。武家の家紋や旗印などは、どれほど見ても見飽きない。
 室内には【日光社参と道中】というタイトルで江戸から日光までの経路を記した地図も展示されていたが、中学生の時にバスで行った修学旅行とほぼ同じだった。途中の川越市には10年ほど前に訪れて、喜多院や東照宮などの史跡も見た。

 展示の後半は主に江戸時代後期の将軍の日光社参に関する内容で、こちらも興味深く見た。
 例祭の様子を描いた【日光御宮御祭礼図巻】は、行者や奏者の時代による変遷を伝えていて、印象に残った。
 【徳川家慶乗馬図】は、おでこの突き出た個性的な風貌をリアルに伝えている。この人は、金本石宿を徒歩で歩いたり、商家で土産物を購入するなど、異例の行動をとったという。しきたりづくめの生活を強いられている将軍にとって日光参拝は、政務を離れられるつかの間の行楽だったのかもしれない。
 かの松平定信による【日光責自画図写】は、本日特に注目した展示の一つだった。私は初めて知ったが今日も伝わる<強飯(ごうはん)式>の様子を描いたもの、修験者に山盛りの飯を食べることを強制される儀式で、江戸の上級武家も体験した事実がリアルに感じられた。同時に大名の子弟は絵画でも英才教育を受けていたことがうかがえる。定信の政治家としての手腕は超一級とはいえないだろうが、文筆と絵画で同時代を記録した点では歴史上の貢献度は大きい。

 特別展と並んで、本企画展も自分にとっては大いに関心のある内容で、同時に見られた喜びは大きかった。展示全般には大変満足しているが、室内の照明が落とされていて展示室内の閲覧用の図録がよく見えなかったのが残念だった。

 企画展示室を出てから、夕方に入っている用事の定刻まで時間があったので、常設展を少し見学、こちらでも我が歌川国貞の浮世絵などが見られて嬉しかった。今年の大河ドラマの主人公・お江の方に関する展示が見られたのは特に大きな収穫だった。図書室にも立ち寄ったが、こちらも興味深い資料がたくさんあり、あれこれ目を通しているうちに、あっという間に時間が経過した。
 館内には次回の展覧会のチラシも配布されていたが、こちらも興味をそそられる内容で今から楽しみ、次回来る時は一日がかりになるかもしれない。
 帰りがけにショップに入ると、国貞や弟子・貞秀のグリーティングカードもあり大感激、少々値がはるが数枚購入した。今後来館の度に買い足していこうと思う。特別展の絵葉書なども購入した。
 館を出て、両国駅前の喫茶店で軽くお茶をした後、次の目的地へと向かった。

# by nene_rui-morana | 2011-12-10 21:46 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
真珠湾攻撃から70年
 本日12月8日は、1941年の日米開戦からちょうど70年目にあたります。真珠湾攻撃により突入した太平洋戦争は、多くの日本国民に過酷な生活を強いることになりました。祖父母のように空襲ですべてを失った人、祖父の弟のように20代の命を南方の海上に散らした人、父の妹のように戦後の食糧難・物資不足による栄養失調と病気のため幼くして亡くなった幼児、母の従弟のように大陸からの引き上げ船の中で病死して水葬された子供、戦時下に生きた人の数だけ悲劇があります。
 言語に絶する苦難と悲しみを乗り越え、祖父母と親の世代の先人は廃墟の日本を立て直し、繁栄へと導いてくれました。
 そして今年2011年は、戦後日本にとって最大の試練の年となりました。被災された方々に戦中戦後の国民の姿が重なって見えたのは、私だけではないでしょう。福島原発関係の政府の報道にも、大戦末期の大本営発表と共通するものを感じてなりません。
 今年も残すところわずかとなりましたが、あらためて、被災地の一日も早い復興を切望してやみません。

 今年は開戦時の連合艦隊司令長官・山本五十六を描いた映画が封切られます。子供の頃から祖父母や両親に戦争の話は聞かされてきましたが、山本五十六という人物とその名前の読み方を知ったのは中学生時代に見たテレビドラマ、その前後に戦後のGHQ、あるいはスターリンや毛沢東など外国の戦争指導者に関するテレビ番組を見る機会があり、昭和の歴史に俄然興味を抱き、最終的には史学科進学と日本近代史ゼミという選択につながりました。
 思えば20世紀の西暦末尾1年の年には、他にも歴史的大事件が発生しています。今年が100年目でやはり映画が制作された1911年の辛亥革命、1931年の満州事変、日米開戦も含めて、いずれも日本と世界の20世紀の歴史を語る上では避けて通れません。そして時代は流れ、1991年にはソ連邦が崩壊し戦後の東西冷戦の時代が終わりました。
 最近は自分の興味は19世紀へと移り、卒論のテーマにまで選んだ20世紀への関心はいささか薄れておりますが、節目で国家が岐路に立つ今、あらためてこの時代を見直す必要があると痛感します。
# by nene_rui-morana | 2011-12-08 20:59 | 歴史 | Trackback | Comments(0)
世界遺産ヴェネツィア展 ②
第3章 美の殿堂
 第3章にはヴェネツィアの絵画を展示、残念ながら今回はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品は出展されていなかったが、往年のヴェネツィアを描いた絵画の中には印象的な作品が何点もあった。18世紀に入ると海上貿易の覇権が他に移るなどして、ヴェネツィアは軍事的にも経済的にも斜陽化していくが、文化・芸術方面では依然として輝きを放っていく。そしてナポレオンのイタリア遠征により、ヴェネツィア共和国の歴史は終焉するが、往年の栄華は世界の歴史に燦然と輝き、今なお多くの人々を魅了し続けている。
 【凍結したラグーナ】は心に残った作品の一つ、1788年の大寒波の様子を描いたもので、凍結したラグーナの上を歩いたり船上から斧をふるう人々が描かれていた。
 【二人の貴婦人】は本特別展最大の目玉、テレビ番組などでも紹介されていたが、近年左側が発見され、家具の扉絵だったらしいことも判明した。向こう側の景観も印象的、二人の貴婦人の視線の先には何が描かれていたのだろうか、もう片方の扉絵の発見が望まれる。傍らのモニターテレビには解説映像が放映されていた。
 ティントレットと彼の工房による【天国】はドゥカーレ宮殿の壁画の下絵、これだけでも充分見応えがある。
 カナレット工房による【プンタ・デッラ・ドガーナ付近のカナル・グランデ】【サルーテ協会付近のカナル・グランデ】は、本特別展のフィナーレを飾るに相応しい作品、多くの船が行き交うカナル・グランデの景観が生き生きと描かれ、しばし見入った。大運河入口に建つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会は国内外の建築の中で最高に好きな建物の一つ、自身が生まれるはるか以前からその美しい姿で多くの人々を魅了してきた事実が確認できる史料としても、自にとっては嬉しい展示だった。


〔感想〕
 今回も例によって、一度見終えた後に心に残った展示を何度も見直した。
 愛してやまない、懐かしいヴェネツィアの景観を、東京にいながら体感できた喜びは計り知れない。絵画等の解説の下には現在の写真もあわせて展示され、比較して見ることができた。
 今回は、かつて自身が体験したヴェネツィアの再確認と共に、(単に自分が無知だっただけかもしれないが)新たな発見もたくさんあった。ヴェネツィアの音楽や演劇、さらには賭博に関する展示もその一つ、市中にはこのような遊興施設が多数あり、富裕層の欲求を満たす娯楽が連日催されていたことが分かった。
 昨年この同じ会場で特別展<隅田川>が開催されたが、水辺が発達し庶民の娯楽が充実していた点では、江戸とヴェネツィアは共通点を持つ。またイタリアは近代まで複数の大公国により構成されていたが、これも幕藩体制と似ている。我々日本人がイタリアという国に、特にヴェネツィアという町に魅せられるのは、このあたりに大きな要因があるのかもしれない。イタリアの人も親日的で、自身が訪れた外国の中ではイタリア人が最も親切だった。
 本特別展を通じて、ますますイタリアが、ヴェネツィアが、大好きになってしまった。次回いつ訪問できるのか、皆目見当もつかないが、実現の夢は持ち続けたい。

 見学を終えた後、ショップで記念の絵葉書等を購入した。
 昼食は、この日に相応しく、興奮の余韻にひたりながら館内のイタリアンレストランでパスタランチをいただいた。

# by nene_rui-morana | 2011-12-06 21:58 | 展覧会・美術展(外国編) | Trackback | Comments(0)
世界遺産ヴェネツィア展 ①
[副 題] 魅惑の芸術 - 千年の都

[見学日] 2011年11月23日

[会 場] 江戸東京博物館


 二度訪れたヴェネツィアは、これまでに訪問した国内外の都市の中でも特に好きな一つで、テレビで特番が放映されるとついつい録画してしまい、今や手元には10番組近いDVDがある。
 表記展覧会が告知された時は直ちに足を運ぶ決心をした。事前に本展覧会紹介するテレビ番組が放映され(もちろん録画した)、いい予習となった。


第1章 黄金期
 展示室に入ると、正面の大スクリーンにはヴェネツィアの映像が流され、床には航空写真、懐かしい景観に興奮で胸が弾む。並びにはポスター等にも使われているカルパッチョ作【サン・マルコのライオン】が展示されていた。
 ヤーコポ・デ・バルハリ作【1500年のヴェネツィア(ヴェネツィア景観図)】には、1500を示す<MD>の文字も見られた。隣の【ヴェネツィアの展望】(ヨーゼフ・ハインツ・イル・ジョーヴァネ作)と見比べながらじっくり見入った。2枚とも、五雲亭貞秀の横浜絵を思わせるスケールの大きな作品だった。
 ヴェネツィアの歴史と文化については、今さら説明の必要もない。運河の町・ヴェネツィアの民は航海術に長け、これがひいては海軍・交易・為替などにつながり、大いなる富と繁栄をもたらした。第一章には、地球儀・コンパス・望遠鏡・海図・貨幣など、この分野の展示が数多くされ、海上都市ヴェネツィアを肌で感じることができた。所蔵のほとんどは懐かしのコッレール美術館だった。
 【世界航海図】【地中海の海図】は実務よりはコレクション用だったらしいが、張りめぐらされた船の航路は、今日の機内誌に掲載されている国際線の航路を思わせた。
 【船の模型;ガレー船】からは、軍事目的だが装飾もされていたことがうかがえた。《ベン・ハー》などの映画のシーンが脳裏をよぎった。
 【ロレンツォ・ヴェニエールに指揮されたヴェネツィア艦隊】は1687年に描かれたとのこと、特に心に残る展示だった。
 展示は総督(ドージェ)関係へと移る。ヴェネツィア共和国最高の地位だが、実際は政治は議員たちによる合議で名誉職に近かったらしい。それでも人徳と才能が求められたことは展示が証明している。総督の肖像や帽子などを見ながら、総督官邸だったドゥカーレ宮殿の記憶が懐かしく思い出された。
 ヴェネツィアといえばゴンドラ、展示されていたフェッロ(船尾用鉄製部品)は豪華絢爛、ゴンドラは今日の高級自家用車に相当するのだろう。
 ラストに展示されていた【ブロンズ製ノッカー】はまさに芸術品だった。
 第一章では、芸術作品以外でも、委任状や規約集など、往年のヴェネツィアの自治政治を伝える史料に注目させられた。


第2章 華麗なる貴族
 第2章は海外貿易により豊かになったヴェネツィア貴族の豪奢な生活を伝える展示の数々、貴族の館の復元模型もあり、当然だがゴンドラ乗り場もあった。各種服飾品の他、食器、調度、そして貴族の生活を描いた絵画から、全盛期ヴェネツィアの国力がうかがえた。
 展示作品が多く、すべての感想を記すことはできないが、往年のヴェネツィア貴族・富裕商人の豊かな生活を体感する思いがした。幕末・維新が専門の私の大学の恩師は、かつてゼミの時間に「生まれ変わるなら文化・文政期の豪商の娘がいい。」とおっしゃっていたが、本日展示室で私は「全盛期のヴェネツィア貴族もいいな。」と思った。
 ヴェネツィアングラスは繁栄の象徴、食器類が何点化か展示されていたが、豪華な【カ・レッツォーニコ様式のシャンデリア】は本日の目玉、500もパーツがあり組み合わせるのに3日もかかったという。
 後半のピエトロ・ロンギおよびその周辺が描く絵画も、舞踏会、観劇、賭博、等等、当時の生活を如実に伝えている。モデルが仮面をつけている【香水売り】は特にヴェネツィアらしい作品で、多くの人が足をとめていた。

# by nene_rui-morana | 2011-12-04 22:56 | 展覧会・美術展(外国編) | Trackback | Comments(0)
酒井抱一と江戸琳派の全貌(後期)②
 * 7階については、図録の順番ではなく入口からの展示の順番で記載します。

●7章 工芸意匠の展開
 階段で7階に下りて展示室に入ると、まず目に入ってくるのは抱一画【白繻子地紅梅文様描絵小袖】、敬愛する光琳の画を彷彿とされるデザインは印象的だった。
 続いて、調度や茶器・印籠などの抱一ワールドを思う存分堪能、≪大琳派展≫以来魅了されている原羊遊斎とのコラボ作品は実に豪華でしかも繊細かつ上品、現代でも充分通用するほど斬新で見事な感性で惚れ惚れする。お金があれば自分も一つくらい欲しいと思った。今回は羊遊斎の下絵帖も展示されていて嬉しかった。


●5章 雨華庵抱一の仏画制作
 酒井抱一といえば真骨頂は四季花鳥図だが、仏画でも味わい深い作品を多数残している。作風も、高価な絵具をふんだんに使ったカラフルな作品からシンプルな墨絵まで、多岐に渡っている。
 【白蓮図】は宗達以来継承してきたモチーフを描いたもの、以前見た記憶があるが類似の別作品だったかもしれない。【日課観音像】は後の河鍋暁斎の同様作品や、当世代の北斎の【日新除魔帖】を連想した。個人的には龍と二童子をユーモラスに描いた【倶利伽羅剣二童子像】が気に入った。【月世楓図】には<畫僧抱一寫於/雨華庵南牎>と彼にしては珍しい隷書で書かれていた。


●8章 鈴木其一とその周辺
●9章 江戸琳派の水脈
 展示のフィナーレは、抱一の弟子やその後進など<ポスト抱一>といった作品の数々、前回は閉館時間が迫り少々心残りだったが、本日は開館延長日なので心ゆくまで鑑賞することができた。其一の【夏秋渓流図屏風】や【翁図】など、前期で魅了されて作品が展示替えされていたのは残念だが、抱一の画風を受け継いだ弟子たちの味わい深い作品の数々に、心底魅了された。
 見る度に感動を新たにさせられる其一作品、今回はこれまでにない多数の作品を見ることができて本当に嬉しかった。画風もモチーフも多彩で其一の卓越した才能がうかがえた。中には、あるジャンルに関しては師・抱一をしのいでいるのではと感じる作品もあった。【柳図扇】は抱一が賛を寄せている。【萩月図襖】は写実的で涼やかな逸品だった。【牡丹図】を見ていると、明治の帝室技芸員はこのような作品を自己流に昇華させたのではないかと思った。今後ますます、其一からは目が離せない。
 其一以外では、池田孤邨の作品が印象に残った。孤邨が編纂した【抱一上人真蹟鏡】に紹介されている作品の中には、当然ながら本日オリジナルが展示されているものもある。
 鈴木蠣潭は酒井家の家臣でもあった人物で、26歳で早世したため残された作品は少ないが、新出の【山水図屏風】は山水の表現が心に残る見事な作品だった。


《感想》
 この日は途中に最上階レストランでの休憩をはさみ、何度も7階と8階を往復しながら、時間の許す限り作品を味わいつくした。
 以前から心待ちにしていた本展覧会、規模・内容共に予想を大きく上回り、息詰まるほどの興奮と感動を味わった。既知の作品、初見の作品、弟子たちの作品、等等、多くの作品に触れて、抱一の新たな魅力も認知し、ますます魅了されている。
 本展覧会で感じたものは多い。
 まずは、抱一は実に多作の絵師であったこと、もちろん弟子との合作はあるが、伊藤若冲や葛飾北斎と肩を並べる作品数だと感じた。加えて内容の多彩にも驚嘆させられた。画風・画法・描くモチーフなど実に様々で、抱一の多才ぶりがうかがえた。
 あわせて、展示作品を通じて感じたのは、やはり多彩な抱一の人間関係、当時としては長命な68年の人生を通じて、抱一は年齢や門地を超えて実に多くの人々と交流した。展示の解説に紹介されている抱一の知人友人の出自は、将軍家に近しい大名家、公家、中級以下の武士、豪商、豪農、町人、職人、等等、実にバラエティーに富んでいる。年齢層も、父や祖父に近い世代から、同世代、子供や孫に相当する世代など、実に様々だった。これらの人々との華麗なる交流から、抱一はその作品に象徴されるように、高貴な出身を奢ることのない慈愛に満ちた温かい人柄であったであろうことがうかがえる。身分と年齢を超えて時代を代表する人々と接した抱一は、大変幸せな人間だったと感じる。
 この日展示室で多くの抱一作品に囲まれている時、決して誇張ではなく私は、抱一が天上からこの部屋に下りてきて、そこに立って「皆の衆、よく足を運んでくだされた。感謝つかまつる。」と微笑んでいるような気がした。抱一の肉体は昇天しても、彼の魂と情熱は作品に宿って今日に脈々と生き続けていることを実感した。
 今回あらためて、自分は心底、酒井抱一という芸術家に惹かれていることを再確認した。そう感じたのは本稿を執筆している時、本ブログにアップする内容は自分にとってはすべて興味をそそられる好きなものなのだが、多忙の時などは文章にまとめる際にそれなりの苦痛を覚えることも多い。しかし抱一に関しては、殺人的に忙しい時期であったにもかかわらず、苦しみを感じることはなかった。
 日本が未曽有の国難に直面し、自身にも多くの試練が課せられた2011年、この年に見た抱一作品は、特に心に響くものがあった。今後も引き続き、抱一ファンをマイペースで続け、新たな発見を楽しみにしている。
 酒井抱一という芸術家は近年大いに注目されているが、まだその真価が十分に認知されているとは思えない。個人的には、抱一を主役にした映画かテレビドラマでも制作されれば、より多くに知られるのではとも感じている。
 難しいとは思うが、来年に京都に巡回する本特別展最終回も、行かれるのであれば出向きたい。今後また、抱一や弟子の作品を紹介する展覧会が実現することを心待ちにしている。
# by nene_rui-morana | 2011-12-02 19:23 | 酒井抱一生誕250年 | Trackback | Comments(0)
酒井抱一と江戸琳派の全貌(後期)①
[見学日] 2011年11月5日(土)

[会 場] 千葉市美術館


 待望の表記展覧会、前期見学時は6時閉館で少々物足りなさを感じたので、8時まで延長している土曜日にスケジュール設定した。当日は会場に赴く道中から【夏秋草図屏風】との再会に心躍った。新京成線・千葉中央駅構内の店で昼食をとった後、徒歩で現地に向かった。
 今回の展覧会ではリピーター割引が適用された。出品目録は展示番号順ではなく章も記載されていないので、ここの部分の確認もかねて、前回以上に念入りに鑑賞した。


●一章 姫路酒井家と抱一
 最初のコーナーに展示されているのは酒井家代々の書画、【佐野の渡り図】は抱一の父・酒井忠仰が画を、母・里姫が賛をかいている。抱一は幼くしてこの両親と死別しているが、芸術の才能は血筋がなせる技だったことがうかがえる。
 抱一の兄・酒井宗雅の【夢・蝶】には画を描いた抱一の花押も見られた。展示ケースの中の宗雅の日記には抱一の幼名<栄八>の名が何箇所か見られ、兄弟愛が感じられた。
 何点か作品が展示されていた<松平乘定(のりさだ)>は名前からも血筋がうかがえるが、抱一の母方の叔父で老中まで務めた人物とのことだった。画風も後の琳派を彷彿とさせ、政治家と芸術家双方の才を持つ人物だったことがうかがえる。
 また酒井家の家臣・松下高徐が編纂した【摘古採要】には、抱一が一時住んでいた本所番場(現在の東京都墨田区)の屋敷のが収録されていて、浅草川(隅田川)をはさんだ向いに<駒形堂>がみられる。


●二章 浮世絵制作と狂歌
 大名家の御曹司・抱一は幼い頃より様々な芸術をたしなんできたが、今日知られている抱一のスタートは狂歌、絵画は浮世絵から始まった。このコーナーには寛政の改革以前の、庶民階級の狂歌仲間と活発に活動していた尻焼猿人時代の史料や、その頃描いた美人画などが展示されていた。
 解説には、四方赤良・宿屋飯盛・喜多川歌麿・等等、そうそうたる面々が名を連ねている。これら当代一流の文化人との交流が抱一の芸術に磨きをかけ、後に幾多の傑作を生み出す感性の下地作りになったのは間違いない。
 絵草子の類にも最近とみに惹かれているのでこのコーナーの展示も心に残ったが、特に印象的だったのは【手拭合】、当代文化人が紙上で手拭いのデザインを競う趣向の本で、抱一は鷹を描いている。画はかの山東京伝、歴史の授業では戯作者としてしか触れられないが、最近様々な展覧会で絵師として作品や硬派?な著作を目にし、その多才ぶりに俄然注目している。今後ますます、目が離せない存在となりそうな気がした。


●三章 光琳画風への傾倒
●四章 江戸琳派の確立
●六章 江戸文化の中の抱一
 * 当日の記録と図録を照合すると、四章と六章が入れ替わっており、展示室の関係かもしれません。また記録では六章は7階となっていますが、これは誤記で8階だったような気がします。この3章についてはどの作品がどのコーナーという明確な区別がつけられないので、まとめて記載します。

 いよいよ抱一らしい?作品の登場、今回は展示数も多く、興奮と感動は並々ではない。10余年前に抱一のファンになって以来、多くの展覧会に足を運んで様々な抱一作品を見てきたが、今回ほど大規模かつ多くの作品が一堂に会したことはなく、興奮と感動もひとしおだった。とりわけ今回は、美術書などにも紹介されていない作品も多く、抱一の新たな一面に触れたように思う。
 【月次図】は簡素な画風ながら後年を彷彿とさせる私好みの作品、特に【六月 団扇に夕顔図】【九月 墨菊図】が気に入った。
 今日にも伝わる亀戸天神の神事を描いた【鷽替画賛】や、馴染みの吉原遊郭の主人をユーモラスに描いた【大文字屋市兵衛図】には、この日も目がいった。
 【梅屋花品】は著者・佐原鞠塢が向島に新梅屋敷を開設して植えた梅の品種を記したもの、抱一は<百花園>の命名者ともいわれ挿絵を描いている。
 【播州室津明神々事棹歌之遊女行列図】は室津・賀茂神社の<小五月祭>の様子を描いたもので、姫路観光の最終日に室津まで足をのばした時のことが懐かしく思い出された。個性的な落款も印象的だった。なお印からこの作品の所有者は【甲子夜話】の作者・松浦静山だったことが分かる。解説によると静山は抱一よりわずか一歳年上、生活していた平戸藩邸があったのは東京スカイツリーで沸いている現在の墨田区、雨華庵他の抱一邸からも遠くなく、両名は面識があった可能性もある。
 【四季草花金銀泥下絵和歌巻】を見て、多くの人は光悦と宗達のコラボ作品を連想しただろう。
 本日は【光琳百図】と、オリジナルである尾形光琳の【飛鴨図】をあわせて鑑賞することができた。
 六曲一双の【四季花鳥図屏風】(陽明文庫蔵)は後期展示の目玉、鮮やかな金地に上等な絵具で描かれた、眩いばかりに豪華で華やかな作品、フィレンツェで見たやはり大好きなボッティチェリの【春】が思い出された。琳派モチーフの集大成ともいえる画題は私好み、特に雪の表現がたまらない。感激で言葉を失いながらしばし見とれた。
 歩みを進め、いよいよ待望の作品と感動の再会、【夏秋草図屏風】とその草稿に関しては、表現すべき言葉が見当たらない。この作品に関しては多くの解説もあり、感想については筆力のある方の別のブログにお任せして、ここには感動で胸がふるえたとだけ記したい。
 抱一作品の中では最高に好きな【十二ケ月花鳥図】(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)十二幅とも感激の再会、この作品が展示されている8階ラストの小展示室のベンチでしばし足休めしながら、「いつまでもこうしていたい。このまま時間が止まってほしい。」と真剣に思いながら、名画が放つオーラに酔いしれた。
# by nene_rui-morana | 2011-12-01 22:17 | 酒井抱一生誕250年 | Trackback | Comments(0)
法然と親鸞 ゆかりの名宝  第一期②
第3章・1 法然をめぐる人々
 法然ゆかりの人々が登場するこのコーナーのスタートを飾るのは【七箇条制誡】**、専修念仏の停止を求めた天台宗徒に対し、弾圧回避のために門弟たちに示した制誡の書である。箇条書きの制誡、「これに背く者は門人ではない」という内容の文章、日付と<沙門源空>の署名花押に続き、門弟数十人が署名している。寂西(信実)、蓮生(直実)、僧綽空(親鸞)、等等そうそうたる面々に、法然が生きた時代を肌で感じる思いがした。ここに署名した人々は、古代から中世へと大転換した激動の日々を生きぬいたのである。この史料の所蔵は二尊院、嵯峨野散策が懐かしく思い出される。
 【阿弥陀如来立像】*は本特別展珠玉の逸品、法然の一周忌に弟子・源智の発願により制作され、胎内には46000名もの結縁交名が納められていた。残念ながら今回は胎内納入品は出展されていないが、傍に解説とあわせて展示されている写真には平清盛や源頼朝のような有名人から無名の庶民まで、多くの名が見られる。像の作者は快慶レベルの名仏師とみられる。この作品は本日特に心に残り、何度も繰り返し鑑賞した。
 【末代念仏授手印】には花押と署名もあり、古文書としても興味深い。


第3章・2 親鸞をめぐる人々
 妻子や子孫がいて多くの直筆書状を残した親鸞のコーナーからは、より人間的な存在感が感じられた。
 【藤原有範絵像】のモデルは親鸞の父と呼ばれる。幼き親鸞ゆかりの地ともいわれる日野法界寺はかなり昔に訪れた。親鸞の書状や妻・恵信尼の肖像・書状、両名の子や孫ゆかりの展示、等等、どれも興味深い。
 あわせて、浄土真宗の基盤を築いた親鸞の弟子たちやその系譜の人物に関する展示もされていた。多くは今回初めて知る名だが、居並ぶ品々から存在感がよりリアルに感じられた。円慶作【顕智坐像】*(栃木・専修寺蔵)は文字通り生けるがごとき彫像で、慶派作品の真髄を堪能できる逸品だった。


第4章 信仰のひろがり
 展示のフィナーレは、両名の教えの広がりを伝える展示の数々、このコーナーでも仏像・仏画・五輪塔・等等、多くの名品に出会えた。
 【阿弥陀三尊坐像】*(神奈川・浄光明寺蔵)はやや横向き加減のポーズをとる脇侍が印象的、傍らに展示されている胎内納入物も興味深い。鎌倉彫刻はまさにタイムカプセルである。
 ≪名号≫は真言密教の曼荼羅のような真宗信仰の必須アイテム、本日は親鸞筆の貴重な史料を複数見ることができた。浄土真宗を含めて中世初期に台頭した新興仏教が教義上必ずしも仏像を必要としなかったことが、古代より続いてきた仏像制作を下降させる原因となったのだろう。
 また今回は、親鸞の聖徳太子信仰に関する展示も見られた。太子の絵伝や像の中には、おそらく以前に当館で開催された≪聖徳太子展≫の時に見た作品も含まれているだろう。
 【熊野懐紙】**(京都・西本願寺蔵)はそこに名を記した後鳥羽天皇や高級公家に相応しく優雅で格調高い名品、没落する朝廷が最後に放った輝きのように思えた。
 締めくくりは円山応挙の【竹雀図襖】、親鸞を祖とする本願寺は日本が世界に誇る江戸絵画の誕生に大きく貢献したといえる。


 例によって一通り見た後、心に残った作品を中心に何度も見直した。
 本特別展も展示替えがあるので、入場直前に本日しか見られない作品をチェックしてこれらは特にしっかり見ようと心に決めていた。しかし実際に鑑賞をし始めると素晴らしい展示の目白押しで、手元のリストと照合する余裕はとてもなかった。
 あっという間に時間が経過、午後からは仕事に出なければならないので、可能な限り心に刻むべくギリギリまでひたすら見続けた。時刻は正午をまわり、名残りを惜しみつつ会場をあとにする。本館経由で帰路につき、歩きながら企画展示を流して見た。
 何としても展示替え以後に再度足を運ばねばならないと決意したことは、言うまでもない。
# by nene_rui-morana | 2011-11-27 12:53 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
法然と親鸞 ゆかりの名宝  第一期①
[副 題]法然上人八百回忌・親鸞上人七百五十回忌 特別展

[見学日]2011年10月27日(木)

[会 場] 東京国立博物館 平成館


 以前開催された特別展で当館を訪れた時にチラシを入手した本特別展、迷わず見学を決心する。芸術の秋を迎えて休日は混雑すると思い、無理して年次休暇をとって平日の午前に足を運んだ。しかし平日午前にもかかわらず、会場内はけっこう混雑していた。(**は国宝、*は重文を表します)


第1章人と思想
 第1章には、法然と親鸞の肖像画や著作(直筆含む)、またその生涯を解説したイラスト入り年譜などが展示されていた。両名の一生については新たに説明の必要がないのかもしれないが、一般に知られているそれは激動の人生のごく一部であることを展示から実感した。
 複数の【法然上人像】に続いて展示されていたのは【選択本願念仏集】**(京都・廬山寺蔵)、巻頭と内題は法然自筆と言われ、所々に訂正があることから草稿とみられる。解説によると、この著作は九条兼実の要請によって撰述されたという。
 【源空(法然)・証明書状】は、かの熊谷直実の質問に答えたものだという。直実が息子と同年代の平家の公達・敦盛を討った無常観から出家したというのはフィクションで、本当の原因は所領争いという極めて俗世間的なものだったらしいが、直実が平家物語の作者が生み出した架空の人物ではなく実在した鎌倉幕府御家人であることを、この展示から再認識できた。なお、この後もしばしば登場する法然の高弟・証空は、由緒ある公家の出とのことだった。
 親鸞の書も、肖像画の後に多数展示されていた。【教行信証】**(京都・東本願寺寺蔵、訂正あり)、【見聞集】*(三重・専修寺蔵、唯一の平仮名書写)、等等、800年の時を超えてありし日の親鸞のゆくもりを伝える展示の数々に、しばし見入った。
 【観無量寿経註】**(京都・西本願寺蔵)は特に心に残った展示の一つ、行間や余白・紙背にまでびっしり書き込みがされ、親鸞の学識の深さ・信仰に対する真摯な姿勢が感じられた。
 蓮如筆【歎異抄】*(京都・西本願寺蔵)も今回の見ものの一つ、日本史の教科書でも紹介されている有名な≪善人ナオモテ...≫の一節は第三条である。この史料を基に書かれた倉田百三の【出家とその弟子】は、高校時代に流し読みしたが内容は詳細は忘れてしまった。


第2章
 第2章は両名の生涯を描いた絵図や絵伝などを展示、個人的には絵巻物は好きなジャンルなので(これは漫画と共に成長したことに起因しているのかもしれない)、このコーナーの展示も強く心に残った。中には掛け軸のものもあった。
 【法然聖人伝絵】*(個人蔵)と【法然上人伝絵】*(東京国立博物館蔵)の他、同じシーンが描かれている別個の作品を見比べた。
 また、これまでに旅行で両名ゆかりの地を何度か訪れたことがあるが、【法然上人行状絵図】**(知恩院蔵)の室津のシーンなどは旅先での思い出を回想しながら鑑賞した。
 【拾遺古徳伝絵】*(茨城・常福寺蔵)は、法然の【往生要集】の講義に感銘した後白河法皇が藤原隆信に描かせたものだという。
 親鸞の生涯を描いたものでは、曾孫・覚如が詞書を書いた【善信聖人絵(琳阿本)】*(京都・西本願寺蔵)が印象的だった。
 展示作品の制作年代は鎌倉時代から江戸時代にまで及ぶ。時代が下ると、教団によって始祖を神格化する目的もあったのだろうと思った。
# by nene_rui-morana | 2011-11-26 17:18 | 展覧会・美術展(日本編) | Trackback | Comments(0)
酒井抱一の雅俗
[聴講日] 2011年10月16日

[会 場] 千葉市美術館

[講 師] 小林忠氏(当館館長)


 千葉市美術館のHPで表記講演会の情報を得た時、抽選に当たって聴講できるならこの日に行こうと決意し予約のハガキを出す。私はくじ運が極端に悪く、これまで試写会やイベントの応募に関してはほぼ全滅に近い人生を送ってきたが、天に願いが通じたのか前回の講演会に続き当選できた。
 当日は開始30分ほど前に到着し、展示を軽く見た後、エレベーターで会場階へと移動、入口でレジュメ等をいただき着席して始まりを待った。

 定刻になり、まずは当館の方が講師・小林忠館長を紹介、続いて先生が登壇される。
 挨拶に続いて、今回特別展実現の経緯等に関する説明、姫路市の美術館長さんからお誘いがあったという。
 その後はスライドも含め、抱一の生涯と作品について詳しく解説していただき、今回も大いに触発された。以下に印象に残った内容と、それに対する感想をMCという形で列記します。


●(抱一の生涯について説明しながら)姫路藩主の家柄に生まれた酒井抱一は、青年期は書画や俳句・狂歌などに親しみ、詩人としての一面もありました。次男の彼には、賛を書いた作品が本日展示されている土井利厚家の他にも多くの家から養子の話があったがすべて断っています。37歳に武士を捨てて出家し、権大僧都となりました。
 本名は忠因、他にもいくつか号がありましたが、<抱一>という名には老子思想・隠遁趣味が感じられます。


●私は学習院大学で教鞭をとって早28年となりました。この間、優秀な教え子が何人か輩出しました。自分でいうのもなんですが、私は弟子の育成はけっこう上手いと思っています。私はあまり教えません。それでいい研究者が育つのです。
[MC]
 今回の展覧会では各地で活躍されている小林先生のお弟子さんたちの努力により実現した。抱一ファンの自分にとっては、先生とお弟子さんは大恩人といえる。
 続いて、酒井抱一に関する研究本数冊も紹介、手元にあるか図書館で借りるかして既読の書籍に続き、「何としても極めつけはこちらです。」と手にとられたのは、もちろん本展覧会の図録も兼ねた分厚い書籍、さすがに重くてこの日は購入できなかったが、間もなくネット通販で入手した。


●酒井抱一は敬愛した尾形光琳と同様、次男でした。この次男というところがミソです。次男は長男に比べれば身軽で気楽です。私・小林忠は実は三男なのですが、長男は40代で亡くなりました。いろいろ責任や気苦労があったのでしょう。しかし三男の私はあまり大きな病気もせずに古希を迎え、大学も本年度で定年となります。


●(抱一以前の琳派について)第一世代の本阿弥光悦は活字本(嵯峨本)の出版を手掛けています。
 第二世代の尾形光琳は本名は方祝(まさとき)、酒井家を含めた大名家の家臣として一時期江戸で暮らしていました。その後帰京し、2階の日当たりの良いアトリエで制作活動をしたようです。
 俵屋宗理はかの葛飾北斎の師匠です。


●(本日は抱一の弟子たちに関しても詳しい解説がありました)
 鈴木其一は紫染職人の子から酒井家の家臣にとりたてられ、150人扶持の武士となりました。これは今日でいえば年収千万円クラスに相当します。初めは<噲々其一>、後には<菁々其一>の画号を名乗りました。【根岸略図】によると、雨華庵の隣に居を構え、しばしば師の代筆も行っていたようです。なお、抱一の大親友である漢学者・亀田鵬斎もすぐ近くに住んでいました。
 田中抱二は17歳の時に師・抱一と死別していますが、時代が下って明治16年に雨華庵の見取り図を回想で描きました。また彼は≪<六月二日光琳忌扇合≫とも書いていますが、実はこの日は乾山忌でもあります。さらには≪稽古日一六 マト上へ惣画致 下マト≫とも証言しています。
[MC]
 他にも酒井鶯蒲や池田孤邨についての解説があった。弟子たちに関する解説は、本日特に心に残る内容だった。雨華庵とそこでの画塾の様子を詳細に伝えてくれた抱二の功績は本業にひけをとらないだろう。
 なお余談だが、河鍋暁斎は若い頃に其一の娘きよと結婚している。子供のないまま2年ほどで死別したが、其一のことを知ってから、自分の好きな複数の絵師の思いがけないつながりに驚きと感激を覚えた記憶がある。


●(【夏秋草図屏風】についてはスランドで各所を示されながら特に詳しい解説があり、並々ならぬ思い入れがあることがうかがえました)
 この作品が出品されない酒井抱一の展覧会はサビの効いていない寿司のようなもの、私はサビぬきの寿司は食べませんので、何としても出展したいと思い、国所有の重要文化財なのでいろいろ苦労しましたが、本館の後期に展示が実現しました。
 私が東京国立博物館の学芸員をしていた頃は、【夏秋草図屏風】は光琳の【風神雷神図屏風】の裏面絵でした。このあたりに私の手垢がついているはずです。その後現在のように別々に仕立て直されました。
 近年この作品の大下絵とそれに付属する書付が発見され、誕生の経緯が明らかになりました。課題レポートともいえる書付によると、この作品は十一代将軍・家斉の父である一橋治済の注文により制作されました。表と比較すると、天と地、金と銀、神と季節の花、といった対比が見られ、抱一の俳諧的精神も感じられます。
[MC]
 私も自分にとってのNo.1ではないがこの作品はとても好きなので、上野での二回の対面?に続き今回再会の運びとなったのは、大変嬉しい。下絵もあわせて展示されるということで、後期が待ち遠しい。
 

●来年にはニューヨークで抱一展が開催される予定です。お金と時間のある方はぜひ見に行って下さい。(また、ハリソン氏所蔵【月の女郎花図】や、最近発見されたという【乾山花籠図写し】についても解説があった。)
[MC]
 先だってもドイツで葛飾北斎の展覧会が開催され、大きな反響を呼んだという。来年ニューヨークに行かれる可能性はほぼゼロだが、私はいつか外国で開催される日本美術の展覧会を見たいと思っている。日本の美術が外国で認知され多くの人々に感動を与えている現実を、自身の目で確かめたいから。


 あっという間に時間が過ぎ、最後はやや駆け足に近かったが、愛してやまない芸術家・酒井抱一について、記念すべき今年に日本屈指の研究家である小林先生から解説をいただけた喜びは計り知れない。本講座は間違いなく、自分の中での抱一の新たな一歩となるだろう。
 終了後にわずかの時間だが小林先生とお話しする時間が得られ、抱一と江戸美術に対する自身の並々ならぬ思い入れを聞いていただき、「大変失礼な言い方かもしれませんが、私は先生と好みがあいます。」と付け加えると「いい趣味をされています。」と穏やかに微笑んでいただけた。
 あらためて、小林先生の益々のご健勝をお祈りするとともに、また企画展や講演会でお目にかかれる日を心待ちにしている
# by nene_rui-morana | 2011-11-21 22:00 | 酒井抱一生誕250年 | Trackback | Comments(0)
酒井抱一と江戸琳派の全貌(前期)②
 歩みを進めて8階最後の小さな展示室に入った瞬間、感動と興奮とで胸が一杯になる。
 展示されているのは【十二ケ月花鳥図】(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、多くの抱一作品の中でもこれは特に大好きで、皇居東御苑を訪れた時には絵葉書を購入した。抱一生誕250年の今年、三の丸尚蔵館で公開されないかと度々HPをチェックしていたが情報がなく、残念だが年内対面は無理そうだと諦めかけていた。それだけに本日この会場で十二幅全てを見られたのは文字通りサプライズで、夢中で食い入るように見ていった。四季花鳥は自分にとっての抱一の真骨頂、とりわけこの作品は格調高い江戸琳派の金字塔、ため息が出るほど上品で美しくそして繊細、いつまでもこのまま見続けていたいと真剣に思った。個人的には【十一月 芦に白鷺図】がもっとも気に入っている。振り向く白鷺の表現が心に残る逸品である。一方で本日あらためて全幅見てみると、他の幅も全て素晴らしい。【七月 玉蜀黍朝顔に青蛙図】の葉上の蛙、【十二月 檜に啄木鳥図】の木の向こうから覗く啄木鳥、四季の移ろいや小動物に対する慈愛に満ちた抱一の視線が感じられる。


 階段を下りて7階の展示室へと向かう。 *以下に記載する作品の中には8階に展示されていたものもあるかもしれませんが、記憶が定かでないので当日のメモの順番に記します


 7階展示室の最初は、抱一が手掛けた工芸衣装の数々、敬愛した光琳作品を彷彿させる【白繻子地紅梅文様描絵小袖】に始まり、蒔絵の盆や茶箱・盃・印籠・櫛・茶器、等等、やはり雅びな抱一ワールドに陶酔した。原羊遊斎とのコラボによる蒔絵作品は数年前の≪大琳派展≫で何点か目にし、以後こちらも大ファンとなったので、本日の再会はとても嬉しい。【原羊遊斎下絵帖】も心に残る展示だった。
 あわせて、我が歌川国貞の【江戸自慢 仲の町灯籠】も展示、モデルの遊女は抱一の落款が入ったコウモリの団扇を手にしている。隣に展示され【猫と遊ぶ美人】(魚屋北渓作)の中にも「抱一」円印入りの衝立が描かれていて、馴染みの吉原で抱一ブランドが絶大な支持を得ていたことがうかがえる。
 展示室内は他に、抱一が描いた仏画が展示されていた。こちらにも四季花鳥図とは違った魅力がある。
 【隅田川窯場図屏風】は現在の台東区内にあった今戸焼の窯場を描いたもの、左双には雄大な筑波の山々と隅田川の景観をシンプルだが味わい深く描いている。近くで生活していた抱一には馴染みの風景だったのかもしれない。余談だが、抱一命名といわれる向島百花園では≪隅田川焼≫が生産されていたが、残念ながら現在では絶えてしまっている。


 展示の後半は抱一の弟子たちの作品を展示、稀代の芸術家だった抱一は後進の育成という点でも不滅の功績を残したことを体感した。
 見所はやはり一番弟子の鈴木其一、彼の名を知ってからまだ日は浅いが、その作品に接するたびに魅せられ、現在では大ファンになっている。国内に現存する作品はあまり多くないとも聞いていたが今回の展示数はこれまでの最多、師・抱一を継承しつつも独自の画風を確立した其一の世界にしばし陶酔した。居並ぶ作品群を見ていると、一部については抱一を凌駕しているのではないかと感じる。
 【夏秋渓流図屏風】と感動の再会を果たす。鮮やかな青の渓流、優雅な白百合、色づいた秋草、私の好きなモチーフが集約された珠玉の逸品である。
 他の作品もすべて心に残ったが、【群禽図】中央のユニークな梟、若冲作品を思わせる【蔬菜群虫図】などが特に気に入った。【翁図】【猩々舞図】などの能画も素晴らしく、其一はあらゆるテーマと技法をこなすオールマイティな不世出絵師だったことを再確認した。
 其一以外の弟子の作品にはこれまであまり接する機会がなかったが、本日はこの方面の展示も充実していて見応えがあった。注目したのは池田孤邨、其一と肩を並べる逸材だったと感じる。抱一が賛を書いた【墨田川遠望図】は、江戸博の特別展≪隅田川≫で扇型の落款を目にした記憶がある。


 期待にたがわぬ素晴らしい内容で、何度も7階と8階の間を往復し、繰り返し見入った。気がついたら閉館まで30分を割り大慌て、残念ながらラスト近くの弟子たちの作品をより入念に見直すことができず急ぎ足で再鑑賞した。
 正直ここまでスケールの大きな展覧会とは思っておらず、【十二ケ月花鳥図】など想定外の作品に対面できるなど、インパクトとサプライズにおいては近年稀にみる美術展だった。毎度のことながら、展示の素晴らしさにおいては自分の拙い文章力では到底表現できず、ご自身で現物か刊行された図録を見ていただきたいとしか記せない。
 【夏秋草図屏風】が展示される後期が楽しみである。

# by nene_rui-morana | 2011-11-19 15:58 | 酒井抱一生誕250年 | Trackback | Comments(0)
酒井抱一と江戸琳派の全貌(前期)①
[見学日] 2011年10月16日(日)

[会 場] 千葉市美術館


 以前から心待ちにしていた表記展覧会、秋口に入ってからは千葉市美術館のHPをマメにチェックし、開始間もない10月16日に小林忠館長の講演会聴講とあわせて見学した。
 当日は京成線・千葉中央駅構内で昼食をとった後、徒歩で現地へと向かった。
 入館料を支払って出品目録をもらうと、まずは前期のみ展示の作品を見落とさないようにチェックした。途中、小林先生の講演会をはさみ、閉館ギリギリまでじっくり鑑賞した。


 展示室に入ると、まず迎えてくれたのは【桜に小禽図・柿に小禽図】、柿の橙色と鳥の青が印象的だった。
 スタートは≪プレ抱一≫≪プレ江戸琳派≫ともいうべき内容、抱一の兄・酒井宗雅などの作品が展示されていた。36歳で早世したこの兄が文学や芸術に造詣が深かったことはよく知られている。若き抱一(幼名は栄八)にとってこの兄の存在は極めて大きかったことが展示からもうかがえる。
 抱一の叔父・松平乘完の【秋叢草露図】は、琳派を彷彿とさせる画風の作品だった。

 いよいよ待望の抱一作品登場、抱一ファンになってから彼の作品が見られる展覧会には可能な限り足を運び、多くの関連書にも目を通してきた。だから抱一作品はそれなりに知っているつもりだったが、今回はどの書籍にも紹介されていない作品が多数出展されていて、自分にとっては文字通り涙ものの展覧会だった。
 どの作品も大変素晴らしく、心に残った作品の感想を記載することは到底不可能である。毎度のことながら、ご自身の目で見ていただくか、展覧会にあわせて出版された同タイトルの書籍を読んでいただきたいとしか、記せない。
 個人的に好きな抱一画は、鮮やかな色彩で格調高く描かれた【十二ケ月花鳥図】のような作品だが、今回は墨のみで描かれた作品や、さらにはやはり上品な書にも、心底魅せられた。

 【元禄美人図】は、秋草に流水の着物柄が印象的だった。
 【燕子花図屏風】は、≪琳派の色≫ともいえる群青の燕子花の中に白を混ぜ、斜めに伸びた葉にとまる鉄漿蜻蛉がアクセントを加えている。
 【麦穂菜花図】はこれまで見聞した抱一作品からはやや異例の印象を受けたが、やはり目がいってしまう。
 【鶯賛画賛】(うそかえがさん)は、我が歌川国貞の地元・亀戸天満宮の神事で使われる≪うそ鳥≫を描いたもの、この鳥を参詣人が持ち帰って交換すると悪いことがうそになると言われている。現在も続く神事を、亀戸からさほど遠くない場所で生活していた抱一が知っていたことを伝えるこの展示は、特に心に残った。
 【摘芳集】は抱一の盟友だった大田南畝や山東京伝が揮毫し、抱一が巻頭を飾っている。
 抱一が若い頃から足繁く通った吉原の季節の風俗を描いたのはその名のとおり【吉原月次風俗図】、シンプルな線が往年の様子を生き生きと伝えている。
 【雪舟写金山寺図】は抱一が墨画の才能をいかんなく発揮した逸品である。
 異色の【ヒポクラテス像】からは、抱一も洋風画の影響を受けていたことがうかがえる。
 【青楓朱楓図屏風】は高価な絵具をふんだんに使用した煌びやかな作品、木の苔の表現も美しい。弟子・鈴木其一はこの作品の波の表現を手本に【夏秋渓流図屏風】を描いたのではと思った。
 【乾山写花籠図】は個人蔵で今回初公開となる目玉作品、押印されている印は現在のところ他の作品には見られないという。抱一は光琳の弟・乾山の顕彰も行い、彼の作品も独自にアレンジして模写した。
 【十二ケ月花鳥図屏風】(六曲一双、香雪美術館蔵)は同タイトルの他の作品よりは小ぶりで地味だが、個人的には大いに気に入った。其一かせ手本としたであろう向日葵や、ユーモラスな梟に特に惹かれた。
 【四季花鳥図巻】はおそらく所蔵する東京国立博物館で以前見たことがある。私好みの画風とモチーフで、本日ここで見られた喜びは計り知れない。
 【襖に秋草図】は襖四面全体に得意の秋草を描写、その草むらから兎が勢いよく飛び跳ねている。
# by nene_rui-morana | 2011-11-06 21:43 | 酒井抱一生誕250年 | Trackback | Comments(0)
< 前のページ 次のページ >